7話
街からの帰り道、ルチアは新しく買ってもらった小綺麗な普段着と、足にぴったり沿うやわらかな革靴を身に着けていた。
大きすぎるシャツとぶかぶかの靴から解放されたものの、ルチアの胸の中には、新たな疑問と緊張がうごめいていた。
(こんなに立派な服や靴を買ってもらった……。 なにか重大で過酷なお仕事を言いつけられるんだわ……!)
——ただ服がなくて不便そうだったから買っただけである。
屋敷に戻り、買い込んだ大量の食材を厨房に運び終えると、ルチアの脳裏に「役に立たない奴隷は即処分」という過去の絶望がよぎった。
(待っているだけじゃダメだわ……! 自分から役に立つところを見せないと……ッ!)
ルチアは意を決したようにヴォルガンの前に進み出た。そして背筋をピンと伸ばし、頭を深く下げた。
「ご主人様! わたしに……わたしに、何かお仕事を言いつけてくださいっ! どんな酷なお仕事でも、一生懸命励みますので……っ!」
不意を突かれたヴォルガンは腕を組み、不器用に眉間を寄せる。
「……む。怪我はもう良いのか? あまり無理は……」
「大丈夫です! 傷も痛くありません! お屋敷のために働かせてください!」
「……そうか。ならば……」
熱意に押されたヴォルガンが命じたのは、ごく当たり前の屋敷の手入れだった。
「では、この長い廊下のモップ掛けをやってもらおう。水を含ませて軽く拭くだけでいい。決して無理はせず、自分のペースでやれ」
そう言って渡されたのは、バケツと真新しいモップだった。
(モ、モップ掛け……!? 試されているんだ……っ! 掃除一つで、私の価値や忠誠心を測ろうとしているんだわ……ッ!)
——ただの日常の掃除である。
ルチアはモップを固く絞ると、必死の形相で廊下の拭き掃除を始めた。ピカピカに光り輝くまで、一心不乱にモップを滑らせる。
一方、ヴォルガンはルチアの怪我が再発しないか心配でたまらなかった。
「無理はするな」と言った手前、じっと見つめるのも不審に思われるかと考え、廊下の陰からそっと様子を伺うことにした。
巨体を壁の陰に隠し、眉間に深いシワを寄せた殺気立つ眼光で、じーっとルチアの手元を見つめる大富豪。
(……うん、手際が良い。だが、少し腰に力が入りすぎではないか? 傷が開かねば良いが……)
ヴォルガンとしてはただただ過保護な心配の眼差しだったのだが——拭き掃除の途中でふと振り向いたルチアの目には、まったく違う光景として映っていた。
(ひっ……!! か、壁の陰から、ものすごい顔で監視されている……っ!!)
闇の中から覗く凶悪な眼光。少しでも手を抜けば即座に首を撥ね飛ばさんばかりの凄まじい威圧感。
(やっぱりだ……ッ! 『少しでも拭き残しがあったら処分する』という無言のプレッシャー……! 命がけで磨かなきゃ……!!)
ルチアは恐怖で涙目になりながら、さらに速度を上げてモップを動かした。
数時間後。
廊下はまるで鏡のようにぴかぴかに磨き上げられていた。
汗をかき、息を切らせながら報告するルチア。
「ご、ご主人様……! 廊下のモップ掛け、終わりましたっ……!」
ヴォルガンは廊下に足を踏み入れ、見事に磨かれた床を見渡した。
(おお……完璧だ。一人でここまでやるとは、素晴らしい手際だな)
内心で大絶賛したヴォルガンだったが、生まれつきの強面と口下手ゆえに、口から出たのは低く重い一言だった。
「……ふむ。手抜かりはないな」
(ひぇっ……! これくらい出来て当たり前だってお顔をされている……っ!)
ルチアが怯えて身をすくませていると、ヴォルガンはグゥと小さく鳴った自分の腹に気づいた。
「次は昼飯だ。……ルチア、何か作れるか?」
「は、はいっ! 厨房の食材を使って、お食事のご用意をいたしますっ!」
(ここで失敗したら、さっきの掃除の努力も水の泡だわ……ッ!)
ルチアは緊張で手を震わせながら厨房へ向かった。
見慣れない高価な調理器具に戸惑いながらも、今日買い込んできた新鮮な野菜と肉、そしてハーブを取り出し、エルフの集落で教わった素朴な煮込み料理を作ることにした。
火加減に気を配り、具材の大きさを揃え、心を込めて丁寧に煮込む。
しばらくして、香ばしく優しい匂いが厨房いっぱいに広がった。
食堂の長テーブルに、温かいスープと焼きたてのパンが運ばれた。
「できあがりました……っ。お口に合うか分かりませんが……」
恐る恐る差し出すルチア。
ヴォルガンは無言でスプーンを取り、スープを一口、口に含んだ。
(……! 美味い……!)
昨日の焦げたスープや、自分が作った生煮えの朝食とは比べものにならない、深みのある温かな味わい。食材の旨味が優しく引き出されている。
ヴォルガンは感動のあまり言葉を失い、黙々とスプーンを動かし続けた。
だが、感動すればするほど威厳を保とうとして眉間のシワが深くなるのが、この男の悪癖であった。
ルチアの目には——。
(あ、圧倒的に不機嫌そう……ッ!? 眉間のシワがどんどん深くなってる……! 味付けが薄かった……? それとも、大富豪様のお口には不相応な平民の料理だった……!?)
「あ、あの……ごめんなさいっ! 不味かったでしょうか……っ!?」
ルチアが半泣きで謝罪すると、ヴォルガンはハッと我に返り、空になった器を置いた。
「……いや。美味い。完食したのがその証拠だ」
「え……?」
見れば、大きなスープ皿は見事にすっきりと空になっていた。
「お前の料理は素晴らしい。……明日からも頼むぞ」
ボソリと、だが確かなトーンで告げられた言葉に、ルチアの胸がポッと温かくなった。
(怒られて……ない……? 美味しいって、完食してくれた……っ!)
恐怖と勘違いに振り回されながらも、ルチアは自分の仕事が認められた喜びを噛みしめるのだった。




