第29話 おひさまの絆
私の意識は、温かな小麦の香りが漂う黄金色の闇の中にいた。
指先が冷たくなっていくのが分かる。麻痺毒が、まるで氷の鎖のように私の身体を縛り付けていた。けれど、遠くから聞こえるのは、絶望の声じゃない。私の名前を呼ぶ、激しくて、温かくて、ひたむきな仲間たちの咆哮だった。
「――これ以上、彼女に汚い手を伸ばすなァッ!!」
レオンさんの咆哮が、森の地を揺らした。漆黒の大剣が、碧い魔力の奔流を纏って膨張する。それはもはや剣というより、闇を薙ぎ払う光の巨塔だった。彼が一歩踏み出すたびに、足元の土が爆ぜ、刺客たちの放つ「黒い風」をその圧倒的な熱量で霧散させていく。
「アルベルト!リナの心臓が止まる前に、このゴミ溜めを掃除するぞ!背中は預けてやる!!」
「……言われなくとも。我が国の誇りにかけて、彼女の未来を遮る者は一人として生かしてはおかない」
アルベルトさんの白銀の剣が、限界を超えた光を放ち、夜空へと一筋の雷光を突き上げた。
二人の王子が、肩を並べて突撃する。
白銀の閃光が刺客の影を切り裂き、その直後に碧の衝撃波がすべてを粉砕する。完璧な静と、圧倒的な動。かつてないほど激しくぶつかり合っていた二人が、今、リナという一人の少女を守るために、史上最強の「双星」となって戦場を支配していた。
「サラー様!右翼から回り込もうとする増援を、私の魔導地雷で誘導します。……トドメをお願いします!」
ジルさんの眼鏡が、戦火の中でキラリと冷徹に光る。彼が放った銀の円盤が空中で連結し、複雑な幾何学模様を描きながら刺客たちの退路を断つ。
「任せなさい!ジル、あんたの計算が狂ったら承知しないわよ!!」
サラーさんの鞭が、ルビーの火花を散らしながら闇を踊る。彼女は自分自身の嫉妬さえも戦意に変え、リナという「友」を傷つけた者たちへ、情熱的なまでの怒りを叩きつけていた。鞭がしなるたび、刺客たちの武器が次々と弾き飛ばされ、彼女の華麗な足技が敵の急所を的確に撃ち抜いていく。
「リナさんは……リナさんは、私たちのおひさまなんだから……っ!!」
一番小さな、けれど一番勇気ある声が響いた。ルカは泣きながらも、私の傍らを離れようとはしなかった。彼女は店から持ってきた特別ブレンドの小麦粉を、祈りを込めるようにして周囲に撒き散らした。
「ジルさん、これを使ってください!この粉は、光を一番反射するんです!」
「……なるほど。光学的攪乱ですね。ルカ、君は天才です」
ジルさんが指を鳴らすと、撒かれた小麦粉が魔導の光を反射し、森全体が万華鏡の中に閉じ込められたような、目も眩むほどのキラキラとした輝きに包まれた。
「う、わあああっ!?目が、目が見えん!!」
刺客たちが悲鳴を上げ、混乱に陥る。その中央を、アルベルトさんとレオンさんが光の奔流となって駆け抜けた。
「終わりだ。『黒い風』ごと、消え去れ!!」
二人の剣が重なり合い、巨大な光の十字架が森を貫いた。
凄まじい衝撃波が広がり、闇の軍勢は跡形もなく浄化されていく。月光よりも、どんな宝石よりも眩しい、友情と愛の結晶のような光。
戦いが終わった静寂の中で、アルベルトさんとレオンさんが、私の元へ崩れるように膝をついた。
「リナ……!リナ、聞こえるか!?」
「おい、死ぬんじゃねぇぞ!お前の焼きたてのパンを食うまでは、地獄の門番だって俺が叩き出してやる!!」
二人の手の温もりが、私の冷えた頬に伝わる。
「……ジル!薬は……!?」
ジルさんが、刺客の首領が隠し持っていた小瓶を奪い取り、内容物を瞬時に分析する。
「……解毒剤を確認。……ですが、これは『経口投与』では間に合いません。麻痺が呼吸筋に達しています。魔力を通じて、直接血管に流し込む必要があります」
「魔力なら、俺たち二人のを使え!!」
アルベルトさんとレオンさんが、同時に私の手を握った。
亜麻色の清らかな魔力。
碧の熱い魔力。
二つの王家の力が、私の身体の中へ、濁流のように流れ込んでくる。
それは、痛いくらいに熱くて、けれど、この上なく幸せな感覚だった。
毒という闇が、二人の王子の光によって、一滴残らず焼き尽くされていく。
やがて、私の指先に感覚が戻り、重かった瞼がゆっくりと持ち上がった。
「……ぁ……アル、ベルト……さん。……レオン……さん」
視界が少しずつ、キラキラと焦点を結んでいく。
目の前には、泥にまみれ、服をボロボロにし、けれど世界で一番優しい顔をした二人の王子がいた。
そして、私の顔を覗き込み、鼻を真っ赤にして泣いているルカと、安堵の溜息をつくサラーさん、眼鏡を拭き直すジルさん。
「……よかった……。みんな、無事……?」
「馬鹿。自分の心配をしろってんだよ」
レオンさんが、私の頭を乱暴に、けれど震える手で撫でた。
「君が無事で、本当によかった……。もう二度と、私の前でそんな無茶はしないでくれ」
アルベルトさんが、私の手を自分の額に押し当てて、祈るように呟いた。
森の木々の間から、今日という新しい一日を告げる朝日が、キラキラと差し込み始めていた。
それは、昨日までの争いも、恐怖も、すべてを包み込んで祝福するような、本当の『おひさま』の光だった。
私たちは、ボロボロになりながらも、互いに支え合って立ち上がった。
パン屋の娘、二人の王子、女戦士、鉄仮面の騎士、そして弟子の少女。
ちぐはぐで、カオスで、けれど誰よりも強い絆で結ばれた私たちが、朝日の中を歩き出す。
「……お腹、空いちゃったな」
私がぽつりと漏らすと、みんなが顔を見合わせ、一斉に笑い出した。
「リナ師匠!私、世界で一番キラキラしたパンの準備、もうできてますから!!」
ルカの明るい声が、朝の森に響き渡る。
死線を越えた先に待っていたのは、これまでで一番美味しいパンが焼ける予感。
私の『おひさまベーカリー』の物語は、今、最高に熱くてキラキラしたフィナーレへと向かおうとしていた。




