静かなる異変①
― 静かなる異変① ―
――宇宙空母ノア・機関区域――
ゴォォォォォォォ……!!
炎は消えない。
大量の消火剤が噴き出し続けている。
ノア消防隊と機関運用技術部隊は酸素マスクを装着し、炎の周囲を取り囲みながら必死に消火活動を続けていた。
しかし火勢は一向に弱まらない。
ここはノア地下ドックと同じ階層。
普段なら整備員や技術者たちが行き交う場所。
だが今は違う。
赤い警告灯が点滅し、煙が天井を覆っている。
そのさらに下。
巨大な主機は、艦体の深部へと続いている。
上部から見えているのは、ほんの一部に過ぎない。
ノアの四基の主機は、巨大な柱のように艦体内部を貫きその最深部。船底近くまで伸びている。
約六百メートル。それがノアの主機の深さである。
まるで巨大な地下構造物。
その内部で、二号主機と四号主機が炎に包まれている。
「消火剤、残量確認!」
「第一系統、残り四十パーセント!」
「第二系統、まだ使用可能です!」
「冷却ラインは!?」
「二号主機側、完全停止!」
「四号主機側も同じです!」
怒号が飛び交う。
シュゥゥゥゥ……!!
消火剤が噴き出す。
しかし炎は消えない。
その時だった。
煙の向こうから一台の黒塗りの公用車で一人の男がやってきた。酸素マスクを装着し、黒い制服の上から防護装備を身につけている。
副司令シャルル・レン。
彼は周囲を見渡した。
燃え上がる二号主機。隔離された四号主機。
走り回る技術者。そして必死に炎と戦う消防隊員たち。
シャルルの表情が険しくなる。
「これは……。」
一歩。また一歩と炎へ近づく。
「思っていた以上だ……。」
シャルルはカンザキ・バンの元へ歩いていく。
「悪い、遅くなった。」
バンが振り返る。
「おぉ……副司令。」
一瞬だけ安堵した表情を浮かべる。
「来られたか。」
「丁度ノアが止まった時にノア高速を港に向かって走行中だったんだ。艦橋より連絡が入って急いで来たが…これはやばいな…」
シャルルは炎を見る。
「……まだ消えないのか?」
「はぁ……はい。」
バンは首を横に振る。
「原因の究明もまだです。」
「火災の発生箇所は?」
「二号主機と四号主機。」
「同時に?」
「ほぼ同時です。」
シャルルの目が細くなる。
「…やはり…偶然とは考えにくいな。」
「私も、いや、皆んなそう考えているだろう…」
バンは炎を見つめる。
「月例点検では異常はありませんでした。」
シャルルが言う。
「なら…考えたくは無いが内部から何者かに何かされた可能性がある。」
「はい。」
二人の間に短い沈黙が流れた。
その直後。――バァァァン!!
遠くで大きな音が響いた。
「うわっ!」
作業員たちが身を伏せる。
シャルルが振り返る。
「何だ!?」
「四号主機側です!」
「爆発!?」
「いえ! 配管の一部が破裂しただけです!」
「消火班を下げろ!」
バンが叫ぶ。
「まだだ!」
消防隊員たちが態勢を立て直す。
炎の勢いは衰えない。
シャルルはしばらくその様子を見つめていた。
そして。
「バン。」
「はい。」
シャルルが声を落とす。
「統合司令は海水の注水も、と言っていた。」
バンは頷く。
「あぁ…電話来ましたよ…。」
一瞬、炎を見る。
「あれはね。最終手段です。」
「分かっている。海水を入れれば火は抑えられる可能性が高い。」
バンは続ける。
「ですが、主機そのものが死ぬ。」
「……だろうな。」
バンの表情が険しくなる。
「電力設備や制御系統まで浸水すれば、一号と三号にも影響が出る可能性があります。」
シャルルは黙った。
その視線は、燃え続ける主機へ向けられている。
「……ノアを止めるだけじゃない。」
「はい。」
「下手をすれば、ノアそのものを壊すのか。」
「そういうことです。」
シャルルは小さく息を吐いた。
そして。
「……まだ使いたくないな。」
「私もです。」
二人は再び炎を見る。
その時だった。
シャルルがバンへ近づいた。
そして、周囲に聞こえないように声を落とす。
「……あと。」
「はい?」
「お前は信じているから言う。」
バンの表情が変わる。
シャルルはさらに声を落とした。
「実行犯を取り押さえるため、特殊保安部隊を投入した。」
「……!」
バンがシャルルを見る。
「特殊保安部隊を?」
「そうだ。」
シャルルは周囲を確認する。
「この混乱を利用して――」
一瞬、言葉を止める。
「残り二つの主機を狙う可能性がある。」
バンの顔から表情が消えた。
「……。」
「一号と三号だ。」
「……なるほど。」
「二号と四号の爆発が事故じゃないとしたら、次もある。」
シャルルは続ける。
「だから特殊保安部隊には、機関区画全域を警戒させている。」
「分かりました。」
「このことは他言無用。」
「了解です。」
バンが即答しシャルルは頷いた。
「頼む。」
「了解しました。」
その時。ピィィィィィ!!警報が再び鳴り響いた。
「火勢上昇!」
「何!?」
「二号主機側です!」
二人が同時に炎を見る。
――ゴォォォォォォ!!
炎が一段と大きくなる。
消防隊員たちが一斉に後退する。
「下がれ!」
「熱源が上がっています!」
「冷却班、前へ!消火班、左右から回り込め!」
バンが叫ぶ。
「絶対に他に延焼させるな!」
「了解!」
シャルルは炎を見つめる。
その目には戦場に立つ軍人の鋭さが戻っていた。
「……誰かがノアを狙っている。」
小さく呟く。
「この規模のノアを……内部から。」
バンが答え炎の向こうを見る。
「だったら俺たちが止める。」
シャルルは頷いた。
「そうだ。」
二人の視線が交差する。
その直後。
シュゥゥゥゥ……!!
新たな消火ラインが開き、大量の消火剤が噴き出した。
― ノア・コロニー都市 セントラル
その頃。ノア内部のコロニー都市セントラルでは
至る所に設置された大型モニターに、一つの映像が映し出されていた。
《機関区画・火災発生》
中央広報局が緊急放送を開始していた。
街を歩いていた住民が足を止める。
学校では、教師が教室のモニターを見上げる。
工場では、作業員たちが作業の手を止める。
どこにいてもノアの人々は、その映像を見ることができた。
『機関区域は未だ火災中です。情報によると二号主機と四号主機に被害あり。事故とテロ、両面から調査中との事です。』
現地リポーターは冷静な口調で状況を伝える。
画面の中は赤く染まった機関区画。
大量の煙の中で消火活動を続ける消防隊員。
そして燃え続ける主機。
「……。」
街の中から、少しずつ声が消えていく。
「火……まだ消えてない。」
「二号と四号だって。」
「大丈夫なのか?」
「これがノアが停止した理由か…」
不安が広がっていく。
しかし誰もパニックにはならなかった。
なぜならノアではこれまでにも数え切れないほどの危機があった。
それでもノアは、その度に立ち上がってきた。
だからこそ。住民たちは画面を見つめながら祈るように待っていた。
ある小さな子供が、母親の服を握る。
「お母さん……ノア、大丈夫?」
母親は画面を見る。
そして子供の頭を撫でる。
「大丈夫。」
「ほんと?」
「うん。ノアは太陽系の希望なの。そう簡単には沈まない。」
母親は笑った。
巨大な機関区画では、今も炎が燃え続けている。
そしてそのさらに深く。
誰も知らない場所で特殊保安部隊が動き始めていた。
犯人は誰なのか。
なぜ二つの主機が同時に爆発したのか。
そして次に狙われるのは、どこなのか。
ノアは今、外敵ではなく自らの内部に潜む敵と戦っていた。
(続)




