検死作業が難航する。
思遠の衣は、女には大きかった。細顔で猫背の為、小さく見られがちだが、思遠は、巨躯と称される六尺もある。女は、紐と帯で何とか引きずらないように衣を着たが、どうあっても袖は余った。脛まである履物も大きすぎた為に、足首を紐で縛った。
「貴女は、普段、自分で服を着ていなかったのでしょうね。いくら何でも雑です」
「いや、いや。普段着てた服、コレジャナイ感すごいです。あれです。私が着ていたのは、ズボッと履いて、するっと頭と腕を通せば良いような服だったはず」
女の説明に、思遠が想像をめぐらせた。
「囚人の服ですか?」
「ちょっと、まって。あー、わかった。美しすぎる罪ですね?」
思遠の言葉にのって、ニヤリと決め顔を作った女。
その顔は、まさに傾国の美女そのものだった。
「……」
「え? 今のは、黙れ、ちょうどいいブス!と突っ込み入れるところですよ。さては、あれですね。男装ミラクルです。ちょっと男の恰好するだけで、みんな何の疑問も抱かずに、男性認定してくれるやつ。美女ぶった男にしか見えない感じですね」
「みらくるとは……ちょうど良いぶすとは、何のことです。どう考えても女性にしか見えません」
「またまたー。それは、ゴシツイさんがお医者さんだからですよ。私、これでヒゲ描いて外に行ったら、完全に男認定されますよ」
「……」
思遠は、彼女と関わるのが時間の無駄だとばかりに無視をして、背を向けて指南書を開いた。
先人が書いたと思われる指南書は、何度も改定され今に至り、検死をする人間の必読書となっている。
しかし、この仕事のなり手は不足しており、担当する人間により精度や熱意に大きな差があった。
「なんて書いてあります? その1は?」
「現場の状況を記録するとありますが、帰ってきてしまいました」
「え?やばい?あの人たち、絶対やってないよね」
「そんなこと、ひとことも言ってなかったのに……そもそも、そういうのも仵作の仕事なんですか……」
思遠は、ぶつぶつと文句を言いながら、緩やかに波を描くフワフワの髪を掻いている。
「とりあえず、思い出したことを書いておこうよ」
「……そうですね。時間は戻りません。過去の過ちはやり直せません」
「暗っ、ゴシツイさん、やっぱり、ネガティブの人だ」
「貴女が倒れていたのは、道側からみて井戸の西、5歩くらいの所でした。貴女の周りに血は殆どありませんでした。井戸の正面、つまり南側と東側に多くの血痕があり、犯行はその付近かと思われます。一番の血だまりは井戸の手前。斬って、斬って、斬ってから刺した。感じでしょうか」
革の手袋をつけた思遠が、遺体の覆いを取り外した。
「貴女、記録は書けますか?」
「よし、任せて」
胸を張って答えた女だったが、思遠が指した台の上にある墨壺と筆を見て、眉を下げながら満面の笑みをうかべる変な顔をしていた。そして、気が付かない思遠は、遺体の観察を始めた。
「前面には、腹部の刺し傷、左右の腕の尺骨側に骨が見えそうな斬り傷、それから背中に浅い斬り傷ですね。逃げる女性の後ろから斬りかかって、倒れたところを更に襲い掛かり、それを防ごうと腕で庇った傷ですかね。そこへ追い打ちをかけるように刺す……非道な犯行だ。刃渡りは、そこそこ長そうですね。戦の負傷兵と似たような傷です。この体の硬さだと、やはり朝よりは前にお亡くなりになってますね」
「……」
五月蠅かった女が静かになったので、目を向けると暗い顔をしていることに気が付いた。
「すいません。やっぱり良いです。検死は僕がやります。女性にやらせるようなことでは……」
歩み寄り、用意した紙に目を移し思遠が顔を顰めた。
汚かった。
彼女の文字は、大きさもバラバラ、字の太さや圧もめちゃくちゃ。ましてや墨の扱いもろくにできないのか、大きな黒点になっている個所もあり、さらには創作したような見たことがない字が書かれている。裕福な出自なら字は書けて当然と思っていたが、違ったのかもしれない。
「毛筆むずかしいです。全然上手く書けない。あっ、でも自分で読み返せるから大丈夫です」
「いえ、まったく大丈夫ではありません。僕が読めません。どいてください」
虫でも追い払うように手をふった思遠。
すいませーん、と軽く謝って筆を置いた女。
「この人、すごくやせ細ってるし、疥癬すごいし、どんな生活してたんだろうね。若そうにも見えるけど、細すぎて中年くらいにも見える」
女は、思遠の外した手袋を勝手につけて、遺体の頭に触れた。
「貴女は、誰にこんな事をされたの? 私たちが見つけて、裁きをうけさせるわ」
「……恐らく、この女性は路上で生活してたのでしょう。残念ながら、もし、犯人が地位の高い人物だと、大した罪にはなりません。懲罰金くらいでしょうか」
「え?なんで? 殺人でしょ? あの、只者じゃなさそうなオジサンが言ってたよ、犯人にされたら死刑だって」
「それは身分が同じ者同士の話です」
「うわぁ……すごい納得がいかない」
「そんなモノです」
思遠は一度も顔を上げなかった。彼も理不尽に思ているのか、字が普段よりも荒くなった。
「ただ、貴女を殴ったのが同じ犯人によるものなら捕まる可能性が高いです」
「そうなの? そうね、そういえば被害者は私も含めて二人だ。でも、だとしたら、私はなんで斬られなかったのかな」
今更ながら、命の危機だったことを感じたのか、女は自分の体を抱いた。
「想像はいくつかできますが、思い込みは捜査には良くないとも言います」
「えー、考えてみようよ。例えば、目撃者の私を殴って、焦ってたから生死を確認しないで逃げたとか」
「この女性に恨みがあって犯行に及んだから、貴女を殺す気はなかったとか」
「あぁ……そっか。井戸に投げ入れるまでしてるもんね」
重い空気がのしかかるなか、近くの家畜販売店の雄鶏の声や、豚の声が聞こえる。
市場の人々の声や、生活音、生命力にあふれた音が二人の耳に入ってくるが、目の前には、物言わなくなった静かな硬い遺体がある。酷く無機質で物のように思えてくる。
「生きている人間の体と、死んでしまった人では、どうしてこんなに違う風に見えるのかしら。すごく不思議」
女は、遺体の腕に嵌めた腕輪をそっと撫でた。
「人は生きているときは精気に満ち、それが散じて死に至る。すると魂魄のうち、魂は天へ昇り、魄は肉体と共に地へ帰るとされています。見ることができない精気や魂は、確かにあるのかもしれませんね。……それより、僕はこのまま作業を続けます。貴女は中で休んでいたらどうですか?頭、怪我してますし」
「いいの、元気だから、手伝う」
「そうですか」
「次は?」
「……衣服を脱がせて、傷と照らし合わせ……」
「この服、この作業が終わったら煮て洗っても良いかな。そのあと縫って着せてあげよう」
「そうですね。では、後で証拠がなくなったと言われないよう、くまなく調べて記録を取りましょう」
この後、2人の作業は混迷を極めた。
「湯水で遺体を洗い、米酢を……米酢?えっ、これ僕が自腹で買ってくるのか?米酢で湿らせた紙を張り付ける?なんで?」
「さぁ……腐らないように?冷凍庫とかないの?」
「れいとうこ?氷室ですか?遺体の為にそんなことしないでしょう」
「そういうもの?」
「ええ」
「じゃあ、買ってくる?米酢」
「……」
「ぺいぺい♪ ワオーン」
「……野犬に食われないように遺体を見張っててください。買ってきます」
「お、おぅ」
近くにあった水瓶を手にし思遠が出かけて行った。その後ろ姿は、がっくりと肩が落ちて腰も曲がり、くたびれた老人のようだった。
一尺を、おおよそ30センチに換算して表現しております。国や時代でばらつきがあるので。
六尺を、おおよそ180センチ以上と思っていただければ。




