遺留品
はたして、昼を過ぎる時分に、思遠の営む薬屋の裏手にやってきた。
思遠の店は、この都市で一番栄えていない市場にある。さらに言えば、その中でも最も賃料の安い場所を借りている。
運んでいる遺体の上にかぶせ物をしたが、不自然な形になった足は出ている。周囲の者たちは、眉を顰めながらも興味津々の様子だ。
「では」
魏泰の手下たちは、言葉数少なく、表情も変えない。静かに頭を下げて去った。
「ありがとうございました」
彼らの後ろ姿を見送りながら、思遠は「あぁ、行っちゃった。どうしよう」と、いつまでも遺体と向き合おうとしない。
「で、これから何をしたらいいんですか?」
女は、彼の視界に飛び込んで聞いた。
「何をしたらいいのか、僕にもさっぱり……えっと」
預かった指南書を、ペラペラめくる。
「まず、書かれているのは捜査をする人間たちも皆、疑え。賄賂、口利き、脅しを受けて真実を捻じ曲げると……」
「うんうん、確かにあの黒装束の役人さんたち、お金でいう事聞きそうだった」
事実、官吏たちの不正や賄賂の話は尽きない。そして、その被害を受けるのは常に弱い立場の人間だった。
「指南書によると、凶器の発見が重要。だそうですけど……凶器は見つかりませんでしたし、この女性の身元がわかる持ち物はなく……あっ、そういえば、井戸の底に腕輪と香囊があったらしいです」
思遠は、遺体の横に置かれた麻袋の口を開いて中を覗いた。
「腕輪? う、うでわ」
腕輪と聞いて、何かピンと来た、と女は額を叩いた。
「翡翠の腕輪で、かなり高価だと思います。もしかして、貴女のですか?」
取り出された腕輪が、女の手に渡った。
「あ―! 見たことあるかも。何だっけ!思い出せそうで、出てこない……」
「……」
女が腕輪を手にウロウロする様子を、思遠がじっと見つめた。
思遠には、女がこの事件の犯人だと思えなかった。しかし、もし腕輪が彼女の物ならば、なぜ井戸の底にあるのか?
少なからず、この事件に関係があるのではないか。
「嵌めてみよう」
翡翠の腕輪は、良く磨かれていて、滑らかな光沢がある。
彼女の腕で、キラリと光り――「ん? ちょっと大きすぎるかも」
輝き――そうな気配がしたが、すぐに腕から外された。
「そうですね」
「私のじゃないかも。うん、私のじゃないな。私、多分腕輪とか装飾品を着ける女じゃなかった気がする。邪魔くさい」
「そう、ですか」
彼女の耳では、真珠の耳飾りが揺れている。
「では……これは、この女性の物かもしれませんね」
腑に落ちない様子の思遠だったが、話がややこしくなる気がして口を閉じた。
「うん、あと、コウノウってなに?」
女が麻袋の中を覗いた。中には、布でできた小さな巾着が入っている。
「匂い袋ですね。香りを持ち歩くことができて、女性に人気です」
「へぇー、そうなんだ」
大して興味がなさそうな女は、取り出した香囊を振って、鼻を近づけ「何となく、薬っぽい」と思遠に押し付けた。
彼が、香囊を少し開き、深く息を吸い込み「当帰、芍薬、八角と、何かの花ですね」と分析すると「すごいね、分かるの?わんちゃんみたい」と女が手を叩いて言うので、思遠の目は半開きになった。
「まぁ、これも、この女性の物よ、きっと」
女は、遺体の腕に、腕輪をはめた。そして、香囊を彼女の側に置いた。
遺体の女性の衣は、薄汚れている。もとは手の込んだ上質な衣だったかもしれないが、路上生活で薄汚れ、擦り切れている。そんな彼女の腕に嵌る、高価な翡翠の腕輪。そして、真新しく精巧な刺繍の入った絹地の香囊は、新品同様で血がついていない。
思遠は、違和感に首を傾げたが、本人が違うと言うなら仕方ないと首を戻した。
「今更ですけど……御遺体に触れるの嫌じゃないのですか?」
「ん?」
大きな目を見開き、すっとぼけた顔をする女は、まるで他人の目を意識してない。思遠が見て来た位の高い女たちとは、まったく違う生き物に思えた。彼女たちは須らく、常時、自分を良く見せようとしていた。
いい所のお嬢さんというのは間違いだったのだろうか。
「普通、見るのも嫌がりますし、ましてや感染る皮膚病持ちですよ」
「んー、なんだか、そういう日常に居たような気が」
「居なかったと思いますけど」
「そうかな?」
「とりあえず、着替えたりしましょう。仕方ないので服をお貸しします。男物しかありませんけど」
「ありがとう!この御恩は働いて返します。私、働き者ですよ」
「……そう、見えませんけど――とにかく明日、官吏に引き取られてください」
「はい、はい。了解ですよー」




