5話
翌朝。
鳥のさえずりが微かに響く中、ヴォルガンはいつもの習慣で朝日が昇ると同時に目を覚ました。
「……ふむ」
静まり返った館の中。一か月間のユウキュウを与えているため、当然ながら使用人は誰もいない。
いつもなら料理長が手際よく準備した豪華な朝食がテーブルに並んでいる時間だが、今は広大な屋敷に二人きりだ。
ヴォルガンは二階の客間の前に向かい、ドアに耳を澄ませた。
中からはすー、すーと小さく規則正しい寝息が聞こえてくる。長年の奴隷生活と移動の疲労、そして怪我の痛みでルチアはまだ熟睡しているようだった。
(……良し。まだ休んでいるな)
傷が治るまで休めと命じた手前、わざわざ起こす必要もない。
だが、目覚めた少女の腹が減っていては可哀そうだ。
(よし……俺が朝食を作ってやるか)
商人として成り上がるまで泥水をすする苦労はしてきたが、料理らしい料理など生まれてこの方作ったことがない。だが「スープを温め直すくらいできたのだ、野菜を切って焼く程度なら造作もない」と、ヴォルガンは腕を捲り上げて厨房へと向かった。
数分後。豪勢な厨房は、ちょっとした修羅場と化していた。
「……チッ」
ヴォルガンは眉間に深いシワを寄せ、無骨な指先を見つめた。
固い根菜を切ろうと包丁を振り下ろした際、力の加減を誤って自分の指先を浅く切ってしまったのだ。大男の力任せな包丁捌きに、食材は無残な形に飛び散っている。
仕方なく、昨日の医療カバンから真っ白な包帯を取り出し、自分の指に不器用に巻き付けた。
悪戦苦闘の末、どうにか完成したのは——焦げて真っ黒になったパン、サイズが不揃いすぎて生煮えの野菜。
お世辞にも料理とは呼べない、見るも無残な朝食と呼ぶべき代物だった。
(……まあ、火は通っている。食えないことはなかろう)
ヴォルガンは自分を納得させると、料理を食堂の大テーブルへ並べ、ルチアを起こしに二階へと上がった。
コンコン、と重いノックの音が客間に響いた。
「おい。起きろ」
地鳴りのようなヴォルガンの声に、ルチアはハッと目を覚ました。
眩しい太陽の光が部屋に差し込んでいる。
(あ……っ!? 朝……っ!?)
窓から日の高さを見ると、すでにすっかり朝の時間が過ぎていた。
(嘘……っ! 寝坊しちゃった……っ!? メイドとして雇ってもらった初日なのに……っ!)
血の気が引いたルチアは、慌ててベッドから飛び起きた。扉を開けると、そこには仁王立ちする恐怖の怪物——ヴォルガンの姿があった。
「お、おはようございますっ……! ごめんなさい、ごめんなさいっ! 寝坊してしまいました……っ! すぐにお掃除とお料理を——」
頭を下げて必死に謝罪するルチアを、ヴォルガンは不機嫌そうに(とルチアには見えたが、単に照れくささと不器用さが出ているだけで)見下ろした。
「……騒ぐな。休めと言っただろうが。とりあえず食堂へ来い。朝食だ」
「え……っ?」
食堂へ降りていったルチアは、テーブルの上を見て呆然とした。
そこにあったのは、炭のように黒焦げたパンと、不気味な形に切り刻まれた生煮えの野菜。
(こ、これ……化け物様が作ったの……っ!?)
そしてルチアの視線は、料理を運んできたヴォルガンの手に留まった。
その無骨で強靭な手に、痛々しく巻き付けられた真っ白な包帯。
(指に……包帯……っ!?)
ルチアの脳内で、恐ろしい推測が駆け巡る。
(私に怪しげな処置をするために、ご自分で何か恐ろしい実験をしてお怪我を……!?)
「……何を呆けている。冷めるぞ。座れ」
ヴォルガンは自らも椅子を引き、対面にドカリと腰掛けた。ルチアにおずおずとスプーンを持たせると、自分もフォークを手にする。
「い、一緒に……召し上がるのですか……?」
「当然だ。俺も腹が減っている」
逃げ場のない朝食会。
ルチアは死を覚悟しながら、真っ黒なパンと生煮えの野菜を恐る恐る口に運んだ。
——ガリッ、ジャリ……ッ。
口の中に広がるのは、焦げた苦味と、完全に火が通りきっていない野菜の青臭さ、そして絶妙に塩分が足りない薄味。
(ま、不味い……っ!!)
これまで数々の過酷な奴隷生活で酷い食事を口にしてきたルチアだったが、それとはまた違うベクトルで料理として成立していない不味さだった。
向かい側を見ると、ヴォルガンもその朝食を一口食べ、眉間のシワをこれ以上ないほど深く刻み込んでいた。
(くそ……不味いな……。火加減も包丁も、商売のようにはいかんか……)と内心で頭を抱えるヴォルガン。
だが、ルチアの目にはこう映っていた。
(せっかく作ってやったのに美味しくない顔をしたと不機嫌になっていらっしゃる……ッ!? ここで不味いなんて言ったら、一瞬で首を跳ね飛ばされる……っ!)
恐怖で背中に冷や汗を流しながら、ルチアは必死に顔を引きつらせて満面の(引きつった)笑顔を作り、絞り出すような声で言った。
「と、とっても美味しいです……っ!」
「…………」
ヴォルガンは手にしていたフォークを止め、眉間のシワを最大限に深めてルチアをじっと睨みつけた。
「……いや、不味いだろ」
「はい! すごく不味いです!」
被せ気味に即答したルチア。
正直すぎる返答に、ヴォルガンは「そこは否定せんのか」と言いたげに短く息を吐いた。
だが、顔を青くしながらも必死に自分に気を使おうとした少女の健気さに、ヴォルガンはどこか拍子抜けしてしまう。
「……フン。腹を満たさねば傷も治らん。……食え」
「は、はいっ……!」
ヴォルガンも自らが作った失敗作を黙々と胃袋へ流し込み、ルチアもまた、恐怖と可笑しさが入り混じった不思議な心地の中で、不味い朝食を少しずつ口へと運ぶのだった。




