第六話 それぞれの説得
事件から3日目の朝だった。
特務騎士局の執務室に、3人がいた。アンディール・フィズサール。アルス・マフノ。レティシア・グティエレス。窓の外は、まだ朝の早い光だった。
アンディールが、簡単に役割を確認する。
「俺が比良坂家へ。アルスが鳴海家へ。それぞれ滞在先のホテルへ向かう。両家は同じホテルには通していない。鉢合わせれば、それだけで話がこじれるからな」
「了解です」
アルスが端的に返した。任務中の制服。黒髪をシニヨンにまとめ、表情は動かない。
「レティシアは、病院へ。だが——今日はまだ、正式な話はするな。探るだけでいい」
「はーい」
レティシアが軽く頷いた。
出かける直前、アルスがレティシアの方へ視線を向けた。紫水晶色の瞳が、静かにレティシアを捉える。
「くれぐれも、軽率なことは言わないように」
「分かってるって」
レティシアは肩をすくめた。
「探るだけ。約束する」
アルスはそれ以上何も言わず、踵を返した。アンディールも黙って続く。3人が、それぞれの方向へ向かった。同じ日、同じ時刻に、ひとりの少女の行く末を巡って——3つの場所で、別々の会話が始まろうとしていた。
◇
比良坂家が滞在するホテルは、帝都の中心部に近い、格式のある場所だった。
アンディールが案内されたのは、広い応接室だった。重厚な調度。分厚い絨毯。窓からは帝都の街並みが見下ろせる。
比良坂の祖父——比良坂厳哉が、立って待っていた。白髪交じりの短い髪。年老いてなお、がっしりとした体格。黒竜騎士団の重鎮にして、生粋の武人。その厳哉が、アンディールが入ってきた瞬間、目を細めた。
「特務騎士局の局長自らか。……孫の件だな」
「はい」
「綾目は我が家で引き取る。わしらが守る。それだけだ」
宣言だった。交渉でも協議でもない。最初から答えが決まっている目をしていた。
アンディールは椅子に座るよう促され、座った。厳哉も腰を下ろす。祖母は、少し離れた椅子に控えていた。この場は厳哉が仕切る、という構図だった。
210センチの巨躯が、ただ静かに椅子に座っている。それだけで、応接室の空気に重みが加わった。アンディールは声を荒げる必要のない男だった。存在そのものが、すでに圧だった。
厳哉も歴戦の武人だ。並の相手なら、その威圧に呑まれることはない。だが、目の前にいるのは、512年を生きたオーガロード。元・魔王軍八魔将のひとり。格が違うことは、武人だからこそ、肌で分かる。厳哉の眉に、わずかな緊張が走っていた。
「お気持ちはよく分かります」
アンディールが口を開いた。低く、静かな声だった。
「ただ——ひとつだけ、聞いてもらえますか」
厳哉が黙った。続けろ、という目をした。
「3日前、比良坂豪副団長の娘は、単独でテロリストのランドメイト3機を撃破しました」
厳哉の目が、わずかに動いた。
「あの日、エリシオン帝立学院の生徒たちを守ったのは、騎士でも、魔術師でもありません。15歳の、正式な訓練を受けたこともない少女でした。比良坂の血が——あの日、大勢の子供たちを守ったのです」
沈黙が、おりた。
アンディールは、続けた。
「問題は——その事実を、これからどう活かすかです」
「……続けろ」
「あの子には、正規の騎士教育が必要です。今の実力、そして持っている素養。それを正しく磨けば、どこまで伸びるか見当もつかない。騎士学校への編入は、帝国が正式にその才能を認めた証になります」
アンディールは、一拍置いた。
「比良坂豪副団長の娘が、騎士として、正式な道を歩む。——黒竜騎士団にとって、これほど誇らしい話が他にありますか」
厳哉の中で、何かが揺れるのが分かった。武人の誇り。その芯の部分に、言葉が刺さっていた。
息子の名。亡くした息子の、忘れ形見。その娘が、騎士の道を歩む——。
アンディールは、間を置かずに続けた。今が、最も重要な一手だった。
「ただし——在学中は、手を出さないでいただきたい」
厳哉の眉が、ぴくりと動いた。
「騎士学校は、帝国の教育機関です。そこに各家が干渉することは、帝国への越権行為とみなされます。後見の名のもとに口を出せば、せっかくの誇りに傷がつく」
「……」
「あなた方が、孫娘を信じているなら。あの子が騎士として育っていくのを、黙って見守る。それこそが——黒竜騎士団の、矜持というものではないでしょうか」
長い、沈黙だった。
厳哉は、腕を組んだまま、じっと一点を見つめていた。武人の頭の中で、誇りと、心配と、孫への情が、せめぎ合っているのが見て取れた。
やがて、厳哉が、深く息を吐いた。
「……卒業まで、か」
「はい」
「……いいだろう。わしの孫だ。騎士の道を歩むというなら、止める道理はない」
厳哉は、ゆっくりと顔を上げた。
「ただし——何かあれば、すぐに教えろ。あの子に万一のことがあれば、わしは黙っておらん」
「もちろんです」
アンディールは、頭を下げた。
(武人に話すなら、武人の言葉で。これでいい)
その時、それまで黙っていた祖母が、静かに口を開いた。
「あの子は……元気に、していますか」
声に、隠しきれない心配が滲んでいた。武家の女として気丈に背筋を伸ばしながら、それでも、孫を案じる祖母の顔だった。
「はい。体調は、回復しています」
アンディールは、わずかに声を和らげた。
「気丈な子です。自分のことより——あなた方に心配をかけたくない、という顔をしていましたよ」
祖母が、目を細めた。何かを堪えるような表情だった。膝の上で、その手がきつく握られていた。
アンディールは、それ以上は、言わなかった。言葉を重ねるべき場面ではないと、分かっていた。
◇
鳴海家が滞在するホテルは、比良坂家とは別の場所にあった。
2つの家を同じ宿に通すなど、最初から選択肢にない。両家の不仲は、今に始まったことではなかった。
アルスが通されたのは、落ち着いた色合いの応接室だった。鳴海家の祖父——鳴海宗一郎が、立って迎えた。礼節の整った老紳士。白竜騎士団の重鎮。だが、その目は、最初から警戒の色を宿していた。
「特務騎士局の副局長、自らとは。……大げさな話ではないかな」
「大げさではありません。それに見合う話です」
アルスは、淡々と応じた。感情を一切乗せない、平坦な声だった。
促されて、アルスは座った。宗一郎も腰を下ろす。祖母——鳴海紗雪が、宗一郎の斜め後ろに控えていた。
「比良坂綾目さんは、3日前、エリシオン帝立学院の生徒と教職員を、全員守り切りました。死者は、ゼロ。それが、結果です」
事実を読み上げるだけの声だった。そこに誇張も、感傷もない。だからこそ、言葉が重かった。
「その功績に対し、帝国は、騎士学校への正式な編入という形で応えようとしています。これは、帝国が彼女の才能を、公式に認めるという意味を持ちます」
宗一郎が、指を組んだ。考え込んでいる。感情では動かない男だった。だが、論理と格式には、必ず反応する。アルスは、それを見越していた。
「鳴海家は、白竜騎士団の重鎮として、帝国の伝統と格式を、長く重んじてこられた。その家の孫娘が、帝国から正式な評価を受ける。——この事実の重みを、分からないあなた方ではないはずです」
「……」
宗一郎は、すぐには答えなかった。
アルスは、畳みかけなかった。沈黙を恐れない。相手が論理を咀嚼する時間を、静かに待った。
やがて、アルスは、最も重要な一手を置いた。
「在学中は、騎士学校という帝国の正式な教育機関に、委ねていただく。各家からの干渉は——帝国の教育方針への、介入とみなされます」
宗一郎の眉が、わずかに動いた。
「白竜騎士団として、そのような立場を取ることはないと、信じておりますが」
「帝国の教育方針への介入」——その言葉が、部屋に静かに落ちた。
中立を保ち、帝国への忠節を家の誇りとしてきた鳴海家にとって、これ以上なく効く言葉だった。干渉すれば、自らの誇りを汚すことになる。アルスは、感情に訴えるのではなく、相手の価値観そのものを、論理の檻にしていた。
宗一郎が、ゆっくりと顔を上げた。
「……帝国の判断であれば。我々が、口を挟む立場にはない」
「ご賢察、感謝します」
「ただし」
宗一郎が、続けた。
「あの子自身が、その道を望んでいるのなら——それでいい。だが、もし本人が望まぬのであれば、無理強いはせぬよう、お願いしたい。あの子の意思を、何よりも尊重してもらいたい。それだけは譲れん」
「もちろんです。本人の意思は、必ず確認いたします。その上で、ご本人が望む道を歩めるよう、帝国が支えます」
その時、ずっと堪えていた祖母——紗雪が、たまらず口を開いた。
「あの子は……怖い思いをしたでしょう。大丈夫なのでしょうか。一人であんな……」
声が、震えていた。心配性の祖母の、嘘のない言葉だった。
「体調は、回復しています」
アルスは、紗雪の方へ視線を向けた。
「精神的にも、非常に強いお子さんです。ご心配されるほど、脆くはありません。それは、私が直接お会いして、確認しています」
紗雪が、その言葉を聞いて、ほっと肩の力を抜いた。
(鳴海家は、論理で動く。感情に訴えても意味はない。……想定通り)
アルスは立ち上がり、深く頭を下げた。格式を重んじる家には、最後まで格式で応える。それも、計算のうちだった。
◇
帝都エリシオン中央医療院の個室に、ノックの音が届いた。
「どうぞ」
扉が開き、レティシアが、ケーキの箱を抱えて入ってきた。金髪を揺らし、柔らかな笑みを浮かべている。昨日と同じ明るさ。ただ、その碧眼の奥に、昨日とは少し違うものが宿っていた。
「やっほー。また来ちゃった。ケーキ持ってきたよ」
「……ありがとうございます」
綾目は、ベッドの上で身を起こしていた。3日目ともなれば、体調はほぼ戻っている。あれほど続いた頭痛も、今はもう、ほとんど感じない。
「昨日より、顔色いいじゃん。ご飯、ちゃんと食べられてる?」
「食べられています」
レティシアが椅子を引いて座り、ケーキの箱を開けた。中には、ショートケーキが3つ。
「はい、これどうぞ」
「……いただきます」
フォークを手に取りながら、綾目は、ほんの少し戸惑っていた。
昨日会ったばかりの人が、当たり前のように差し入れを持ってきて、当たり前のように隣に座っている。居心地が悪いわけではない。ただ、自分には、こういう関係の経験が、あまりなかった。誰かが理由もなく会いに来る、ということが。
両親を亡くしてから、綾目の周りには、いつも「立場」があった。後見を巡って争う祖父母。腫れ物に触るように接する親戚。気を遣う同級生。誰もが、綾目を「比良坂と鳴海の孫娘」として見ていた。そこに、ただの「綾目」として会いに来る人間は、いなかった。
なのに、この人は——昨日も、今日も、ただ顔を見に来た。差し入れを持って。何かを要求するでもなく。
その距離の取り方が、綾目には、まだ少し、不思議だった。
「あ、そうだ」
レティシアが、思い出したように言った。
「知ってる? 帝国アカデミー、一週間休校になったんだって」
「……知りませんでした」
「テロの現場検証があるからね。しばらく校舎に入れないらしくて。一週間は休みだって」
綾目の頭の中で、計算が走った。退院は、今から4日後。アカデミーの再開は、それとほぼ同じ頃になる。
「……では、入院と休校が、ほぼ重なりますね」
「そうそう。だから、授業の遅れは気にしなくていいよ」
「そうですか」
しばらく、2人はケーキを食べた。レティシアが、帝都の話をする。評判のいい店。最近できた広場。綾目は、適度に相槌を打ちながら、それを聞いていた。
会話を続けながら、レティシアは内心で、間合いを計っていた。今日は、探るだけだ。具体的な話は、まだしない。けれど——この子の意思の輪郭だけは、確かめておきたかった。
ケーキが半分ほどなくなった頃。レティシアは、世間話の延長のように、さりげなく切り出した。
「ねえ、アヤメちゃんってさ」
「はい」
「将来、どうしたいとか——考えてる?」
綾目が、フォークを止めた。
少し、間を置いた。
「……騎士に関わる仕事に、就けたら、と思っています」
レティシアが、首を傾げた。
「騎士に関わる……? 直接、騎士になりたい、じゃなくて?」
「魔力クラスが、D−なので」
綾目が、淡々と答えた。感情的ではない。ただ、事実を述べる口調だった。
「騎士として戦える水準には、届きません。騎士学校の出願書類も、魔力クラスの時点で、選考外になりました。試験を受ける前に、です。だから——後方支援でも、補佐でも。騎士に関われる仕事なら、と」
レティシアは、頷いた。表面上は、ただ聞いている顔だ。
(魔力が低いから、「関わる仕事」に落としてる。……でも)
「そもそも、なんで騎士なの?」
綾目が、今度は、少し長く間を置いた。
窓の外を、一瞬だけ見た。帝都エリシオンの空が、午後の光の中に広がっている。
「……両親が、騎士でした」
静かな声だった。
「父は、黒竜騎士団の副団長。母は、白竜騎士団の出身です。二人とも——もう、いませんが」
「……そっか」
レティシアは、相槌だけ打った。先を促すでも、同情するでもなく。
「どんな騎士だったかは、あまり知らないんです。私が小さかったので。でも——立派な騎士だったと、聞いています」
綾目が、ケーキの皿に、視線を落とした。
「だから、自分も。そういう騎士に、なれたらと思って。……でも、現実的には無理なので。関わる仕事で、と」
最後の一言が、少しだけ、早かった。
言い慣れている言葉だった。何度も自分に言い聞かせて、口の形が決まってしまった言葉。「現実的には無理」——その一言で、綾目は、いつも自分の夢に、蓋をしてきた。
レティシアは、それを聞いていた。
(「現実的には無理」。自分で、諦めの言葉を用意してる。ずっと、使ってきた言葉だ。……でも、これは本物の夢だ。ずっと持ち続けてきた、本物の。両親の影を、追い続けてる。——そして、この子は3日前、魔力D−で、ランドメイト3機を落とした)
レティシアは、ケーキを一口、食べた。何でもない顔で。
それから、さりげなく——けれど、慎重に、その一歩を踏み込んだ。
「ねえ。もし、騎士学校に行けるとしたら——どうする?」
仮の話として。具体的なことは、何も言わずに。
綾目の表情が、わずかに、変わった。
「……行けるん、ですか?」
声のトーンは、変わっていない。それでも、その一瞬——確かに、何かが動いた。伏せていた目が、わずかに、上がった。
「仮の話だって」
レティシアが、笑顔で受け流した。
「もし、の話。どうかなって、思って」
綾目は、少し考えた。
魔力クラスD−で、書類選考の時点で弾かれた。その事実は、変わらない。でも、「もし」という問いだ。もしも行けるなら、という、仮定の話。
(——諦めた、わけじゃ、なかった)
自分でも、今この瞬間まで、それをはっきりとは認識していなかった。「現実的には無理だから」と言い続けて、その言葉で蓋をしてきた。でも、蓋の下に何があるのかは、自分が一番、知っていた。
両親の背中が、ある。
立派な騎士だったと聞かされた、よく覚えてもいない、見たことのない背中。その影を——ずっと、追っている。
答えは、考えるより先に、口から出ていた。
「……行けるなら、行きたいです」
静かな声だった。けれど、迷いは、なかった。
レティシアは、その言葉を、受け取った。
(青春とか、楽しむとか。そういうことを、考えてない子だ。「成長したい」が、「楽しみたい」より先に来る。……でも)
(この子の夢は、本物だ。両親の影を追ってるだけかもしれない。具体的なビジョンが、あるわけでもないかもしれない。それでも——本物だ。その夢を、叶えてやれるなら)
(私は、そのために動ける)
「そっか」
レティシアは、何でもない顔で、笑った。心の中で決まったものは、おくびにも出さずに。
「ケーキ、もう一個食べる? 一個、余ってるんだけど」
「……いただきます」
2つ目のケーキが、皿に移された。
病室の窓から、午後の光が差し込んでいる。
2人の間に、何か小さなものが、生まれた気がした。番号を交換しただけの知人と呼ぶには、少しだけ近い、何か。それに名前をつけるには、まだ早かった。でも、確かに、そこに芽生えていた。
◇
夕方になった。
アンディールが、比良坂家のホテルを出た。石畳の道を歩きながら、報告の文面を、頭の中で組み立てる。用件は済んだ。武人には、武人の言葉が効く。あの祖父は、孫を信じることを選んだ。それでいい。
アルスが、鳴海家のホテルを出た。想定通りの結果だった。論理的な相手には、論理で通す。感情を挟む余地はない。その割り切りが、彼女の仕事を、常に最短距離にする。
レティシアが、エリシオン中央医療院の正面玄関を出た。帝都の夕暮れが、石畳を橙色に染めている。
少し歩いて、立ち止まった。
空を、見上げた。
薄い雲が、広がっている。その向こうで、陽が、ゆっくりと沈んでいく。
(あの子は、夢を持ってる。騎士になりたい。両親のような、立派な騎士に。魔力クラスがD−だから、現実的には無理だと、自分に言い聞かせながら——それでも、ずっと、手放さずにきた夢を)
長命種のレティシアにとって、15歳という時間は、あまりにも短い。瞬きのような、ほんのひとときだ。その短い時間を、あの子は、諦めと夢の間で、ずっと揺れて生きてきたのだろう。
(長官の命令だから、動く。——最初は、それでよかった。でも、今は違う)
(あの子の夢が、本物だから。それを叶えてやれるかもしれないから。だから、私は動く)
(それが、私が動く理由として——十分すぎる)
レティシアは、空から視線を下ろした。
そして、帰り道を歩き始めた。次に、あの病室を訪れるときのことを——すでに、考えながら。




