桜咲くノア
ー 桜咲くノア ー
コロニーに、淡い桜が舞っていた。
気がつけば地球時間で四月。
太陽系では戦火と緊張が続いているというのに、ここ――空母ノア内部に広がるコロニー都市では、柔らかな春の光が満ちていた。
今日は珍しく、何も起きていない一日だった。
モノレールが高架を滑る。
窓越しに広がる街並み。
白い建物の合間に咲き誇る桜並木。
露店の準備をする人々。
子供たちの笑い声。
神帝タカヤは、静かにその光景を眺めていた。
隣には秘書官ウォン。
「はぁ…宇宙は今日も大変だけさ!たまにはこんな日もいいなぁ!」
タカヤの関西弁混じりの呟きに、ウォンは微笑む。
「ええ。私はこんな日が大好きです。
神帝が穏やかな顔をしていられる日こそ…」
モノレールは減速し、アナウンスが流れる。
"中央公園前、中央公園前です"
二人は降車する。
中央公園では、誕生祭の準備が最終段階に入っていた。
色とりどりの旗、屋台の煙、特設ステージの最終確認。
そして桜。
風が吹くたび、花びらが舞い、まるで祝福の雪のように人々の肩へ落ちる。
「綺麗だね、地球と何も変わらない…」
「あっ!神帝だ!神帝さまー!」
子供たちが笑顔で駆け寄る。
その後ろで、エルフのバルサルナが困ったように笑っていた。
「こらこら、引っ張らないの。転ぶでしょう?まっ、待ってよ…」
それでも彼女自身も楽しそうだった。
長い耳の先に、桜の花びらが一枚とまっている。
タカヤは目を細める。
守るべきもの.それは艦隊でも、戦略でもない。
こういう時間…
やがて、艦内放送が流れる。
柔らかく、よく通る声。
「五月生まれの皆さん!……おめでとうございます!」
統合司令ヒメナの声だった。
「この一年が、皆さんにとって穏やかで、実り多きものになりますように…」
「皆んなで働いて働いて働いてまいりましょう!」
ヒメナの珍しい冗談に五月生まれのバンは飲んでいた酒を吹き出した…
「勘弁してくれ…!」
公園の人々が自然と空を見上げる。
人工天穹の青空の向こうに、本物の宇宙があることを誰もが知っている。
戦いは終わっていない。
宙帝も、セドナも、各星の緊張も。
それでも。
今日だけは。
花びらが舞う。
子供たちが笑う。
屋台から甘い香りが漂う。
ヒメナの声が続く。
「どうか今日という日を、大切な人と過ごしてください」
タカヤはゆっくり息を吐いた。
「守らなきゃなね…」
ウォンが一歩後ろで応える。
「はい。そうですね…」
遠くで太鼓が鳴る。
祭りが始まる。
桜が舞う。
そしてその上空、ノアの外殻のさらに向こう――
星海は、静かに瞬いていた。
何も起きない一日。
だがそれは、奇跡のように尊い一日だった。
(続)




