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お母さんへ
拝啓
桜の花も散り、春もたけなわになるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。こまごまとしたことは携帯で連日伝えていましたが、週末でまとまった時間ができたので手紙を書いて近況報告をさせてもらいます。
三十一日のお昼にお姉ちゃんと家を出た後は、予定通りの電車とバスに乗って、コンセルヴァトワールについたのはおおむね午後二時半でした。他の新入生と一緒に緑あふれるキャンパスの奥に向かって歩いていくと、桜が一面に咲いた築山がありました。そのふもとをぐるりと回ると反対側に大きな池があり、その向こうに大きな団地のような建物、根岸寮が見えてきました。
千人の学生を収容するだけはあって、根岸寮は威容をたたえた六階建ての建物が五棟も立ち並び、それらの間に大きな共用棟が構える広大な建築でした。共用棟のうちの一棟にある講堂が集合場所となっていて、私たちは池の周りを廻ってそこへ向かいました。池の周りの立木にはひとつ残らず立て看板が括り付けられ、部活動の宣伝から政治的なアジテーションまで、まさに百花斉放、百家争鳴といった様子でした。その中会で写真を撮って送ったのが馬術部の立て看板です。八日から仮入部が始まるそうなので、お姉ちゃんを誘って一緒に行ってみたいと思います。
講堂の入口にも金剛力士のように両脇に立て看板が据えられ、壁という壁にはポスターが掲示されていました。中に入ると、コンクリート打ちっぱなしのホワイエで受付を済ませ、そこで新しく製本された入寮説明会の案内を渡されました。私たちは適当な席を選んで座ると、説明会が始まるまで案内を読んで過ごしました。
やがて三時になると新入生も揃い、説明会が始まりました。最初は五回生で次期自治会長の樋泉さんによる全体説明です。根岸寮は学生自治会による自治寮であること、自治会役員は学生の総会によって選出されること、自治会は運営委員会と交渉して学校運営に学生の意見を反映させることなどの説明がありました。続いて現れた車椅子の学生は、次期運営委員会学生部会長で四回生の真保さんです、真保さんからは運営委員会についての説明がありました、コンセルヴァトワールの運営委員会は公益部会、教員部会、そして学生部会の三部会によって構成され、その多数決によって議決が行われること、学生部会は自治会役員の場合と同じく学生の総会によって選出されること、部活動や委員会活動は運営委員会の予算に属することなどの説明がありました。
真保さんはまた、フラテルニテについても触れました、真保さんも「聖園会」というフラテルニテの会長を務めており、それは障害のある学生が集まったフラテルニテなのでした、フラテルニテ、略してフラテとは字のごとく学生同士の親睦団体なのですが、自治会や運営委員会の選挙制度と組み合わされることで、一種の選挙派閥を形成しているのでした。寮内においてもフラテごとに事務所が置かれ、食堂の利用や入浴の時間割、清掃の分担といった寮内自治を行う上で重要な中間団体を形成しているため、選挙派閥という言葉にひるまず、新入生にもぜひ加入してもらいたいということでした。
それから五回生で自治会生活指導担当役員の伏見さんによる寮生活の説明がありました。寮は個室の洋室であること、食事は各自の自由だが、時間割に従って食堂も利用できること、入浴は時間割に従って学年ごとあるいはフラテごとに行うべきこと、土曜日の朝は全体清掃時間であること、寮内での歌や楽器の練習は集会室でのみ可能であることなどの細則について説明がありました。その後質疑応答があって、午後四時前に全体説明会は終わりましたが、樋泉さんから、同じ講堂で午後六時からフラテの入会に関する説明会があるとの案内がありました。
講堂を出ると、ホワイトボードに新入生の居室が張り出されていました。私とお姉ちゃんは同じ棟の別の階になりました。男女で階を分けた上で、空いた部屋から埋めていくやり方のようで、先ほど説明があったように、寮内でフラテごとに自治が行われているならば部屋ごとの横の繋がりはあまり意味がないのかもしれません。先に送っておいた大きな荷物は部屋の前まで運んであるそうなので、新入生は鍵を受け取りに自治会本部へと向かいました。
棟と棟の間は長い渡り廊下で繋がっていて、こちらもいたるところにポスターや壁新聞が貼られていました。居室棟を通るとき、ちらりと交差する廊下を覗いてみると、電灯の点いていない暗い廊下に、掃除機やら段ボール箱やら靴やらが散乱しているのが見えて、私の部屋の周りは、それ以上にお姉ちゃんの部屋の周りはどうなっているのだろうかと不安になりました。私は散らかっていても平気な方ですが、お姉ちゃんは整頓を気にする方なので、心配に思いました。
自治会本部は共用棟の一つ、集会室と同じ棟にありました。動物園の入園券売り場のようなカウンターがあり、そこに並んで居室の鍵を受け取ると、先にお姉ちゃんの部屋へ一緒に行ってみることにしました。お姉ちゃんも私も、本部棟の向こうで一番北にあるA棟に部屋がありました、私は四階、お姉ちゃんは一階です。渡り廊下を通っていくと、さっきの棟と同じ造りとは思えないほどきちんと整頓され、ちゃんと電灯もついた明るい廊下に行き当たりました。それもそのはずで、一番手前の部屋には「聖園会」と書かれた表札が掛かっていました。
聖園会とは真保さんを輩出したフラテに違いありません。真保さんは車椅子を使われるので一階はこのように整頓されているのでしょう、お姉ちゃんはこれを気に入った様子で、私と手を繋ぐと、フラテルニテは聖園会にしようと戯れに言いました。私は最初からそのつもりでしたから、そうしようと本気で答えました。
お姉ちゃんの部屋は奥から二番目の外向きの部屋で、大きな段ボール箱で送った荷物が届いていました。中は六畳の洋室で、箪笥にベッドに机と椅子が据えられたシンプルな、悪く言えば白くて殺風景な部屋でした。ドアの上には物干し竿があり先人の遺したハンガーや洗濯ばさみを使って、暖簾のように洗濯ものが干せるようになっていました。お姉ちゃんの荷解きを手伝っていると、隣室の上級生の方が挨拶にやってきました。白井さんというその方は最初私たちとのコミュニケーションに戸惑っていましたが、悪い人ではなかったようですぐ筆談に応じてくれました。
器楽科三回生の白井さんは「白鵬会」という政治的に中立であることを求める学生による緩やかなフラテに所属されており、私たちが聖園会に関心を持っていることを伝えると、聖園会は政治活動が忙しいから、とささやかな忠告をくれました。白井さんはまた女子の先輩として、分からないことがあったら何でも聞いていいと心強いことを言われました。生活上はフラテの先輩にお世話になることが多いとしても、白井さんのご厚意も忘れないようにしようと思います。
お姉ちゃんの荷物を広げ終わるのに時間がかかり、ようやく一息ついたのは午後五時前のことでした。これほどの量の荷物を整理することの大変さを味わった上でこれをもう一回行うのかと思うと気が重くなりました。それでも今度は私の四階の部屋に移って、一番奥の同じ造りの部屋で同じように荷物を広げました。四階にはまた別のフラテ「雙葉会」の事務所が置かれ、選挙事務所のようなのぼり旗や横断幕が掲示され、賑やかな様子でした。
一通り荷物を片付けたとき、お姉ちゃんが隣室の先輩に挨拶に行こうと言い出しました。白井さんのように優しい人ばかりではないと思った私は及び腰でしたが、止めてもお姉ちゃんなら絶対に行くので、観念して、それに付き合うことにしました。果たして隣室の先輩は玉木さんという大きな毛人の先輩でした。白井さんよりは不愛想でしたが、筆談には応じてくれましたし、邦楽の専攻科生で、「緑丘会」という専攻科女子の集まったフラテに所属していることも教えてくれました。
玉木さんに挨拶を終えてから、講堂に向かいがてら共用棟の探検に行きました。講堂があるのはC棟とD棟の間で、およそ三百人が収容できます。シューボックス型で、少し紀伊国屋ホールを連想させます。A棟とB棟の間には自治会本部と集会室など、寮運営の中枢機能が置かれています。B棟とC棟の間には食堂と生協が入居しており、食事や日用品の買い物ができます。(なんと入寮案内に書いてあった必需品は全て生協で販売されているのでした!)D棟とE棟の間が大浴場となっており、A棟からだと一番遠くなってしまいました。
一通り探検し終えると、同じように寮内を探検していた他の新入生と一緒に講堂に向かいました。午後の六時にもなると外はもう真っ暗です。ほとんどの新入生が集合を終えると、ステージに樋泉さんが立って説明を始めました。
先程真保さんから説明があった通り、フラテルニテとは任意の学生団体であって大規模な学生寮である根岸寮の円滑な運営のため、その役割を認められた中間自治組織としての機能を果たしています。本来そうした中間自治は学年によって担われるべきであったものが、次第にフラテが担うようになっていった背景には諸説あるものの、最大の理由は年功序列による不平等の解消と、原級留置者の多さによるものだと言っていました。そうしたフラテへの所属はあくまでも任意であり、所属しなくともまだ学年ごとの分担システムは一応まだ生きているとのことでしたが、やはり自治会の立場としても所属を推奨するということでした。
続いてフラテ「清心会」の会長、礒部さんによるフラテへの入退会及び結成に関する説明がありました。現在自治会に届け出られたフラテの数は十八、二百人を超える「聖和会」から十数名の「緑丘会」まで大小さまざまなフラテがあり、事務局まで出向いて入会申請を出せば原則受理される一方、退会には自治会本部まで届け出を要するとのことでした。フラテの新規結成には三回生以上を含む十名以上の連名で自治会本部に届け出た上で、既存のフラテの過半数から承認を得ることが必要であり、フラテの合併や解散についても同様であるとの解説がありました。毎年、年度初めには新しいフラテを結成する動きがあるそうで、それもこの後の各フラテの紹介の中で取り上げられるということでした。
礒部さんに続いて、順番にフラテやフラテ結成運動の自己紹介が始まりました。持ち時間は一分で、それぞれ簡潔に結成趣旨と活動の概要を説明してゆきました。
聖園会の場合、結成趣旨は障害の有無を問わず平等な寮生活を実現すること、活動概要はバリアフリー化の推進やそれに伴う調査・提言といった具合です。他にも白鵬会のように政治的中立を掲げるところ、聖和会のように学業成績の向上のために相互協力するところ、富士見会のように規則正しい生活と運動によって健康増進を図るところなど、ユニークな結成趣旨と活動を行うフラテがいくつも見られ、お姉ちゃんも尻尾を逆立ててよく聞いているようでした。
解散したのは七時を少し回ったところで、ホワイエではプラカードを掲げたフラテの勧誘があって、人でごった返していました。お腹も空いてきた頃に、勧誘を受ければ夕食はご馳走すると言われて、これを受けない新入生はいません。私たちも聖園会の勧誘を探し、これについていくことにしました。
食堂は千人とは言わないながらも、二百人以上の学生が全員座ることのできる広大なものでした。私たち聖園会の勧誘を受けた七人を引率したのは五回生の峯村さんでした。その峯村さんの勧めに従い、みんなで鯖の味噌煮定食を頼んで席を囲みました。食べながら峯村さんは、自分は統合失調を抱えながらも、器楽科で頑張っているということを明かしました。私たち新入生も、腎機能障害だとか、発達障害だとか、聾だとか、唖だとか、自分たちの障害について語り始めました。峯村さんは、率直に言って今の自治会のルールでは障害のある学生には暮らしにくいことも多いとしつつ、そのために聖園会は平等を目指して積極的な活動を行っており、もし入会するとしたら、そういった活動に自分が従事することをイメージしておいてほしいと言いました。
食べ終わってから峯村さんは、入会希望者は今から事務所まで連れていくと言ったので、私たちは手を挙げました。A棟一階の事務所は普通の居室三部屋分の広さがあり、壁一面にロッカーや書類棚が並び、ドラマで見たスーパーのバックヤードを彷彿とさせました。並べた長机の向こうに会長の真保さんが待ち受けていて、やあ、君たちが入会希望者か、と言いました。峯村さんに引率された七人が並んで順番に指名と抱負を述べていきましたが、私たちは筆談でこれを済ませました。
障害のある学生の安全対策に力を発揮してゆきたい、というお姉ちゃんの抱負を読み上げてから、真保さんは私たちを見渡して、今年も志のある学生がこれほど集まってくれて嬉しいという意味のことを言われました。それから、入会後は毎週金曜日の午後六時に共用棟の会議室で定例会があること、今期の入浴時間は午後九時半から十時半であることなどの決まり事を伝達され、それから入会申請書にサインしました。メーリングリストに登録すると、今日はこれで解散ということになり、明日以降また集合や連絡があるということになりました。
寮内は常にに人が行き交い、夜はまだ更けそうにありません。私たちはとりあえずお姉ちゃんの部屋で一息つくことにしました。共用のキッチンでお湯を沸かしていると、どてらを着た先程の白井さんが生協で買った品物を冷蔵庫に収めにやってきました。どうだった?と漠然とした質問をされたので、聖園会に入会したことを言うと、それはご愁傷様、と冗談まじりに言われました。白鵬会なら毎週の定例会さえ済ませていればあとは自由に過ごせたのに、とも言われましたが、お姉ちゃんはそれでは現状維持に過ぎないとして一蹴しました。私は慌ててお姉ちゃんを守るために何か言わなければと思いましたが、白井さんは、確かに自動ドアには違いないと、分かったような様子で言うと、そのまま部屋に戻っていきました。
お姉ちゃんの部屋でお茶にしながら、私は先程の自動ドアとは何の意味かとお姉ちゃんに聞きました。お姉ちゃんは、例えば健常者と障害者の場合、社会のつくりが健常者向けに最適化されることで、反対に障害者にとっては障壁となるようなとき、健常者が高もその障壁に自動ドアがついているかのように無意識に通り抜けられてしまうことだと答えました。私はお姉ちゃんが一般学級で過ごしてきた中で、そうした障壁にどれだけ出会ってきたのだろうかと思いましたが、それを聞いてみることはできませんでした。
お風呂の時間までまだ間がありましたので、待ち合わせをしていったん自分の部屋に戻ることにしました。四階の雙葉会事務所ではまだ賑やかに新歓をやっていましたが、部屋で一人になるとその静けさに急に寂しさが込み上げてきました。これまでずっとお姉ちゃんと一緒に行動してきたので、その反動が来たのでしょう。とりあえずアラームをかけてベッドに横になってみることにしました。女子寮とはいえ、先人の遺した布団は圧縮されて煎餅布団という言い方が相応しいものになっていて、新しいシーツとカバーを被せたとはいっても一度乾燥機にかけたいくらい重たく湿っぽいものに感じられました。それでも布団に足を突っ込んでいるうとうとしてきたところに、九時十五分のアラームが鳴り、お風呂の準備をしてお姉ちゃんとの待ち合わせに向かいました。
大浴場は男子と半分ずつになるとはいえ、数十人が一度に入れるような広さで、スーパー銭湯とはいかないまでもホテルの大浴場くらいの大きさはありましたが、丁度聖和会と同じ時間に当たってしまっているらしく、一度に百人近い学生が詰めかけるとゆっくり湯船に浸かってもいられません。いそいそと上がると、鏡の前は既にドライヤーで髪を乾かす学生でいっぱいでした。私はだいたい予想ができていましたので、寮に戻って洗面所で乾かそうと思いましたが、髪の長いお姉ちゃんは順番待ちにイライラした様子でした。私が説得して諦めましたが、今の時間に入っている他のフラテに悪い印象を持たないか、私としては心配でした。
一階の洗面所もドライヤーで占領されていたので、お姉ちゃんの部屋で互いに髪を乾かすことにしました。ドライヤーの音はあちこちの部屋から聞こえてきて、私はなんだか罠にかかったような感じがしました。ドライヤーの音を聞きつけて再び顔を出した白井さんによれば、毎日大浴場に入りに行くのは愚かなことであり、女子でも二日に一回、しかも外出して出先の銭湯に入った方が順番待ちをしなくていいということでした。白井さんという方は世話焼きなのか先輩風を吹かせたいのか、この後も度々顔を出しては忠告を発してくるのでした。
お姉ちゃんと別れて寝る前に、聖園会のリストメールで、明日の朝九時に事務所まで集合するように連絡がありました。明日から四月ですし、正式なキックオフがあるということだろうと想像しながら、一日目が終わりました。
翌朝はお姉ちゃんと待ち合わせをして、生協で朝ご飯を買って食べました。生協はレジに並ぶ行列が絶えない朝のラッシュを迎えていましたが、一方の食堂は一杯になった上で廊下まで行列が伸びる大混雑を見せていました。夕飯はめいめいの時間で食べるのに対して、朝はみんな同じタイミングで食べるので、処理できる容量を超えてしまっているのだと思います。まだ学校の始まらないうちでこれなら学校が始まってみんなの生活リズムが揃ってきたらもっと大変だということになります、生協で前日のうちに買っておいて部屋で食べるなどの工夫が必要でしょう。
九時になるところだったので、聖園会の事務所まで向かいました。私たちが最後で、新入生の広瀬さん、熊谷さん、刈部さん、枝田さん、郡司さんは長机を囲むパイプ椅子に腰掛けていました。上級生は峯村さんと、もう一人毛人の学生がいました。毛人の方は柘植さんと名乗り、峯村さんより上級の専攻科の学生であるようでした。峯村さんは軽く挨拶をした上で、本日より正式に真保会長が運営委員会学生部会長に就任したため、与党であるわた足たち聖園会も一層気を引き締めていかなければならず、そんな時期に入会した私たちは大変だという意味のことを言いました。そこで一日でも早く寮生活に慣れるために、聖園会で代々整備してきた生活行動マニュアルを通じて、今日は生活指導を行うと宣言されました。
男子は峯村さん、女子は柘植さんに分かれて指導を受けることになったため、私たちは広瀬さんと郡司さんと一緒に柘植さんに従うこととなりました。柘植さんは六回生で、二十世紀現代音楽のディスコグラフィーについて研究している楽理科の学生だそうです。生まれついての下肢障害で、右足に装具をつけないとまともに歩けないのだと言っていました。出身は新潟の上越だと言うと、広瀬さんが私も新潟の市内の出身だと言いました。郡司さんも群馬の高崎だと答え、お姉ちゃんが京都の出身だと言うと、やはりみんなにどうして京都のコンセルヴァトワールへ行かなかったのかと不思議がられました。
柘植さんは、書類棚から何冊かある禁貸出と書かれたファイルの一冊を取り出すと、これが聖園会の生活行動マニュアルだと言いました。部屋の整頓からゴミ出しの方法、食事の採り方から入浴方法に至るまで、その標準的な方法を網羅しており、これを覚えれば寮生活にいち早く順応できるという優れものらしく、こうした規律と整頓が好きなお姉ちゃんは目を輝かせて見ていました。具体的に実行については実例を見ながら覚えていこうということで、私たちは柘植さんの部屋に向かうことになりました。
C棟四階にある柘植さんの部屋は果たしてよく整頓された部屋でした。五年分の生活感こそ滲み出ていましたが、床に物が散乱していないだけでも私にとっては驚きでした。柘植さんは箪笥の扉と引き出しを全部開いて見せ、マニュアルの該当箇所と見比べてみるよう促しました。なるほど部屋の様子はマニュアル通りに収納、整頓されているようでした。服や下着や靴下は箪笥のしかるべきところに、生協で売っていると思しき仕切り板で分けて収納されており、掛けてある服も春物で統一されていて、必要最小限で済まされていました。
広瀬さんと郡司さんは盛んに柘植さんに質問を出していたので、私たちはそれに乗っかることにしました。その多くは些末なものだったのでここには記しませんが、柘植さんはそうした質問に一つ一つ丁寧に回答してくれました。柘植さんの真摯な人柄が見えたところで、私たちは柘植さんの部屋の様子を携帯で写真に撮ってメモ代わりにし、続いて共用部分のキッチンに向かいました。
部屋ごとに横の繋がりが希薄な中で、キッチンや洗面所といった共用部分の管理はどうしているのかと不思議に思っていたのですが、どうやら清掃を分担するフラテによる既得権となっているようでした。C棟四階は事務所のあるA棟一階と共に聖園会の管理する領域となっていて、例えば冷蔵庫や給湯器、トースターといった物品から、調理道具や洗剤といった備え付けてあるもの全ての購入申請から運用、修繕、廃棄までのライフサイクル全体を自治会主計部や営繕部と諮りながら管理するのだそうです。詳しい話はまた土曜日の掃除のときにする、と言って柘植さんは洗面所を軽く案内してから事務所に戻りました。
事務所には峯村さんら男子のグループも戻ってきており、峯村さんは書類棚の下の段に潜り込んで何かを探していましたが、やがて柘植さんの方を向き直ると、仕切り板がありません、と告げました。そんなはずはない、と柘植さんは別の棚を探し始めましたが、すぐにうん?と唸ると、無いじゃん、どうなってるの、と独り言のように呟きました。すぐさま峯村さんは真保会長に電話して指示を仰ぎました。そうした結果、卒業生から引き継ぐはずが廃棄されてしまっていた衣類の仕切り板を買いに、私たちは生協まで赴くことになりました。
生協は新生活応援フェアで、仕切り板の他にも収納ケースや組み立て式の本棚などの生活必需品を置いており、仕切り板そのものは五百円程で購入することができました。マニュアルにはその他の推奨品目も書かれており、まるでお買い物リストのようでした。私も机上に置くブックスタンドとピンチハンガーを買うと、お姉ちゃんは本棚も一緒に注文していました。買い物袋を提げて生協を出ると、一旦解散して自分の部屋の整理に向かい、柘植さんが巡回して指導するということになりました。
巡回があるので私たちは別々に部屋の整理に向かい、撮ってきた写真に向き合いながら、仕切り板を入れて箪笥の中を整頓しました。持ってきた衣類が多く、入りきらなかった分については、最初に私の部屋へ巡回してきた柘植さんに質問してそれも片付けました。次の巡回はお姉ちゃんの部屋なので、私も柘植さんについていくことにしました。道中、柘植さんに部活動は何かやっているのか聞きました。柘植さんは、聖園会の執行役員をやっているとそんな暇は無くなってしまったと言いました。
お姉ちゃんの部屋はお手本通りに既に整理されており、言うことなしに合格をもらいました。この後は十一時にまた事務所に集合ということなので、それまでお姉ちゃんの部屋で一緒に過ごすことにしました。お姉ちゃんも私も、筆談に慣れていない人との会話で疲れてきていたので、指文字で話せるのはいい息抜きになりました。お姉ちゃんの据えた本棚にはもう何冊かの楽譜が収められていました。このままいけば一年もしない内にもう一台本棚が必要になるかもしれません。
再び事務所に行くと、今度は食堂の利用方法についてマニュアルで解説がありました。食堂は食券式で、フードコートのように呼び出しベルが鳴ったら取りに行く方式です。食券買い方から受け渡しの基本的なところ、何時にどこの席に座るのが良いかといった伝統知に至るまで、細かくマニュアル化されていることに驚きました。レクチャーが終わると今度はゴミの出し方について教授がありました。基本的には共用部分のゴミ箱に捨てて土曜日の掃除のときにまとめて捨てて貰うのでよいのですが、部屋から直接ゴミステーションにもっていく場合に備えて、食堂裏のゴミステーションまで連れていかれました。マンションのゴミステーションのように、大きなゴミ箱がいくつも並んでいて、適宜業者が回収に来るということでした。
お昼休憩を挟んで、今度は練習室として使える集会室の利用方法について説明がありました。集会室は自治会本部の二階にあり、おおむね講堂と同じ位の広さを持つ大きなホールになっていました。中にはピアノにドラムセット、パーカッション一式、オルガンにギターアンプなどが所狭しと置かれていて、まるで録音途中の音楽スタジオのような有り様でした。それらの隙間で学生たちがめいめい勝手に自分の楽器の練習をしているので、防音扉を開けたときにものすごい騒音が襲ってきて、お姉ちゃんですらもその響きに身じろぎするほどでした。
器楽科や邦楽科といった楽器を使う学生は、普段学校の練習室に夜遅くまで入り浸って練習することが多く、春休み中でも先生に頼んで練習室を開けてもらっていることから、集会室はその順番待ちに使われることが多いのだと、自身も器楽科でトランペットを専攻している峯村さんが言いました。今日は特に学生の数が多いそうですが、だいたいお昼明けの時間帯は練習室が混むので、集会室も順番待ちで混みやすいということでした。
聖園会の新入生七人の内、私を含めて五人が器楽科と邦楽科の学生だったため、この後の自由時間に練習しに来るといいと峯村さんは言いました。昨日から全然練習ができていなかったので、早く練習時間を取りたくて、私はうずうずしていました。それでも次は会議室、次は大浴場と案内は続き、自由時間が取れたのは午後三時を過ぎてからになりました。私は早速部屋に戻って楽器を取りに行くと、集会室へと向かいました。
練習を終えて出ると、私はお姉ちゃんの部屋へ向かいました。夕方になってお茶の時間という訳でもありませんでしたが、部屋が一階なので用がなくても顔を出したくなったのです。お姉ちゃんは自分の部屋で作曲法の予習をしているところでした。私は集会室での練習の様子などを話しました。学校の練習室がまだ使えない新入生が集会室に集まり、入学前の課題曲をみんなで練習している内に自然と合奏になった話をした時には、お姉ちゃんは、自分もその場にいたかったと歯噛みしました。聞こえなくても音の響きを読んだり場の雰囲気を楽しめるお姉ちゃんがいても確かによかったかもしれません。お姉ちゃんも私も副科のピアノの練習があるので、時間が合えば今度は一緒に行ってみたいと思いました。
二日と三日も同じように峯村さんと柘植さんに寮生活の案内を受けた後、練習時間をもらう日々を過ごしました。入寮以来足掛け四日間、一歩も根岸寮の外に出ていなかったことになります。他のフラテの新入生は上級生に連れられて外出したり、図書館など学校の空いている施設に連れていってもらったりしていましたが、聖園会ではまず寮生活に慣れるのが優先事項だという考えで、柘植さんも、この辺りを丁寧にやらないフラテとは後で差がついてくるから、今が我慢のしどころだと言っていました。
それでも三日間もかければ一通り教え終わるもので、三日の午後はこれまでより早く講習が終わりました。今日は早めに練習に行けると思っていると、峯村さんがお姉ちゃんを呼び止めました。私も一緒に残っていいか聞くと、その方がいいと柘植さんが言いました。事務所に残っていると、忙しい合間を縫って真保会長が現れました。会長さんはにこやかに私たちに挨拶すると、お姉ちゃんに向かって話しかけましたので、お姉ちゃんは尻尾の毛を逆立てて会長さんの心に集中しました。
一昨日から正式に運営委員会学生部会長を兼ねることになった会長さんは、予算措置を通じて学校全体のバリアフリー化を促進することに着手し始めました。これまでにもエレベーターの新増設や点字ブロックの整備、多目的トイレの整備といった施策を聖園会の立場から推進してきたそうですが、今年初めてお姉ちゃんという聴覚障害を持つ学生が入学してきたことから、校舎のデフスペースデザインの促進、とりわけ寮内のデフスペースデザインの促進についても措置する必要があると考えられました。ついてはお姉ちゃんに当事者の立場から意見し、また実現に向けて力を貸してほしいということでした。
お姉ちゃんは二つ返事でこれを引き受けると、早速曲がり角には鏡を設置してほしいとか、防災放送などは気付かないのでフラッシュランプで放送していることが分かるようにしてほしい、などといった要望を出していました。会長さんは、可能なものから実現してゆけるよう努力すると答え、それから、時間があったら、私の職場を見に来ないかと誘われましたので、こちらもお姉ちゃんは二つ返事で了承すると、峯村さんや柘植さんも含めたみんなで、私も成り行きで、会長さんの車椅子について本部の方まで向かうことになりました。
運営委員会の入る学校の本部事務局は遠く離れた正門のすぐ近くに置かれていました。正面には車寄せの付いた二階建ての立派なスクラッチタイル貼りの建物で、香港のマンションのような根岸寮や、コンクリート打ちっぱなしの現代建築でできた校舎群とは違って重厚な雰囲気を漂わせていました。正面から入ると、いくつもの表札が掛かった廊下が左右に延び、会長さんについて右手の角を曲がったところに運営委員会学生部会の事務局はありました。
中は学校の職員室のように、向かい合わせになった机の島が二列並び、その頭側にそれぞれ会長さんと事務局長さんの机が置かれていました。事務局長さん側の島には専従の事務員さんが座って仕事をしており、会長さんが入ってくるとみんな、お疲れ様です、と声をかけました。会長さんもそれに返しながら私たちを招き入れると、机の前の椅子に座り替えて、パソコンで何やら仕事の確認を始めました。
峯村さんや柘植さんもここに入るのは初めてのようで、緊張した様子が伝わってきました。会長さんは、電子化しても稟議や決済が溜まるのは億劫だね、と言いながらそれらを数件処理すると、事務局長の長井さんや学生部会の委員の方々を一人一人私たちに紹介しました。そうして、私たちのことも皆さんに紹介すると、聖園会として学園運営と寮生活を橋渡し、誰もが過ごしやすい学園づくりに協力して欲しいと言い、峯村さんと柘植さんは上級生なのに恐縮した様子でした。
それからしばらく、会長さんの案内で学生部会のお仕事を見学させてもらいました。運営委員会はその名の通り学園の運営に関する意思決定機関であり、財務から施設管理、人事に対外広報、運営戦略の策定など、その働きは多岐に及びます。各委員には担当分野が割り当てられていますが、会長さんはそのすべてを監督し、あるいは自ら企画しなければならず、みんなが想像する以上の激務なのだそうです。会長さんは、悪口ばかり言われる割には誰もその席に座ろうとしない、学園一の貧乏くじだと自嘲していましたが、しかしそれでも実現したい目標があるから頑張ろうと思えるのだと言いました。
お姉ちゃんの会長さんを見る目は憧れで輝いていました。そんなお姉ちゃんを見るのは初めてだったので、傍らにいるとなんだかきまり悪いような気分になりました。のみならずお姉ちゃんは盛んに会長さんに仕事の質問をしていました。会長さんも聞かれるのが嬉しいのか、その質問に余さず答えていました。峯村さんや柘植さんも次第に口を開くようになり、私ばかりが置いて行かれそうになったため、私はお姉ちゃんの手を強く握りしめました。会長さんが喋るより先にその心を読んで次の質問を書き始めていた右手を取られ、お姉ちゃんはしまったというような表情になると、指文字で素早くごめん、と書きました。
会長さんが素早くその場を取り持ってくれたお蔭でその場の雰囲気を悪くすることはありませんでしたが、私も手を出してからしまったと思いました。ばつの悪い思いを私たち二人とも抱えたところで、会長さんの職場見学はお開きとなり、峯村さんと柘植さんに連れられて寮に戻ることになりました。帰りしなに、お姉ちゃんを集会室でのピアノの練習に誘うと、私から誘おうと思っていたのに、と苦笑してこれに応じてくれました。通りがかった体育館には紅白幕が張られ、明日の入学式の用意に勤しむ二回生の姿が見えました。
集会室は今日も混んでいましたが、上級生に連れられて学校の練習室に行く新入生も増えたと見えて、昨日一昨日よりは人の数も減り、幸いピアノは一台空いていました。作曲科の課題曲であるシューマンのピアノ協奏曲を練習するお姉ちゃんの様子は、先程までのときめきと興奮が抑えられないようでした。もともとテヌート気味に押し付けるようなタッチで指先の響きを読むのがお姉ちゃんの演奏スタイルでしたが、今日の演奏はさらに重く激しく、聴いている側を戦慄させるような響きを与えるものとなりました。
お姉ちゃんが真保会長の働きに心引かれているのは明らかでした。それはきっとお姉ちゃんをあちらの世界へ引き込む引力になると私はこの時確信しました。その場合私はどうすればいいのか、それはまだ分かっていません。それはきっと、まだ始まっていない学生生活の中で見つけていくことになるのでしょう。私を引き込む引力はどこから発せられるのか、それは、これからの学生生活の中での出会いにあるのかもしれませんし、寮生活や部活動の中で見いだされてゆくものかもしれません。一つ確かなのは、お姉ちゃんがその第一であることは、私の中で揺るがない事実であるということです。
四日の朝は入学式でしたので、これに多言は要しないかと思われます。真保会長も挨拶に立ちましたが、自己紹介で初めて声楽科だということを知りました。理事長や公益部会長と並んで壇上に構えられていると、やっぱり偉い方なのだな、と思い、そんな方と昨日はお近付きになれたのかと思うと不思議な感覚です。式典音楽のオーケストラの中に峯村さんがいるのを見たときも、知り合いがテレビに出ているのを見るかのような、不思議な感覚に陥りましたが、それともまた違った感覚です。映像を撮っていたら、トランペットの左から一人目が峯村さんですので、確認してみてください。
入学式の後はクラス分け通りに教室へ集合したので、お姉ちゃんとは離れ離れになりました。器楽科は一から三組、作曲科は四組なので仕方ありません。単位制なのでクラスは普段あって無きが如しとは上級生の方々の一致した意見でしたが、こうした学校行事の度に顔を出してくる代物のようです。担任の久原先生は一般教養科目の英語の先生でした。英語は必修科目なので、度々顔を合わせる機会はあると思います。四組の担任は体育の辻内先生だとお姉ちゃんが言っていましたので、こちらは学校行事以外顔を合わせることも無いかもしれません。
私としては四十人も集まった教室でホームルームをすることも久々なので、緊張してずっと机の上に置かれた必修科目の教科書を読んでいました。周りでは既に自己紹介から友達作りに乗り出している学生もいる中で、私はどうしてよいかわからず、ずっと教科書に顔を伏せていました。久原先生が仕切って順番に自己紹介を始めたとき、私は憂鬱でした。何しろ大勢を前に自己紹介なんて、ほとんど初めてのことです。黒板を使うためには前に出なければいけませんし、前に出れば全員の視線に向き合わなければいけません。好奇の目を向ける人もいれば、久々に憐みの目を向ける人もいるでしょう。そもそも久原先生には事前にちゃんと知らせが行っているのだろうかと、今更ながら不安になってきました。
そんなことを逡巡している間に順番が回ってきて、久原先生はどうぞというように身振りすると黒板の前を空けました。私は意を決して前に出ると、名前や専攻楽器、好きな音楽、そして口が利けないことなどを書きつけました。久原先生がそれらをいちいち読み上げてから席に戻るまでの間、みんなと向き合っていたはずですが、幸いというべきか、緊張で全く記憶に残っていません。すぐ次の順番に回っていったとき、私は大きくほっと息をつきました。顔を上げたとき、正面の黒板には私の書いた自己紹介の文字が大きく見えましたが、久原先生がその前に立って読めなくなっていたのを見てやっと安心できた気がしました。
科目履修登録の仕方とか、安全教育の受講といった細々としたことを終えて寮に戻ってきたとき、私は初めて帰ってきたと思いました。部屋に戻ってきたのではなく、学校を終えて自分の帰るべき場所だと思えるようになったのは自分自身でも大きな変化だと思います。お姉ちゃんに聞いてみても、確かに学校に行って多少の心境の変化はあったけれど、まだ横浜にも来たばかりで、京都の実家を差し置いて部屋に帰ってきたとは思えないと言われました。この辺りは地元出身の私とは感覚が異なるところでしょう。
今日の夕方は聖園会で初めての会議があるから、とお姉ちゃんは張り切った様子でした。お姉ちゃんは新保会長に寄せた視線の輝きを、また情熱に満ちたピアノ協奏曲を思い出した私は、かえって思いっきり会長さんに嫉妬してみることにしました。私たち二人の間に割り込んできて、お姉ちゃんを攫っていこうとする、会長さんに対して、私は嫉妬しているんだと改めて意識することで、お姉ちゃんをあちらの世界へ引き込もうとする引力に逆らおうという、主観的で子供じみた振る舞いです。それはお姉ちゃんの主体性を無視する上でも、一方的で幼稚な反応に違いないのでした。それでもこう考えている内はお姉ちゃんの期待に満ちた表情に耐えることができました。
聖園会の会議は共用棟の会議室で予定通り午後六時に始まりました。真保会長の両脇に執行役員の峯村さんと柘植さんが座り、役員の席次は厳密に決まっている様子でした。一般会員はそれと向き合う形で思い思いの席に座っていましたが、新入生は自然と後ろの方に座ることになりました。会議は改めて新入会員を紹介するところから始まりました。私とお姉ちゃんについては柘植さんが代わりに説明してくれましたので、教室でのように書いて説明することがなかったのは幸いでした。会議はその後、会長さんからの業務報告や役員からの自治会運営についての報告が続き、最後に今年の学年幹事の決定がありました。専攻科の七回生から二回生までが順に決まってゆき、一回生の幹事にはお姉ちゃんが手を挙げて、そのまま決定となりました。
散会になった後、学年幹事はメーリングリストの共有のため役員に呼ばれて集まりました。その様子を遠目に見てお姉ちゃんを待っていたところ、柘植さんに声をかけられました。柘植さんは先程の自己紹介を勝手に代わってしまったことに謝罪された後、真保会長が呼んでいると伝えられました。会長さんの下に向かうと、怖気づいて嫉妬の炎も消沈してしまうのが私の情けないところです。会長さんは微笑むと、私の心を見透かしたかのように、君のお姉さんには大変な期待をかけて貰っているけれど、私はそれほど大層なものでなくて恐縮だという意味のことを話されました。ついてはみんなの目の前では、遠くに君のお姉さんの前では虚勢を張らなければならないから、私にも力を貸してほしいと言われました。私は嫉妬よりも、半ばの反感を込めてどうしたらよいか聞き返しました。会長さんは柳の葉のような眼をこちらに向けて、いやなに、ただ君のお姉さんが私に会うときはなるべく一緒にいて欲しいだけだよ、と言われました。
たった一言で私は窮地に追い込まれました。のみならず会長さんの手際には関心すら覚えました。なぜですか、と一言聞き返すだけでも私にとっては立派な対応と言えたでしょう。ですがその意味を分かっているからこそ、振り上げた拳を下ろすほかは無くなり、私は顔を真っ赤にしてただ、はい、と答えるほかはありませんでした。会長さんは満足気に微笑んで、ありがとう、引き留めてしまってすまなかった、と言うと、車椅子を漕いで会議室を後にされました。後に残された柘植さんは会長も意地の悪い人だ、と苦虫を噛んだような表情をしていました、ふと手を引いたのはお姉ちゃんでした。会長さんと何の話をしていたのと聞くので、部屋に戻ってから話すとだけ伝えると、私は頭に上った血を冷ますように、大股で会議室を立ち去りました。
私の話を聞くと、お姉ちゃんはむしろ面白がるようにこちらを見て、秀子がそんなに焼きもちやきだとは思わなかった、と言いました。私はむしろ分かりやすいつもりだったと言い、昨日お姉ちゃんの手を止めたことも嫉妬からだと言うと、お姉ちゃんは意外そうに、あれは怒っていたのかと思った、と言いました。お姉ちゃんは読めばいいだけに人の気持ちを察するには鈍感な所があるのかもしれません。真保会長は私がお姉ちゃんに話す所まで見込んで私と話したのに違いありません。それがお姉ちゃんのこうした気質を見抜いてのことなら感心すべきことです。
結局私は会長さんのいいように踊らされてしまったのです。真保会長は自身の権力基盤を固めるためにお姉ちゃんを側近団の一員に取り立てるつもりでしょう。虚勢を張るとはそうした支持者たちの忠誠心を繋ぎとめることを意味しますから、お姉ちゃんの場合、私の嫉妬を知った上で、それなら会長さんの言う通りずっと一緒にいましょう、と言う人なので、私がいた方がかえって忠誠心を発揮するというのは自然な計算です。お姉ちゃんのことを思えばこそ私はそれを断る術を持ちませんでした。私の嫉妬は自分で思っているよりも烈しく、それでいて素直な計算には容易に従う模様です。私はお姉ちゃんが会長さんの引力に引かれてゆくのを最前列で見ている方が、見ないよりもずっといいと判断して、はいと言うしか無かったのです。
私はその夜一人で集会室に向かい、ピアノの課題曲であるクラバックの英雄曲の練習に没頭しました。ハンマーのフェルトに火が点きそうなほど激しく情熱的に弾きこなすことが求められるこの曲は、頭によぎる悔しさを晴らすにはうってつけでした。私は私自身の嫉妬に屈して、嫉妬の相手に膝をつく羽目に陥ったのです。指先に入る力は自然と強くなり、苛立ちは腕を震えさせました。昨日のお姉ちゃんのピアノが興奮に震えていて、聴く人を戦慄させるものだとしたら、さしずめ今の私のピアノはうんざりするほど苛立ちに満ちていて、聴くに堪えないものだったことでしょう。お姉ちゃんがこの時一緒でなくて本当によかったと私は思いました、こんな響きはお姉ちゃんに読ませられたものではありません。二時間程練習した後、その日はもうお姉ちゃんに会わないで寝ることにしました。
土曜日の朝はフラテで掃除の時間です。一回生は事務所に集まり、再び峯村さんと柘植さんが指導して、掃除のやり方を教わりました。私たち一回生の担当はC棟四階で、二回生から四回生のおよそ二十人と一緒に、掃き掃除や拭き掃除の他、共用部のゴミ箱の中身を捨てに行ったり、トイレや洗面所の掃除などを分担して行いました。特色があるのは、掃除道具やキッチンの洗剤や洗面所の石鹸といった消耗品の管理や補充も掃除担当のフラテが行うことで、自治会本部の主計部倉庫に山と積まれた日用品を、申請書類を書いて受け取りに行くのでした。私は例のマニュアルに従って、お姉ちゃんと一緒にもっぱら水回りの掃除をしていましたが、柘植さんに言いつけられて主計部に足りなくなった洗剤を貰いに行くことになりました。主計部は自治会本部の奥側にあり、既に長い行列ができていました。マニュアル通りに申請書類が書けているか何度も確かめて、恐る恐るカウンターに提出すると、ものの二十秒ほどで注文の品が差し出され、私はその手早さに驚きました。
人手が多いので掃除は三十分程度で済み、指揮を執った衛生担当役員の向笠さんの点検を終ええると、週末の自由時間に入りました。近くの出身の人は実家に帰ったり、市内へ遊びに繰り出したり、あるいは学校の練習室で練習したり、部屋でごろごろしていたりと何をしていても自由です。私はそろそろ寮にいるのも飽きてきたので、お姉ちゃんを誘って学校の練習室に行ってみることにしました。お姉ちゃんの隣室で器楽科の白井さんに案内を頼むと二つ返事で了承してくれましたので、私たちはそれについていくことにしました。
一口に練習室と言っても、器楽科、邦楽科、声楽科、舞踊科などそれぞれが持つものを合わせると数百にも上り、中でも器楽科単体でその半数を占めるのだそうです。器楽科の練習室は根岸寮にほど近い櫛形の校舎に入っていました。正式な名前を器楽科教育練習棟というその校舎は、櫛の根元の部分に座学の教室が、細長い櫛の歯の部分に練習室が並び、櫛の歯ごとに空室状況がディスプレイで表示されていました。白井さんと私たちはアップライトピアノの置かれた一室に入ると、ドアの横にあるスイッチを入れて使用中の表示を出しました。ここまでついてきた白井さんは持ってきたヴァイオリンを出すと、で、何を練習するの、と聞いてきました。折角やる気になっているのをお断りする訳にもいかず、三人で器楽科の課題曲であるロックのバレエ組曲の練習に臨みました。
白井さんもさすがは器楽科の上級生なだけのことはあり、初見の譜面にも上手く追従して、なおかつオーケストラ部分を担当するお姉ちゃんの癖のあるピアノにも合わせる余裕さえ見せていました。一か通し終わると白井さんが仕切って感想会になり、私たちからも忌憚なく意見を言いました。その後は練習記号ごとに切って、あるいは演奏途中で中断しながら、細かく奏法や解釈の確認を行いました。二人で練習するときには身振り手振りでニュアンスを伝えることも多いところ、白井さんを交えることで言語化する必要が生まれ、普段より頭を使う練習になりました。
二時間ほど練習したところで、白井さんに誘われてお昼を食べに外に出ることになりました。学校の周辺には一見住宅街に見えて食べ物屋さんが多くあり、行きつけにしている学生も多いのだそうです。白井さんが行きつけにしているのは「野猿亭」という住宅街の中にある小綺麗なハンバーグレストランせ、少々値段は張りましたが、おいしい鉄板焼きハンバーグを出すお店でした。店内には私たちと同じ学生客の姿も見え、コンセルヴァトワールの学生に愛されていることが伺えました。白井さんも一回生の頃、同じフラテの先輩に連れてきてもらったのだそうです。その先輩は白井さんに気がある様子だったそうですが、遂に一度も想いを伝えることなく卒業されてしまったということです。白井さんは笑い話のように話していましたが、私たちとしては反応に困る話でした。
お昼を食べ終えると、白井さんは別の練習室で自分の課題曲の練習をされるということなので、別れて二人で元の練習室に戻って練習を続けました。課題曲の披露は最初の個人レッスンの日なので、もう何日もありません。午後になってからは練習しに来る新入生も増えてきたと見え、廊下に出ると聞き覚えのあるフレーズがあちこちから聞こえてきました。時折息抜きにお姉ちゃんのピアノの練習や、私のピアノの練習も挟みながら、四時過ぎまで三時間ほど練習して上がるとき、お姉ちゃんが今から横浜の街に出たいと言い出しました。練習で倣いを使いすぎてお腹が空いたので、何か食べに行こうというお誘いでした。
部屋に戻って出かける支度を整え、お姉ちゃんと待ち合わせていたところへ、偶然出合わせたのは真保会長でした。にこやかに挨拶され、これからお出かけかと聞かれたので、会話帳を出して返答しようとしたところ、いや、それには及ばないと手で制止され、今から出かけるならお薦めしたい店がある、と一人で滔々と話されました。関内に「リュミエール・ド・リヨン」という純喫茶があり、そこのアップルパイは絶品だということ、店員の熟練度も高く、内装の雰囲気もいいこと、喫茶の後は伊勢佐木町にバリアフリーのトラットリアがあることなど、色々と教えてくれましたが、私は折角のお姉ちゃんとのお出かけに首を突っ込まれた気がして、相槌を打ちながらも、胸の奥では反感を覚えていました。
お姉ちゃんがやってくると、会長さんはお姉ちゃんにも微笑んで挨拶され、今君の妹さんに私の知っている店の話をしていたのだけどね、と同じ話を振ろうとしたので、私はそれは自分から説明します、と会長さんを制止しました。会長さんは、総会、じゃあ楽しんで行ってらっしゃい、と言うと、車椅子を漕いで自分の部屋へ戻られました。お姉ちゃんは不思議そうに、私と話す時には秀子が必要でも、秀子と話す時に私は必要ないのかしらと私に向かって聞いてきました。私に聞かれても困る話ですが、そもそも困ったものなのは会長さんの好意です。これが単に迷惑なだけならやめてくださいと一言いえば済みそうなものですが、迷惑とも言いづらく実に取り扱いに困るものなのです。
結局私たちは伊勢佐木町の不二家に行くことにしました。「リュミエール・ド・リヨン」をまたの機会にしたのは私ではなくお姉ちゃんからの提案で、今度そこに行くことを目的に改めて出かけようということになりました。地下鉄に乗って関内まで出て、地下街を通って伊勢佐木町まで出ると、夕暮れの通りに週末の人出が相まって歓楽街の遊興の雰囲気がいや増していました。不二家のパーラーも客で混み合っていましたが、この五日間で学生以外で混み合っている場所に来るのは初めてですから、懐かしい感覚と共に、今は学校から解放された自由な時間なのだという思いが新たになりました。不二家ではアールグレイの紅茶にケーキのセットを注文し、お姉ちゃんはチョコレートケーキ、私はレアチーズケーキを頼みました。
不二家を出てお姉ちゃんに伊勢佐木町を案内しているとき、お姉ちゃんがふと会長さんの言っていたトラットリアを見物に行こうと言い出しました。「トラットリア・ファル・ニエンテ」というそのイタリア料理店は伊勢佐木町のはずれにある田舎風のお店で、表にはハーブや野菜のポタジェが茂り、まるでそこだけ県央部の田園地帯から抜け出してきたかのようでした。本格的な石窯焼きのピッツァが売りのお店らしく、店頭のお品書きによれば一枚千五百円と良心的なお値段です。今さっきケーキを食べてきたばかりですが、一枚のピッツァを二人で分けようということになり、入店してみることにしました。
「ファル・ニエンテ」は障害のある方が働いているお店のようで、バリアフリーなのはお客さんはもちろん、働く人のためにもなっているのでした。私たちメニューで一押しされていた十種の彩り野菜のピッツァを注文しました。私たちも一応聾や唖といった障害者だということが伝わると、店員さんが少し嬉しそうにしているのが伝わってきました。真保という人の紹介で来たと伝えると、店員さんは、陽菜ちゃんは開業以来の常連客なのだと答えました。三年前に開業してすぐに会長さんが訪れ、同じ障害を持つ者同士、店主さんや店員さんとはすぐに仲良くなって、それ以来週に二度は訪れるようになったのだそうです。会長さんは今日もお昼を食べに来たそうで、いつものそら豆のパスタとジンジャーエールを注文し、店員さんとお喋りをして帰ったということです。
私たちの野菜ピッツァはかぼちゃの橙色、紫にんじんの紫色、ベビーリーフの緑色、ハムの紅色とまさに彩り豊かなもので、もちもちとした生地に石窯焼きの焦げ目がついて薫り高く、味も実に良いものでした。私が手づかみで食べる一方でお姉ちゃんはナイフとフォークでくるくると器用に巻いて食べていました。私も真似して巻いて食べてみようとしましたが、上手くいかずお姉ちゃんに苦笑されてしまいました。こうしたところに悠季子さんのところの行儀良さと我が家の行儀の悪さが出てしまうのは悲しいことです。お姉ちゃんはすっかりこのお店を気に入った様子で、私もいいお店だなとは思いつつも、会長さんの薦めに乗ってしまったことについては複雑な心境でした。
結局のところ、会長さんの口車に乗せられて、お姉ちゃんとのお出かけに介入されてしまったのは情けないことです。それは向けられた好意を迷惑だと断じられなかったことによるものであって、あえて厳しい言葉を選べば、それは権威に対する私の弱さを意味するものと言えるでしょうか。元はと言えばお姉ちゃんが興味を持ったからとはいえ、それを責める理由も勇気も見つけ出せないでいるのは私の弱さだろうかと考えている内に、やはり思い浮かぶのは真保会長のことでした。あなたが私に余計なことを言わなければ、という思いはしかし、私自身がお姉ちゃんに有益な座情報として話したんじゃないかという自省とも後悔ともつかない感情に覆われてしまい、結局何を考えているのか自分でもわからなくなってしまいます。
帰ってきても今日はもうピアノの練習に行くほど気力は残っていませんでした。のみならず左手の神経痛もひどくなってきましたので、余計なことはせず今日はさっさと寝てしまおうと思って、お風呂にも入らずに着替えてベッドに横になりました。ですが、もやもやとした気分が晴れず、じっとしていられません。立ったり座ったり横になったりをじたばたと繰り返している内に、そうだ、お母さんへの手紙を書こう。と思い立ちました。生協で買った便箋を引っ張り出し、机に向かっている内に、書きたいこと、書かなければいけないこと、書きづらいこと、まだ書けないことが膨らんできて、推敲もしないまま書き連ねている内に、気づけば夜明けを迎えていました。
深夜の勢いで思い出したままに逐一出来事を書き連ねたので、長々とした上に読みづらいものとなってしまっていることは申し訳なく思っています。携帯から毎日伝えていた以上の内容になっているかは分かりませんが、私の伝えたかったことが少しでも伝わっていれば幸いです。自分から望んだこととはいえ、お姉ちゃんがいる限り聖園会との付き合いは長いものになるでしょう。会長さんとの付き合いも長くなれば付き合い方も分かってくるかもしれません。授業も始まれば同級生との付き合い方も分かってくるでしょう。目下の課題はお姉ちゃん以外との人付き合いです。お姉ちゃんのやり方も参考にしながら進めてゆかなければならないものと思って行動してゆきたいと思います。
春眠暁を覚えずとは言いながら、春の朝陽が目に染みる早朝、少し眠ってからお姉ちゃんと街へ出てこの手紙を出したいと思います。お母さんも忙しいとは思いますが、ちゃんと寝るようにしてください、それではひとまずおやすみなさい。
敬具
四月六日
秀子より




