↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おひさまパンと亜麻色の髪 〜不器用な王子は、パンの湯気に恋をする〜  作者: 初 未来
第三章 慌てるおひさまと、隣国の碧眼

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
22/34

第22話 碧い瞳の誘惑

 嵐は、去るどころか、私の店の前で「定住」を始めてしまった。

 

 ――カラン、カラン、カラン……!


 朝の営業が始まると同時に、ベルが鳴り止む暇もない。けれど、今日のお客さんたちの目的は、焼きたてのパンだけではなかった。


「……ちょっと、リナ。あのアレ、何なのよ?」


 常連のマーサさんが、腰を抜かさんばかりに驚いて指差したのは、私の店の真向かい。そこには、昨日の今日で、豪華な漆黒の天幕(テント)がド派手に設えられていた。


 金糸の刺繍が施されたその天幕の前では、上半身に薄い絹を纏っただけの男たちが、これ見よがしに剣の稽古をしている。その中心にいるのは、もちろん、あの人だ。


「よぉ、リナ!今日の『おひさま』もいい焼き色じゃねぇか!」


 レオンハルト――レオンが、汗をキラキラと光らせながらこちらに手を振った。黒髪が乱れ、碧い瞳が太陽を反射して宝石のように輝いている。彼はそのまま、稽古着のまま(というより、ほとんど脱いだような姿で)店にずかずかと入ってきた。


「ちょっと、レオン様!ちゃんと服を着てください!ここはお店なんですよ!」


「固いこと言うな。俺の国じゃ、これが正装みたいなもんだ。……それより、さっきのパンの端っこ、俺に食わせろ。あそこが一番香ばしくて美味い」


 レオンは私の制止を無視して、カウンター越しに身を乗り出した。


 また、昨日と同じ距離。彼の体温と、どこか懐かしいスパイスの匂いが私を包み込む。彼は私の指先についた小さな小麦粉を、碧い瞳で見つめたかと思うと、不意にその手を掴んで自分の顔に引き寄せた。


「な、……っ!」


「……ふん、いい匂いだ。お前自身がパンの精霊にでもなったんじゃねぇのか?」


 低い声が耳元で震える。私の心臓は、パン生地が発酵するよりも速く、バクバクと大きく跳ねた。


「そこまでだ、レオンハルト王子」


 冷徹な氷の壁のような声が、入口から響いた。


 アルベルトさんだ。今日は視察用の軽装ではなく、王家の紋章が入った重厚な騎士服を纏っている。その後ろには、困り果てた様子のジルさんと、不機嫌そうに鞭をいじるサラーさんの姿もある。


「……公務はどうした、アルベルト。王子様がこんな田舎のパン屋に油を売っていていいのか?」


 レオンが私の手を離し、挑発的な笑みを浮かべる。


「君こそ、他国の領土で許可なく天幕を張るのは、外交問題になりかねない。……リナ、こっちへ。その男の不埒な言動に惑わされることはない」


 アルベルトさんが私の腕をそっと引き、自分の背後に隠した。


 その手の震えに、私は驚いた。冷静沈着なアルベルトさんが、こんなに露骨に感情を剥き出しにするなんて。


「アルベルトさん……お仕事、お忙しいんじゃ……」


「……君の安全を確保するのも、私の重要な公務だ」


 アルベルトさんは私にだけ聞こえるような小さな声で、けれど断固とした口調で言った。そのブルーグレーの瞳は、レオンへの敵意でキラキラと鋭く光っている。


「あっはは!面白いわね、二人とも!」


 甲高い笑い声を上げたのは、サラーさんだった。彼女は店内の棚に並ぶパンを一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らした。


「レオン様をたぶらかすからどんな絶世の美女かと思えば、ただの粉まみれの小娘じゃない。……でも、この『ハーブのフォカッチャ』、見た目だけはキラキラしてて可愛いわね。一ついただくわ」


「……代金は金貨一枚でよろしいですか?サラー様」


 無表情のジルさんが、すかさず集金用のトレイを差し出す。


「高いわよ、ジル!……まぁいいわ、レオン様のお気に入りなら、私が毒味してあげる」


 店内は、もうパン屋というよりは「王族の社交場」というより戦場?と化していた。


 ルカは、憧れの王子様二人に囲まれて、ボウルを抱えたまま固まっている。


「リ、リナ師匠……これ、どうすれば……」


「ルカ、今はとにかく生地を捏ねて!音を立てて、この空気をごまかすのよ!」


 私は混乱する頭を振り、再びオーブンの前に立った。


 レオンの強引な誘惑と、アルベルトさんの必死な守護。二人の王子の視線が、背中で火花を散らしているのが分かる。


「……お前ら、うるせぇぞ。リナのパンが泣いてるじゃねぇか」


 レオンが不意に真面目な顔をして、オーブンの前まで歩いてきた。


「パンを焼くときのお前は、誰の女でもねぇ。このキラキラした光、それ自体だ。……なぁリナ、一つ提案がある」


 レオンは碧い瞳を細め、いたずらっぽく笑った。


「俺が持ってきた『太陽のスパイス』を使ってみろ。お前の温かなパンに、俺の国の情熱を混ぜるんだ。そうすれば、アルベルト、お前の退屈な国も少しは明るくなるんじゃねぇか?」


「……スパイス?」


 彼が差し出した小瓶には、見たこともないような深紅の粉が入っていた。それは、朝陽を浴びてルビーのようにキラキラと輝いている。


「そんな怪しげなものは……」


 拒もうとしたアルベルトさんを制し、私はその瓶を受け取った。


 職人としての好奇心が、不安を上回ってしまった。


「……やってみます。レオンさんの国の光、私に見せてください」


 その瞬間、レオンは満足げに私の頭を乱暴に撫で回した。


「へへっ、そうでなくっちゃな。……アルベルト、お前の負けだ。リナは俺の『刺激』に興味を持ったぜ?」


「……彼女は職人として好奇心を示しただけだ。勘違いするな」


 二人の火花はますます激しさを増していく。


 私は、深紅のスパイスを生地に混ぜ込んだ。瞬間、厨房中に、情熱的で甘く、けれど少し切ない香りが立ち上った。


 それは、今までの『おひさまパン』にはなかった、心を掻き乱すような「恋の匂い」だった。


 窓の外では、野次馬の町の人々が「リナちゃんが二人の王子様に狙われてるぞ!」と大騒ぎしている。


 私の『おひさまベーカリー』は、かつてないパニックと、そして誰も見たことがない新しい「キラキラ」に包まれようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。