16話「今の自分が何をしたいのか?」
個人種目のタイム測定が終わった翌日の日曜日にリレーのタイム測定に関しての説明が行われた。
リレーのタイム測定に参加するのは、吉岡理恵からの選抜メンバーと自主的な参加組にわけられていて、桜坂花蓮は一応選抜メンバーに含まれている。
選抜メンバーは、田崎怜奈、小島順菜、桜木春香、秋空楓、南條愛美、桜坂花蓮とその他の水泳部員がメンバーに選ばれていた。
桜坂花蓮は選抜メンバーに選ばれたのを凄く嬉しく感じたが、どう考えてもリレーメンバーの役者は揃っていて自分自身は「取り敢えず候補」と言われているような感じがしてならない。
それに、「自分自身の泳ぎ」「飛び込み」「クイックターン」などを改善して200m自由形に臨まないといけないのでリレーになど構っている余裕などないのが本音。
すなわち、リレーの参加を断ろうかとこうして悩んでいるというわけで、もし桜坂花蓮が抜けたとしてもいいメンバーは揃っているので戦えるのはわかっていた。
リレーのタイム測定が行われるのは土曜日で時間の猶予があるため、部活の練習から帰ってきた桜坂花蓮は自宅の自室で自問自答していた。
歩き回ったり、椅子でぐるぐる回転したり、ベッドで枕を抱きながら動き回ったりしていて落ち着きがとにかくないのが現状で、自分がまさかリレーの選抜メンバーに選ばれるとは考えもしなかったからだ。
「落ち着かない」
自室の扉を開けてリビングに入る。冷蔵庫を開けて麦茶を取り出し、コップに注いで麦茶を飲み込んだ。
麦茶を飲みほして、冷静に自分自身が今したことを考えてみることにした。
『私がしたいことは200m自由形を今よりもワンランク上の状態になんとしてももっていかないといけない。そのためには「泳法」「ドルフィンキック」「クイックターン」を今よりも精度を上げて体力もつけないといけない。それに、私は田崎先輩にも愛美にも勝ちたい。そして、全国に行きたい』
そう思った時には答えはもう出ていた。
桜坂花蓮が迷って迷って捻り出した答えは「200m自由形に専念する」で、吉岡理恵に言うのは今からでも凄く緊張はしてきてしまうが、自分がやりたいことを貫こうと考えている。
『だって、これは私の水泳だから』
心の中でそう言いながら、誰に否定されようとも自分自身の水泳の道は自分で決めると言っていた。
桜坂花蓮は来年も再来年ことも考えていて、そのためには今から準備をする必要性がある。
まだ見ぬ、新入生達や他校の部員に負けないように。
「よし、これでいく!今日はもう寝る」
そのまま、コップを洗い歯磨きをして自室に戻っていった。
次の日になり、桜坂花蓮は朝練のために早起きをし学校に着いて直ぐに、吉岡理恵に自分の気持ちを伝えるために職員室を訪れていた。
「失礼します〜」
「どうしましたか?桜坂さん」
複数名の先生方もいるなかで職員室の扉の近くでちょうど吉岡理恵がコピー機を使っているところで、偶然にも鉢合わせしてしまう。
「吉岡先生に話したいことがありまして」
「わかりました。職員室の隣の空き教室で待っていてください。このプリントをコピーし終えたら向かいますから」
「わ、わかりました」
そのまま桜坂花蓮は職員室を出て隣の空き教室で待つこと数分、吉岡理恵が入ってきて、椅子に座ったのを確認して桜坂花蓮の口から本題を話し始めた。
「今日、来たのは私のリレーのタイム測定のことなんです」
重苦しい空気が空き教室を覆い尽くすなか、桜坂花蓮は吉岡理恵の反応をまった。どう感じ取ってるかわからないなかで、手汗がどんどんかいていくのを感じる。
緊張をしつつ吉岡理恵の出方を待つのは、心が疲弊し早くこの空き教室から出たいとさえ思えてしまう。
「選抜メンバーに選ばれたのは光栄ですし、嬉しいのですが…私としては200m自由形に専念させてほしいので辞退させてほしいです」
言い終えた後に「ごめんなさい」という意味を込めて頭を下げた。
それは吉岡理恵の目を見るのが怖かったから、極力目を合わしたくはないと心のどこかで考えているからそうしてしまったかもしれない。
だって、部活動に所属しているのならリレーにだってちゃんと参加すべきだからだ。
今、言っているのは単なる桜坂花蓮のわがままで清流高校水泳部の一員としての自覚もない発言であることは間違いない。
『何を言われても、受け入れる覚悟だ』
桜坂花蓮はこのことを言うと決めた時には腹を括っていた。
決意の宣言をして、黙っていた吉岡理恵の口がようやく開いた。
「わかりました。桜坂さんが望むのであれば、私は全力で背中をおしましょう」
あまりにもあっさりとした返事に桜坂花蓮は愕然としてしまった。
ここで一悶着あり、吉岡理恵と喧嘩をする覚悟で来たというのにこの「話は終わりですね」という雰囲気が少し困惑させる。
「それで終わりでいいんですか?水泳部として考えるのなら、私が言ったことはわがままなことなんですよ」
「桜坂さんが言っていることもよくわかります…ですが私としては、部員の皆さんにもそれぞれの考えがあると思っています。「個人種目に集中したい子」「憧れの先輩とリレーで泳ぎたい子」と色々とあると思っていますし、それに私はその思いを全力で背中を押すのが顧問であり、教師だと思っていますので、私は桜坂さんを含め部員全員がやりたいことをさせてあげたいのです」
「そうですか…」
その言葉を聞いて「こんな教師もいるのか…」と思ってしまった。
確かに言っていることは立派だが、その全部が叶わないのも事実なのは本人である吉岡理恵が一番よくわかってはいる。
誰かが言うかもしれないそれは「理想論」だと。
でも、吉岡理恵は「教師とは生徒を導き貴重な学生生活を有意義なものにする」というのが考えだ。誰に何を言われようとも、その考えだけは揺るぎわしない。
桜坂花蓮は立ち上がり、頭を下げながらこう言った。
「ありがとうございます。これで200m自由形に専念できます」
「はい、泳ぎ楽しみにしていますよ。それと、専念したい理由は田崎さんと再戦したいからですか?」
「そうです。この前のタイム測定で負けて、悔しくて悔しくて思わず泣いて、もう誰にも負けたくないって思えました。まだ、こんな私にも水泳を本気で頑張りたいと思える気持ちが残っているとは思えませんでしたが…」
「「こんな、私」なんて言わないでください。私は、桜坂さんが本気で水泳に向き合っているのを間近で見ていますから」
「はい、いい結果になるような泳ぎが出来るようにします」
吉岡理恵からの言葉を聞いた瞬間に桜坂花蓮は思わず「嬉しい」と感じてしまっていて、それは生半可な気持ちで水泳をやっていた時には言われない一言であり、桜坂花蓮が本気で水泳に向き合っている証拠でもあった。
「今日はありがとうございました、失礼します」
そのまま、扉を閉め空き教室を出ていきながら、桜坂花蓮は吉岡理恵という奇跡の巡り合わせで出会えたことに感謝をしたいと心の底から思えて、この学校に入学しなかったらきっと「もう一度水泳を本気でやりたい」なんて思わなかったことだろう。
顧問の先生も部員も学校の生徒は選ぶことはできない。
だからこそ、この出会いが運命と言わざるおえないだろう。
空き教室に残っている吉岡理恵は、桜坂花蓮の気持ちを聞いて彼女の泳ぎがどうなっていくのか間近で見ていくのが楽しみになってくる。
「桜坂さんの泳ぎはどうなっていくのでしょう」
そんな独り言を呟きながら、朝練で水泳部の人達が待っているグラウンドに向かっていった。
桜坂花蓮のことは朝練の時に吉岡理恵からの説明があり、その時に初めて南條愛美と武田佳織里は桜坂花蓮の決断を知ることになった。
詳しく事情を聞いたかったが、練習にちゃんと取り組むことを優先したために聞く頃には放課後の部活の終わりの時間帯になっていて、帰り道で話し始める。
「朝のことなんだけど、あれは1人で決めたの?」
「うーん、そうだよ。「今の自分が何をしたいのか?」って考えたら、200m自由形をもっと上手くやれるようにしたいし、それに泳ぎでもそれ以外でも全て田崎先輩に劣っているって気付かされたから」
「そっか」
それを言われてしまうと何も言い返す言葉が見つからずに少し黙る。
別に南條愛美は「清流高校水泳部にもっと貢献しなさい」とかを言いたいわけではなく、「どのような理由で決めたのか?」が個人的に気になってしまったから聞いてしまっただけだった。
そして、もう1人南條愛美の隣にいる武田佳織里は桜坂花蓮のある言葉が凄く気になってしまっていて、その言葉というのは「今の自分が何をしたいか?」で、桜坂花蓮と南條愛美の話が耳からすっと消えて自分の世界に飛び込んだ。
『「今の自分が何をしたいないのか?」かぁ…今の自分は「泳ぎ」「飛び込み」「ドルフィンキック」「クイックターン」の技術が全てが他の部員より劣っているいるところかな…いや、それは私が初心者だから仕方のないことなんだけれども…』
今の自分に足らないところを洗いざらい出したところで、次に「今の自分がもっと上手くステップアップしていくためにはどうしたらいいか?」と考えを巡らせることにした。
『今の泳ぎを将来的に大会に参加できるような泳ぎにするためには、自分に合っている種目と距離を考えないといけないとは思うけど、初心者の私はそれすらも長い時間かけて考えるわけにはいかない。それに、この前泳いで気がついたことがある。私は、クロールと50mの距離を泳ぐのが楽しいことに気が付いてしまった。愛美が言っていたように泳いでみないとわからないこともあるんだな…だったら、もっと50m自由形を極めたい!そのためには、得意な人から教えてもらいたい』
そう決めた武田佳織里は明日の部活の時間が早くこないかぁと楽しい遠足が次の日にあるような感じで考えてしまっていた。
清流高校水泳部において、50m自由形がもっとも得意な人物といえば、桜木春香と秋空楓である。簡単にいえば、その2人に弟子入りに近いような形で手取り足取り教えてもらうとしているわけだ。
そして、時は巡り次の日の部活の時間がやってくる。
「あの、桜木先輩、秋空先輩ちょっといいですか?」
放課後の部活の時間が終わりを迎え、桜木春香と秋空楓はいつものように宵宮夏美と霜月真冬と一緒に帰りの準備をしていたところに武田佳織里は話をかけた。
「いいよ〜」
「私も…別に…」
「あ、ありがとうございます」
「そんなにかしこまんなくてもいいよ〜夏美、真冬、先に駐輪場に行ってて〜」
2人は「後輩いじめとかするなよ〜」と冗談を言いながら去っていき、「さてと」と振り向きながら桜木春香は緊張している武田佳織里を落ち着かせるように話し始めた。
「緊張しないでリラックスして、話したいことって何?」
「えっと…」
言おうと決めて話しかけたとしても本人を目の前にすると、声が出てこずに足は震えだし緊張をしてくる。
「緊張しないでリラックスして」と言われても無理な話で、武田佳織里は一度深呼吸をして言おうとしていることを一言一句間違いように口を動かした。
「私に50m自由形を教えていただけませんか?」
「なるほど…教えてあげたいのはやまやまなんだけど…」
「私は私で大会に集中したい」と口から出かかった言葉を寸前で飲み込んで、それは言った本人でさえわかっていて言ったことだろうと考えたからだ。
県大会前のこの大事な時期に「教えてください」と言われて素直に「はい、喜んで」という水泳部員はいないのは当たり前で、自分自身の泳ぎを極限まで高めて上に行きたいために練習する期間である。
なので、このタイミングで言うのは怒られても断られても仕方がないこと、だからこそ桜木春香は心の中で「ごめん」と言いながら上手く武田佳織里を傷つけないように断ろうとしたタイミングで秋空楓が口を開いた。
「それは…本気で言っているの?」
「は、はい!勿論です」
秋空楓は武田佳織里の目をじっと見つめて、何かを考えていた。
この場にいる人の中で桜木春香が一番秋空楓と長い付き合いになるが、それでもこの場での秋空楓の考えはわからない。
普段の秋空楓は表情も機械のように変わらないし、水泳以外に自ら率先して何かをしようともしない、いつもの4人でいてもただ黙っていているだけになってしまうような存在。
それでも、一緒にいるのは秋空楓と泳ぐ水泳は楽しくて、なにより「勝ちたいし負けたくない相手だから」意外に理由なんてなかった。
「そう…厳しいと思うよ…それでも、めげずについてくる?私は…本気でやらない人には興味ないから…」
「わかってます!」
「わかった…でも、その言葉が嘘だと私が判断した時点で辞めるから…じゃあ、明日からね…」
「あ、ありがとうございます!」
頭を下げて隠れている顔と手は、「よし!」と誰もが見てもそう言っているように聞こえるように物語っていた。
「じゃあね…」
「はい!お疲れ様でした!」
秋空楓が何故そう言っちゃのかわからずに桜木春香はただ茫然としている中で、桜木春香を置いて秋空楓は歩き去ろうとしていたところを慌てて跡をついて行き、後ろで頭を下げ続けている武田佳織里の距離を確認して小声で話しかけた。
「ど、どうしていいなんて言ったの?今がどんだけ大事な時期かわかっているよね」
「それは…知っているよ…」
「じゃあ、なんで…」
リスクを背負っているにも関わらず「わかった」なんて言うなんて桜木春香は不思議に感じた。
それに今の大事な時期に「武田佳織里に教える価値があるのか?」と言われれば「それはない」と断言できる。
武田佳織里は50m自由形を泳ぐ仲間かもしれないが、所詮は仲間意識といいうのは清流高校水泳部という枠組みの中だけに過ぎないわけで、個人種目である水泳に対して追い込む時期に教えるメリットは教える側には一つもない。
それなのに、「どうして?」という疑問は秋空楓が口を開いて明らかになった。
「本気の目を…していたから…」
「本気の目?」
たった一言そう言って黙り込んだ。
秋空楓にとって理由なんてそれだけで充分だった。
「そう…私達だって、初心者の時はあった…あの時も、「もっと上手くなりたい」って思いながら練習をしてここまできた…それは、水泳に対して本気だったから…私は、そういう人を見捨てたくはない…」
そう宣言して桜木春香の心を斬り付けられたような痛みを感じた。
自分のことしか考えていない自分自身をぶん殴ってやりたいくらいに悔しい。
水泳のことが大好きで、水泳のことを一番に考えているからこそ、「誰かの本気で水泳をしたい声に応えるのは当然なんだ」と桜木春香は秋空楓に対してそう感じた。
「決めた!私も手伝う」
「なんで?」
「うん?楓のそういう考えるところが大好きだし、尊敬しているからだよ〜」
「理由になってない…」
秋空楓にとって理由になっていなくても桜木春香の言ったことは本心の言葉だ。嘘は一つも含まれてはいない。
恥ずかしいという気持ちが生まれないわけではなかったが、この気持ちは言葉にしないと伝わらないと思ったし伝えたいとも思った。
「じゃあ、帰ろう〜今週は、リレーのタイム測定だしね〜」
「うん…」
今年の1年生や最後の大会を控える3年生もいるけれど、誰にも負けるつもりはもうとうない。
だって、「秋空楓と一緒に泳ぐのは私だ」といつも思っているからだ。
「今年も一緒にリレー泳ごうね」
「うん…一緒に泳ぐの楽しみにしてる…」
夕日の眩しさに焼かれながら、そう2人は誓い合った。




