湯煙モックもく
ー 湯煙モックもく ー
今日は生誕祭。
ノアもコロニーも、朝からどこか浮き立っている。
だが、珍しく、何も起きていない日だった。
警報もない、緊急会議もない、宙帝の影も見えない。
神帝モックは、いつもより早く目を覚ました。
「はぁー!静かだなぁー!」
天井を見つめ、ゆっくりと起き上がる。
今日は一日休み。
それだけで、なぜか胸が軽い。
「よし…!約束の時間までまだまだあるね!久しぶりに温泉にでも行くか!」
天然ではない。
もちろん人工温泉だ。
だが、重力制御と鉱物成分を精密に調整した特製の湯は、戦場帰りの身体には十分すぎる癒やしだった。
湯気の立つ大浴場。
白い蒸気の向こうに広がる静かな空間。
モックは肩まで湯に浸かり、ふぅ……と深く息を吐く。
「生き返る……温泉最高…部屋に欲しい…」
人工とはいえ、肌を包む温かさは本物だ。
戦場では常に張り詰めている神経が、ゆっくりほどけていく。
時間の感覚が曖昧になる。
気づけば、かなり長く浸かっていた。
「ん?なんだ… ボーッとする… 少し、入りすぎたかな?」
立ち上がった瞬間、視界がふらりと揺れる。
脱衣所を抜け、休憩所へ。
畳風のスペースにたどり着くと、モックはそのままごろんと横になった。
「ああ…のぼせた…」
完全に、のぼせている。
だがこれがまた、幸せだった。
頭がぼんやりする、身体が重い、顔が赤い、
この瞬間だけは何も考えなくていい。
神帝であることも、艦隊のことも、宇宙の均衡も。
今日は関係ない。
休憩所の隅で、子供たちがひそひそと話している。
「ねえ……あれ……」
「モック様じゃない?」
「ほんとだ……!」
子供達が笑顔で指をさす。
だがモックは薄目でちらりと見るだけで、また目を閉じた。
「……気のせいだ」
小さくつぶやく。
子供たちはくすくす笑う。
一人の子が近づいてきて、小声で言う。
「モック様ってなんか普通だね!」
その言葉に、モックは目を開ける。
少しだけ笑う。
「神帝ではあるがお前と同じ普通の人間だよ…普通で悪いか?」
「ううん!」
子供たちはぱっと笑顔になる。
その笑顔を見て、モックは思う。
守るべきものはこういう瞬間だ。
湯上がりでのぼせている自分を見て笑う、子供の無邪気さ。
外では祭りの音が聞こえ始める。
太鼓に歓声、祝福の音楽。
モックはまだ起き上がらない…
「ああ……これが幸福か……」
赤い顔のまま天井を見つめていると、足音が近づく。
影が差した。
「モック…またのぼせたの?」
呆れたような、しかしどこか優しい声。
神帝メインだった。
涼しげな装いのまま、腕を組んで見下ろしている。
モックは薄目で見上げる。
「今日は休みだ…たまにはいいでしょ。」
「毎回同じこと言ってるけど?」
メインは小さく笑い、隣に腰を下ろす。
「立てる?」
「……たぶん」
差し出された手を掴み、ゆっくりと起き上がる。
神帝同士とは思えない、なんとも気の抜けたやり取り。
だが、それがいい。
二人は温泉を出て、艦内の湖畔へ向かった。
人工重力と気候制御で作られた静かな水辺。
桜の花びらが水面に浮かび、ゆっくりと流れていく。
遠くで祭りの音が聞こえる。
湖面にはノアの外殻が映り込み、その向こうに星海が広がっている。
モックは深呼吸する。
「平和だねぇ〜」
「そうだねぇ〜怖いくらいに…」
メインは湖を見つめたまま答える。
しばらく、無言。
風が吹く。
花びらが二人の間を舞い落ちる。
「……今日は何もしない」
モックが言う。
「仕事の話も?」
「しない」
「宇宙の均衡も?」
「そんなの知らんっ!」
メインはくすりと笑う。
「じゃあ、何するの?」
モックは少し考え、湖の向こうの建物を指さす。
ガラス張りのドーム型施設。
「映画館!」
「え、意外…」
「たまには英雄譚じゃないやつを見る」
「恋愛ものとか?」
「んー……それは考えていない」
二人は並んで歩き出す。
湖畔の小道をゆっくりと。
祭りの音が遠ざかる。
子供たちの笑い声が風に乗る。
神帝である前に、今日はただの一人の存在として。
映画館のドアが自動で開く。
光が二人を包む。
静かな休日は、まだ続く。
(続)




