ノア停止
― ノア停止 ―
――ガタン……。
宇宙空母ノアの巨大な艦体が、わずかに揺れた。
その直後――ゴォォォ……。
それまで一定だった機関音が、突然途切れる。
艦内を流れていた微かな振動が消えた。
まるで巨大な都市そのものが、突然、息を止めたかのようだった。
「……?」
艦橋にいた全員が異変を感じ取った。
「……何や?」
ヒメナが顔を上げる。
航法士が慌てて端末を確認する。
「ノア、急減速!」
「何やと?」
「速度……急激に低下しています!」
次の瞬間。―ガタンッ!!
艦体全体が大きく揺れた。
「うわっ!」
「な、何だ!?」
艦橋の一部で警報が鳴り響く。
ピィィィィィ!!
赤い警告灯が点灯し通信士が叫んだ。
「ノア急停止!」
別の管制官が端末を確認する。
「主機出力低下!
二号主機、緊急停止!四号主機も停止!
二号、四号共に……全系統反応ありません!」
「……!」
艦橋の空気が一瞬で変わった。
ヒメナは立ち上がる。
「原因は!?」
艦橋常駐の機関運用技術部隊員が答える。
「現在確認中です!」
「予備主機は!?」
「第一号が予備ですがこの状態での起動は危険です!第三号は艦内電力用の為、現時点では航行能力がありません!切り替えれば可能ですが…」
「原子炉施設は?」
「原子炉は……無事です!」
ヒメナは黙った。
そして。
ゆっくりと艦橋の大型スクリーンを見る。
そこに映っているのは漆黒の宇宙。
その中央に完全に停止したノア。
巨大な宇宙空母が今、宇宙のど真ん中で動きを失っていた。
「……。」
オダイ艦長がヒメナを見る。
「ヒメナ司令……。」
ヒメナは答えない。
そのままデスク横へ歩く。
そして――ガチャッ。
有線電話を手に取った。
「こちら艦橋。」
声は冷静だった。
「統合司令キドウ・ヒメナ…主機に異常か?
何があった?」
― 宇宙空母ノア・機関運用技術部隊
艦底深く。
ノアの巨大な機関区画。
そこは、まるで巨大な地下都市だった。
何層にも渡って機械設備が並ぶ。
ノアの心臓。
第一号主機。第二号主機。第三号主機。第四号主機。
それぞれが艦体の船底深くまで伸びる巨大な機関設備。通常の宇宙船なら、一基も設置できないぐらいの巨大な動力炉。
それが四つ。そのうち二号主機。そして四号主機。
二つの主機が突然爆発し炎が噴き出していた。
ゴォォォォォ!!バァァァン!!
機関区画を赤い炎が照らす。
大量の煙が立ち込め、警報が鳴り響いている。
「二号主機、緊急停止完了!四号主機も停止しました!」
「冷却系統は!?」
「正常化していません!」
「火災区画の圧力が上昇しています!」
作業員たちが走り回る。
巨大な機関区画の上部ハッチから、消火装置が作動する。
シュゥゥゥゥ……!
大量の消火剤が噴き出す。
しかし炎は消えない。
「ダメです!」
「まだ燃えています!」
「火勢が強すぎる!」
一人の作業員が叫ぶ。
「上部ハッチからの消火では無理です!」
「分かってる!」
その中央で、一人の男が頭を抱えていた。
機関運用技術部隊総括ソウマ・ケンタ。
彼は炎を見つめながら、歯を食いしばる。
「……なぜだ。」
誰に向けた言葉でもなかった。
「なぜ爆発した…点検時には異常などなかった…。」
二号主機。四号主機。ほぼ同時に異常が発生した。
偶然とは考えにくが今は原因究明より先に……
「火を止めろ!」
ソウマが叫ぶ。
「原因の究明と消火を急げ!」
そして心の中で呟く。
(こんな宇宙のど真ん中で……ノアを止めるわけにはいかないんだ……!)
「ソウマ統括!」
作業員が走ってくる。
「火が止まりません!」
「消火剤を増やせ!」
「限界です!」
「なら別系統を!」
「それも無理です!」
「ノア消防隊は?」
「到着済みです!共に消火活動中です!」
別の作業員が叫ぶ。
「海水を注水しますか!?」
ソウマが振り返った。
「海水?」
「はい!」
「海水なんて入れたら、それこそ全て終わりだ!」
機関区画に沈黙が走る。
ノアには大量の水を貯蔵する設備がある。
それを巨大な機関区画へ流し込めば確かに火は消えるだろう…だが火災だけでなく電子設備や電力系統まで破壊する可能性がある。
下手をすればノアそのものの機能を失う。
「…まだダメ!…絶対にダメだ!」
ソウマは炎を見る。
「まだ、別の方法がある。」
しかしその言葉とは裏腹に。
炎は勢いを増していく。
――ゴォォォォォ!!
「くそっ……!」
ソウマが拳を握る。
その時だった。
「お前達!」
一喝。
全員が振り返る。
「焦るな!」
機関区画の入口。
そこに一人の男が立っていた。
機関運用技術部隊。
カンザキ・バン中佐。
現場の状況を一目見てバンは静かに歩いてくる。
「……ひどいな。」
ソウマが振り返る。
「中佐……。」
「状況は?」
「二号、四号主機が同時に異常停止。現在、火災が継続中です。」
「一号は?」
「防火壁を閉鎖しました。」
「三号は?」
「別区画なので無事です。」
バンは頷く。
「つまり……」
ノアの巨大な機関系統を頭の中で整理する。
「一号と三号は生きている。」
「はい。」
「だが二号と四号は完全停止。」
「……そうです。」
バンは炎を見る。そして。
「今こそ落ち着く時じゃないか?」
その言葉に周囲の作業員たちが一斉にバンを見る。
ソウマも黙って彼を見る。
「中佐……。」
「慌てれば判断を誤る。」
バンは炎から目を逸らさない。
「このノアを造ってきたのはここにいる俺たちだ。」
一歩炎へ近づく。
「なら……」
その瞬間。
ピピピピッ。
バンのデバイスが鳴った。
画面を見る。表示された名前は統合司令キドウ・ヒメナ。バンが通信を取る。
「こちらカンザキ・バン。」
『バン中佐!』
ヒメナの声が響く。
『何が起きたんや!?ノア止まったで!』
バンは一瞬、炎を見る。
「…統合司令…二号主機と四号主機で爆発火災が発生しました。」
『原因は?』
「まだ分かりません。」
『主機は?』
「二号、四号とも緊急停止。」
一瞬の沈黙。
『一号と三号は?』
「一号は防火壁によって隔離。三号は無事です。」
『ノアは動かせるんか?』
バンは答えなかった。
その沈黙だけで、ヒメナには分かった。
『……動かせへんのやな。』
「はい。今は…」
艦橋にも沈黙が流れる。
『……火災は?』
「現在も継続中です。」
『消火は?』
「通常の消火設備では抑えきれていません。」
『……海水は?』
「最後の手段です。」
バンの声が低くなる。
「機関区画へ大量の海水を注入すれば、火災は抑えられる可能性があります。」
「ですが機関設備そのものを失う可能性が高い。」
ヒメナは黙った。
「二号、四号主機だけではありません。」
バンは続ける。
「周辺の電力系統、制御設備、配管、冷却設備まで巻き込む可能性があります。」
『……つまり。』
「ノアを守るためにノアの心臓を壊すことになります。」
その言葉が重く響いた。
ヒメナは目を閉じる。
そして。
『……分かった。』
声は静かだった。
『現場の判断に任せる。』
バンが顔を上げる。
『うちらは、ここで待つ。』
「……了解しました。」
『バン中佐。』
「はい。」
『絶対に無茶するなよ。』
バンは少しだけ笑った。
「それは……整備士には難しい注文ですね。」
『……ほんまに。ちなみに副司令がそっちに向かわせてる。副司令が行っても現場の指示は中佐のまま副司令を好きに使ってくれ。』
「それは心強い…」
通信が切れる。
バンはデバイスを下ろした。
周囲を見る。
バンは静かに言った。
「……聞いたな。」
作業員たちが顔を上げる。
「統合司令は俺たちに任せた。」
誰も喋らない。
「なら――」
バンは腕をまくる。
「俺たちがやるしかないだろ。」
ソウマが顔を上げた。
「中佐……。」
「まず火災区画を完全隔離。」
「もう少しで完了します!」
「二号、四号主機の燃料供給を完全遮断。」
「はい!遮断済みです!」
「一号主機は絶対に守れ。」
「はい!」
「三号主機は艦内電力維持に専念。」
次々と命令が飛びバンが炎を見る。
「原因を探せ。」
ソウマが頷く。
「はい!」
機関区画に、再び作業員たちの声が響き始めた。
一人一人が、自分の持ち場へ戻っていく。
― 宇宙空母ノア・艦橋 ―
「主機区画との通信、継続中。」
通信士が報告する。
ヒメナは椅子に座ったまま、スクリーンを見つめていた。
そこには静止した宇宙。
ノアの周囲には何もない。
「……。」
オダイが呟く。
「こんなところで故障するとは……。」
副司令チョウカ・ナツキは不安そうにスクリーンを見る。
「冥王星まで、あと二日…このままだと……。」
ヒメナは答えない。
その時、艦橋の大型スクリーンに表示された。
《航行速度:0》
その数字をヒメナはじっと見つめていた。
「……ノア。」
誰に聞かせるでもなく。
小さく呟く。
「まだ……止まったらあかんで。」
その声は巨大な艦橋の中へ静かに消えていった。
そして艦底深くでは二つの主機が、炎に包まれていた。
ノアの旅は冥王星へ向かう前に。
思わぬところで、足を止められた。
――宇宙空母ノア、航行不能。
「遅くなってすまない…」
機関区画に一人の男が現れた。副司令シャルル・レン
彼は燃え上がる主機を見て戦う男の顔をする。
(続)




