15話「敗北者の叫び声」
桜坂花蓮、田崎怜奈の両者共に飛び込みの構えは綺麗でいいスタートをしているように見える。
少し違った点と言えばドルフィンキックの「力強さ」「回数」「スピード」が田崎怜奈の方が上回っているから、前へ進むのが速く桜坂花蓮を圧倒的に上回っており15mに到着したのは田崎怜奈が最初だ。
田崎怜奈のドルフィンキックは、足をしなやかに動かしたの同時にお腹も動かす動作が素早く、そのお陰で15m付近に行くのが速い。
しかし、桜坂花蓮は一般的な普通のドルフィンキックで、誰が見ても「だいたい出来ている」と感じてしまう出来だ。ある程度しかできていないために、「力強さ」「回数」「スピード」も全然足りてはいなかった。
桜坂花蓮が15m付近に行ったのはかなり遅く、田崎怜奈は1人分くらい先の所にいて、置いてけぼりをくらってしまっている。
『そんな先の所にいるの?』
息継ぎのタイミングで一瞬見た桜坂花蓮は自分の想定よりも先にいることに困惑してしまう。
『最初の段階でこんなに差がついていたら、田崎先輩に勝てない』
桜坂花蓮の想定では、「ほんの少し前にいる」と思ってはいたがこんなにも離されるとは思ってはおらず、少し焦りそうになり気持ちを落ち着かせた。
『何を焦ってるんだ…まだ、始まったばかりだろ…勝てる要素がなくなったわけじゃない、勝負はこれからだ』
自分自身に喝を入れて、後ろ向きになってきた気持ちを強引に前へ向かせる。
田崎怜奈が先頭は変わらず、その後方に桜坂花蓮にいるかたちで50m折り返しの時間がやってきた。
田崎怜奈がクイックターンを始める。正確と素早さを両立したクイックターンとドルフィンキックで清流高校水泳部の誰よりも素晴らしい出来で圧倒していく。
数秒遅れで桜坂花蓮が50m折り返しに入っていき、そのままクイックターンで回っていったが、正確で基本に忠実ではあった。
しかし、田崎怜奈よりも「素早さ」では負けていて、更に距離が離されてしまう。
そのせいか、桜坂花蓮の脳内には着々と焦りが支配していく。
『花蓮ちゃん、遅いなぁ。これが本気だとしたら、がっかりかな』
田崎怜奈は後方の桜坂花蓮ことは少し目を向け、自分自身のペースを維持しつつ去年の自分を超えられるかどうかも考えながら泳いでいた。
南條愛美には以前に「彼女は私には勝てないよ」と言った手前、この戦いは負けられない戦いになっていたが「想定したよりも桜坂花蓮が遅い」と感じている。
そうは思いつつ、今日のあの時にタイム測定の相方に選んでくれたことは素直に嬉しかった。
選んでくれなかったら、自分で言いに行こうかと思ってはいたが、向こうから来てくれて「私のことを倒したい相手と思ってくれたのかな」と思ってしまっていたけど、いざタイム測定が開始されるとその思いも徐々に薄れていってしまう。
『気持ちを切り替えよう。頭から花蓮を追い出して、去年の自分の記録を追い抜くことに全力を注ぐ』
田崎怜奈の気持ちは後方で泳ぐ、「桜坂花蓮」から「去年の記録を抜く」という気持ちにシフトしていく。
そんな苦境に立たされている桜坂花蓮は全然田崎怜奈に追いつけないでいて、100mの折り返しの時がやってきてしまう。
両者共に100mの折り返しをやっても、状況は変わらずに田崎怜奈とは更に距離が離されて、流石に桜坂花蓮は焦る。
『もう、序盤だからとかそんなことを言っている場合じゃない…このままじゃ負ける…多分、推測だけどクイックターンとドルフィンキックが私よりも上手い』
その推測は大正解をあげたいぐらいに当たっていたが、それを打破出来ることは不可能だと断言できる。
桜坂花蓮が中学1年生の時に練習を真面目にしていれば、こうはなっていなかったのだ。
「泳ぎ」「ドルフィンキック」「クイックターン」全てが現状で田崎怜奈に負けていて、田崎怜奈と桜坂花蓮の水泳がくっきりと線引きがされたというわけで、この状況を作り出したのは桜坂花蓮が真面目に取り組まなかったのが原因である。
しかし、いじめに近いことをやられたなかで「真面目にやれ」は無理な話ではあるが、その状況だったとしても桜坂花蓮は「水泳を真面目に取り組めばよかった」と後悔してしまう。
『ここからでも、スピードを上げても問題はないはず。体力はまだある、いける』
そのまま、加速を始め追いつこうとするがなかなかに距離が離れていて追いつけないでいる。
『どんだけ離れているの?こんなに飛ばしているのに…』
桜坂花蓮は冷静さを欠いていた。経験者ならわかるはずのことは抜け落ちていることに気がつかない、それは加速をするということは体力も消耗が激しいことだ。
その時が訪れたのは、150m折り返しの時だった。
いつものように折り返して、田崎怜奈が先頭をキープして「ここから追い抜くぞ」と桜坂花蓮が意気込んで壁を思いっきり蹴飛ばしたで、腕と足を思いっきり掻いたが、前へ進んでいる感じがしないことに気がつく。
『体力がない…追いつかないのか…負けるのか…それは、悔しいな。あれ、悔しいなんて思ったの、いつぶりだっけ?』
桜坂花蓮は自分の中学時代を思い出してみると、中学3年生の時に新入部員に負けた時以来にこんなに悔しいことはなかった。
「田崎怜奈に勝ちたい」そうは思っても体が限界に近づいてきて、思いとは正反対になっていく。
田崎怜奈との決定的な差は、練習量の違いではない。技術の差は勿論あることはあるが、そこに至るまでの練習での取り組み方が違う。
中学時代の田崎怜奈は桜坂花蓮と同じような平凡な水泳部の1人だったが、先輩の泳ぎに憧れて自分の泳ぎの修正に取り掛かったために、成績が鰻登りとなりいい結果を残せるようになった。
この対決は「ただやっているだけになった水泳部員」と「自分の泳ぎを修正した水泳部員」の対決であり、どう考えても桜坂花蓮が勝てる要素がない。
だって、練習を真面目にやってない人間に未来なんてないからだ。
『本当に残念だよ。花蓮がこの程度とはね…でも、こんなことで簡単に諦めないでよね』
「こんなこと」とは簡単に言うが、その解釈は人それぞれだ。
「実力がない」それでもいい、「練習量が足らない」それでもいい、よは自分が納得するだけの理由があればいい。
一番の問題はその後だ。挫折を味わいもう一度頑張るのか、それとも諦めるのか、田崎怜奈が見たいのはそこだった。
個人的な感情を乗せてしまえば、「もう一度奮起して、私にぶつかってこい!」と田崎怜奈は思っている。
だが、その選択をするのかは桜坂花蓮次第だ。
当たり前だが先にゴールしたのは田崎怜奈で、その後遅れて桜坂花蓮がゴールをして、田崎怜奈と桜坂花蓮の戦いは終わりを告げた。
盛大に敗北をした桜坂花蓮はベンチに座ったまま前を見つめていて、清流高校の応援する声もプールの音も桜坂花蓮の耳には届いておらず、先程行われたタイム測定のことを引きずっていた。
そのまま時間が過ぎていき、南條愛美に「全部終わったから、吉岡先生が話をするって」と声を掛けられるまでタイム測定が終わったことに気がつかなくて、適当に「うん…」と受け答えをした立ち上がる。
吉岡理恵の話が始まるが、桜坂花蓮の耳には断片的にしか聞こえておらず「来週はここでリレー関係のタイム測定をする」と「今日の結果はまとめが終わり次第話します」の2点はなんとか耳にいれることができたくらいに、精神的にも気持ち的にもやられている状態だった。
小島順菜の「ありがとうございました」の一言が終わった後に部員全員の声が重なり、今日の練習は終わりとなる。
このようなプール上では温水が出るシャワーがあり、そこで髪や体にこびり付いた塩素を落とすのが普通で、部員一同は混む前に早く着替えたいために早歩きをしている部員が多数いた。
しかし、桜坂花蓮の足取りは遅く、南條愛美と武田佳織里は声を掛けようとしてやめてそのまま横を通過していく。
桜坂花蓮がシャワー室についた頃には、部員達はまばらにいるだけになっていた。
ゴーグルとキャップを水着の肩の所に挟み込んで、温度を熱めに水量を勢いよく出して、周りの部員や一般のお客さんに聞こえないようにしてから、桜坂花蓮を大声を出し始めた。
「私のバカァー!くそっ!くそっ!くそっ!くそっ!何やってるんだよ!私は!」
涙を流しながら叫ぶ。その涙はシャワーの濁流と共に流されながら、タイルを握り拳で叩き、足で蹴り上げながら暴れていた。
「はぁ…はぁ…」
少し息を切らしながら、先程の田崎怜奈との泳ぎが頭の中を走馬灯のように駆け巡っていく。
思い出すだけでも、「情けなくて恥ずかしい泳ぎをしたな」と「私の練習不足」の後悔と悔しい気持ちが更に涙を加速させていった。
「上手くなりたい…」
ぼそっと呟いた一言。
それは桜坂花蓮が今一番叫びたいことの一つだった。
「上手くなりたい…上手くなりたい!上手くなりたい!上手くなりたい!上手くなりたい!上手くなりたい!上手くなりたい!上手くなりたい!上手くなりたぁぁぁぁい!」
最後の方は声が掠れて聞くに堪えないような状況だったが、自分の今一番抱えている気持ちを叫び、心が落ち着いたように感じた。
『こんなに私って水泳に対して、まだ本気だったんだ…あの時、愛美の誘いを断らなくてよかった…』
こんな気持ちが自分自身の中にあることに驚いてしまったが、田崎怜奈、南條愛美と隣に並び立てるではなく超えるような実力のある水泳選手になりたいとそう感じて、シャワー室を出た。
「遅かったね」
南條愛美は一言だけそう言うと、それ以上追求をしてこないで桜坂花蓮の回答を待っている。
目の周りは泣いた後みたいに腫れ上がっていて泣いていたことがバレバレなはずなのにあえて聞いてこない。
でも、聞いてきたら逆に自分自身の気持ちが、もう一回込み上げてきそうだったので追求しないで放って置いてくれて助かったとも感じた。
「まあね。色々と考えていたんだよ」
「そっか…先に行っているからね」
「うん」
何かを言いたくてでも言い出せない武田佳織里を連れて南條愛美は更衣室を後にする。
静まり返った後に黙々と水着から体操服に着替えて、キャップと水着を乾燥機に入れて忘れ物がないかをチェックして、乾燥機の音が止まり水着、キャップ、ゴーグルを防水のバックに詰めて更衣室を出ようとした時に呼び止める声が聞こえて、その方向を振り向くと、今一番会いたくない人が立っていた。
「田崎先輩…」
いくら桜坂花蓮のシャワーが長かったといえ、誰かが来るとするならば田崎怜奈ではなく小島順菜が来るものだと勝手に決め付けていた。
会いたくないとは思えど、田崎怜奈に対して沸々と湧き上がる感情は「負けたくない!」で「この人と戦いたくはない」などど逃げ腰ではなく、怪物に立ち向かう狩人のようでもある。
だからこそ、田崎怜奈と自分自身に対してこう宣言した。
「次は負けませんよ」
田崎怜奈の目を見るのはとても怖く感じたが、見つめる先を変えることはなく、そのまま覗き込んだ。
桜坂花蓮は戦ってわかったことがある。田崎怜奈の泳ぎは誰よりも真剣で真面目で水泳以外のことがどうでもいいような、水泳に対して情熱が熱すぎるほどに懸けている女の子のだと。
『私もここまでしないと上には行けない…そうでもしないと県大会で負けるかもしれない…そんなの嫌だ!私は勝つんだ!田崎先輩にも、愛美にも、誰にも負けたくない!』
水泳に対しての情熱は少し消えてしまっているかのように感じてはいたが、未だに消えないでいる蝋燭の炎のような存在は、まだ自分の中にあったんだと初めて感じることができた。
「その言葉を待っていたよ…じゃあ、楽しみに待っているね」
そのまま手を振りながら、更衣室から出ていった。
嵐の後の静けさのように、更衣室は静まり返り残すは桜坂花蓮だけになる。
「絶対に負けない」
もう一度決意の言葉を言った後に、気合を入れ直すために頬を叩く。
「よしっ!」
涙を流して悲しみでいっぱいだった表情はもう薄れて、引き締まった表情に変わり更衣室を後にした。
受付にて吉岡理恵の話が終わり、そのまま学校から来た道を部員の親の車で送迎の途中で、田崎怜奈は桜坂花蓮や武田佳織里と他の部員が疲れて寝ていることを確認して、南條愛美に話をかけた。
「愛美、起きてる?」
「はい、起きてます」
「じゃあ、少し話さない?」
「はい、いいですよ」
他の水泳部員がタイム測定の疲れで寝ているなかで、田崎怜奈と南條愛美は話し始める。
南條愛美は田崎怜奈の口から何を言われるのかはわかっていて、きっと今日のタイム測定のことでその中でも桜坂花蓮のことだろうと想像がついていた。
「花蓮ちゃんとの戦いは見ていたと思うけど、前に朝練で言っていた通りになったでしょ」
「そうですね」
冷静に言いつつも心の中では冷や汗が止まらなかった。
それは泳ぎを見て「自分よりも圧倒的に速い」ことがわかってしまったからに他ならない。
「全国大会行くにはこの人を倒さないといけない」のは重々理解はしているつもりではあったが、「勝てないのでは?」と後ろ向きな考えが頭の中をよぎってしまう。
「勝ったのは私だけどね。花蓮ちゃんはまだ私に勝つことを諦めていないよ。私は今年でいなくなるからいいけど、花蓮ちゃんは将来もっと速い選手になると思うよ」
「花蓮がですか?」
「うん。あーあ、今年で引退したくないなぁー。花蓮ちゃんの成長を近くで見たい」
「怜奈、留年する気?」と田崎怜奈の母親の笑い声が車の中で響いたが南條愛美には一切聞こえていなかった。
「花蓮が私よりも速くなる?」と思うと危機感を覚えてしまう一方で「それはそれで臨むところだ」と思ってしまう自分も存在する。
だが、その気持ちは南條愛美が桜坂花蓮のことを誘った理由でもある「中学1年生の頃の桜坂花蓮」に戻りつつあるということで、胸の高鳴りが高まってくるのを感じた。
こうして、個人種目のタイム測定は終わりを告げ、次にリレーのタイム測定が開始される。




