第2話 隣に生まれた光
ノアが生まれてから、数日が経った。
人類の村では、子どもが増えることに、特別な祝いはない。
余計な期待を抱かせるより、現実を教える方が役に立つからだ。
それでも、人は完全には割り切れない。
ノアの母親は、布切れのように薄い寝具の上で、隣に寝かせた赤子の頬を、そっと指でなぞる。
「……寒く、ない?」
答えは返ってこない。
産声すら上げなかった子どもは、変わらず静かだ。
黒に近い灰色の瞳は、まだあまり開けられない。
それでも時おり、ぼんやりと見上げる仕草がある。その先に映るものが何なのか、母は知ることができない。
助産師は言っていた。
「泣かない子は、長くは生きられないかもしれない」と。
だが、母の願いはただ一つだった。
――生きて。
言葉にできない分だけ、強く。
***
その数日後のことだ。
ノアの家から数軒先の家で、またひとりの女の子が生まれた。
名前は、アリス。
薄い金髪に、灰青の瞳。
彼女もまた、人類に生まれ落ちてしまった子どもだ。
泣き声は、よく響いた。
夜中まで近所に響き続け、眠れない者が苦笑するほどだった。
だが、それは悪いことではない。
泣けるだけ、元気な証拠だ。
母親は、涙を流しながら笑っていた。
「こんなに泣く子は初めてだよ。……強い子になるよ」
父親も、何度も頭を撫でていた。
「きっと、生き延びる」
その言葉が、どれほど重い意味を持つか。
両親は痛いほど理解している。
――この世界で人類として生きることが、どれほど困難か。
だからこそ、わずかな希望にすがりたかった。
***
ノアとアリス。
同じ時期に生まれた二人は、自然と一緒に過ごすことになる。
村は狭い。
子どもは少ない。
出会うことは、避けようとして避けられるものではない。
「……あ」
最初に声をかけたのは、アリスの方だった。
まだ言葉にもならない声を、ノアに向けて発する。
「ん、……」
ノアは、ただ彼女を見つめる。
意味も感情も、生まれて間もない彼には理解できない。
ただ、その声は――
自分に向けられたものだということだけは、分かった。
「この子、ノアちゃんって言うんだって」
アリスの母が、抱き直しながら微笑む。
ノアの母も、疲れた顔のまま、小さく頷いた。
「ええ……よろしくね」
その会話の意味を、二人の赤子は理解していない。
けれど、向けられた微笑が「敵意のないもの」だということは、本能的に感じ取れた。
ノアは瞬きを一つ。
アリスは手を伸ばす。
それが、はじめての交流だった。
***
日に日に、差は明確になっていく。
アリスはよく泣き、よく笑う。
感情を持つことに、ためらいがない。
それがこの世界では危ういことだと、まだ知らない。
ノアは、静かに成長していく。
泣かず、怒らず、求めず。
食事すら、必要以上を欲しがらない。
助産師は、何度も眉を寄せた。
「……この子、何かが違う」
だが、その「違い」を恐れるのか、期待するのか、大人たちは判断に迷っていた。
人類には、もう「期待」という言葉は重すぎる。
けれど――
アリスは、違った。
「ノア!」
よちよちと歩けるようになった頃。
アリスは、迷わずノアの手を取った。
掴んだノアの小さな指を、ぎゅっと握りしめて。
「いっしょに、いこ」
その一言が、世界の命運を狂わせる――
と、誰が想像しただろう。
ノアはアリスの顔を見た。
灰青の瞳は、どこまでもまっすぐだった。
敵意はない。
恐怖もない。
ただ、「一緒にいたい」という、純粋な意思。
ノアは、ほんの少しだけ首を傾け、その言葉を理解しようとした。
そして――頷いた。
「……あい」
それが、ノアにとっての光だった。
***
この日も、村には変わらず冷たい風が吹いていた。
他種族の支配が終わる気配など、どこにもない。
だが、ノアの隣には、アリスがいた。
小さな手が、確かに彼の手を握っている。
それは、この世界で最弱とされた種族に与えられた、唯一の微かな光だった。
そして、ノアはまだ知らない。
自分が守っているつもりのその光こそが、
――世界の終焉を引きずる存在になるということを。




