【後日談】マクシー・アルエットの杞憂
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雲ひとつなく晴れ渡る、清々しいほど天気のいい日だった。
開いた窓から、暖かい陽光が差し込む。
眠気を誘うような心地良い気温に目を瞬かせたイーサンは、テーブルに置いていた自身の腕に頭を乗せて、すぐそばに腰掛ける愛しい人の顔を眩しそうに見上げた。
「マクシーは、今すぐにでも結婚したい?」
途端に鼓動を跳ねさせた彼女のヘーゼル色の瞳が、陽射しを受けて煌めくアンバーの瞳と交わる。
「私は……いつでも構いません。イーサン様のお父様は、特にご希望はないのですか……?」
「僕の好きなタイミングでいいって言っていたよ。だから僕は、マクシーの希望が聞きたい。僕の在学中でも、卒業後でも、好きなタイミングを選んで」
イーサンに誘われてマクシーが再びハインツ家を訪れたのは、縁談の話を聞いてから両家の顔合わせをした、数日後のことだった。
学園が休みの日。
今後の予定を決めようと言っていたイーサンは、家庭教師ではなくなったマクシーをハインツ家で盛大にもてなした。今は食後の紅茶とデザートを前に、彼女と過ごすまったりとした時間を噛み締めるように過ごしている。
縁談話はマクシーの知らない間にどんどん進んでいて、互いの親はすっかりそのつもりで色々と準備をしているようだった。
怒涛の展開についていけないマクシーの心は、いまだに半歩置いてきぼりになったままでいる。
マクシーだけが知らない間に、イーサンとの縁談話が進んでいたことを知った時は、現実に起きていることとすぐには認識できなかった。
のちに、周囲に悟られないように縁談話を進めたのは、他の貴族の目や、世間体を考えてのことだと教えてくれたが、そこまでしてもらうほどの価値が、果たして自分にあるのだろうかとマクシーは思った。
それほど想ってくれていたのだと知った今でも、どこかふわふわとした心地のまま現実味がないままでいる。
「まぁ、結婚のことはそのうち親たちがせっついてくるだろうし、それまでには考えておいてね。マクシー」
「……っ」
にぱ、と無邪気な笑顔を向けられて心臓が跳ね上がる。
イーサンの言動にいちいち反応する鼓動を悟られまいと咄嗟に顔を俯けたところ、特に気にしない様子で、テーブルに置いていた手を取られた。
「ひとつ、マクシーに謝らなくちゃいけないことがあるんだ」
「なんでしょう……?」
首を傾げるマクシーの仕草を愛おしく思いながら、イーサンは胸ポケットから何かを取り出した。
親指の先ほどの小さなものが、彼の掌にころんと転がる。
「……これは、宝石ですか?」
「そう。これの名前、なんて言ったっけ……スフェーン? とにかく、マクシーの瞳の色に似ていたから選んだんだ。綺麗だろ?」
彼女の淡い黄色や赤みが混ざったような不思議な色合いのヘーゼルの瞳が、イーサンは大好きだった。
「前に魔力の消費の件で、魔力譲渡の話を聞いたって言ったけど……実は、もう一つ聞いてたんだ。魔力を消費する方法」
イーサンが手に持っていた、スフェーンという宝石をマクシーの手に乗せる。その瞬間、触れた宝石から魔力を感じた。
それも、よく知っている魔力を。
「宝石って、魔力と相性がいいんだ」
「まさか、それって——」
それはマクシーも聞いたことがあった。祖母から受け継いだ魔術書で、それに関することをちらりと目にしたこともある。
ただ、鈍器にもなり得るような分厚い魔術書の内容はいまだ全てを把握しきれてはおらず、そこを詳しく確認したことはなかった。
「さすがマクシー。察しがいいね。そう、そのまさかだよ」
掌にある宝石からは、イーサンの魔力を強く感じた。
「宝石に僕の魔力を移すんだ」
それはつまり、マクシーに対する魔力譲渡は必須ではなかったということだ。しかもイーサンは、魔力譲渡を初めてした当時から知っていたと、今確かにそう言って——
「っ、イーサン様……!」
マクシーは勢いよく立ち上がった。椅子が大きな音を立てて、勢いよく後ろへ追いやられる。
どう反応を返すべきかわからずに混乱しているマクシーを逃さないと言わんばかりに、イーサンはすぐに手を伸ばした。
細い腰に腕を回して、囲い込むように抱き寄せる。
「ごめんね、マクシー。だけど君と過ごす時間が増えるなら、僕のことを男として意識してもらうきっかけが作れるなら、どんな手段でも使ったよ。たとえ嘘をつくことになっても」
体を離したイーサンは、マクシーの両手をぎゅっと握った。
真剣さが伝わるようにと、想いを込めるように。
「マクシーのこと、ずっと前から好きだったって言ったけど……命を救ってくれたあの日より前から、きっと好きだったんだ」
「それは、どういう……」
「高熱で伏せってた時、帰り際でも欠かさず僕の様子を見にきてくれたよね。飲み物を用意してくれていたり、額を冷やす布を変えていってくれたり」
「眠っているとばかり思っていました……起きていらっしゃったのですね」
「眠れなかったんだ。寂しくて、苦しくて。マクシーとちゃんと話せるようになるまで、何度引き止めようと思ったかわからないよ」
は、と微かに息をのんだ。
どうしてこれほど想いを寄せてくれているのだろうと考えていたけれど、マクシーはようやく腑に落ちた。
幼少の頃から察することができてしまうほど家の経済状況は厳しいものだったけれど、両親はマクシーに目いっぱいの愛情を注いで育ててくれた。
そんな彼女だからこそ、苦しんでいるイーサンを放ってはおけなかった。見返りなど求めずしてきたことが、自然と彼の心を救っていたのかもしれない。
「使用人も、辞めていった家庭教師も、僕を腫れ物みたいに扱っていたことは気付いてた。だけどマクシーは、ここに来た時からずっと、僕をひとりの人間として扱ってくれたよね。それが、本当に嬉しかったんだ。子どもって、意外とそういうとこちゃんと見てるし、覚えてるんだよ」
見上げた表情はあまりに切なく、彼なりに苦しい思いをしたのだと改めて気付かされた。
想いを告げてくれたイーサンの気持ちを、今度こそ正面から受け止めたいと、ようやくマクシーは心から思った。
「謝らないでください。イーサン様のおかげで、こうして幸せな今を過ごすことができるのですから」
こんな日が来るとは夢にも思っていなかったマクシーの瞳からは、自然と涙が溢れた。
自身の膝にマクシーをそっと座らせたイーサンは、頬に伝う涙を指先でそっと拭う。
「本当に今、マクシーは幸せ? 僕と結婚してもいいと思ってくれてる?」
「思っています。幸せです。あなたのおかげで、私は今、心から笑えています」
ふわりと浮かんだマクシーの笑顔に、イーサンは今にも泣きそうな顔をした。けれどそれを見届ける間はなかった。
イーサンからのキスを受け入れるため、マクシーはそっと目を閉じる。
陽だまりの中、ふたりは触れるだけの口付けをそっと交わした。




