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おひさまパンと亜麻色の髪 〜不器用な王子は、パンの湯気に恋をする〜  作者: 初 未来
第三章 慌てるおひさまと、隣国の碧眼

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第24話 震える心

 静まり返った店内に、オーブンの中で薪がパチリと爆ぜる音だけが、やけに大きく響いていた。


 差し出された新作パン『黄金の残照』。


 アルベルトさんの清廉な白銀の気高さと、レオンさんの野性的な碧の情熱。本来なら決して混ざり合うはずのない二つの光が、私の捏ねた生地の中で、今、一つに溶け合っている。


 二人の王子様が、同時にそのパンを口に運んだ。

 私は、自分の心臓が早鐘を打つのを感じながら、粉まみれの手を胸の前でぎゅっと握りしめた。


「…………ッ!!」


 二人の動きが、彫像のように止まった。


 アルベルトさんのブルーグレーの瞳が、驚愕に見開かれる。彼がずっと大切にしてきた、私のパンの「穏やかな温もり」。その中に、レオンさんが持ち込んだ深紅のスパイスが、まるで真夏の太陽のように激しく、鮮烈な火花を散らしていた。


 対するレオンさんは、碧い瞳を細め、喉を大きく鳴らした。自分の国の、暴力的とも言えるほど情熱的なスパイス。それをリナという少女が、まるで慈母のような優しさで包み込み、とろけるような甘美な調べに変えてしまったことに、魂の底から揺さぶられているようだった。


 ――カラン。


 沈黙を破ったのは、銀のスプーンが床に落ちた音だった。


「……ううっ、……ひっ、……ぐすっ……!!」


 弟子のルカが、抱えていたボウルを台に置き、顔を両手で覆って号泣し始めた。


「ル、ルカ!?どうしたの、どこか痛いの!?」


「ち、違います……リナ師匠……っ!このパン……このパン、あまりにも……切なすぎます……!!」


 ルカは涙でぐしょぐしょの顔を上げ、震える声で訴えた。


「アルベルト様の、雪のように静かな愛……。その奥で、レオン様の燃えるような太陽が、誰にも言えない秘密みたいに熱を上げているんです。なんだか、このパン……恋をして、胸が張り裂けそうになっている女の子の、一番綺麗な涙の味がします……っ!!」


 ルカの純粋すぎる、そしてあまりに鋭い感性に、私は顔が火が出るほど熱くなった。


「ル、ルカ!そんな、大袈裟な……これはただのスパイスの調和で……」


「大袈裟ではありませんよ、リナ様」


 不意に、レオンさんの背後に控えていたジルさんが、一歩前へ踏み出した。


 鉄仮面のような無表情。けれど、その眼鏡の奥の瞳は、まるで高度な鑑定魔道具のように、私の焼いたパンを隅々まで観察していた。


「このパンから放出されるアロマ成分は、嗅覚を通じて脳内のセロトニンを異常活性化させると同時に、アドレナリンを急上昇させている。つまり、穏やかな幸福と激しい情熱が、一つの口腔内で爆発している状況です。……ルカと言いましたか。君の涙腺の崩壊は、至極科学的な反応です。君の感受性は、我が国の軍事機密級の防壁をいとも容易く突破しましたね」


 ジルさんは淡々とそう言うと、懐から糊のきいた真っ白なハンカチを取り出した。そして、迷いのない動作で、ルカの涙で濡れた頬にそれをそっと押し当てた。


「……えっ?」


「拭きなさい。……生地に涙が入れば、塩分濃度が狂い、パンのキラキラが濁ります」


「あ、……あ、ありがとうございます……」


 ルカが顔を真っ赤にして俯く。


「ふむ、心拍数の上昇も確認。実に興味深い被検体だ」


 ジルさんはそれを見て、独り言を漏らしている。


「ちょっとジル!あんたまで何感心してんのよ!だいたい、何よこのパン!キラキラしてて、食べたらお腹の底が熱くなって……なんだか、悔しいじゃない!」


 サラーさんが、不機嫌そうにカウンターを鞭の柄で叩いた。彼女はひったくるようにパンを食べ、そのままぷいっと顔を背けたけれど、その耳たぶが夕焼けのように真っ赤になっているのを、私は見逃さなかった。


 そして、二人の王子が、ゆっくりと視線を交わした。


「……レオンハルト。認めざるを得ないな」


 アルベルトさんが、絞り出すような声で言った。彼の声には、いつもの余裕がなかった。


「君の持ってきたスパイスは、リナのパンに……私が今まで見ようとしなかった、新しい『情熱』を与えた。それは、この国の冬を溶かすほどの力だ」


「へへっ。だろう?アルベルト。お前のパンは、優しすぎてパンチが足りねぇんだよ」


 レオンさんが、不敵な笑みを浮かべて私の腰に手を回そうとした。


 けれど、その手はアルベルトさんの白銀の鞘によって、鋭く遮られた。


「……だが、勘違いするな。混ぜ合わせたのはリナだ」


 アルベルトさんの瞳に、見たこともないような強い独占欲が宿る。


「レオンハルト、君はこのパンを『自分の国の熱』だと言ったが、私は違うと思う。これは、リナという光が、君という異分子さえも飲み込み、自分の糧にした結果だ。……リナの光は、君の想像以上に強く、深い」


「はっ!言うじゃねぇか。だったら、どっちの光がよりリナを輝かせるか……勝負はこれからだぜ?」


 二人の王子の間に、再びパチパチと火花が散る。


 白銀の気高さと、漆黒の野性。

 

 店の中に満ちる香りは、もはやパンの匂いだけではなかった。


 それは、誰かを守りたいという誓いと、誰かを奪い去りたいという渇望。


 そして、それを見守る仲間たちの、それぞれの想い。


 窓から差し込む朝陽が、舞い上がる小麦粉の粒子をキラキラと照らし出している。

 

 私は、自分の心臓の音を聞きながら、新しく焼き上がった『黄金の残照』を、もう一度見つめた。とろけるようなバターの黄金、そしてスパイスの琥珀。

 

 私の『おひさまベーカリー』は、かつてないパニックと、そして誰も見たことがない新しい「キラキラ」に、飲み込まれようとしていた。


「……もう、みんな!パンは喧嘩の道具じゃないってば!!」


 私の叫びが、朝の町に響き渡る。


 でも、その時、私の胸の奥で、小さなおひさまが今までで一番大きく、バクンと跳ねた。


 恋のスパイス。


 それは、想像以上に熱くて、少しだけ、甘酸っぱい味がした。

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