第4話 パノラマ島の地獄絵図
記憶の濁流が博人の脳を叩き割る。
十五年前、廃ビルで行われた『パノラマ島』の密室読者会。狂気に取り憑かれ、乱歩の物語を現実で再現しようと暴走した兄・博文。そして、それを止めるために彼を押し倒し、井戸の底へ突き落とした自分——。
「思い出してくれたかい? 弟よ」
二階から飛び降りた博文が、音もなく目の前に着地する。その手に握られているのは、乱歩の『孤島の鬼』に登場するような、奇妙な装飾が施された古い拳銃だった。
「俺は……俺はあの日、お前を殺したはずだ。警察にも通報せず、恐怖で記憶を塗りつぶして……!」
「肉体は死んださ。だが、この『RANPO SICK』という病は死ななかった」
博文は自分の胸を拳で強く叩いた。そこからは肉の砕ける音ではなく、カサカサとした古紙が擦れ合うような異常な音が響く。
「君が世間への嫉妬と小説への執着を捨てるたび、僕の影は濃くなった。君の『描きたい』という狂気が、僕をこの現実に繋ぎ止めたんだ。この連続殺人は、君の脳内で完結しなかった原稿の、現実への侵食なんだよ!」
博文が銃口を向けたのは、身を寄せ合う冴子でも、額縁に囚われた元妻でもなく——博人自身の額だった。
「選べ、博人。ここで僕に撃たれて本物の『乱歩作品の犠牲者』になるか。それとも、そのペンを取って、僕を文字通り消し去る結末を書き上げるか」
博人は激しい目まいに襲われながら、ポケットのノートとペンを握りしめた。
指先から伝わる感触。これは現実か、それとも重度のアラキノイド(蜘蛛)の糸に囚われた自分の病床の夢なのか。
「博人さん、書かないで……!」
冴子が叫ぶ。
「そのノートに結末を書けば……あなた自身が完全に『物語』に取り込まれてしまう! あなたは現実の人間なのよ!」
しかし、博人の視界からは徐々に色彩が失われ、世界が白黒の活字の海へと変わっていく。額縁の中の元妻が悲鳴を上げ、椅子の陰から黒い蜘蛛が這い出し、神保町の古本たちが空を舞う。
博人は涙を流しながら、不敵に笑う「もう一人の自分」を見据えた。
自らのペン先をノートの最終ページへと突き立てる。
「……ああ、分かったよ、博文。俺たちの物語を……終わらせよう」
現実の自我を削り出すように、博人は最後の惨劇のプロットを走り書きし始めた。




