捜査再会
食事と身支度を済ませた二人は、準備を整えて昨日の井戸へと向かった。今日も思遠の服を着ている女は、「新しい助手をつれてきたのか?」と聞かれるだろうと話している。どう見ても女だし、昨日の今日で忘れる作りの顔ではない。思遠は、この戯言は何が楽しいのだろう、と呆れた目で見ていた。
「あー、どうも呉疾医。おつかれ、おつかれ」
現場には、豚顔官吏と、狐顔官吏、昨日の青年、老人と娘。そして、魏泰たち、予想される顔ぶれがそろっていた。
「おはようございます」
思遠より先に彼らに駆け寄り、何かを期待するように女は目を輝かせている。
「おー、嬢ちゃん。元気そうだな」と答えた魏泰に、彼女の期待は打ち砕かれたのか、表情がなくなりうつむいた。
「なんだ? 具合わるいのか? どっちなんだよ」
「いえ、体調はいいんですけど、何故私の事がわかったんですか。男の恰好しているのに」
「……は?」
なんだこいつ、と訝し気な顔が思遠に向けられた。
「どうやら、男装すると皆が男だと認識すると思い込んでいるようです」と答えた思遠に、魏泰は「あー、やっぱり頭うってやがるな」と同情の眼差しに変わった。
「違うんですよ。この世のお約束みたいな、そんな感じなんです」
「あー、そうかよ。じゃあ、俺も逃走するときは、女の恰好するとしよう」
魏泰の言葉に「……すみません、服は服ですね」と冷静に返し「つまんないなぁ」とのたまう女の度胸に驚き、官吏たちは黙っている。
「それで、何か分かりました?」
話を進めたい思遠が、官吏二人に問いかけた。すると、豚顔官吏が、キョトンとした顔で言った。
「それは、こちらの台詞ですよ。何かわかりました?」
「え?」
「へ?」
まさか、この二人は、あの後、本当に何もせずに、家で体でもあらって、今ここへ来たのだろうか?思遠の顔が不安に塗りつぶされた。いくら、はじめてとはいえ、こんな有様で事件は解決するのだろうか?
「えっと、こちらから報告することは多くないです。ここに書いたの通り、刀傷は、背中に浅く左肩甲骨から斜め右下に、あと腕に三か所、これは被害女性が防御しようとした傷だと思われます。かなり深くまで切れてました。そして、腹部に刺し傷です。これが致命傷になったと予想してます。場所は、その井戸の前ですかね」
思遠が、血だまりができていた、井戸の前を指さした。
そして、手にしていた報告書を狐顔官吏に手渡した。
「ほうほう」
「刀は、直刀が使用されたと思います。傷の感じが、戦場の兵士たちと酷似していました」
「ふむふむ」
「あと、亡くなられた方は、かなりの飢餓状態だったと思われますが、刺された部位から胃の内容物が知れたのですが、鶏の骨っぽいもの食べてましたね」と一気に説明する思遠に、官吏は「うぇ」と胃を押さえた。
「どこで食べたのでしょうか?ガラ入りの羹ですかね」
問いかけるともなしに呟く思遠を、魏泰が鋭い眼差しで見ている。
「お前さん、嫌がってたわりに、ちゃんと仕事してんだな」
「そうですね、呉疾医。頼もしい限りです。薬屋だと聞いて、全然期待してなかったが、戦場まで行ってたのか?」
「……期待しなくていいです。それに、僕の仕事はこれで終わりですよね? あとは、この記憶のない女性を引き取ってもらって――」
「ごくろうでしたわ、呉疾医。この事件は、おかげさまで解決ですわ。あとは、この女性を探しているような話が入ってきたら、連絡しますわ」
豚顔官吏の言葉に、思遠の腕が彷徨いだした。
「ちょ、ちょっと待ってください!え? い、色々と分からないのですが、事件解決? 犯人が名乗り出て来たんですか?」
「ああ、間違いなく犯人は、この爺さんだ」
豚顔官吏が、太い指で老人を指さした。
驚いたのは娘だった。皴のある目を見開き、一瞬言葉を失ってから声を上げた。
「どうしてですか⁉ ち、父は、発見者で……」
「そうですよ、そのお爺さんじゃないって話になりましたよね、昨日」
女も娘に加勢した。
「それは、アレだ。夜のうちに殺して、井戸に捨て、気になって朝、様子を見に戻ったところを、お前に見咎められ、殴った。そうゆう事だよな」
豚顔官吏が、お爺さんの背中を叩いた。
「うっ……あ、朝が来ると、行かないとならない」
「何言ってるんだ?じじい」
「間に合わないと、こ、こっぴどく――叱られる。大変だ。でも、夜は行かない」
「全然、話が通じないが、いいぞ、牢でしっかり聞いてやる」
「お待ちください!」
「何だ娘。お前も共犯か?」
豚顔官吏が腰に下げている刀に手を置いた。娘は、ぎゅっと目を閉じた。官吏の横暴に、皆の押し込んだため息が聞こえそうだ。しかし、誰も声はあげない。また、はじまった。人々は諦観していた。そして気の毒な犠牲者から目を反らした。
「全然、納得いきません」
声を上げたのは、被害者でもある女だった。
「はあ?」
「どうして、そう思うのですか?」
「それは、お前。駆けつけたときに、この爺さんは手も胸も血だらけだった」
「それだけですか? そこに血だまりがあったから触っただけかもしれませんよ」
「十分だろうが、普通、そこに血があっても触らんだろが!」
「触りますよ。認知機能落ちてたら触ります。うんちだって捏ねるし、出てるおしっこで遊んだりします!それで、汚れた手、どこで拭くと思います?そこらへんですよ。服の時もあるし、壁の時だってあるんだから。小さいとき、鼻くそ、その辺につけたことあるでしょ。ね、ゴシツイ」
「あっ……ああ、ええ、あー、何て同意しにくい聞き方するんだ」
思遠は、目を泳がせ、鼻くそはさておき、そういう話も聞きます。と答えた。
「とにかく、お爺さんが犯人だという、決定的な証拠はないでしょ」
「ある!」
「なによ」
「こいつは、最初、犯行を認めたぞ。なぁ、お前たち、聞いたよな?」
豚顔官吏は、狐顔官吏と、少年官吏に聞いた。彼らは、はいと同意し、豚顔官吏は、ほれ見たことかと顎を突き上げた。呼吸に便利な大きな鼻が丸見えになっている。
「言葉だけ?それだけ?」
「なにより大事だ」
「そもそも!あの被害者の女性は、どこの誰なんですか?もちろん、調べたんですよね?」
「知らん」
「はああ??」
「貧民の死人の名前など重要じゃない」
「最低。なんなのそれ!それじゃあ、あの女性はどうなるの?家族の所に帰れないじゃない」
二人の会話の応酬が激しさを増している。
「そもそも帰る所なんてあるか。ないから貧民窟に居るんだろうが!」
「あるかもしれないじゃない、帰るところ! そりゃあ、今は一人でも、もしかしたら居るかもしれないよ。待っている人が。何か帰れない事情とかあったかもしれないし。無かったとしても、調べてあげようよ」
「お前は、自分のことでも調べてろ、迷い人はお前だ!」
豚顔官吏の言葉に、女は驚愕した。
「確かに、そうだわ!」
「……話が逸れている気がします。とにかく、もう少し捜査してからでも遅くないのでは?」
「そうよ!」
「俺たちは、そんなに暇じゃない。この事件のお裁きは、10日後に決まった」
「ええ⁉ 誰を裁くっていうのよ」
もちろん、決まっているだろう。そんな顔で豚顔官吏が老人を見て微笑んだ。その顔に、良心の呵責は伺えない。彼らは、これから老人を牢に放り込み、拷問し犯人に仕立て上げる。
娘は崩れ落ち、地面に膝をついた。
彼女の頭の中に、走馬灯のように父親との思い出が駆け巡った。
馬 季走は学のない父親だった。そして、家に居ないことが多かった。彼は、伝書使だったのだ。駅站から駅站へ書状を運ぶのが主な仕事だった。書状は馬に乗って運ぶこともあったが、地形や季節、状況、内容によっては、その足で走り届けるのだ。娘の風迅は、幼いころは誰よりも足が速い父に憧れ、「お父さんは、馬より早く走れるの」と自慢し、一緒になって走った。しかし大きくなるにつれ、立派な足をむき出しにしている父親を鬱陶しく恥ずかしく思うようになった。そんな若い時代も終わり、自らも大人になり親の偉大さを知った頃には、少し疎遠になっていた。
それでも、相変わらず親は親だった。
結婚し、夫から暴力を受け、死にかけた風迅を助けに来たのは、父親だった。
知らせを受けて、走って駆けつけ、怒鳴りつける立派な体躯の父親に暴力夫は腰を抜かした。
とても、愉快で――涙が止まらなかった。
それから、父親は何度も風迅のもとにやって来た。すっかり怯えた夫は大人しくなった。
月日が経ち、父親の様子がおかしいと義理の妹から聞き、今度は風迅が足を運ぶようになった。




