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おひさまパンと亜麻色の髪 〜不器用な王子は、パンの湯気に恋をする〜  作者: 初 未来
第三章 慌てるおひさまと、隣国の碧眼

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第21話 黒い風の不遜な客

 夜明け前の、この時間が一番好きだ。


 王都から戻って一ヶ月。私の店『おひさまベーカリー』には、再び穏やかで、けれど以前よりも少しだけ賑やかな朝が戻ってきていた。


 パチパチ、パチパチ……。


 オーブンの中で薪が爆ぜる音は、私にとってどんな音楽よりも心地よい。


 私は粉まみれのエプロンをきゅっと結び直し、発酵を終えた生地に優しく触れた。指先から伝わる、生きているような温もり。王都の冷たい銀の調理台もすごかったけれど、やっぱり私は、この使い込まれた木の捏ね台と、町の土の香りが混ざり合うこの場所が大好きだ。


「よし、今日もいい子ね。最高のキラキラを焼いてあげるから」


 独り言を言いながら、私は生地を丸めていく。


 窓の外、町の東の空がゆっくりと白み始め、朝霧が黄金色に透き通っていく。それはまるで、アルベルトさんの瞳の色に似ていて、思い出すだけで胸の奥がキュンと熱くなった。


(アルベルトさん、今頃どうしてるかな……。公務、忙しくしてなきゃいいけど)


 そんなことを考えていた、その時だった。


 ――ダダダダッ!!


 静寂を切り裂くような、激しい蹄の音が外から響いてきた。

 一台の馬車が停まった、なんて優雅な音じゃない。まるで一陣の嵐が、そのまま店の前に着弾したかのような衝撃。


「……えっ、何?」


 私が手を止めて顔を上げた瞬間。



 ――バァァァン!!


 店の扉が壊れんばかりの勢いで蹴破られた。


「なんだ、この匂いは!城門の三つ先まで漂ってやがるぞ!」


 入口に立っていたのは、逆光を背負った一人の男だった。


 背が高い。それも、アルベルトさんよりも一回り大きく、肩幅もがっしりとしている。


 身に纏っているのは、仕立ては良いが、あちこちが土で汚れた黒い旅装。腰には、飾り気のない、けれどひどく重厚な大剣を無造作に下げている。


 男がゆっくりと店内へ足を踏み入れる。


 朝陽を浴びて、その髪が艶やかな漆黒に輝いた。そして、鋭い眉の下にある瞳。それは、吸い込まれるような、それでいて射抜かれるような、鮮烈な「碧色」だった。


「……あ、あの。開店は、あと一時間後なんですけど……」


 私が恐る恐る声をかけると、その男は野性味溢れる動作で鼻を鳴らし、私の目の前までずいっと歩み寄ってきた。


 近い。近すぎる。


 彼の身体からは、馬の匂いと、嗅いだことのないエキゾチックなスパイスの香りがした。


「腹が減ってるんだ。御託はいい、その一番美味そうなやつを今すぐ出せ」


「え、でも、まだ焼きたてで、熱いですよ……?」


「構わん。寄越せ」


 男は私の返事も待たず、焼き上がったばかりの『おひさまパン』のトレイに手を伸ばした。


 素手で!? と驚く間もなく、彼はその大きな手でアツアツのパンを掴み、野性的にバクり、と食らいついた。


「あっ、熱いですよ!」


「…………ッ!!」


 男の動きが、ピタリと止まった。


 碧い瞳がカッと見開かれ、彼はパンを持ったまま、私をじっと凝視した。


 一秒、二秒。


 静まり返る店内に、オーブンの爆ぜる音だけが響く。


「……何だ、これは。……柔らかい。なのに、中から火が噴き出してくるようだぜ」


「それは……発酵を丁寧にして、お日様の光をたっぷり浴びた小麦を使っているから……」


「違う。……これは『光』だ。……こんなパン、俺の国には一欠片もありゃしねぇ」


 男は、残りのパンを一口で飲み込むと、粉のついた指先を自分の口でペロリと舐めた。その仕草が、どこか獲物を狙う黒豹のように妖艶で、私は思わず一歩後退りした。


「お前、名前は?」


「え、……リナですけど」


「リナか。いい名前だ。……よし、決めたぞ」


 男は不敵に笑うと、白い歯をキラリと輝かせた。

 そして、私の腰を大きな腕で強引に引き寄せた。


「っ!?な、なな、何を……!」


「俺はレオンハルト。ガルダリアの第三王子だ。リナ、お前を俺の専属職人として連れて行く。ついでに、俺の妃の座も空けておいてやる。光栄に思えよ?」


「はあぁぁ!?お妃様!?職人!?ちょっと、離してください!」


 私がバタバタと暴れていると、店の裏口から弟子入り志願お手伝いのルカが顔を出した。王城での一件のあと、おひさまパンに魅了された少女がどうしてもって、押しかけてきて、そのまま仲間入り。


「リナさん、今の音は……」


 さらに、不運なことに(あるいは幸運なことに)、早朝の視察で立ち寄ったらしいアルベルトさんの姿が、入口の壊れた扉の向こうに現れた。


「……リナ、その男は誰だ?」


 アルベルトさんの声が、今まで聞いたことがないほど冷たく、鋭く響いた。

 彼のブルーグレーの瞳には、明確な敵意が宿っている。


「アルベルトさん!違うんです、この人、いきなり……!」


「ほう、貴様が噂の『白銀の王子』か」


 レオンハルト――レオンは、私を抱き寄せたまま、アルベルトさんを挑発するように見据えた。


「悪いが、この女は俺が気に入った。この温かい光、俺の砂漠の国には絶対に必要なんだよ。……おい、ジル!準備しろ!」


 レオンが叫ぶと、店の外から溜息混じりの声がした。


「……やれやれ、また始まりましたか」


 現れたのは、鉄仮面のように無表情な美青年騎士、ジルだった。


「リナ様、申し訳ありません。我が主君は、欲しいものを見つけると理性が吹き飛ぶ性質でして。……ただ、そのパンの匂い。なるほど、理性を失うのも納得の、軍事機密級の輝きですね」


「ジル、お前まで何言ってるのよ!早くこの野生児を引き離しなさい!」


 真っ赤なドレスを翻し、鞭を手に現れたのは、情熱的な瞳をした少女、サラーだった。


「ちょっとあんた!レオン様がこんな田舎パン屋に夢中になるなんて、何かの間違いよ!……でも、確かにこの匂い、キラキラしてて癪に障るわね……」


 私の小さな店は、一瞬にしてカオスな戦場へと変貌した。


 アルベルトさんは、一歩、また一歩とレオンへ近づき、その腰の剣に手をかけた。


「……手を離せ。彼女は、私の……私の、大切な……友人だ。無礼は許さない」


「友だぁ?そんな温い言葉で、この女を縛っておけると思うなよ」


 レオンは私の耳元に顔を寄せ、低い声で囁いた。


「いいか、リナ。俺は諦めねぇ。お前のパンも、お前自身も……全部、俺が奪い取ってやる」


 碧い瞳が、キラキラと野性的な光を放つ。


 王都での戦いが終わったばかりだというのに、私の人生には、もっと熱くてワイルドな、嵐のような「キラキラ」が吹き荒れようとしていた。


 ――おひさまベーカリーの朝は、今日から、とんでもなく騒がしくなりそうです。

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