マーカス司令は静かに燃える
― マーカス司令は静かに燃える ―
― 宇宙空母ノア・後部港右舷側 港宙務部隊庁舎 ―
宇宙空母ノアの後部。
右舷側に設けられた港宙務部隊専用港には、無数の船舶が係留されていた。ノアの運用を支える大小さまざまな作業船。
全ての船の出入港を管理し、運航計画港湾設備の維持と船舶の運用を統括するのが港宙務部隊である。
その庁舎の作戦室に十名の幹部が集められていた。
部屋の正面には大型モニターが設置され、ノアの港湾区画と所属船舶の配置図が映し出されている。
中央に立つのは、港宙務部隊司令、マーカス・ヴェルナー。
彼は手元の資料を机に置くと、集まった幹部たちをゆっくりと見渡した。
「……先ほど、タカヤ君から連絡があった。」
その一言で、室内の空気が変わる。
マーカスはモニターへ視線を向けた。
「港宙務部隊主導でノアそのものを曳航することは可能か、とね。」
誰も口を開かなかった。
ノアは単なる宇宙空母ではない。
約五万人が暮らす国家であり、宇宙連合の旗艦であり、独立した機能を持つ巨大な方舟。
その巨体を、外部の船舶によって曳航する。
普段の業務から考えれば、あまりにも突拍子もない話だった。
やがて、幹部の一人が慎重に口を開く。
「……神帝様からのご相談に対し、司令は何とお答えになったのですか?」
マーカスは、間を置かずに答えた。
「もちろん、可能だと答えた。」
室内が静まり返った。
幹部たちの表情には、驚きと戸惑いが入り交じっていた。
「可能……ですか。」
別の幹部が確認するように呟く。
「司令、確かに船舶の推進力を利用すれば、理論上は移動させられるでしょう。しかし、実際にノアを曳航するとなれば話は別です」
その男はモニターに映るノアの全体図を見上げた。
「必要な推進力はもちろん、連結箇所の強度、各艦の出力調整、航行中の姿勢制御……。何より、これほどの規模となると、全艦の動きを統一しなければなりません。」
「分かっている。」
マーカスは頷いた。
「簡単な任務だとは思っていない。」
彼は一歩前へ出た。
「だが、二号主機と四号主機は大破。修復には時間がかかる。残る主機を無理に動かせば、さらなる損傷を招く恐れがあるらしい。」
マーカスはモニターに表示された航路を見た。
その先にあるのは冥王星。
現在、神格再編機関との戦闘が続いている宙域だった。
「我々がここで何もせずに待っている間にも、冥王星では戦闘が続いている。ノアが到着できなければ、現地の部隊は限られた戦力で戦い続けなければならない。」
その言葉に、幹部たちの表情が引き締まった。
「船はある。問題は人員だ。」
マーカスは率直に告げた。
「船舶を集めるだけなら、そう難しい話ではない。しかし、すべての船を安全に運航するためには、それぞれに指揮を執る人間が必要になる。通常業務を止めずに人員を確保するのも難しいだろう。」
一拍。
「……それでも、やるんだ。」
静かな声だった。
しかし、その言葉には一切の迷いがなかった。
「まだ正式な命令が下ったわけではない。技術的な検証も必要だ。だが、指示が来れば、我々は即座に動く。」
マーカスは十名の幹部を見渡した。
「ノアにある、使用可能な船舶をすべて投入する。護衛艦も、輸送艦も、探査船も、油槽船もだ。無人護衛艦は勿論使う。各艦の能力を確認し、可能な限りの推進力を集める。」
そして、机の上に並べられた資料を手に取った。
「ここに呼んだ君たちには、それぞれ担当する船へ乗り込み、現場で指揮を執ってもらう予定だ。」
一人ずつ、資料を手渡していく。
「担当する船舶の性能、現在の稼働状況、乗組員の配置。すべて確認しておけ。曳航計画が正式に承認されれば、時間との勝負になる。」
幹部たちは資料を受け取り、内容に目を通した。
その中には、長年運航されてきた宇宙護衛艦もあれば、補給任務を専門とする大型輸送艦もある。
本来なら、それぞれの任務を果たすために設計された船だ。しかし今度は、すべての船が一つの目的のために動くことになる。
ノアを前へ進めるために。
マーカスは最後に、全員の顔を見た。
「……意見のある者は、今ここで言ってくれ」
数秒の沈黙。
誰かが反対することも、異議を唱えることもなかった。
やがて、一人が背筋を伸ばす。
「異議ありません。」
続いて、隣の幹部が答えた。
「異議なし!」
その声は、次第に重なっていく。
「問題ありません。指示があれば、いつでも出航できます。」
十名全員の声が揃った。
マーカスは満足そうに頷いた。
「よし」
彼は手元の資料を閉じた。
「その資料に担当する船が書いてある。各艦の艦長には、すでに通達済みだ。」
そして、扉の方へ手を向ける。
「今すぐ各艦へ向かってくれ。乗組員の状況を確認し、いつでも動けるよう準備を整えておけ。」
「了解!」
幹部たちは一斉に敬礼した。
椅子が引かれ、足音が重なる。
次々と部屋を出ていく彼らの背中を、マーカスは黙って見送った。
扉が閉まる。再び静寂が訪れた室内で、彼はモニターに映るノアを見上げた。
「……さて」
小さく呟く。
「本当に、方舟を引っ張ることになるとはな。」
マーカスは口元を緩めた。
「面白くなってきたじゃないか。」
その頃、港湾区画では、各艦の乗組員たちへの準備指示が始まっていた。まだ命令は下っていない。
それでも、港宙務部隊はすでに動き始めていた。
― 宇宙空母ノア・艦橋 ―
ノアの艦橋。
通常であれば、艦隊の航行状況を示す情報が大型モニターを埋め尽くし、管制官たちの報告が絶え間なく飛び交う場所だ。
しかし現在、ノアは停止している。
艦橋の前方に広がる宇宙はいつもと変わらない。
無数の星々が静かに輝いていた。
だが、その光景を眺める者たちの胸中は穏やかではなかった。
艦橋中央の指揮席には、統合司令官キドウ・ヒメナが座っている。
その周囲には、副司令チョウカ・ナツキをはじめ、各部門の最高幹部たちが集まっていた。
タカヤからの連絡を受けたヒメナは、すぐに関係者を招集したのだ。
「……つまりやな」
ヒメナは腕を組み、目の前のモニターを見つめた。
「二号主機と四号主機の復旧には、相当な時間がかかる。やからその間にノアを船で曳航できへんか……タカヤはそう言うてきたんやな?」
「うん。そういうことやね。」
通信画面に映るタカヤが頷いた。
「もちろん、可能ならって話やけど。」
「可能かどうかは、これから検証する必要があります。」
別の画面に映るヤマモト・ウォンが、落ち着いた口調で補足した。
「港宙務部隊司令のマーカス・ヴェルナーは、すでに曳航の実施に前向きな姿勢を示しています。船舶の選定と人員配置についても、準備を進めているとのことです。」
「マーカス司令が?」
ヒメナは少し意外そうに眉を上げた。
「相変わらず、行動が早いなぁ」
(絶対楽しんでるやん…)
「はい。正式な命令を待つだけでなく実施に備えて動いているようです。」
「さすが港宙務部隊やな。」
ヒメナは背もたれから身体を起こした。
「ただし、ここで勘違いしたらあかん。ノアを動かすことだけが目的やない。安全に冥王星まで行かなあかん。」
その声に、艦橋の空気が引き締まった。
「無理な曳航で船を壊したら意味がない。連結部分に過大な負荷がかかったり、各艦の推進力が揃わずにノアの姿勢が崩れたり……そういう危険性も考えなあかんよな。」
ヒメナは技術部門の責任者たちへ視線を向けた。
「機関運用技術部隊とヘリオス社には、曳航に必要な推進力と構造上の安全性を徹底的に調べてもらう。
港宙務部隊は使用できる船を選定。
各艦の出力や装備も含めて、すべて確認してな。」
「承知しました。」
各部門の責任者が応じる。
ヒメナは頷いた後、通信画面のタカヤへ視線を戻した。
「タカヤ」
「ん?」
「いい出しっぺあんたはどう考えてるん?」
タカヤは少しだけ考えた。
「ん………早く冥王星に行くにはこれしか無いかと…」
彼は前方の星空を見つめた。
「冥王星では今も戦いが続いてる。
ノアを待ってる人たちがいるんやったら急がないと…メインもさ…何も言わんけどやっぱり冥王星が心配やろうし…」
その言葉には、神帝としての威厳を誇示するような響きはなかった。ただ目の前の問題を放置したくないという、タカヤらしい思いが込められていた。
ヒメナは数秒、黙っていた。やがて小さく息を吐く。
「よし!やろか…神帝様の言う事も聞いてみるか!」
「ヒメナさん!何それ!ちょっと酷ない?」
タカヤは苦笑いを返す。
ヒメナは通信を切る前に各幹部を見渡した。
「各部門、ええな。今から二時間。技術的な検証と船舶の選定を急いで。二時間後にもう一度ここへ集まってもらう。」
「了解!」
返事が重なる。
通信が終了し、艦橋の大型モニターからタカヤとウォンの姿が消えた。
ヒメナは指揮席に深く座り直し、前方の星空を見つめた。
冥王星までの航路。
本来ならノアはすでに進み始めていなければならない。だが今ノアは動けない。
その現実を前にして、彼女は目を閉じた。
― 二時間後・宇宙空母ノア艦橋 ―
二時間が経過した。
艦橋には、先ほどと同じ顔ぶれが再び集まっていた。
各部門からの報告は、すでにヒメナの手元に届いている。
機関運用技術部隊による推進力の試算。
ヘリオス・アーセナル社による構造上の検証。
そして港宙務部隊による使用可能な船舶の一覧。
すべての資料が、艦橋中央の大型モニターに表示されていた。
ヒメナは報告書を一枚ずつ確認し、最後のページを閉じた。
「……なるほどな」
彼女は顔を上げた。
「技術的には、条件付きで曳航が可能。高速航行の場合には各艦の推進力を厳密に統制する必要がある……そういうことやな?」
「はい。」
機関運用技術部隊からの報告が返る。
「安全に曳航を開始するためには、各艦の配置を調整し、連結箇所の負荷を分散させる必要があります。また、曳航中はノア側でも姿勢制御を継続しなければなりません」
「航行速度は?」
「通常航行と比較すると少し低下します。具体的な速度については、実際の編成と試験結果を踏まえて決定する必要があります」
ヒメナは頷いた。
続いて、ヘリオス社の報告が表示される。
「連結部については、既存の設備だけで対応するのは困難です。曳航用の接続器具を追加し、荷重を分散させる構造が必要になります。取り付け作業は現在作業中。」
「分かった。」
ヒメナは資料を置いた。
確かに問題は多い。
通常航行よりも速度が落ちるうえ、曳航に参加する艦船は互いの動きを合わせなければならない。戦闘が発生した場合にも、通常の艦隊運用とは異なる対応が必要になるだろう。
それでも、ノアを再び動かすための道筋は見えた。
ヒメナは艦橋の幹部たちを見渡した。
「……よし」
静かな声だった。
「ノアの曳航計画を承認する」
一瞬、艦橋が静まり返った。
次の瞬間、各部門の責任者が一斉に姿勢を正す。
「ただし、条件がある」
ヒメナは指を一本立てた。
「安全確認を最優先すること。曳航する艦船の能力を超える負荷は絶対にかけへん。危険が確認された場合は、作業を止めて再検討する。ええな?」
「了解!」
「それから、港宙務部隊にはすぐに正式な通達を出す。使用する船舶の編成、乗組員の配置、各艦の役割を確定させて。機関運用技術部隊とヘリオス社は、接続器具の準備と曳航中の監視体制を整えること」
ヒメナは最後に、前方の大型モニターを見た。
― 後部港右舷側・港宙務部隊司令室 ―
マーカス・ヴェルナーは、机の上に置かれた通信端末を見つめていた。
部屋の外では、担当艦へ向かった幹部たちが各艦の艦長と連絡を取り合っている。
船舶の状態確認は進み、乗組員たちも指示を待っていた。だが正式な命令はまだ届いていない。
マーカスは椅子に座ったまま、腕時計を確認した。
「……そろそろか」
その時だった。
ピッ。通信端末が短い電子音を鳴らした。
画面に統合司令部からの通達が表示される。
マーカスは一度内容を確認し、そしてゆっくりと口元を緩めた。
「……よし」
椅子から立ち上がり司令室の通信卓へ向かう。
そこには、港宙務部隊の各艦へ一斉に連絡できる専用無線機が設置されていた。
マーカスは送信機を手に取る。
ほんの一瞬だけ、彼は目を閉じた。
これから始まるのは、普段の輸送任務でも、定期航行でもない。巨大な方舟を、数多くの船で引っ張るという前例のない任務だ。
失敗は許されない。だが彼は迷っていなかった。
マーカスは送信ボタンを押した。
『――港宙務部隊司令より、各艦船へ通達する。』
落ち着いた声がノア各所の無線機へ流れていく。
『統合司令部より正式な命令が下った。我々はこれより、宇宙空母ノアの曳航準備に入る。』
各艦の艦橋で、艦長たちが無線に耳を傾ける。
港湾区画の作業員たちが手を止め、通信を聞く。
『各艦は事前に指定された配置につけ。機関運用技術部隊およびヘリオス・アーセナル社の技術者と連携し、曳航用設備の取り付けと安全確認を実施せよ。』
マーカスは窓の向こうを見た。
ノア港がよく見える。
マーカスは、無線機を握り直した。
そして、口元にニヤリと笑みを浮かべる。
『各艦船に告ぐ。』
一拍。
『我々はノアの足になるのだ……』
声に力がこもった。
『張り切っていこう。』
通信が切れる。
直後、各艦から次々と応答が返ってきた。
『第一護衛艦、了解!』
『輸送艦隊、準備に入ります!』
『探査船部隊、配置を確認!』
『油槽船隊、曳航準備を開始します!』
港湾区画に、慌ただしい足音と機械音が響き始めた。
係留索が外され、各艦の機関が点検される。
乗組員たちが配置につき艦橋では航行データの確認が始まった。
ノアを動かすために数多くの船が動き出す。
その光景を見つめながら、マーカスは小さく呟いた。
「さぁ…ショータイムだ。」
(続)




