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ノア・アーク ― 神々と人が生きる方舟 ―  作者: ヤノチャン
二十章 方舟、止まる

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機関区域にて


ー 機関区域にて ー


― 宇宙港宙空母ノア・機関区域 ―


主機の炎は、消えた。

しかし、それはノアが危機を脱したことを意味するものではなかった。


爆発によって損傷した機関設備。焼け焦げた配管。熱で歪んだ隔壁。床には消火活動で使用された水が残り、天井からは焼け落ちた断熱材が垂れ下がっていた。


つい数時間前まで、ここは炎と煙に包まれていた場所だ。現在も、焦げた金属の臭いが立ち込めている。

復旧作業は、すでに始まっていた。


機関運用技術部隊を中心に、各部隊から派遣された技術員たちが損傷箇所の確認を進めている。電気系統の点検、配管の交換、制御装置の再検査。安全が確認された区画から順番に作業が進められていた。


さらに、そこには民間企業の技術者たちの姿もあった。


ヘリオス・アーセナル社。


ノアに兵器を供給するだけでなく、独自の技術部門を持つ同社は、今回の事故を受けて自社の技術者を派遣していた。


軍人も、技術員も、民間企業の技術者も関係ない。

目の前にあるのは、彼ら全員が暮らし、働き、守るべき方舟だった。


誰もが自分の持つ知識と技術を出し合い、一刻も早い復旧を目指していた。


それでも現実はあまりにも厳しかった。


「……くそっ」


機関区域の仮設指揮所。

机に広げられた損傷記録を前に一人の男が頭を抱えていた。


機関運用技術部隊統括責任者ソウマ・ケンタ。


若くして大規模な機関部門を率いることになった彼は、今回の復旧作業においても先頭に立ち、各部隊への指示と損傷状況の把握に追われていた。


だが、資料を何度読み返しても、状況が好転するわけではない。


ノアが停止してから、すでに二十時間。


宇宙空間に浮かぶ全長十キロメートルの巨大な方舟は、四基の主機のうち二基に重大な損傷を受け、残る主機だけで運用を続けることも危険な状態にあった。


ソウマは損傷記録を閉じ、額に手を当てた。


「ノアはもう二十時間も止まっている。これ以上は……」


言葉が続かない。

時間が経過するほど、復旧の遅れは大きな問題になっていく。


主機の停止は、単にノアが移動できなくなるという話ではない。


ノアが向かっている冥王星は現在神格再編機関との戦闘が続いている。冥王星は今もノアの応援を待っているのだ。


ソウマは顔を上げた。


「バンさん! 二号主機はどうですか?」


損傷した機関区画から、一人の男が歩いてくる。

機関運用技術部隊の中佐、カンザキ・バンだった。


作業服には煤が付着し、額には汗が浮かんでいる。長時間の作業で疲労は隠しきれなかったが、その目には技術者としての冷静さが残っていた。


バンは手にしていた端末を確認しながら、短く答えた。


「ありゃ……ダメだな。一度ドックに入った方がいい。」


「はぁ…やはり……」


ソウマが目を伏せる。


「爆発の衝撃で内部の軸受けがやられている。冷却系統も駄目だ。制御装置を交換すれば動く、なんて単純な話じゃない。中を開けて、損傷箇所を一つずつ調べる必要がある。」


「応急処置したとして修復にかかる時間は?」


「詳しく調べんことには何とも言えん。だが、ここで応急処置をして動かすのは危険だ。無理をすれば、再起動した瞬間に別の箇所が壊れる可能性もある。」


バンはそう言って、損傷した主機の方へ視線を向けた。


「……急いで直した結果、また爆発しました、じゃ話にならんからな。」


ソウマは何も言わなかった。

彼もその判断が正しいことは理解している。

だが、正しい判断と、現実に求められる判断が一致するとは限らない。


その時だった。


「ちなみに四号主機も同じような状況よ。」


三人目の声が指揮所に響いた。


二人が振り向いた先に立っていたのは、ヘリオス・アーセナル社ノア支社長、リリア・ヘリオスだった。


彼女もまた、損傷した四号主機の確認を終えたところだった。手元の端末には、損傷箇所の画像と解析結果が表示されている。


リリアは端末を操作しながら、ソウマに告げた。


「ソウマ統括……四号もダメね。破損状況が酷すぎる。こっちも本格的な修復が必要よ。取り外しが可能の箇所から工事に持ち帰り修復に入るわ…」


「二号も四号も、すぐには復旧できない……か」


ソウマは小さく息を吐いた。


リリアは少し考えた後、別の可能性を口にした。


「一号主機だけじゃ賄えないの?」


「確かに一号でもノアを動かすこと自体はできます。」


ソウマは答えた。


「ただ、主機一基だけでノアを動かすとなると、負担が大きすぎます。通常航行ならともかく、長時間の運転となれば、機関そのものへの負荷も無視できません」


彼は端末を操作し、ノアの機関構成図を表示した。


ノアを安定して動かすには二基の主機が必要…

三号はコロニー専用の為使えるのは予備機の一号主機のみ…

三号と四号の二基が失われた現在、残る主機に負担が集中することは避けられない…


「ですよね、バンさん?」


「あぁ。ソウマの言う通りだ。」


バンは腕を組んだ。


「一号主機を無理に使って、今度はそっちまで不具合を起こしたらどうなる。三号主機まで失えば、推進力だけの問題じゃ済まん。電力系統にも影響が出るのは確実。」


彼は損傷した主機の方向を見つめた。


「二号と四号が壊れたからといって、残った主機を限界まで酷使していいわけじゃない。主機一基運転などほぼほぼ自殺行為だ…」


「……だから、上も無理に動かせと言ってこないのね。」


リリアが納得したように頷いた。


「なるほどね……。でもこのままってわけにはいかないんじゃないの?」


「あぁ…そうはそうだが」


バンも、ソウマも、その先を口にできなかった。


修理には時間がかかる。

しかしノアをこの宙域に留め続けることにも問題がある。いつまでも停止しているわけにはいかない。

だからといって、無理に動かすこともできない。


三人はそれぞれの立場から状況を分析し、解決策を探していた。


だが、どの案にも問題が残る。

機関区域に、重苦しい沈黙が落ちた。


「…おーい…三人で何を悩んでるの?」


突然、背後から声がした。


三人が振り向く。

そこには、二人の人物が立っていた。

 

神帝ヤザキ・タカヤ。そして神帝付秘書官ヤマモト・ウォン。


タカヤは機関区域を見回した。


作業員たちが忙しなく行き交い、技術者たちが端末を囲んで議論を交わしている。遠くでは工具の音が響き、損傷した設備の周囲には安全確認のための立入規制が敷かれていた。


その光景を見て、タカヤは小さく息を吐く。

 

「消えて良かった…主機な復旧なんて…大変そうやな。」


ウォンは静かに一礼した。


「復旧作業は順調に進んでいるとは言い難い状況です。二号主機、四号主機ともに、応急処置だけでの再稼働は困難と判断されています。」


「うん……そうやろね。」


タカヤは三人の前まで歩いてきた。

ソウマは慌てて姿勢を正す。


「あっ、タカヤ様……!」


「そんなにかしこまらんでええよ。

今、どういう状況なん?」


ソウマは一度、バンとリリアに視線を向けた。


そして、現状を説明する。


「実は、二号主機と四号主機が、すぐに復旧できそうになくて……。どちらも本格的な修復が必要です。残る一号主機で航行することは可能ですが、長時間の運転には大きなリスクがあります」


「なるほどなぁ……」


タカヤは頷いた。


「ウォン、さっき話してた件やけど…」


「はい。」


「今、急いで直す必要性があるんか?って話…」


三人の表情が変わった。


リリアが一歩前に出る。


「何を言ってるの? ノアは二基の主機がないと、まともに航行できないんでしょ?」


「まあ、そうなんやけどな。」


タカヤは真顔で返す。


「動かす方法がないかちょっと考えてたんよ。」


「考えるって……」


リリアは言いかけて、口を閉じた。

タカヤが何を考えているのか、まだ分からない。


しかし、ウォンはすでに答えを用意しているようだった。


彼女は一歩前へ出た。


「引っ張ればいいんですよ。」


「……え?」


ソウマが目を丸くしバンも眉をひそめた。

リリアは、ウォンの顔をまじまじと見つめた。


「……引っ張る?」


「はい。」


ウォンは落ち着いた口調で続けた。


「主機を使わずに引っ張るんですよ。ノアを」


数秒間、誰も言葉を発しなかった。

機関区域の喧騒だけが、遠くで響いている。


やがて、ソウマが口を開いた。


「ノアを……引っ張るんですか?」


「そうです。」


ウォンは頷いた。


「護衛艦、輸送艦、探査船、油槽船。ノアに所属している船舶を集めて複数の船で曳航するんです。」


「ちょ、ちょっと待ってください!」


ソウマが思わず声を上げた。


「ノア、ノアのですよ!? 普通の艦船とは重量も構造も違います。船を何隻か集めて引っ張ればいい、という単純な話ではありません!」


「承知しています。」


ウォンは表情を変えなかった。


「だからこそ、一隻や二隻ではなく多数の船舶を使用するのです。」


彼は端末を操作し、簡単な編成図を表示した。


「各艦の推進力を合算し、曳航方向と速度を統一する。ノア側では操舵と姿勢制御を行い、曳航艦隊と連携する。十分な数の艦艇を確保できれば、低速での移動は理論上は可能でしょう。」


「理論上は、ね……」


リリアは腕を組んだ。


「理屈は分かる。でも、曳航用の装備は? 連結箇所の強度は? 各艦の出力差もある。それに、加速や減速をどう制御するつもり?」


「一度に加速させる必要はありません。まずは各艦の位置を固定し、張力を均等にかける。その後、ノア側の姿勢制御と同期させながら、極めて低い速度から移動を開始します」


「簡単に言ってくれるわね……」


リリアは苦笑した。

だが、彼女の目は真剣だった。


技術者としてウォンの提案には無視できない合理性があった。主機を直せないのであれば、主機を使わずに移動させればいい。発想そのものは単純だ。


しかし巨大な宇宙空母を、複数の艦船で曳航する。

そのためには、艦隊全体の緻密な連携が必要になる。

一隻でも推進力の調整を誤れば、曳航索や連結部に過大な負荷がかかる。ノアの姿勢が崩れれば、各艦の負担はさらに増す。


それでも。可能性が完全に閉ざされたわけではなかった。


バンが顎に手を当て、低く唸った。


「……なるほどな。主機を動かさず、ノアそのものを外部の推進力で移動させるわけか。」


「はい。」


「問題は、何隻必要になるかだな……」


ソウマも編成図を見つめ始めた。


「それに、どの艦を使えるか。各艦の推進力、航行状態、補給状況も確認しないと……」


先ほどまで、復旧の見通しを失いかけていた二人の目に、わずかな変化が現れた。


まだ解決したわけではない。

むしろ、考えなければならない問題は山ほどある。

だが、少なくとも今は、修理が終わるまで何もできないという状況から抜け出す糸口が見え始めていた。


リリアはタカヤに向き直った。


「……本当に、そんなことをするつもりなの?」


「うん。できるんやったら、試す価値はあるやろ?

しかも港宙務部隊司令のマーカスさんは乗り気やったで。」


タカヤはあっさりと答えた。


「もちろん、安全が確認できてからやで。無理して、ほかの船まで壊すわけにはいかんからな」


その言葉に、バンが小さく頷いた。


「それは当然だ。曳航するにしても、まずは計算が必要になる。ノアの質量、必要な推進力、連結部の強度……確認する項目は多い。あと…マーカスができると言うのなら可能かもしれんなぁ…」


「じゃあ、お願いします。」


タカヤは三人を見渡した。


「船の指揮はマーカス司令管轄なので技術的に可能か、すぐに検討してほしい。できることがあるなら、全部試してみよう。」


「分かりました」


ソウマは、先ほどまでの疲れを振り払うように背筋を伸ばした。


「機関運用技術部隊で計算を始めます。ヘリオス社の技術者にも協力をお願いします。

港宙務部隊には私から連絡しておきます。」


「もちろん。」


リリアは即答した。


「こういう時のために技術者がいるんだからね」


バンは端末を手に取ると、さっそく部下への連絡を始めた。


指揮所に、再び人々の声が戻り始める。


損傷した主機の復旧作業は続く。

その一方で、ノアを曳航するための新たな計画が、動き出そうとしていた。


タカヤはその様子を見届けると、手元のデバイスを取り出した。


「……さて」


画面に表示された連絡先を確認する。


「ヒメナさんに聞いてみるかな。」


通信を発信する。

呼び出し音が一度、二度と鳴った。


そして。


『もしもし? タカヤ、どないしたん?てかどこにいるの?』


聞き慣れた声が返ってきた。

タカヤは、少しだけ笑った。


「ヒメナさん。今機関区域。あのさちょっと相談があるんやけど……」


彼は、機関区域の巨大な主機を見上げた。


「ノアって船で引っ張れると思う?」


『……は?』


通信の向こうで、ヒメナの声が止まった。

タカヤはウォンを見る。

ウォンはいつものように真顔でこちらを見つめていた。


ノアはまだ、動かない。

だが、その方舟を再び前へ進めるための一手が、今まさに打たれようとしていた。


そして、この決断が新たな問題を呼び起こすことになるのか。それは、まだ誰にも分からなかった。


(続)








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