馬車
昼になっても、馬季走、捕縛の知らせは入ってこなかった。
大人しく牢に入った馬風迅は、父親は何処へ行った、と問い詰められ、「分かりません。はたして本当に駅站に向かうのか、この町のどこかを徘徊するのか……」そう自嘲していた。
「あの娘さん、どうなっちゃうのかな?」
「何らかの罰を受けると思います」
「お爺さんが、無実の罪でも?」
「……それは、どうでしょうか。もし、本当の犯人が捕まれば、何もなく釈放されるかもしれませんが。難しいと思いますよ」
二人は、馬風迅を連行したあと、検死の報酬を受け取る為に県衙に呼び出された。
ここは、貧民街とも、思遠の暮らす地域とも違う。
活気に溢れ、賑やかな都市の中心だ。
立ち並ぶ邸宅も、立派なものばかりだ。
「全然、違うね。この辺は」
「まぁ、そうでしょうね。あまりウロウロしないでくださいよ」
「うん」
ここで待てと言われ、道で待っているが、女は好奇心旺盛に周囲に顔を巡らせている。この辺りは官府が多いため露店など目を惹かれる店は無い。何が楽しいのか思遠にはわからず「田舎者みたいで恥ずかしいですよ」と彼女を諫めたが「うん」と空返事しか返ってこない。
「……はぁ」
思遠はため息をついた。
改めて、この女を面倒見るような流れになってしまったことを、少し後悔していた。
何もかもが、おかしい。
話している言葉も、時々理解不能だった。
「ねぇ、何か凄いの来たわ」
「は?」
彼らの前に馬車が止まった。
思遠は目の前に馬車が止まると、貴人が下りてくると思い、急いで女の腕をつかんで、その場から離れようとしたが「検死を担当した呉疾医とその助手の方ですか?」と降りて来た男に声を掛けられ「はい」と普段より高い声の返事をした。
男は、隙の無い青年だった。鋭くも涼しい眼差しで、見るからに堅物で仕事ができそうだった。
思遠は、相手の眼差しに威圧され、無性に謝りたくなった。
医官として勤めていたころも、目にしたことがない馬車だった。
一目で乗る人物の地位の高さがうかがえた。
馬車をひく二頭の馬の毛並みは艶やかで、豊かな体躯をしている。荷台は居室のような作りで中が見えない。出入りする前面、窓のある側面にも布が垂らされている。
「お乗りください」男が促した。
「へ?」
「主がお待ちです」
「は?」
「わー、私、馬車のるのきっと初めて。光り輝く、回る馬車は乗ったことがある気がするんだけどね」
困惑する思遠を尻目に、女が臆することなく足を進めた。
女の言葉に、御者とみられる男の眉が僅かに寄せられた。
「ちょ、ちょっと、軽々しく乗るなぁ。というか、僕らは何処へ……」
「我が主が、今回の被害者の御遺体の確認がしたいと申しております。お付き合いください」
「えっ……あの井戸の女性の?」
「はい」
二人が話しているうちに、女は馬車の御者席に座った。
「そこじゃない!絶対に、そこじゃない。君、絶対に馬車乗ったことないだろう。後ろ、後ろの部屋みたいな方に乗るんだよ」
「私、風、感じたいタイプなのよね」
「どうぞ、後ろの座席へお座りください」
御者の男は、顔色も変えずに言った。
「はい。すいません。本当にすいません」
思遠が、ぺこぺこ謝りながら馬車へ足を進め、女の首根っこを掴んで奥へと進んだ。
「うわぁ、ザ、馬車だね」
左右と正面に座席があった。私、真ん中、と女は中央の床に座った。
「いや、いや、分かるでしょう。椅子三面にあって何で床?頭おかしいの?あっ、そうだ。頭部外傷だった」
「もう、冗談だよ、ゴシツイ。貴方がチキってたから、心ほぐしてあげようと思っただけよ」
「ちき?なんだか分かりませんが、絶対馬鹿にしてますよね。ほんと、どうかしてますよ。大人しく振舞わないと、早死にしますよ、大体貴女は……」緊張のほぐれた思遠の文句を、御者の「走ります」という声が止めた。
「パカラ、パカラ……」
女が、思遠の横で何やら呟いているが、聞こえないふりをしている。
「ねぇ、ゴシツイ」
「……」
「あの人、ちゃーちゃー言わないわね」女が御者の背中を指さしている。
「……」
「ねぇ、ゴシツイ」
「……」
「ビーシャーってなに?」
「っ⁉」
ずっと無視を決め込んでいた思遠だが、女の口から飛び出した単語に背筋を凍らせた。家や貧民街で口にするのは良いが、明らかに身分の高い人物の馬車の中で話す内容ではない。思遠は、女の口をふさぐように手を当てた。
「その言葉は口に出さないでください」
蚊の鳴くような声で言われ、騒音で聞こえない女は、あー?と耳に手を当てたのち、思遠の手を振り払った。
「私、記憶をなくす前に、随分、その単語を叫ぶ女性を見た気がするんだよね」
「き、気のせいですよ!とにかく黙って!」
「どうして? ビーシャー何者? 犯罪者?」
「こらっ!!」
今度は、強く女の口を塞いだ。女は嫌がって身をよじったが、その手は振りほどけなかった。
「陛下ですよ、陛下。そんな事も忘れたんですか」
女の口を押えながら、彼女の耳元で思遠が言った。
「あぁ、陛下ね。あー、どうりで」
「どうりで何なんですか!」
「煌びやかなオバちゃんが叫んでたなぁって」
「不敬ですよ!それ絶対、皇后様とか側妃様でしょう、いや……まさか、貴女、後宮の女官だったんですか?」
「いやぁ、無いよ。もっとこう、泥臭い感じの場所にいたよ、多分」
「……まぁ、後宮の女官が貧民街で殺されかけているのもおかしな話ですしね」
「そうそう。あーあ、どうせならお金持ちの実家とかあるといいな。美味しいもの沢山食べたいし。大人気飲食店の娘とか。伝説の漁師の娘とか」
女が夢を語っていると、馬車が止まった。




