第28話 黒い風の襲撃、奪われた光
静寂の森を、鋭い金属音が切り裂いた。
月光に照らされた木々の隙間から滑り出してきたのは、夜の闇よりもなお深い漆黒を纏った、ガルダリアの急進派暗殺集団『黒い風』。その数、十数人。彼らの手には、光を反射しないように黒く塗られた三日月型の曲刀が握られている。
「――っ、リナ、私の後ろへ!!」
アルベルトさんの声が響くと同時に、私の身体は強い力で彼の背後に引き寄せられた。
白銀の甲冑が、月光を反射してキラキラと冷たく、けれど頼もしく輝く。彼は瞬時に白銀の剣を抜き放ち、その刀身が夜風を切り裂いて清冽な光の尾を引いた。
「ちっ、しつけのなってねぇ鼠共だ。俺の休暇を邪魔するとはいい度胸じゃねぇか!」
レオンさんは不敵な笑みを浮かべ、背中からあの大剣を引き抜いた。
その巨大な鉄の塊が空気を叩き、凄まじい風圧が周囲の木の葉を巻き上げる。彼の碧い瞳は、戦場の興奮を吸い込んで、獣のように怪しく、キラキラとした光を放っていた。
「全員、円陣を組め!リナとルカを中央に!!」
アルベルトさんの鋭い指令が飛ぶ。
その瞬間、皆がそれぞれの「戦い」を開始した。
「やれやれ、残業手当を請求せねばなりませんね。……サラー様、左方から三名、速度優先の刺客です。制圧時間は八秒でお願いします」
ジルさんが懐から数枚の小さな円盤状の魔道具を取り出し、地面に放った。
魔道具が空中で火花を散らし、刺客たちの足元を眩い閃光で焼き払う。
「言われなくても分かってるわよ!私のレオン様に指一本触れさせないんだから!!」
サラーさんが、紅いドレスの裾を翻して躍り出た。
――パシュゥゥゥン!!
彼女の手に握られた鞭が、生き物のように空をしなり、闇を切り裂く。鞭の先端に埋め込まれたルビーがキラキラと赤い軌跡を描き、刺客の一人の腕を瞬時に絡め取った。彼女はそのまま力任せに引き寄せ、華麗な旋回蹴りで相手を森の奥へと吹き飛ばす。
「見てなさい!パン焼きはリナに負けたかもしれないけど、戦いなら私が一番なんだから!!」
「師匠……私、私だって!!」
震える手でボウル――ではなく、護身用に持たされていた「目潰し用の特製小麦粉袋」を握りしめたルカが、背後から忍び寄ろうとした影に向かって叫んだ。
「これでもくらえー!!師匠のパンを汚す悪い奴めー!!」
ルカが力一杯投げつけた袋が、刺客の顔面で炸裂する。
――パフッ!!
真っ白な粉が舞い上がり、月光の下で幻想的な白い霧を作る。その隙を見逃さず、ジルさんが電光石火の速さで刺客の首筋を打ち据えた。
「お見事です、ルカ。……粒子の細かさが、視覚遮断に最適な効果を発揮しました」
「あ、ありがとうございますジルさん……っ!」
混乱する戦場の中で、私はただ、みんなの背中を見つめていた。
みんな、私の店を守るために。私の焼くパンを、明日の朝もみんなで笑って食べるために、命を懸けて戦ってくれている。
けれど、刺客たちの狙いは執拗だった。彼らの真の目的は、次期国王候補であるレオンさんの暗殺。
一人の刺客が、森の影から音もなく跳躍し、私の隣で剣を振るうレオンさんの死角へと、毒の塗られた短剣を突き出した。
「レオンさん、危ないっ!!」
私は反射的に身体が動いていた。
アルベルトさんの制止の声も聞こえない。レオンさんの驚愕の表情も目に入らない。ただ、あの碧い瞳が失われることだけは、絶対に嫌だった。
――ドスッ。
鈍い音がして、私の肩に熱い衝撃が走った。
「……ぁ、……っ」
「リナ――ッ!!」
レオンさんの絶叫が、森を震わせた。
彼はそのまま、目にも留まらぬ速さで刺客を大剣の一撃で粉砕し、崩れ落ちる私をその逞しい腕で抱きとめた。
「馬鹿野郎……!!何でお前が前に出るんだよ! パン屋の手が傷ついたらどうすんだ!!」
「……よかった、レオンさん……無事で……」
視界が、キラキラと歪んでいく。
短剣に塗られていたのは、ガルダリア特産の強力な麻痺毒だった。指先から力が抜け、意識が遠のいていく。
「リナ!!目を開けろ!リナ!!」
アルベルトさんが、刺客を蹴散らして駆け寄ってくる。彼の白銀の甲冑には、返り血が点々と付着し、その端正な顔は鬼のような形相に変わっていた。
「……ジル!毒の種類を特定しろ!急げ!!」
ジルさんが瞬時に私の傷口を検分し、眉根を寄せる。
「……『影の蜘蛛』の毒です。特効薬は……我が国の王宮にしかありません。このままでは、彼女の神経は三刻のうちに完全に麻痺し、……心臓が止まります」
「なんだと……!?」
サラーさんが絶望の声を上げ、ルカは座り込んで泣きじゃくった。
森の奥から、さらなる『黒い風』の増援が、不気味な笑い声を上げながら姿を現す。
絶体絶命の危機。
けれど、二人の王子の瞳からは、絶望ではなく、この世のすべてを焼き尽くすような、凄まじい怒りが溢れ出していた。
「……アルベルト。……一時休戦だ」
レオンさんが、私を静かに地面に横たえ、立ち上がった。
彼の周囲の空気が、碧い魔力によってバチバチと放電し始める。
「ああ。……リナを傷つけた罪、万死に値する。……一匹残らず、塵にしてやろう」
アルベルトさんの白銀の剣が、太陽のような眩い光を放ち始める。
亜麻色と碧。
二つの最強の光が重なり合い、森の闇を真っ白に染め上げた。
私は朦朧とする意識の中で、最後に見た。
私を守るために、神話の英雄のように並び立つ二人の王子の後ろ姿を。
そして、泣きながらも再び粉袋を構えるルカと、鞭を締め直すサラーさんの勇姿を。
(みんな……。待ってて……。私、絶対……また、みんなでパンを……)
私の意識は、そこで深い黄金色の闇へと落ちていった。




