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悪夢・貴方は王子様だから

 こちらは、現在連載をしております『醜くも綺麗な一瞬』という物語に登場する、とある人物が見ている悪夢の話となっております。

 

 これだけだと、何のことか全く分からない内容となっております。

 ご注意ください。

 暗闇の中、わあわあと大歓声が耳に届く。

 あまりに声が大きすぎて、悲鳴のようにさえ聞こえてしまう。


 噎せ返るような血の臭いが鼻を突く。

 その中に腐敗臭が混じっているのは、気のせいなどではない。


 (かなで)は、ゆっくりと目を開いた。

 最初に飛び込んできたのは、自分の手が握っている割り箸鉄砲。


 視線を下に向けると、映画に出てくる奴隷がつけているような、重い鉄の玉がついている足枷。短い鎖が、日の光を受けて輝いている。


 風が砂を巻き上げ、奏は軽く咳き込んだ。

 靴は履いておらず、乾いた土の感触が、直に足へと伝わってくる。


 「ギャアァアァアアアッ!!!」


 絹を裂くように甲高い、()()の声。

 その声の主を知っている奏は、恐る恐る顔を上げた。


 目の前に、大型トラックよりも大きな、……ミイラ化した鳥がいた。

 その数五羽。


 鳥たちの背後には、大きな壁があった。

 ()()()()()、教科書で見た闘技場を思い出すな、と奏は思う。


 座席は()()()いっぱいで、中には立ち見をしている者もいる。

 観客は、老若男女様々で、着ている服は現代のものだ。


 そこまでは分かるのに、顔だけが分からない。

 口元以外が、どういうわけかぼやけている。


 「おい、早く戦えよ!!いつまで待たせる気だっ!!」

 どこからか怒りを孕んだ声が聞こえ、周りもそれに倣う。


 声に押されるがまま、奏は鳥たちを見上げた。

 自身の心臓の音が、やけに大きく耳朶(じだ)に届く。


 鳥たちは、腐敗臭をあたりにまき散らしながら、乾燥し落ち窪んだ眼で奏を見つめていた。そこに、友好的なものはない。


 『どうじで。どうじで、見捨てだの?』

 一羽が(くちばし)から、形容し難い不気味な声を絞り出す。


 『ぞのことさえも、忘れてじまうだなんて』

 『酷い、酷い、ひどい、ひどい、ひどい……』


 『僕だちに言っでぐれたこと、みんな、嘘だったんだね』

 責め立てるような声と視線が、奏の体にまとわりつく。


 奏は、震える手で割り箸鉄砲を構える。

 だが、すぐにそれを投げ捨て、体から力を抜いて目を閉じた。


 「おい!つまんねーことすんなっ!!」

 「こっちは高い金出して見に来てやってんだぞ!」


 「戦ってくれなきゃ、面白くないでしょ!」

 「そーよ、そーよ!ちゃんと戦いなさいよ!!」


 「今日はどんな風に食われるのか、楽しみにしているのに」

 「これじゃあ、ちょっとねぇ」


 観客から、罵声と物が投げつけられる。

 いつの間にか、五羽いる鳥のうちの一羽が、奏の背後に回っていた。


 『……ぞれで、許されると思うのかっ!!』

 叫び声と共に、鋭い爪が脇腹を抉る。


 それが合図であったかのように、他の鳥たちも後に続く。

 ぶち、ごきゅっ、と嫌な音が辺りに響いた。


 鋭い痛みに、奏の口から呻き声が漏れる。

 だが、そんなことは知ったことか、と嘴で体中を啄まれてゆく。


 あまりの痛みに、自然と口から叫び声が飛び出す。

 それでも、奏が「やめてくれ」の言葉を発することはなかった。


 彼は黙って、『報い』を受け続ける。

 そうすることでしか、罪は償えないと思っているからだ。


 だが、観客たちの反応は、かなり白けたものであった。

 中には「はんっ」と鼻で嗤う者もいる。


 「だからぁ、そういうのつまんないんだって」

 「空気読めよな。それすらもできなくなったワケ?」


 「()()()どれだけ償ったって、もう遅いのにねぇ」

 「所詮はごっこ遊びでしかないんだよ。お涙頂戴の償いごっこ」


 「彼らが感じた苦しみには、遠く及ばない」

 「あれで済むと思っているのなら、それはあまりに傲慢なことだ」


 「つまらない」

 「つまらない」

 「つまらない」

 「何をやっているんだ?」

 「ちゃんと戦いなさいよ!!」

 「白ける」

 「つまらない」

 「無様」

 「あほくさ」

 「傲慢」

 「逃げれる機会は、幾らでもあったのに」

 「だよね~。私だったらそうするなぁ」

 「つまらない」

 「不幸に酔ってるだけなんだよねぇ」

 「自業自得」

 「エゴの塊」

 「つまらない」

 「つまらない」

 「不幸自慢かよ」

 「てか、恵まれすぎているんだから、これくらい当然」

 「良い服着れて、寝床があって、スマホとかも買えて……」

 「もっと、酷い目に遭うべきだ」

 「分かる。じゃないと不公平」

 「ぬるい。内臓を抉り出せ!!」

 「つまらない」

 「白ける」

 「馬鹿なんじゃない?」

 「つまらない」

 「無価値な分際で」

 「つまらない」

 「つまらない」

 「つまらない」

 「早く死んでくれないかな~」

 「つまらない」

 「なんで生まれてきたんだ?」


 「……ーえ。食ーえ!食ーえ!!」

 この場にそぐわない、朗らかで明るい声が、奏の耳朶(じだ)に届く。


 その声に呼応するように、手拍子が闘技場を包む。

 地面に倒れ伏す奏の指にも、微かに振動が伝わってきた。


 食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!

 早くしろよ!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!


 眼球、首、腹、足、肩、……至るところに、嘴という凶器が振り下ろされる。

 一羽が、奏の髪を頭皮ごとむしり取り、()()と放り投げた。


 そうじゃない!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!

 食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!食ーえ!!


 涙で霞む視界に、奏は、己を見下ろす者たちを見る。

 誰も彼もが、口の両端を吊り上げて嗤っていた。


 涙を流す者も、止めようとする者もいない。

 分かっていたことじゃないか、と奏は自嘲する。


 グチャリ。

 重い一撃が入ったと感じると同時に、「ぱき」と嫌に綺麗な音がした。


 鳥が腕を「ごくっ」と飲み込むと、割れるような歓声が上がる。

 それを、どこか他人事のように見ていた奏の前に、一人の男が現れた。


 少し癖の入った()()を靡かせた『奏』が、(人一人をすっぽりと覆えそうなほどの大きさがある)白い布を手に、(とび)色の眼で奏を見下ろしている。


 奏からは、逆光で表情がよく見えない。

 だが、疲れ切った笑みを浮かべているのは分かった。


 ああ、まただ、と奏は思う。

 あの白い布を被られたら、体はすぐに再生する。


 どれだけぐちゃぐちゃになろうとも、だ。

 意識を失っても、布をかぶせられたらすぐに覚醒してしまう。


 もう、百回は繰り返された光景。

 だが、痛みや苦しみに、慣れが来ることはない。


 黒髪を靡かせた奏は、地べたに這いつくばっている奏に向かい、わざとらしく大きな溜息を吐き、蔑んだ表情を浮かべた。


 「……記憶に蓋をして、自分に都合のいい記憶に変える。酷い奴だなぁ。死んでいった鳥たちの無念も知らないで」


 抉り切られた腕を踏まれ、奏は悲鳴を上げる。

 だが、目の前の人物に、『仏心』なるモノを期待してはいない。


 「許してください、くらい言えばいいのによ。まっ、言ったところで、何もかもが手遅れだけどな。……鳥たちは、()()()()()()()()()()訳じゃないよなぁ?」


 上から投げつけられた声に、奏は息を詰まらせる。

 同時に、『本当の記憶』が頭の奥底から湧き上がってきた。


 ◇◇◇


 気づいたら死んでいた。

 気づいたら死んでいた。


 だが、本当は違う。

 一時(いっとき)は、奏に渡された鳥たちだったのだ。


 『貴方の()()()なババアの形見よ。こんなのに、私や(ひびき)の時間を取られるなんて冗談じゃないから、世話しなさい。……これに気を取られて、ピアノや勉強が疎かになったら、分かっているでしょうね?優先順位は間違えないでね』


 「……でも、お前は『疎か』にした。だから、母さんは鳥たちをお前から取り上げた。…………その時、お前は謝るだけで、それ以上をしなかった。どこに鳥籠かあるのか、探そうともしな……ああ、一回だけは探したなぁ。でも、母さんにバレて、『お叱り』を受けてやめてしまった。大丈夫、俺が守るから、なんて綺麗事をほざいておいて、一度の『お叱り』で音を上げたっ!!」


 「なんでだよ?()()()()()()()、屋上にある物置に閉じ込められて、縄跳びでぶたれた()()じゃないかっ!……()()()がどんな気持ちだったか分かるか?愛する主人がいなくなって、金切り声溢れる家に連れてこられて、やっと信用できそうな人に出会えた、と思っていたのにっ!!」


 「ずっとずっとずっと、待っていたのよ?埃と黴臭い、地下の物置小屋で。狭い鳥籠に押し込められた状態で、……お腹が空いて、苦しくて仕方がなかったけれど、それでも、みんな、あなたを信じて待っていたのよ?それなのに、ああ、それなのにっ!あなたは、私たちを見捨てたのよっ!!暗闇の中、命が失われてゆく感覚なんて、分からないでしょう?どれだけ辛かったか、どれだけ恐ろしかったか。変に希望を……持たせておいて……っ!!」


 いつの間にか、目の前の人物の顔が鳥に変わっていた。

 ミイラのように干乾び、腐臭を放つ頭が揺れている。


 「おばあさんの思いも、お前は踏みにじった。ある意味、お前以上に、孤独の隙間を埋めてくれていた者たちだったのに。唯一、純な心で見てくれていた者たちだったのに。…………報いを受けて、然るべきだよなぁ?」


 ひゅんっ、と鋭い嘴と爪が、奏に向かって振り下ろされる。

 割れるような歓声が、耳元で聞こえた。


 そこで、奏の意識は途絶えてしまった――。


 ◇◇◇


 次に奏が目を開くと、そこは断頭台の上だった。

 どことなく、牡丹(ぼたん)(あざみ)が作ったゲームの景色に似ている気がした。


 「ああっ、この子さえ、()()()さえいなければ……っ!!」

 姿こそ見えないが、母親の声が耳朶(じだ)に届く。


 「重いお腹を抱えて、吐き気も酷くて、それでも、周囲に当たり散らさないように努めてきたのに、それなのに、なんで、お義母さんを笑顔にするのっ!?」


 お労しや女王陛下!!

 お労しや女王陛下!!


 断頭台を取り囲む民衆が、口を揃えてそう言った。

 中には、涙を浮かべている者もいる。


 幼い頃から、幾度となく聞かされてきた言葉だ、と奏は思う。

 始まりはいつも、「男のアンタには、分からないでしょうね」だ。


 (……確かに、一生分からないよ)

 申し訳なさに目を伏せつつも、奏は「でも――」と思ってしまう。


 それを言われて、どうすればいいんだ、と。

 生まれる前も後も、自分にはどうにもならなかったことなのに、と。


 「……どうしようもないこと、でも、考えずにはいられない。…………黒髪と(とび)色の眼で生まれても、それは同じ。結局は、癇癪の道具として、当時の苦労は使われる。どうしようもないことなのに、罪悪感を植え付けられる。その苦労を、馬鹿にした訳でもないのに。ちゃんと、分かれる範囲で分かろうとした。むしろ、馬鹿にしたのは、お祖母さんの方だったのに……」


 先程と同じく疲れた目をした奏が、断頭台の前に立つ。

 彼の手には、刃に繋がっているロープが握られている。


 『(あなた)がお腹にいるときねぇ、貴方のお母さん、しんどいしんどいって、直ぐにソファーに横になっちゃって。私が(あの子)を妊娠していたときは、もっと()()()としていたのに、まったく、最近の嫁はこれだから――』


 奏は、祖母が何度も零した言葉を思い出す。

 母に聞こえるように、これ見よがしに言っていた。


 「……お前も、子供心には分かっていただろう?言ってはいけないことだ、と。でも、それだけだ。母を庇おうとはしなかった。まぁ、庇ったら庇ったで、親を憐れむな、と縄跳びで打たれていただろうけどな。それに、お祖母さんの不興を買いたくもなかった。そうしたら、家の中にも外にも、見方がいなくなってしまうから。ただでさえ、気軽に話せる人間がいないのに、お祖母さんにまで距離を置かれたら、たまったもんじゃないからな」


 「でも、仕方がないよな。お前は、『金持ち』なんだから。周りの人間と比較しても、この上なく恵まれているから、だから、『多少のこと』には耐えないといけない。見せられた……()()()()()()()()映像の中よりも、何百倍もマシだもんな?きっと、誰かに相談していたところで、『お金持ちなのに』『音律(おんりつ)君は、お大臣だから――』と何かにつけて、『金持ち』が邪魔をしてきただろうさ」


 「はははっ、不思議なもんだよなぁ。殆どの連中が、『金持ちになりたい』と願う癖に、『でも、お金持ちなんでしょ?』といざとなったら柵をつける。……結局は、見上げる側で、もっと言うと、金持ちと見上げている者を安全な場所から見て、感想を述べていたいのさ。……百年くらい前のガキが、いい見本だ。善意を偽善と断じ、何かされた訳でもないのに、ただただ憎しみの目を向ける愚か者」


 「……ひゃくねん、まえ?」

 「気にするな。こっちの話だ」


 首を傾げる奏を無視し、黒髪を靡かせた奏は、何度も目を瞬かせた。

 いつの間にか、彼の足元には『会話に役立つ本』が投げ捨てられていた。


 「惨めなもんだよなぁ。どれだけ不快にさせないように努力しても、頭の中で、ちゃんと文章を組み立てていても、植え付けられた恐怖が、全てを台無しにする。体は硬直して、声も上手く出せなくなる。……そして、それは新たな『苛立ち』を生む結果へとつながる。元を辿れば、『元凶』は本人なのになぁ」


 「……母さんは、何を望んでいたんだと思う?何も望んじゃいないのさ!ただ、自分の思い描いた通りに人生が進まないことを、受け入れられないだけだ。言ってしまえば、子供の癇癪と何ら変わらない。望んだ人生を、歩ける方が稀だというのに。それを、本能では分かっているから、『暴』に訴えるしかできない――」


 そこまで話して、黒髪の奏は大きな欠伸をした。

 ()がしようものなら、母親の平手打ちが飛んできそうな姿。


 お労しや女王陛下!!

 お労しや女王陛下!!


 「ああっ!!私は、いついかなる時も『正しく』生きてきたのにっ!なぜ、なぜ、このような酷い仕打ちをなさるのですか!?なぜ、こんな()にまで、尊厳や権利が与えられるのですか!?こんな間違い、許されるはずがないっ!!」


 お労しや女王陛下!!

 お労しや女王陛下!!


 お労しや女王陛下!!

 お労しや女王陛下!!


 母親の慟哭と、母と共に嘆く民衆の声。

 奏には、どちらの声も、どこか遠くに聞こえていた。


 「……ああ、そうだ」

 ぐるり、と体が反転し、奏は空を見上げる形になった。


 青い空を背景に、巨大な壺の破片が、刃の代わりに吊るされている。

 鋭く尖った壺の破片に、奏は見覚えがあった。


 「言わなくても分かるよな?大きさこそ違うが、化生界(ここ)に来る前に、お前が割った壺だ。お前より……俺よりも、よっぽど価値がある壺……」


 自嘲気味に、黒髪を靡かせた奏は笑う。

 同時に、目の下の隈が濃くなったような気がした。


 「せっかく、『母さんの望んだ奏』に生まれたのに。……望まれたように生まれたって、何も変わりはしないっ!結局、もっと上を、もっと上を、もっと上を、まだ足りない、まだ足りない、まだ足りないっ!私の子なんだから、これくらいできて当然!!なんでできないの!?私の想いを裏切らないでよっ!!……それしか言えないのかってくらい、毎日毎日、同じことを言われて、できなかったら、()()()()()折檻だ。……弟から向けられる目も、お前と同じだ」


 「なぁ、お前も本当は分かっているんだろう?どうあったって、逃げられやしなかったんだって。……父さんにだって、嫌われていたって」


 (……父さん)

 奏の脳裏に、母に抑えつけられている父の背中がよぎる。


 「そりゃあ、お祖母さんからしてみれば嬉しいだろうさ。でも、それを聞かされ続けてきた息子(父さん)はどうだと思う?黒髪じゃないのを馬鹿にされて嫌な思いをした、と事あるごとに言われるんだぞ?貴方に言っているんじゃないの、と前置きをされて。どれだけ貴方じゃないと言われても、罪悪感はどんどん溜まってゆく。でも、前置きをされてしまっているから、何も言えない。……ズルいよな。これもパワハラになるかな、と言いながら、パワハラをしてくる奴と何も変わらない。自分は分かっている、と前置きをして、逃げ道を封じたうえで、自分の心を慰める。……そうされた方は、たまったもんじゃないよなぁ?」


 「なぁ、お前も本当は分かっているんだろう?母さんは、(ひびき)を愛しているんじゃなく、気に入ったアクセサリーをつけているだけだって。……もし、響がお前と同じような見た目だったら、絶対に愛さない。もしかすると、お前以上にひどい扱いを受けたかもしれない。…………まっ、そんな世界線は存在しないから、憶測でしかないけどな。でも、所詮はその程度なんだよ。そんな脆いモノの上に立っているとも知らないで、『愛しい母さん』だと響は思っている。一歩間違えば、即座にバラバラになってしまうのに。滑稽だよなぁ」


 「は、ははは、それなのに、母さんは『絆』とか『一致団結』って言葉が大好物だ。自分は『良い母』『子供の思いを尊重しつつも教育熱心な母』だと、信じて疑っていない。本当は、誰の思いも尊重していないし、絆もなにもありはしないのに。誰よりも苦労し、誰よりも不幸で、誰よりも頑張っていて、誰も踏みつけずに生きている正しい人間。……そう、自分を信じて疑わない人間なんだよ」


 「……あーあ、それでもさ、一人くらいは、味方がいてほしかったよなぁ。お祖母さんみたいに、髪の色が違っていたら見捨てるような味方じゃなくて、『お前』を見てくれる味方がさ。ピアノの先生も、親戚の人たちも、お前が受けている仕打ちを察してはいたけど、何もしてくれなかったし……」


 そこまで聞き終え、奏はそっと目を閉じた。

 瞼の裏に、複雑そうな顔をする先生や親戚の顔が浮かぶ。


 「でも、仕方ないよなぁ。下手に何か言ったら、自分の首を絞めかねない。あっちにだって、守るべきものがあるんだから。天秤がどっちに傾くかなんて、明白だ。…………父さんだって、余計な波風を立てるよりは、今の方がマシだ、と無視を決め込んだ。仕事をしている方が、気持ちも安らぐし、それを理由に帰らなくていい。凄いよな。一人の人間の為に、こんな大人数の人が気を遣っている」


 「なぁ、俺がどうしてこんな話をしているか分かるか?どうあったって逃げられない。しかも、ストレスで体を壊したって、然るべき場所に連れていかれることはない。だって、母さんは間違っていないから。()()()()()()に連れて行くなんて、自分に傷がつくから。だから、真綿で首を締められる日々を、送るしかない。真綿じゃなく、思い切り縄跳びでぶたれたり、屋上にある物置に閉じ込められたりするけど……ああ、話しが飛んだな。簡単に言うと、魂に染みついているんだよ。この世界に逃げたって、何度も嫌な記憶が蘇っただろう?楽しいと感じた瞬間に、それを許さないとでも言うように。……咎める者が、近くにいなくても……」


 「そ、れは」

 これまでのことを思い出し、奏は言葉を詰まらせる。


 「どの世界……それこそ、あの世に逃げたって変わらない。どこに行っても、魂に染みついたモノは取れやしない。消滅させるほか、ないんだよ。そして、それは一刻も早い方がいい。()()が溜まりすぎると、何かしらの悪影響があるから」


 奏の耳に、優しく甘い言葉が流れ込んでくる。

 だが、彼の心は、とっくの昔に決まっていた。


 「消滅するにしても、全員で人間界に帰ったらだ。俺の都合に、皆を巻き込めない。…………待っている人だっているしな」


 「はぁ、あんな『解像度の低い家族』、今は笑顔で仲良しこよしをしているが、あと数年もすればバラバラになるさ!心なんてそんなモノだろ!?そうなる前に、綺麗なまま終わらせてやった方が幸せなんだよっ!!」


 「解像度が低い家族……か。確かに、俺の中の『普通』と照らし合わせると、ありえないくらいに低いな。羨ましいを通り越して、何も感じなくなるくらいには」


 「そうだろ!?だから――」

 「だからそれは、俺の都合だ」


 これで、この話は終わり。

 そう言わんばかりの目を向け、奏はそっと目を閉じた。


 「……ああ、お前らが、この世界にいたい、と思いさえすれば、ここまで面倒なことをしなくて済んだのにっ!無駄な体力を消費させやがってっ!!どれだけ、心を砕いてやったと思っているんだ!?人の努力を無駄にしやがってっ!!!」


 怒りと悲しみを孕んだ、今にも泣き出しそうな声。

 それでも――。


 「ごめん」

 奏の呟きを合図に、ロープは離された。



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