25話「思いの強さ」
プログラムの内容は滞りなく進んでいっているわけだが、やることが応援しかなく暇を持て余している部員がいた。
その部員というのは桜坂花蓮、南條愛美である。二人して、今日は大会に出る種目がなく特にやることがない。だからといって、何もしないのは違う。
片手にメガホンを持ち応援をし続けた結果、喉が疲れてガラガラ声になりかけている。でも、これは水泳部では当たり前なので、慣れっこなことだ。
周りを見渡してみると、武田佳織里の姿がないことに気がついた。
武田佳織里の姿が朝の50m自由形が始まって以降、メモ帳を片手に何処かに消えては、たまに戻ってきて飛び込みをしている選手や自由形を泳いでいる選手のことをじっと見つめて、メモ帳に書き込んでいる姿が見える。
「勉強熱心だね」
そんなことを呟いたのは丁度お昼休憩の時間帯だった。
場所はアイススケート場で、桜坂花蓮、南條愛美、武田佳織里は並んで弁当を広げながら、寒さに耐え忍びながらご飯を食べている時だ。
お昼休憩でのご飯は二階での応援席、アイススケート場、その他の休憩スペースでのみ食べることを許されており、プールサイドの応援席のみ食事は禁止されている。
「そうですか?」
武田佳織里は不思議そうな顔をしながら、ご飯を食べながらそう答える。
その答え方が「当たり前のこと」と言っているような感じがして、少し二人は驚く。
考えなくてもわかることで、武田佳織里以外の一年生で大会に出ていない人達は応援をしているからだ。誰一人として、メモ帳を持ち歩きながらメモ書きをしている部員など一人もいない。
「うん、そうだよ。周りを見てみればわかると思うけど、誰一人として、佳織里ちゃんと同じことをしている人はいないよ」
「私も、こんなに初心者の人で熱心に勉強している人は初めてかも」
二人は同時に中学時代の水泳部での出来事を思い出す。
初心者で水泳に興味を持っている人が一番入部しやすい時期なのが中学生の時ではあるが、初心者の人で最初から大会に出ようと考えている人間などいなかった。寧ろ、諦めている人間すらいた。
経験者でさえも「泳ぐのが好きだから」とか「仲の良い友達がいるから」とか、そんな本気でやろうともしない考えを持つ人間が殆どだ。
全員が全員、大会に出れるとは思ってもいない。
そんな、彼と彼女達はこう思っているから。
だってこれは、「たかが、部活だから」と。
学校生活の延長線上にあるのが部活で、それ以上でもそれ以下でもない。
「本気になる価値はない」「将来、役に立たないし…」と思う部員も多い。
「どうせ、本気でやっても関東や全国にいけない」とやってもいないのに諦める部員も山ほどいる。
そんな部員達を見てきた二人は、武田佳織里という存在は異常にすら感じ、凄いと思いつつも、怖さも感じていた。
特に、桜坂花蓮は昔の自分よりも輝いている武田佳織里を見ていると、昔の自分が哀れに見えてくる。
だけど、過去は変えられない。
今の自分がどう水泳に対して向き合わなければいけないのかを考えなくてはいけない。
目の前の二人には負けたくないからだ。
「そうですか。うーん、私的には本気で大会に出たいと思ってやっていることなので、凄いとは思いません。「あの時やっていたら少しは変わったかもしれない」なんて言い訳したくありませんからね」
その言葉に南条愛美は関心を示し、桜坂花蓮は過去の自分に言われているようで嫌な気分になっていた。
過去に先輩から色々されて、水泳に対して本気になれなくなり、三年生になった時に新入生に負けて、「あの時やっていたら少しは変わったかもしれない」なんて思ってしまっているからだ。
後悔、そう後悔をしている。でも、その後悔があったからこそ、今の清流高校での部活で本気でやってみようと思えたのかもしれない。
まだ、短い人生ではあるけれど、辛くない出来事なんてない。だからこそ、後ろを向いてなんていられない。前へ向いて行こうと決めたんだ。
「佳織里ちゃんは強いね。私はそうはならなかったからさ」
「花蓮…」
武田佳織里は過去に何かあったのはわかっているが間近で見ていたわけではない。だから、全ては知らない。でも、隣にいる南条愛美は違う。事情を知っているだけに複雑そうな表情を作っている。
桜坂花蓮は過去の自分と今の武田佳織里を比較して見てしまう。
正反対なことをしているからこそ、羨ましくもあり、後悔を思い出す対象でもあり、そして、尊敬している人物でもあるのだ。
「佳織里ちゃんは凄い。本当に凄いよ。だから、私も負けていられないと思えてくるんだよ」
ひしひしと体から伝わってくる熱い思い。
それは、決して消えることのない、松明のような闘志の明かりだった。
長めのお昼休憩が過ぎてからのプログラムは全ての競技が決勝が移り変わっていた。
各種目の決勝は、上から順番に速さで決まっていくが、それとは別に組みには意味が存在している。それは、上の組から関東大会や全国大会に行ける人達であり、下になればなるほどに行けるのは希望が薄いと言っているようなものになるからだ。
そうだとしても、県で速い選手は沢山いるし、その中で決勝に進めるだけでも嬉しいことだが、本気で水泳をやり上を目指している人ほど落胆してしまうのはしょうがないことかもしれない。
そんな中、一階のプールでの出入り口付近では50m自由形に出場する選手達がベンチに座り、始まるのを今か今かと待ち侘びている人達で溢れかえっていた。
「もうそろそろ、始まるね」
「うん…」
桜木春香と秋空楓は隣同士でそんな会話をしながら、自分の名前が呼ばれるのを待つ時間が続く。
基本的に大会では同じ学校同士が戦うことはない。
それは、部員の順位によって学校側に得点が入る仕組みになっており、大会が終わる二日目に入賞の発表があるからだ。
得点というのは、普通種目が一位の八点から徐々に下がっていき、八位が一点となり、リレーの場合は得点が大幅に違い一位が十六点から徐々に下がり、八位が二点となる。それ以上は無得点、つまり0点だ。
各種目に出た部員が一位から八位に入っていた数で学校に得点が入り、その特典の多さで総合優勝が決まる仕組み。しかし、総合優勝というのは大会に出場している人数が多いほど有利であり、人数が少ない学校は無関係な話となってしまう。
このようなことが大会では起こるために、同じ学校同士では戦うことは決してない。
そのことに関しては、桜木春香も秋空楓も常識として知っているはずなのに、心の底からひしひしと湧き上がってくる感情はなんだろうと考える。
でも、そう考えても答えはもうわかっているように感じた。
大会で『戦いたい』と自然に思ってしまっているから。
本気と本気のぶつかり合いをする大会という場所で、学校のタイム測定とは違う泳ぎの環境で戦い。
でも、できない。
そう実現もしない感情に支配されるようになったのはいつからだろうか?
それは、二人が出会った中学時代にまで遡る。新入生で入った時から、二人は50m自由形のエースで、先輩でさえ歯が立たないほどの速さを持っていた。
最初こそ、仲が良く友達として二人はお互いのことを気にしはしつつも、意識はしてはいないで過ごしていたが、それは時間の経過と共に崩れ去っていく。
大会が行われる前のタイム測定、大会での戦いをやればやるほどに、勝った負けたを繰り返せば繰り返すほどに、お互いにお互いのことを「負けれない相手」として意識をする結果となった。
俗にいう「ライバル」と呼ばれる存在になったのは、大会という普段の部活での練習では味わえない環境が二人の気持ちに考え方に刺激を与えた形となる。
「ねぇ、楓」
中学時代の頃を軽く思い出しながら、桜木春香は秋空楓の方に振り向いた。
「ん?何…」
「私、負けないからね。県大会でも、関東でも、全国でも…私は楓に勝つ!」
そう高らかに宣言するのは二人の恒例行事となっている。
他校の部員のことも気にはなるが、速い選手も当然いる。予選でも戦っているし、確認しただけでも決勝でも当たる人は何人もいた。
だけど、一番近くにいて、中学時代を含めれば五年間戦い続けている、ライバルの女の子がいる。
全身全霊を持って、勝ちたい。他校の部員なんて後回しでもいい。そう思えてしまうぐらいに勝ちたい欲が身体中を渦巻いていた。
「それは、私の台詞だから…」
その気持ちは、秋空楓も同じだった。
あまり、自分の気持ちを表に出す方ではないし、全然苦手な方ではある。
しかし、水泳に対しては違う。
武田佳織里のことを含めても、水泳に対しての考え方も、熱意も、勝ちたい欲も誰にも負けないと自分自身は思っているくらいにだ。
「私は勝つよ…」
そう言い返す。その言葉は文字通り、ここから先に行われる全ての大会での勝利宣言だった。
「それこそ、私の台詞だからね」
冷静に拳を前に出しながら言う。
言われて言い返して、言い返して言われて、それの繰り返しだったが、どちらも「勝つ」という気持ちと、「負けられない相手」という気持ちは同じだからこそ、譲れない。
二人の気持ちのぶつかりあいが均衡しているなか、50m自由形の決勝が開始された。




