第23話 「白銀の王子」対「漆黒の豹」
店内に漂うのは、今までの「おひさまベーカリー」にはなかった、どこか官能的で熱い香り。
レオンが持ってきた深紅のスパイス『太陽の吐息』を練り込んだ生地は、オーブンの中で赤銅色に色づき、焼ける音さえも「パチパチ」ではなく「ドクドク」と心臓の鼓動のように情熱的な音を立てていた。
「……焼けたわ」
私がオーブンの扉を開けた瞬間、店内の空気が一変した。
立ち上る湯気が、窓から差し込む朝陽に反射して、まるで小さなルビーの粒が舞い踊るようにキラキラと輝いている。それは、アルベルトさんの好きな清廉な「白銀の光」ではなく、夕陽のあとの残照のような、胸を焦がす「琥珀の輝き」だった。
「ひゃあ……!なんですかこの匂い、頭がクラクラする……」
ルカがボウルを抱えたまま、夢見心地で鼻をひくつかせている。
「へへっ、どうだ。お前のおひさまに、俺の国の『熱』が混ざった。これこそが最高のキラキラってやつだろ?」
レオンが不敵に笑い、私の背後から首筋に顔を近づけてきた。彼の碧い瞳が至近距離で私を射抜き、熱い吐息が耳を掠める。
「……離れろと言っている」
冷徹な氷の刃が空気を切り裂いた。
アルベルトさんが、レオンの肩を強く掴み、私から引き剥がす。その瞳は、いつもの穏やかなグレーではなく、嵐の前の海のような、深い怒りを孕んだ濃紺に変色していた。
「レオンハルト。ここは私の国であり、彼女は私の……ルミナリアの大切な宝だ。他国の王子が土足で踏み込み、彼女に馴れ馴れしく触れることは断じて許さない」
「宝だぁ?笑わせるな。お前はこいつを大事に箱にしまって、腐らせるつもりか?リナは自由だ。この情熱を知った今、お前の冷たい箱の中になんて、もう戻れねぇよ」
レオンが挑発的にアルベルトさんの胸元を突き返した。
二人の間に、目に見えるような火花が散る。白銀の制服と、漆黒の装束(身に着けてるの下だけだけど……)。正反対の輝きを放つ二人の王子が、私の狭い店の中で対峙していた。
「アルベルトさん、レオンさん!お願い、お店で喧嘩はやめて……!」
私が叫ぶのも虚しく、アルベルトさんはゆっくりと腰の剣を抜いた。といっても、それは儀礼用の模造刀ではない。抜き放たれた白銀の刀身が、店内の粉を浴びてキラキラと冷たい光を放つ。
「……表へ出ろ、レオンハルト。騎士の礼節を教えねばならないようだ」
「いいぜ。お前のその綺麗すぎる顔を、俺の剣で少しはワイルドにしてやるよ」
レオンもまた、背負っていたあの大剣を抜いた。黒い鉄の塊のような剣身は、鈍く、けれど圧倒的な重圧を放っている。
「ちょっと、待ちなさいよ二人とも!」
サラーさんが鞭を鳴らして止めようとするが、二人の足は止まらない。
「ジル!止めなさいよ、あんたの主君でしょ!」
「……いえ。一度火がついたレオン様は止まりません。それに……アルベルト殿下も、どうやら今回は本気のようですから」
ジルさんは相変わらず無表情だが、その瞳だけは、これから始まる「王たちの戦い」を静かに記録しようとしていた。
町の人々が驚いて左右に分かれる中、二人は店の前の広場へと躍り出た。
朝霧が消えかかった広場に、二人の王子の殺気が満ちる。
「……リナを、君のような無頼漢に渡すわけにはいかない」
「渡す?違うな、彼女が俺を選ぶんだ。この熱いパンのように!」
――ガキィィィィン!!
白銀の剣と黒鉄の大剣が激突し、凄まじい金属音が町中に響き渡った。
アルベルトさんの剣は、まるで流星のように速く、鋭い。キラキラと光の軌跡を描きながら、レオンの懐へ何度も飛び込んでいく。
対するレオンは、地響きを立てるような力強い一撃でそれをねじ伏せる。彼の剣筋は、荒々しく、けれど太陽を掴もうとする獣のような生命力に満ちていた。
「すごい……」
ルカが呆然と見上げる。それは、一人のパン屋の娘を巡る争いとは思えないほど、壮絶で、そして美しかった。
剣が触れ合うたびに飛び散る火花。流れる汗。二人の王子は、立場も矜持もかなぐり捨て、ただ一人の女性への「愛」と「独占欲」を剣に乗せてぶつけ合っていた。
私は、胸を押さえてその光景を見つめていた。
アルベルトさんの、自分でも気づいていなかった激しい執着。
レオンさんの、強引で不器用な情熱。
二つの光が混ざり合い、視界がチカチカするほど眩しい。
(どうしよう……。私のせいで、二人が傷つくのは嫌……。でも……)
その時、私は自分の店の中に残された、あの『スパイスパン』に目を向けた。
まだ熱を持っているそのパンは、今も情熱的な香りを放ち続けている。
「……そうだ。剣じゃない。私がすべきことは……!」
私は厨房へ駆け戻った。二人の戦いを止めるには、言葉でも剣でもない、もっと強くて、もっとキラキラした「私の魔法」が必要だ。
外では、剣戟の音がさらに激しさを増している。
「はぁっ、……お前、意外とやるじゃねぇか、アルベルト!」
「……君こそ、蛮族の王子と侮っていた。……だが、負けるわけにはいかない!」
砂塵が舞い、王子の服が破れ、肌が露わになる。
その時、私は店から、湯気を立てた特大のトレイを抱えて飛び出した。
「二人とも、やめて!!――私のパンを、食べて!!」
叫び声と共に、私は二人の真ん中に割って入った。
瞬間、空気を切り裂こうとしていた二つの刃が、私の鼻先数センチで止まった。
「……リナ!危ないだろ!」
「何をしている、リナ!下がっていろ!」
怒鳴る二人。けれど、彼らの鼻を突いたのは、これまでに体験したことのない、強烈な「光と情熱」の混ざり合った香りだった。
私が差し出したのは、アルベルトさんの大好きな清らかな『おひさまパン』と、レオンさんの『太陽のスパイス』を、完全に融合させた新作――『黄金の残照』。
「……これを食べて。そうすれば、分かるはずだから」
私の瞳に宿る、揺るぎない「キラキラ」した意志。
二人の王子は、毒気に当てられたように剣を収め、汗だくのまま、そのパンを手に取った。
運命の一口。
それが、この歪な三角関係を、さらなるカオスへと導くことになるとは、まだ誰も知らなかった。




