閑話【中】 倒れるおひさま、亜麻色の大騒ぎ
――ヒヒーンッ!!
私の小さな寝室にまで響き渡る、複数の馬の激しいいななき。
アルベルトさんが「引きちぎれそうだ」と半泣きになりながら絞ってくれた、冷たすぎる(というかほぼ氷水)タオルを額に乗せられて、私が意識を半分まどろませていた時のことだった。
ガラガラガラ、と下町の狭い路地にはおよそ似合わない、重厚な高級馬車の車輪の音がいくつも重なってお店の前に止まる。
直後、バタバタと何十人もの軍靴の音が石畳を叩いた。
(え、何?隣国の王子がまたとか……!?)
熱でボーッとする頭で私がパニックになりかけた瞬間、寝室のドアが勢いよく開け放たれた。
「リナ!!大丈夫なの!?」
部屋に飛び込んできたのは、黒いシルクのマントをバサリと翻した、この国の太陽たるお方――王妃様だった。白金に近いブロンドの髪を美しく編み込み、いつもの気品はどこへやら、実の娘が倒れたかのような血相で私のベッドへと駆け寄ってくる。
「お、王妃……さま……?なんでここに……」
「セバスから聞いたわ!リナが原因不明の高熱で倒れて、アルベルトが今にも発狂しそうだって!気が気じゃなくて、私も馬車に飛び乗ってきたのよ!」
セバスさん、王宮で一体どんな報告の仕方をしたんですか!?「原因不明の高熱」って、ただの風邪です!
驚く私の後ろから、さらにドカドカと大荷物を抱えた大男たちが押し寄せてくる。先頭に立つのは、立派なシルクハットを被り、白い髭を蓄えた厳格そうな老人。その後ろには、白衣を着た若い医療助手たちが五人も控えていた。
「殿下、王妃様、お退きください!これより国家最高医療班による、リナ殿の超精密診察を行います!」
「頼む、主治医!君のすべての知識をかけて、リナを救ってくれ!」
アルベルトさんが主治医の肩を掴んで激しく揺さぶっている。
国家最高医療班って何?それ、国王陛下が重病の時に動くやつですよね?
「では、失礼。聴診を……ふむ。魔導体温計を起動。……むむむ」
主治医の先生が、見たこともないようなキラキラ光る魔導具を私の額に当てたり、仰々しく脈を測ったりし始める。
「心拍数、正常値よりやや高め!」
「顔面の紅潮を確認!」
助手たちは、いちいち大声で記録を手帳に書き留めていく。
(いや、あの、先生……。ただでさえ熱があるのに、こんな大人数に囲まれて、しかも王妃様に見つめられてたら、緊張で心拍数も上がりますって……っ!)
私は布団の中で、ツッコミを入れたくても声が出ないもどかしさに悶絶していた。完全に休まるどころではない。
「……ふむ。これは、非常に希少な……」
主治医が深刻そうに眉間を寄せた瞬間、アルベルトさんが息を呑んで私の手を両手でぎゅっと握りしめた。その手が微かに震えている。
「希少な……何なのだ!? 呪いか!?それとも何か悪い病なのか!?」
「いえ。……過労から来るただの『知恵熱』ですな」
バタンッ!!
と、心の中で盛大に転んだ。ほら見なさい!
「直近で王宮のコンテストだの、隣国の王子様の騒動だのに巻き込まれ、お体に疲れが溜まっていたのでしょう。ゆっくり休んで栄養を摂れば、明日には下がります」
「な、なんだ……そうなのか……」
アルベルトさんは、全身の骨が抜けたようにその場にへたり込んだ。あまりの安心ぶりに、今度は王妃様が呆れたようにアルベルトの頭をコツンと叩く。
「当たり前でしょう、アルベルト。あなたが大騒ぎするから、セバスも私も、リナが命の危機なのかと思ったじゃないの。リナ、ごめんなさいね。この不器用な息子が迷惑をかけて」
「いえ、あの、心配していただいて……嬉しい、です……」
「では、王宮秘伝の滋養強壮薬を処方しておきます」
私が弱々しく笑うと、お医者様が、ドロリとした紫色の、いかにも体に良さそう……で、もの凄く苦そうな小瓶をサイドテーブルに置いた。待って、それ絶対に飲みたくない色のやつです。
「よし、分かった。では私がこれから、リナにその薬を飲ませ、特製の粥を作る!」
アルベルトさんが俄然やる気になって袖をまくり上げようとした。しかし、それを遮るように、トコトコと寝室の入り口から小さな影が現れた。
「お姉ちゃん、大丈夫ー?街の入り口に凄い馬車が止まってて……って、うわあ!?」
お見舞いにやってきた、常連客のナナだった。
十歳のおませなナナも、さすがに寝室に王妃様と王宮の医療班がひしめき合っている異常光景には、目を見開いている。
「な、ナナ……」
「お姉ちゃん……。もしかして、ただの風邪じゃなくて、王位継承の争いに巻き込まれて毒でも盛られたの……?」
「違うわよ!!」
私は残った体力を振り絞ってツッコミを入れた。
「おいリナ!起きてるか!獲れたてのネギを持ってきたぞ!」
そこへ、さらに外から、モリスさんの豪快な声が近付いてくる。
しかし。
「――これより先は、国家機密区域につき立ち入りを禁じます」
厨房の入り口で、完璧な姿勢のセバスさんが立ちはだかった。
「なんだあ!?あんた、前に見たひょろ長い兄ちゃんの仲間か?俺はリナにネギを……」
「お気持ちだけで結構。リナ殿の健康は、現在我が王宮が総力を挙げて管理しております。お引き取りを」
「なんだか知らねえが、銀髪の強そうなじいさんだな……」
カーテンの隙間から見える下町の日常と、王宮の超弩級過保護のコラボレーションに、私の頭痛は別の意味でピークを迎えようとしていた。
「アルベルト、あなたがここにいるとリナが余計に緊張して熱が上がるわ。診察も終わったのだから、一度部屋から出なさい」
「しかし、母上……」
王妃様がピシャリと言い放つと、アルベルトさんは、捨てられた子犬のような目で私を見つめてくる。
「大丈夫ですから、アルベルトさん。ちょっと、やすみます……」
私がそう言うと、彼はようやく諦めたように小さく頷いた。
「……分かった。何かあったら、すぐに叫んでくれ。扉のすぐ外にいるからな」
そう言って部屋を出ていく彼のシャツの背中には、さっきバケツと格闘した時についたとおぼしき大きな水溜りの跡と、なぜか少しだけ小麦粉が白くついていて。
(ふふ。不器用だけど、本当に私のことが心配だったんだな……)
大騒ぎの嵐が一旦落ち着き、王妃様が優しく額のタオルを替えてくれる心地よさに包まれながら、私は今度こそ、深い眠りへと落ちていくのだった。




