県令、燕 仲豪あらわる。
「主は中でお待ちです」
二人を馬車から下ろした御者が、扉を示し頭を下げた。あ、どうもありがとうございます。と二人は扉へ向かった。女は馬が気になって何度も振り返ったが、御者はずっと頭を下げていた。
「こんな所まで、どなたが来てるのか」
思遠は、考えを巡らせながら門を潜り庭へ足を進めた。
今、この殺人事件を担当しているのは街使の豚顔官吏だ。彼の所属は、この都市の軍隊だ。まさか、そのお偉いさんでもやってきたのだろうか?
思遠の足は、遺体安置の建物から、後ろへ進んだ。
「どうしたの?」女の声も耳に入っていない。
まさか、この事件は何か大きな陰謀が?
いやだ、巻き込まれたくない。
いやいや、大丈夫だ。僕の役目は、もう終わったのだから。
思遠の思考は、ブツブツと小声で語られている。
「あー、もう!」女は、痺れを切らして戸を開いた。
「ちょっ……」
「こんにちは、冥土から来ました」
女の口から、ポロリと零れた言葉に思遠が目を見張った。
「はぁ?」「え?」
思遠の言葉と、背を向けて立っていた男の声が重なった。
男は、立派な体格の男だった。思遠と違い、鍛えられた厚い体をしている。
男が振り返り、顔を合わせた。
彼は、男らしい輪郭のハッキリとした顔立ちだった。太い眉と鋭い眼差しが強面に見えるが、大きな口が歯を見せて笑うと、とたんに柔らかく爽やかな印象に変わる。男には、つい視線を奪われる魅力があった。
男の名は、燕 仲豪。父親は、建国の英雄であり諸侯王となった、やんごとない身分の男だ。
しかし、彼は自らの出自に驕ることなく、慎み深く与えられた職務に邁進し、県令まで上り詰めた。
「すごい所から来たんだね」
「え?」
仲豪の視線が女に注がれた。
「あれ? 私、今なんて言ったっけ?」と女が思遠にといかけた。
その横顔を、仲豪が穴が開くほど見つめている。
「……あっ、え……」
仲豪の登場に、思遠の思考回路は停止していた。
思遠が医官を退職し、しばらくして仲豪が県令の職に就いた。県令府に籠ることなく、現場に足を運ぶ仲豪を思遠ですら数回見たことがあった。そんな、有名で人々の支持の篤い男が、目の前に――思遠の口はポカンと開いていた。
「冥土からいらっしゃった」 そうですよね。仲豪が面白そうに女に問いかけた。人好きのする笑顔が眩しい。
「そんな事言いました?」
「ええ、冥土から来られた方に、はじめてお会いしました」仲豪は楽しそうに笑っている。
「自慢しても良いですよ」
「ありがとうございます。よくぞ現世にお戻りになってくださいました」
仲豪が歓迎するように腕を広げたので、あたりにふわりと良い香りが舞った。
身分の高い男は、香りまで良いのか。
衣も上質で、一部の隙もない上等な男だな。流行りの香嚢を身に着けているんだな。最近よく目にしたも物だ。
やっと口を閉じた思遠は、遠慮がちに観察した。
「呉疾医と、助手の方をお招きしたと思うのですが、貴女がそうなのでしょうか?」
仲豪は、どんな相手にも敬意を払う態度をとる。彼が気安く接するのは、限られた人物だけだった。
「私、女に見えますか」
「え、ええ、とてもお綺麗な」
仲豪の言葉に、心底がっかりした顔の女がため息をついた。あまりに失礼な態度だ。思遠が女の横にぴったりとくっついて、その足をそっと蹴っている。
「すみません、この人、頭を打って記憶をなくしていて、少し様子がおかしくて」
思遠の言葉に、仲豪が大げさに目を丸くした。
「それは、それはご愁傷さまです」
「まぁ、生きて五体満足ですから大丈夫!」
女は胸を張って答えた。
仲豪は、困ったように笑った。
「それより、貴方のようなお方がなぜ……」
思遠の問いに、仲豪は顔を引き締めた。
「あの日の夜に亡くなった女性を確認したいのですが」
「確認……」
なぜ、貧民街で死んだ貧民の遺体を、県令が見に来るのか。
いくら現場主義の人物だとしても、不自然さを拭えない。
思遠は、浮かび上がった疑問に蓋をした。
関わって、良い事なんてない。そう判断した。
「こちらだと思います」
今日ここに並んでいる遺体は一つだった。その遺体を並べる机の一つに歩み寄った。
携行している手袋をはめて、掛け布をめくった。
「……」
仲豪は、最初、あらわになった遺体ではなく、思遠の側に立つ女を見ていた。
その反応をみるかのように。
「腐敗進んでないね」
「昨日の今日ですからね。この米酢にも効果があるんですかね」
「この女性の身元は?」
仲豪の視線は、遺体の女に向かった。
「すみません……」
「呉疾医が謝ることではありません。巡使たちの怠慢ですね」
仲豪の言葉に、痛くない胸が痛み、思遠が渋い顔になった。
「おそらく貧民窟で生活をしていた方でしょうが――」
「その割には、装飾品と持ち物が一級品ですね。衣類は路上で生活をしていた割には保たれているほうですね」
遺体の腕に嵌った、翡翠の腕輪。
枕元に置かれた、絹の香嚢。
薄汚れた刺繍の施された服。
「昔は、儲かっていたのかもしれませんね。思い出の品で売るに売れなかったとか」
「そうかもしれませんね」
はは、と笑った仲豪の目は笑っていなかった。絶対にそう思っていない。女にもわかった。
「ブランド物も、食うに困ったら売るよね普通。そもそも、盗られそうだし。不自然よね、この女性が所持していることが」
女の言葉に、仲豪が「そうですよね、その通りです」と大げさに頷いた。
「謎の多い事件ですよね。貴女の事も宙ぶらりんですし」
思遠も、うんうん頷いた。
「私、犯人の顔とか見ていたのかな?」
女は自分の頭をポコポコ叩いて、瘤に当たり、痛っ!と悶えた。
あぁ、馬鹿なことを。思遠が冷めた目で見ているのに対して、仲豪は「大丈夫ですか?」と優しく肩を支えた。
「あなた、凄く良い匂いがするわ。これ、最近どこかで嗅いだ気がするんだけど。んー、それも思い出せないわ」
「そうですか。婚約者に贈られた特注品なんです」
「リア充。さすが、女にもてそうな男って感じ」
「おい! 失礼が過ぎる」
立派な体格と、堂々とした立ち居振る舞い。余裕を感じる柔和な笑み。
つい、頼りたくなる。
つい、甘えたくなるような男。
官吏の男たちからも絶大な人気を誇っている。男の中の、男。仲豪はそう評されている。
「ゴシツイとは真逆だよね。」
「……」
もっと失礼をされて、思遠が目を閉じた。
「スマートで都会的、物腰柔らかく爽やかな笑顔なのに、男って感じの魅力と、仕事出来る感。溢れる自信と包容力。少しのことでは動じない頼れる兄貴っぽさ」
「私、次男ですけどね」
「そうなの?」
「そうだろ、仲の字が入っている人間は、大体二人目の男子だ。伯が長男で」
思遠が空中に字を書いた。
「そういえば、ゴシツイってどうかくの?」
「どうも頭悪そうな言い方だと思ったら、わかってなかったのか?」
こう書くんだと、再び空中で説明を始めた。
そんな二人を他所に、仲豪が遺体の周囲を歩いて観察した。
「呉疾医、この腕輪と持ち物を預かっても?」
「え?」
「私の方でも、職人を当たってみましょう」
「あっ、そうですよね。僕ら高級品に縁がないですから、はい。僕が許可することではないですけど、どうぞ。あっ、でもこの女性、感染する皮膚病を患ってますので、壺とかに入れて持っていくと良いですよ」
「私、借りてきます」
「お願いします」
女が部屋を出ていくのを、行かないでくれ、という視線で思遠が見つめた。県令と二人っきりになる。なんて気づまりなんだ。
思遠は、口を尖らせ、もごもごと動かし、目を反らしていた。




