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おひさまパンと亜麻色の髪 〜不器用な王子は、パンの湯気に恋をする〜  作者: 初 未来
第三章 慌てるおひさまと、隣国の碧眼

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第27話 月下のスパイス・レッスン

 サラーさんとのフォカッチャ対決から一夜明け、店先の看板に突き刺さった「黒い矢」の衝撃は、町全体に重い影を落としていた。


 アルベルトさんの騎士団が町を警備し、レオンさんの従者であるジルさんが何やら複雑な数式を呟きながら罠を仕掛けている。そんな中、当の本人であるレオンさんは、緊迫感などどこへやら、相変わらず私の厨房に居座っていた。


「……なぁ、リナ。こんな時だからこそ、お前には『生き残る術』を教えておかねぇとな」


 夕闇が町を包み始めた頃、レオンさんは私の手首を掴み、裏口から外へと連れ出した。


「ちょ、ちょっとレオンさん!まだ明日の仕込みが……」


「そんなもん後だ。命あっての物種だろ?」


 彼に連れられてやってきたのは、町の外れにある、銀色の月光が降り注ぐ「静寂の森」だった。


 木々の間を縫うように差し込む月明かりが、舞い散る夜露をキラキラとダイヤモンドの粉のように輝かせている。幻想的な美しさに息を呑んだ瞬間、レオンさんの逞しい腕が、私の背後から回り込んできた。


「……なっ!?レオンさん!?」


「動くな。……これが、俺の国の『護身術』だ。敵に後ろを取られた時、どう動くか……身体に叩き込んでやる」


 近い。近すぎる。


 背中越しに伝わる、彼の驚くほど高い体温。

 耳元で囁かれる低い声。


 彼の身体からは、野生的なスパイスの香りと、夜の森の冷たい空気が混ざり合った、どこか官能的な匂いがした。


「いいか。敵がこうして寄ってきたら、肘を……こうだ」


 レオンさんは私の手を取り、自分の身体に引き寄せる。教えられているのは護身術のはずなのに、まるで月明かりの下で踊る、熱烈なダンスの練習をしているような錯覚に陥る。彼の碧い瞳が、至近距離で私を見つめ、月光を反射して怪しく、キラキラと揺れていた。


「……お前の光は、暗闇で目立ちすぎる。……だから、俺がこうして、影になって守ってやらなきゃならねぇ」


 彼の顔が、ゆっくりと近づいてくる。

 心臓が、オーブンの中で膨らむパンよりも激しく脈打った。


 その時だった。


「――そこまでだ、野蛮な王子」


 冷徹な氷の壁のような声が、森の静寂を切り裂いた。


 月光を背負い、白銀の甲冑を青白く輝かせながら現れたのは、アルベルトさんだった。その後ろには、呆れた顔をしたサラーさんと、なぜか懐中電灯のような魔道具を手に持ったジルさん、そしてなにやら叫ぶルカの姿もある。


「……アルベルト。お前、いつからストーカー紛いの真似を覚えたんだ?」


 レオンさんが不機嫌そうに私を離し、挑発的な笑みを浮かべる。


「ストーカーではない。視察だ」


 アルベルトさんは一歩、また一歩と私たちへ歩み寄り、私の肩を抱き寄せて自分の側へ引き寄せた。


「レオンハルト。リナに護身術が必要なら、我が国の騎士団が誇る『王宮護身術』を私が直々に教える。君のような、女性に抱きつくことを目的とした不埒なレッスンは必要ない」


「はっ!お前の教える術なんて、型紙通りで実戦じゃ役に立たねぇんだよ。……リナ、こっちへ来い。俺のレッスンの方が、よっぽど身体が温まるぜ?」


「いいえ。リナ、私の指導は君の安全を第一に考えている。……さあ、練習を始めよう」


 二人の王子の視線が、火花を散らして激突する。


 アルベルトさんは私を背後に隠し、レオンさんは大剣の柄に手をかける。

 

「ちょ、ちょっと二人とも!ここは森の中ですよ!敵が近くにいるかもしれないのに……!」


 私が止めようとしたその時、ジルさんがすかさず割って入った。


「アルベルト殿下、レオン様。……感情的なホルモンの分泌は、生存本能を著しく低下させます。そこで提案です。……共同で『護身術』の演習を行うというのはいかがでしょうか?私が、統計学に基づいた最も効率的な訓練メニューを作成しました」


 ジルさんが広げた羊皮紙には、複雑な図形と、なぜか「パン生地の弾力」と「筋肉の柔軟性」を比較したグラフがびっしりと書かれていた。


「なにこれ……」


 絶句する私を余所に、ルカが目をキラキラさせて叫んだ。


「すごい!二人の王子様に守られながら特訓なんて、まるで伝説の騎士物語みたいです!リナ師匠、やりましょう!」


「あんた、お気楽ね……」


 サラーさんが溜息をつきながら、鞭を鳴らした。


「いいわ、私も付き合ってあげる。レオン様が変な気を起こさないように見張らなきゃいけないしね。……ジル、あんたのそのメニュー、私もやるわよ!」


 かくして、月明かりの森は、前代未聞の「カオスな合同特訓場」へと変貌した。


 アルベルトさんは「隙がないように、常に私の視界にいなさい」と過保護なまでに私に付き添い、レオンさんは「もっと野生の勘を磨け!」と、事あるごとに私に接近してくる。


 二人から同時に「手」を取られ、右からは白銀の冷たい優しさ、左からは碧眼の熱い情熱が流れ込んでくる。


(……どうしよう。護身術どころか、私の心の方が、先に奪われちゃいそう……)


 特訓の合間、私はふと見上げた。


 梢の隙間から見える月は、まるで私が明日焼くパンのように、丸くて、黄金色に輝いている。

 けれど、そのキラキラした光の裏側に、本物の暗闇が潜んでいることに、私たちはまだ気づいていなかった。


「……リナ、逃げろ!!」


 アルベルトさんの叫び声が響いたのは、特訓の熱気が最高潮に達したその瞬間だった。

 闇の中から、無数の「黒い影」が、キラリと光る刃を手に飛び出してきた。


「――黒い風だ!」


 特訓は終わり、本物の、命を懸けた夜が始まった。


 次回予告:第28話「黒い風の襲撃、奪われた光(前編)」

 ついに姿を現した暗殺者軍団。レオンを狙う刃がリナに向かった時、アルベルトが、そして仲間たちが立ち上がる。厨房を守るための、絶対に負けられない戦いが始まる!


 いかがでしょうか? 王子たちの嫉妬が入り混じるカオスな特訓シーンと、緊迫のラストを、たっぷりのボリュームで描き出しました! 次回はサブキャラたちの戦闘シーンも含め、最高にキラキラと熱い回にいたします!

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