19話「ここが私達のスタートライン」
午前中に部活が終わり、そのまま家に戻り少し遅いお昼ご飯を食べた後、明日のタイム測定発表という大事なことがあるなかで、気を紛らわすために自室で勉強をしていた。
しかし、どれだけ問題集の中身を解いても気を紛らわすことはできずに、集中力は当然の如くきれていく。
なにかやろうとしても明日の発表が頭をよぎってしまい、なにも手付かずになってしまうのは明白だ。今、完全に桜坂花蓮は明日のことで頭がいっぱいになっている。
勉強してもだめなら、この時間を練習の時間に当てようと思い、ランニングで体力作りをしようとジャージをクローゼットから出したところで携帯がなった。
「相手は誰だ?」と確認してみると、桜坂花蓮、南條愛美、武田佳織里と共にグループで作ったところに南條愛美からメッセージが一件入っていたところで、「今から皆んなで会わない?」と一言書いてあったのを確認した直後に武田佳織里から「いいですね〜行きたいです!」と返信が入ってきてしまう。
時間を確認したところ、今の時刻は午後3時過ぎなので夜暗くならない前に帰れば問題ないだろうと思えた。
「お母さんー、今から友達に会いに行きたいんだけど、いい?」
「夕ご飯までに戻るならいいわよ」
「ありがとー」
リビングにいる桜坂由紀に許可を貰って「今から準備するんだけど、どこに行けばいい?」と返信を返すと、「ここ」と返事が一言書いてあり、場所が記されたマップの切り抜きとホームページが記載された文章を送ってきて、武田佳織里は「喫茶店ですか〜大好きです〜」と書いてあったので、調べてみると美味しそうなケーキなどを出している喫茶店だった。
そこに追加で南條愛美から「せっかくなら近くの駅で待ち合わせをして、一緒に行こう」と書いてあり、「了解」と返信を返す。
「一息つくにはいい場所かも…」
着替えを済ませて、少しだけタイム測定のことが気にならなくなっていき、気持ちが軽くなったのを感じて玄関の扉を開けた。
指定された喫茶店は駅の近くにある喫茶店であったために、電車に乗り
南條愛美と武田佳織里を駅で見つけて向かっていく。
そのまま駅から歩くこと数分で目的地である喫茶店を見えてきて、中に入っていき一息つけることができた。
5月の下旬とはいえど、昨今の気温の上昇により暑く、そのおかげもあってか部活でのプールでの練習をするときは水温が丁度良く気持ちがいい。
ちなみに、学校でのプールでは水温が20°Cにならないと入れないと決まりがあるが、決して20°Cだからといって練習が快適というわけではない。
3人それぞれ、アイスコーヒーとケーキを注文して、喫茶店での話の話題はタイム測定の話となっていった。
自分のことで精一杯だったタイム測定で誰が勝っても負けても声をかけづらく、ちゃんとした話をする機会がなかったために、南條愛美は2人と軽く話たかったわけだから、連絡をしたというわけになる。
そのことはなんとなく桜坂花蓮はわかっていて、一番ここで話を聞き経験者として武田佳織里にアドバイスを送らないといけないと思い、話を振った。
「佳織里ちゃんは今回のタイム測定が初めてだったわけじゃない?」
「はい、そうですね」
「どうだった?緊張はしたと思うんだけど、自分らしい泳ぎはできた?」
初心者である武田佳織里は、この前のタイム測定が人生で初めてなのは当たり前のことだが、桜坂花蓮が1番心配しているのは緊張していることではなく「自分らしい泳ぎができたか」である。本格的なタイム測定を初めてするのだから緊張するのは当たり前だ。
「自分らしい泳ぎ」というのは、吉岡理恵の教えのもとで、あれやこれやと指導を受け、その度に泳ぎを修正しながら行ってきたものを、タイム測定でやれたかというもの。
だが、これは緊張という邪魔が入ることによって崩れ去るのは多々あり、どれだけ水泳を長くやっていても、緊張で頭が回らずに「自分らしい泳ぎ」ができずに負ける、なんてことは日常的にあることだ。
「自分らしい泳ぎはできたと思います。でも、体力不足や経験の差があるとは思うんですけど、手と足の力のバランスが悪くて全然、宵宮先輩に追いつけなくて凄く悔しいです」
落ち込みながらに答える姿を見て、聞いたのは少しまずかったなと思えた。
初心者というのはタイム測定で先輩の泳ぎを見てしまうと「経験者との差」が歴然となり、現実との壁が浮きぼりなってしまい「挫折をするか」それとも「やる気が起きるか」のどちらかにはなってしまう。
タイム測定というのは水泳部にとって、一番最初にくる「壁」なのだ。
これは、水泳というスポーツの性質上仕方がないとはいえ、だからこそ、桜坂花蓮は心配をしていた。メンタルをやられていないかと。
しかし、武田佳織里は落ち込んだ顔をあげて、はっきりとした声で繋いでいった。
「でも、今回のタイム測定は凄くいい経験になりました。大会と同じような環境で、心臓がバクバクとなっている音だけが聞こえて、手と足も震えてました。これは経験をしていないからこそ、こうなるわけで…これから少しづつ慣れていけたらなと思ってます。だから、今回のタイム測定はその一歩だと思ってますよ」
その顔には先ほどの落ち込んだ顔なんて感じさせない決意溢れる表情をしていて、桜坂花蓮と南條愛美は心の中が落ち着くのを感じた。
『佳織里ちゃんは初心者なのに強いなぁ…私が同じ立場だったら、佳織里ちゃんみたいに頑張れるのかなぁ?』
学校で部活をするなら「大会に出たい」と思うのは普通のことで、余程の才能がない限り初心者で大会に出れることはないに等しいだろうから、自分自身は耐えれないかも、と感じた。
「よかった。安心したよ」
「本当にね。でも、定期的にタイム測定は行うし、徐々に慣れていこう」
「はい!少しづつ、頑張ってきます!」
そんな眩しいくらいの笑顔を見ていると「私も負けてはいらない」と自然に思えてくるから不思議だ。そして、3人で話していると自分自身が感じていた「タイム測定の結果発表」から解放されていくのがわかる。
『友達って、いいな』
一緒に目指している場所は同じで、一緒の自由形を泳いでいる。
一目見ただけで、会話をしただけで、心が落ち着く。
心の中で溜め込んだ想いが、すっと背中を押されたみたいに吐き出されていく。
そんな、関係性が桜坂花蓮は落ち着く場所となっていた。
「今日は呼んでくれてありがとうね」
桜坂花蓮は自然にそう口から言葉が出ていた。
そこには恥ずかしさとかの気持ちはなく、今の自分が「タイム測定の結果発表」の恐怖に怯えていたところから、引き摺り出してくれたことのお礼であるが、2人はそのことは1つも理解はしていない。
「どういたしまして」
南條愛美は理解は1つもしていないが、なにか考え事をしていて気持ちが晴れたのが桜坂花蓮の表情を見ていたのでそれだけは理解はしていた。
「佳織里ちゃんもありがとう」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
お礼を言いたいのはこちらの方だと武田佳織里は思う。
水泳という未知な場所に飛び込んで初心者として過酷な練習にも耐えてきたのは、何も自分の忍耐だけの問題ではない。
2人の泳ぎを見たり、先輩の泳ぎに感動しているうちに自分自身も大会に出て、可能であれば南條愛美と桜坂花蓮ともリレーで泳いでみたいとすら思ってしまった。
いや、そこまで思うのは欲張りかと思う人もいるかもしれない。それでも初心者の武田佳織里がここまで水泳に釘付けになったのは2人のおかげ、だからこそ、一緒に泳ぎたいと考えるまでに至った。
だからこそ、あの時に勇気を振り絞って話し掛けた相手が目の前にいる少女達でよかったと心の底から思える。
丁度いいタイミングで喫茶店の店員がアイスコーヒとケーキを持ってきて、テーブルの上に置いて「ごゆっくり」と定型文を置いて去っていく。
桜坂花蓮はそのアイスコーヒーを一口飲んで「この時間が永遠に続けばいいのに」と不覚にも思ってしまったことに対して蓋をした。
次の日になり、桜坂花蓮は身体中から変な汗をかいて目を覚ます。
夢を見ていた。
吉岡理恵が自由形の距離の短い方から発表していき、呼ばれない者が1人、また1人と泣き崩れて倒れていく。200m自由形の呼ばれる順番に差し掛かり、桜坂花蓮は神頼みをするように手を合わせる。
そして、名前は田崎怜奈、南條愛美で呼び上げるのが止まり、次の種目の方に移っていくのが聞こえた。
「桜坂花蓮」という名前が呼ばれることはなく、1年生での大会出場は無くなったのである。その事実を理解するまでに時間がかかり、数秒遅れで泣き崩れ、深い闇の中に場所を移していく。光がある方向に向かおうとしても「お前は敗者なのだから来るな」と言われているように深い闇の中に引き摺り込まれていき、光の届かない場所に行ったところで目が覚めた。
「今のは夢か…」
そう独り言を呟いたのと同時に時計のアラーム音が鳴り響く。
アラーム音を止めて、布団から這い出ると深い深いため息をついて、気持ちを落ち着かせた。
「落ち着け…これが現実になるわけじゃないんだ…」
自分自身にそう言い聞かせて、ベットから降りてカーテンを開けると太陽の眩しい光が自室を輝かしく照らしてくれている。
太陽の光が桜坂花蓮の心のどこかでひっかかっている小骨が取り除かれていく気がした。
不安はある。それでも、今の自分にできることはやった。泳ぎも全力でやったが、まだ田崎怜奈にも、南條愛美にも追いつけないでいるから課題は多いが、一つ一つ小さい一歩でもいい、前へ向いて進んでいこう。
それが将来に向けて大きな一歩となるはずだから。
朝ご飯を食べて、そのままジャージに着替えて自転車に跨り漕ぐ。
風の気持ちよさが緊張している体を涼ませてくれている気がした。
今日は学校での練習だ。練習内容は泳ぎがメインで各部員の得意な種目の特別なメニューと一人一人の泳ぎを見ての指導がメインとなり、その最後に吉岡理恵の口からタイム測定の結果発表になるとの練習前に説明がされた。
各々が練習を始める中で集中しきれていない部員が大多数いるのは当然のことだが、集中しきれていない部員に対して小島順菜が注意をする場面が今日は特に多かったように見える。
全ての練習メニューを終えて、水泳部員の全員がお待ちかねのタイム測定の結果発表の時間となり、吉岡理恵の周りをぐるっと囲むような形で聞く体勢を整えた。
そして、吉岡理恵の話が始まる。今日のことや明日からの練習のことなどを話し終えてから、タイム測定の話に移ると部員全員の顔を引き締まった顔つきになり、「不安」と「期待」が入り混じった感情がぐるぐるとかき混ざって少し気持ち悪さが芽生える。
「タイム測定の発表なんですが、50m自由形から順番に発表していきます。男子から女子と流れになり、最後にリレーのメンバーの発表となっていきますのでよろしくお願いします。それではいきます」
手元に持っているバインダーには白い紙が何枚も挟まっていた。その紙を見ながら1人ずつ発表していく。
50m自由形で呼ばれたのは、桜木春香、秋空楓、小島順菜だった。
誰もがこの3人が選ばれることはわかっていた。だからなのか、同じ50m自由形を泳いだ部員も他にいるのに、自然と「悔しい」ではなく「当たり前」と思ってしまうのは。
今までしてきた努力も、水泳に対する「本気」も「覚悟」も、どの部員よりも勝てないとわかっている。
理解しているから、納得している。理由はそれだけで充分だった。
100m自由形は小島順菜とその他2名が選ばれて、そのまま200m自由形に移っていく。
桜坂花蓮は200m自由形になるまで少し待つだけでいいはずなのに、時間の経過が遅く感じていた。手や額から変な汗が出てきて、プールから出た後に拭き取れていないのか、それとも、この緊張感が支配している空間のせいなのか、そんな簡単なことさえも正常な判断ができないほどに疲弊していた。
『タイム測定の結果発表ってこんなに緊張するものだっけ?』
真面目にも本気でやっていなかった中学時代はもっと気楽でいて、緊張したこともなく顧問の結果発表を待っていたことを覚えている。でも、それは「大会に出れたらいいや」と思っていたことが心のどこかにあって、そんな甘い考えで県大会に出ようと思っていたからに違いないと、今この場に立ってみてわかったことだ。
だが、そんな気持ちで今この場に立っていない。
タイム測定での泳ぎは確かに田崎怜奈には負けた。しかし、負けたが手応えがないわけじゃない。今の自分の泳ぎは中学時代に比べれば自信がある。
それでも、周りの部員も吉岡理恵の指導のもと確実に泳ぎも良くなり、体力も上がっているために万が一で充分に呼ばれないことはあり得る。
「努力が必ず報われる」そんな言葉があるが、これは成功者が言えることだと思う。だって、失敗した人間がこの言葉を使ったところを見たことがあるだろうか?
言葉には力があるとされてはいるが、それが本当だとしたら成功者や合格者だらけになってしまうし、成功や合格をした人間の反対には失敗や不合格の人間が存在しているから成り立っている。この世に「絶対」と「必ず」なんていう偽物の言葉などないのだ。
200m自由形の県大会出場候補といえば、田崎怜奈と南條愛美が部内でも県大会の出場の枠はこの2人でほぼ決まりだろうと噂にはなっていた。
3人が選ばれるうちの2人は決まっていて、後1人の枠が争われており「そこの場所は誰なのか?」が問題となっている。そもそも場所はあるのか?それともないかは、タイム測定の結果を知らない水泳部員は想像をするところで止まっていたが、呼ばれない恐怖を考えるたびに想像をすることさえもやめてしまう。
考えたくはないのだ、呼ばれない自分を。
「200m自由形の方に移ります」
そして、非常にも200m自由形の発表の時がやってきてしまった。
1番最初に呼ばれるかもしれないのは3年生の田崎怜奈から先で、次に桜坂花蓮、南條愛美と続いていく。
あ行から始まり名前を1人1人言うこの瞬間だけは、中学生の時から「慣れないなぁ」と感じてしまうことの1つだった。ここで名前を呼ばれなければ、今まで苦労して1秒でも速く泳ぐために努力をしてきたことが全て水の泡となって消えてしまうからだ。
無情にも吉岡理恵の発表が始まる。
「3年生、田崎怜奈」
「はい!」
一瞬だけ桜坂花蓮は田崎怜奈の方を見ると堂々とした佇まいで、その周りでも誰かが悲しんでいるものはいなかった。
他に泳がなかった3年生がいないわけじゃないが田崎怜奈を前にして、誰も自信を持っている部員はいない。それだけ、田崎怜奈という本気で水泳をしている少女の存在は脅威と思われている。
「3年生は以上で、2年生はいません。1年生の方に移ります」
その言葉で秋空楓の出場はなくなった。
知っている先輩だから、呼ばれなくてよかったと思うのは失礼ではあるのは百も承知だが、桜坂花蓮は喜んでしまった自分がいてそんな自分のことが嫌いになりそうだ。
吉岡理恵の口から「お」以外でいった場合は即アウトで桜坂花蓮の1年生の水泳はここで終わりで、後は練習をし大会に行った時は応援席で応援をするだけとなる。
聞こえてきた言葉は「お」であった。だけど、ここで安心してはいけない。確実に自分の名前が呼ばれるまで、決して喜んではだめだ。もし、違う人だったらぬか喜びになってしまう。それだけは、避けたいからだ。
次に呼ばれる言葉が「う」であることを祈りながら唾を飲み込んだ。
そして、非常にも名前が呼ばれる瞬間が訪れる。
「桜坂花蓮。南條愛美。200m自由形は以上です。次にー」
「はい!」と返事をした後に思わず、嗚咽が止まらなくなりそうになり手で口を押さえた。
『や、やった…私が県大会出場できた…う、嬉しい…こんなに嬉しいことはない…』
桜坂花蓮は呼ばれた後も結果発表は続く。自分じゃない名前が呼ばれて泣く者、座り崩れる者、呼ばれて友達に抱きつく者、様々な人がいるのがこのタイム測定の結果発表の場だ。
「最後になりましたがリレーの方を発表したいと思います」
桜坂花蓮はこの言葉を聞いて一瞬だけ南條愛美を見たが、そこにいたのは堂々とした姿の南條愛美ではなく、不安で表情が埋め尽くされた南條愛美がそこにはいた。
不安があるのはわかる。
相手をしているのは田崎怜奈と50m自由形を個人種目で選択している、小島順菜、桜木春香、秋空楓だ。しかも、南條愛美は小島順菜に敗北しているから、吉岡理恵が言う前に自分が呼ばれるのかわかりきっているのかもしれない。それでも、桜坂花蓮は南條愛美がリレーで泳ぐ姿を見たいとそう心の底から思えた。
「フリーリレーからいきます。3年、田崎怜奈、小島順菜」
「「はい!」」
この2人が呼ばれるのはわかりきっている。問題はこの後の2年生で2人同時に呼ばれるかどうかだと思っていた。
南條愛美の目から見ても桜木春香、秋空楓はかなり速い。さすがに、専門で泳いでいる実力は伊達ではないということだ。
勝てているかどうかは五分五分といったろところか?いや、それ以下だろうと感じた。
「2年、秋空楓、桜木春香」
「「はい!」」
南條愛美は「やっぱり、だめだったか…」と薄々、勘づいていたからこそ凄く悔しいという気持ちにもなれずにいる。
それよりも、来年、再来年に桜坂花蓮と一緒に泳ぐために明日からの練習をちゃんとしなければいけない、と前へ向くことを自分自身に言い聞かせた。
ここにいる誰もが思うのは呼ばれない部員に対して失礼で身勝手な思い、それは「自分さえ呼ばれればいい」という思い。
「自分が呼ばれないよりはまし」だと「自分が呼ばれたい気持ちが強く強く出てしまう」のは決して、非情でも、人間としても失格でない。
これはある意味で戦争だ。戦争なのだ。県大会出場を賭けて、泳ぎという名の銃を手に、今まで積み上げてきた技術で人を殺す。そして、生き残り、名前を呼ばれる。それだけのことだ。
名前が呼ばれず、山積みになっている屍の1人となるか、戦地を生き抜いた1人の水泳部員になるかはこれまでの水泳に対しての生き方次第。
今日この場で呼ばれた水泳部員達は、青春と人生を水泳に捧げた覚悟ある者達だ。それ以上でも、それ以下でもない。
水泳は友達も先輩も全員が敵であり仲間でもある。
これは水泳部員達が青春を水泳に捧げているだけの、どこにでいるような部活に一生懸命な女の子達の話だ。
「君は水泳という名の青春に飛び込めるか」1年生-序章-終わり




