第二話 帝国アカデミー襲撃事件
爆発音が正門の方向から来た。
走りながら確信に変わる。ここが狙われている。
校舎の壁伝いに移動しながら角から覗き込んだ。
◇
最初に来たのは、皮膚の感覚だった。
うなじの産毛が、一斉に立った。
音ではない。匂いでもない。視覚的に何かが見えたわけでもない。ただ、空気の質量が変わったような感触が、綾目の全身を内側から打った。背中を冷たいものが走る。心臓が一拍だけ速度を上げる。
(——いる)
殺意だ。
人を殺すことを目的として動いている、冷たい意志が、その場の空気に滲んでいた。感情的な怒りではない。もっと静かで、もっと確実な何かだ。仕事として人を殺しに来た者の気配。
(——倒すべき敵が、いる)
それだけが、明確な確信として残った。
綾目はその感覚に名前を持っていなかった。幼い頃からずっとそうだった。場の気配が、空気の濃度として肌に届く。殺意が、重さとして身体に触れる。それが自分だけの感覚だとも知らずに、ただそういうものとして生きてきた。
血と硝煙の匂いが、続いて鼻を打った。
次に、視界が状況を捉えた。
正門に配備されていた警備用ブロードソードのうち、一機は完全に沈黙していた。胸部装甲が大きく抉れ、内側から黒煙と火が噴き出している。コックピットブロックも無事ではない。あの機体は、もう動かない。
もう一機は——倒れていた。
大きな打撃を受けて横倒しになっているが、装甲そのものに致命的な穴はない。胸部のコックピットハッチが半開きになっている。機体としては、まだ生きている。動かせる可能性がある。
地面には、騎士が倒れていた。
いや、倒れていたのではなかった。
石畳の上に、赤い線が引かれていた。長く、太い線が、引きずられたような軌跡を描いて続いている。その先端に、一人分の体だったものがあった。装甲は履いている。それ以外が、原形を留めていない。重量物に踏まれた跡だった。十メートル級の鉄の足に。
その隣に、別の騎士がいた。
胴体に、無数の穴があった。対人機銃の連射痕だ。一人を撃ち殺すために必要な弾数を、はるかに超えた数の穴が、装甲を貫通して、その下の体を抜けていた。血が、まだ流れていた。
もう一人は、背中を向けて倒れていた。動いていない。
その向こうにもう一人いて、最後まで立とうとした形のまま、片膝をついた姿勢で固まっていた。手だけが、まだ剣の柄を握っていた。
空気が止まっていた。
綾目の喉から、声にならない音が漏れた。
胃の底から熱いものがせり上がってくる。手が震え始めた。十五歳の女の子が、生まれて一度も見たことのないものを見ていた。本物の人間が、本物の暴力で、原形を失っていく光景を。
悲鳴を上げそうになる。
それを、奥歯で噛み殺した。
(——叫ぶな)
強く言い聞かせた。叫べばこちらの位置を晒す。叫ぶことに意味はない。意味のないことはやらない。
無理やり呼吸を整えた。一回。二回。震えは止まらない。それでも、視線だけは状況に固定する。
頭痛が、ぐっと深くなった。
こめかみの内側で何かが脈打っている。視界の端がわずかに歪む。その歪みの中に——空気の屈折のような、薄く、人型の輪郭が、二つ、見えた気がした。
校門の内側、何もないはずの空間から、重い接地音が二度、聞こえた。確認のためだ。生存者を、探している。
通信は、何も漏れてこない。暗号化された波形が、空気を撫でるようにかすかに揺らいでいるだけだ。何を話しているかは分からない。それでも、あの悪意の質量だけは、皮膚を通じて確かに伝わってくる。
頭の中で、計算が走り始めた。
(敵——校門内側に少なくとも二機。動いている。残る二機の位置不明)
(騎士は全員死亡。警備グラム一機は完全損傷。もう一機——)
視線を動かす。
倒れたブロードソードのコックピットハッチが、半開きのまま、誘うようにそこにあった。
◇
校舎の壁を伝って、影から影へ。
綾目は移動した。気配を殺しながら、しかし急ぎながら。倒れた機体の陰に滑り込み、背中を装甲に押しつけて呼吸を整える。皮膚で感じる二つの圧は、まだ正門の内側にある。気づかれていない。
ハッチの縁を掴み、コックピットに体をねじ込んだ。
シートに座る。ハッチを内側から引き閉めた。閉鎖音と同時に、内部の薄暗い赤色照明が点いた。
計器の半分は赤い警告を出している。
(グラムに乗るのは——初めてだ)
帝国アカデミーは騎士学校ではない。れっきとした高校だ。グラムの操縦訓練など、カリキュラムには含まれていない。座学で機構の概要を学ぶ程度で、実機に触れる機会など皆無だった。
代わりに、記憶があった。
父が、生きていた頃。
夜の食卓で、ぽつりぽつりと語ってくれたことがある。コックピットの中はこうなっている、ダイレクトリンクはこう繋がる、グラムは魔力で動く生き物のようなものだ——そう話す父の声が、不意に蘇ってきた。当時の綾目はまだ十歳にも満たず、半分は聞き流していた。それでも、頭の隅に残っていた断片が、今、勝手に組み上がっていく。
(——確か、グリップを握れば自動で繋がる、って)
シートの左右に、グリップ型の器具があった。
両手で、握り込む。
その瞬間、何かが、繋がった。
全身を、見えない電流が走った。痺れではない。もっと深いところに届く感覚。指先が、自分の指先ではなくなる。代わりに、十メートル先まで「自分」が拡張される。鋼鉄の腕が、自分の腕として認識される。鋼鉄の脚が、自分の脚として。
大きい。
自分の身体が、巨大になっていた。
外の景色が、頭の中に流れ込んでくる。視界というよりも、自分が外に立っている感覚。距離データ、熱源情報、重力の向き——全てが、考えるより先に、身体の感覚として届く。
《ダイレクトリンク接続——緊急時操縦権限、付与》
《搭乗者魔力クラスD−を確認——機体出力を60%に制限》
《センサー系:前面78% / 後面43%(後方に死角あり)》
《フォースフィールド:使用不可》
《アサルトライフル、ブロードソード、シールド:使用可》
(——動ける)
それだけで十分だった。出力60%、FF不可。シールド、ライフル、剣。後方センサーが弱い点だけ頭に入れておく。
起動。
半壊の機体がゆっくりと起き上がる。両腕が動く。両脚も問題ない。胸部装甲には傷があるが、駆動系は生きている。右腕のアサルトライフルが、ホールド位置から戦闘姿勢へとスライドした。
立ち上がった。
そこで、頭痛が弾けた。
音のない爆発のように、こめかみの内側で何かが砕けた。痛みが一瞬で消え、代わりに——視界が、変わった。
◇
空気の歪みが、機体のようなゆらぎが見えた。
ステルスフィールドはまだ動作している。索敵機材は何も拾っていない。それでも、綾目の目は、そこに何かが立っているということだけを、辛うじて捉えていた。陽炎のような、空気の歪みのような——輪郭があるとも言い切れない、薄い人型の気配が、そこにある。見えているとも、見えていないとも言い難い。ただ、確かに、そこにいる。
(センサーが拾ってる? いや、メインモニターには映ってない。……サブセンサーか?)
綾目は思考を切り替えた。仕組みは後で考えればいい。見えるものは使う。見えるなら、それを前提に動く。
右腕のアサルトライフルを、機体に向けた。
コックピット位置を計算する。人型機動兵器の操縦席は胸部中央か腹部上部。胴体の厚みと傾斜から逆算する。一秒もかからなかった。
引き金を引いた。
三点バースト。
弾が空気の歪みに吸い込まれた瞬間、フィールドが消散した。空間が剥がれるように、機体が姿を現す。胸部装甲の同一点に、三発が集中して穿たれていた。火花。金属の悲鳴。プロテクトシールドは——展開されていない。なぜかは分からない。だが結果として、装甲は素のまま、三発を受けた。
膝が崩れた。倒れた。
爆発はなかった。静かに、それは横倒しになった。
綾目の手は、引き金の上で止まっていた。
(……人が、乗っていた)
分かっていた。
最初から分かっていた。それでも、撃った。コックピットを撃ったということは、その中の人間を撃ったということだ。今、自分は、人を一人殺した。
何かが喉に張り付いた。
固いものが、喉の奥につかえた。
一秒、綾目は動かなかった。
そして、飲み込んだ。
(まだ、いる)
次の敵に意識を向けた。後回しにした全ての感情ごと、深いところに押し込んで。
◇
次の機体は、遠慮がなかった。
校門の脇から、機体ごと飛び出してきた。ステルスは——途中で勝手に消えた。激しい機動と高出力の武装を同時に動かせば、ステルスは維持できない仕様らしい。
ブラボー機。ショットガンを腰だめに構え、連射しながら距離を詰めてくる。
痛みは来ない。代わりに、数字が悲鳴を上げる。
《シールド耐久 98%》
《——95%》
《——91%》
《——87%》
《——83%》
グリーンのゲージが、じわじわと削れていく。
綾目は射線から外れながら、右腕のライフルで反撃した。相手の荒さを利用すれば届く。だが当たりは浅かった。残弾警告が出た。
《残弾 12…6…0》
空になった。リロードしようとする——できない。
(……手順、知らない)
そもそも教わっていないのだ。父は息子のいない男だった。グラムの起動の話をしてくれることはあっても、武器のリロード手順までは教えてくれなかった。当たり前だ。十歳の娘に、機関砲の交換方法を語って聞かせる親はいない。コックピット内のどのスイッチがリロード操作なのかも分からない。試行錯誤する余裕もない。
判断は速かった。
(使えないものを使おうとするな。確実な選択肢に切り替えろ)
ライフルを、投げた。
ブラボー機の顔面に向かって。
反射的にブラボー機が頭を逸らした。一瞬、視線がライフルに引かれる。その隙に、綾目は背部マウントからブロードソードを引き抜いた。直剣。実体剣。刃渡りは機体に合わせた十メートル近い長さ。
手に、しっかりと馴染んだ。
全身が、剣の重みを受け止めた。
(……洋剣か)
得意ではない。刀とは重心も間合いも違う。だが——構えの取り方、踏み込みのタイミング、剣を振る体の使い方、その根っこは変わらないはずだ。
やるしかない。
ブラボー機がショットガンを再構えるより、一瞬、綾目の方が早かった。
刃を、腰だめから突き出した。
コックピットに、突き刺さった。
HUDが、敵機のバイタルロストを告げた。
通信回線は無音だった。暗号の中で、二機目が終わった。
綾目は剣を引き抜き、振り返った。
◇
その時、校内放送のスピーカーが、生きた。
最初に、ノイズが入った。チャンネルが乗っ取られる音。次に、機械的に歪んだ男の声が、校舎全体に流れた。
『——皇女セレナ・アウレリア。聞いているなら答えろ』
綾目の動きが、止まった。
『五分以内に、正門前に、貴様一人で出てこい』
『従えば、これ以上の犠牲は出ない。従わなければ、校舎の破壊を開始する。生徒も教職員も、全員、巻き添えだ』
『時間制限は、五分。これは交渉ではない。通告だ』
声が、切れた。
校内放送の通常チャンネルが復帰し、ノイズだけが残った。
綾目の頭の中で、ピースがはまっていく。
(——皇女)
今朝、廊下ですれ違った。銀寄りのブロンドの髪。気品ある立ち姿。視線が一瞬、合った。気のせいだと思ったあれは——第四皇女セレナ・アウレリア。彼女が、今日のターゲットだった。
(議員宿舎の爆破は、今日のための布石だ)
テロが起きた直後、警備が厚くなる主要施設は避けて、警備の薄い学校を狙った。最初から皇女が目標。警備のグラムと騎士を全滅させ、退路を断ち、要求を叩きつける。よく考えられた作戦だ。
(リーダーが要求を出している間、デルタ機はどこにいる)
その瞬間、裏門側の空気が変わった。
二つの圧が、現れた。これまでとは、質が違う。
ステルスを、解いていた。
堂々と、姿を見せたまま、二機のランドメイトが歩いてきた。リーダー機と、デルタ機。先の二機とは動きの質が違った。重心移動が無駄なく、索敵と警戒を並行している。戦場を踏んできた者の動きだった。
(——挟撃する気だ)
ステルスを解除して正面から来る。
それが、最も恐ろしかった。見えるから怖いのではない。隠す必要もないという余裕が、恐ろしかった。
暗号通信が、空気を撫でるように短く走った。連携指示だ。内容は読めない。読む必要もなかった。動きで分かる。
綾目は計算する。
(自機損傷状況——胸部軽損、両腕健在、シールド耐久83%、ライフル喪失、ブロードソード健在。相手は二機、戦闘経験あり)
長期戦は不利だ。二機の頭部を確認する——片方の頭部に、通信用とおぼしきアンテナが伸びている。指揮通信機材。あちらがリーダー機だ。先にデルタ機を落とす。リーダー機への対処はその後でいい。挟まれる前に動く。シールドを使い潰す覚悟で、デルタ機を一気に削る。
時間も、ない。あと五分で、皇女が出てくる出てこないにかかわらず、校舎が標的になる。
動くしかなかった。
◇
シールドを前面に展開し、突撃した。
デルタ機がサブマシンガンを構え、連射を始める。シールドが弾をはじく。弾の衝撃が振動となって機体全体を揺らす。損傷はHUDの数字だけが知らせる。
《シールド耐久 83%》
《——78%》
《——72%》
《——67%》
《——61%》
《——54%》
《——48%》
ゲージの色が、グリーンからイエローに変わった。
あと少し。あと少しで間合いに入る——。
背後から、重い衝撃が来た。
リーダー機のアサルトライフルだった。後方センサーが弱い区画から射線を通してきた。機体が大きく揺れる。コックピット内の綾目の身体が横に引っ張られる。
《——36%》
《——24%》
《——15%》
ゲージがレッドになった。
その瞬間、デルタ機が機体ごとぶつかってきた。
タックル。
《——4%》
《0%》
《警告:シールド全損》
機体が、横転した。
地面に叩きつけられる衝撃が、コックピットの綾目を激しく揺さぶった。頭が計器に打ちつかる。視界が明滅する。シールドの残骸が散らばる。
機体は倒れたまま、動かなかった。
◇
血と硝煙の匂い。
砕けた装甲の感触。
潰れた人間が残した、赤い痕。
機体が横転するまでの間、綾目は怖くなかった。
正確には——怖さを感じる隙がなかった。敵を見て、計算して、動いて、また計算する。その連続が、感情の入る余地を全て塗り潰していた。集中が、鎧だった。
タックルの衝撃で、その鎧が砕けた。
頭が計器に打ちつかる。視界が明滅する。一瞬だけ、思考の糸がぷつりと切れた。
そしてその隙間に——今まで締め出していた全てが、一気に流れ込んできた。
戦場という現実が、逃げ場なく一気に押し寄せてきた。
十五歳の少女が、ここにいるという事実。
教室で机に向かっているはずの年齢だ。
それは、あまりにも異常だった。
「……なんで……!?」
喉から漏れた声は、震えていた。
「動いて……! お願い……!」
涙は拭っても、次から次へと溢れてくる。心は戦えと叫んでいるのに、身体は恐怖に支配され、震えて言うことをきかない。本能が、必死に訴えていた——ここは死地だ、と。
だが、身体は応えない。
二機は距離を取り、確実に仕留める態勢に入る。
——終わる。
その時。
綾目の手が、制服の胸ポケットに触れた。
シャープペンシル。
いつも使っている、ただの文房具。
それを、強く握りしめる。
覚悟が、形を持った。
それは勇気ではない。逃げ場を失った者の、最後の選択だった。
迷いは、一瞬だけだった。
次の瞬間、右太ももへ突き立てる。
「——ッ!!」
鋭い痛み。
だが、その痛みが、恐怖に凍り付いた心と身体を強引に引き戻した。
息を吸う。
「……逃げるな……!!」
もう一度、強く突き立てる。
「戦え……! 戦えっ!!」
熱。
血の感触。
そして——
ピタリと、震えが止まった。
涙は拭ったはずなのに、まだ頬を伝って落ちていく。それでも視界は定まり、身体は命令を受け付け始めていた。
コックピット内には、鉄錆と血の匂いが濃く立ち込めている。右太ももから流れ出た血がシートに染み、脂汗で濡れた髪が首筋に張り付く。
荒い呼吸が、装甲に反響していた。
そして——
モニターに映る自分の瞳に、異変が走る。
白目に、赤い筋が一気に広がっていた。毛細血管が次々に切れているのが、自分でも見える。瞳全体が血走り、虹彩の奥で、赤黒い光が揺らめいていた。比喩ではない。錯覚でもない。確かに"何か"が、そこに宿っている。
それを自覚する余裕すらないまま、視界は研ぎ澄まされていく。
「……痛い」
小さく、確かに呟く。
「……でも……私は、戦える……!」
声は震えていたが、視線だけは逸らさなかった。
◇
顔を上げ、ブロードソードの剣を握り直す。
弾道が、線として視界に刻まれる。
デルタ機がサブマシンガンを向ける。発砲する。弾道が、淡い光の線として綾目の視界に映る。撃たれる前に、撃たれる位置が見えている。
回避。
倒れた姿勢から、跳ね起きる動作と回避を同時にこなす。出力60%とは思えない機動。デルタ機のパイロットが、明らかに動揺した気配が伝わる。
暗号通信が、わずかに乱れた。慌てた者特有の、波形の歪みだった。
踏み込み。
必殺の間合い。
「ぬああぁぁ——っ!!」
喉が裂けるほどの叫びと共に、綾目は踏み込んだ。
一閃。
バリアが揺らぎ、ブロードソードの刃が、僚機を胴体から断ち切った。
残るは、リーダー機のみ。
だが、綾目の身体も限界だった。
太ももから流れ続ける血が、シートに染み込んでいく。コックピット内には、生温かい血の匂いと鉄錆の臭いが充満していた。
同時に、目の奥が——割れる。
頭蓋の内側から眼球を内側へ押し潰されるような、耐え難い激痛。まるで視神経そのものを引き千切られるかのような感覚に、綾目は息を詰まらせた。
視界が白く弾け、次の瞬間には赤黒い残像に塗り潰される。
頬を、熱いものが伝った。
涙ではなかった。
血だった。
両目から、一筋ずつ。次に、もう一筋。両眼の縁から血が滲み、頬を赤く濡らしていく。何が起きているのか、自分でも分からない。視界の半分が赤い膜に覆われる。
(……なに、これ……!?)
痛みは一瞬で引かない。
収まるどころか、眼球が破裂するのではないかという恐怖を伴って脈打ち続ける。血涙はとめどなく流れ、コックピットの薄暗い赤色照明と相まって、綾目の顔は鬼気迫る形相になっていた。
意識が遠のき、視界の端から闇が侵食してくる。
(でも……あと、一機……!)
剣を構え、踏み出そうとした、その瞬間。
《警告。パイロットのバイタル、危険域に到達》
《ダイレクトリンクシステム、維持不能》
赤い警告。
握っていたグリップから、指の力が抜けた。
ぐらり、と全身の感覚が抜ける。十メートルの身体だったものが、一瞬で他人になる。鋼鉄の腕が、自分のものではなくなる。脚も、胸も、何もかも、遠ざかる。
ダイレクトリンクが——切れた。
視界が、暗くなった。
◇
空を引き裂く轟音。
天から、巨大な剣が叩きつけられた。
地面が割れた。アスファルトが砕け、衝撃波が周囲のすべてを払う。リーダー機が反射的に後退する。その間に割り込んだのは、専用デュランダル。エクスカリバーの切っ先を地に突き立てた、十二メートル級の機影。
「よく持ちこたえてくれた! ここからは我らが引き受ける!!」
力強い声。
(……み……かた……?)
それを最後に、綾目の意識は闇に落ちた。
——
動かなくなったブロードソードの内部から、応答はなかった。
アンディールはデュランダルのコックピットで、警備機との通信回線を強引に開いた。
「警備用グラム……パイロット、応答せよ。聞こえているか」
返事はない。代わりに、回線を通じて映像が繋がった。
機体の内部映像が、デュランダルのモニターに転送されてくる。コックピット内の薄暗い赤色照明。シートに座っている人影。
アンディールの太い眉が、ぴくりと動いた。
「……なっ!?」
声が、自然と漏れた。
そこにいたのは、騎士ではなかった。
少女だった。
黒髪の、見るからに細い少女が、シートに崩れるように身を預けていた。アカデミーの制服が血で染まっている。右太ももの傷から流れた血が、スカートを赤黒く濡らし、シートにまで広がっている。
それだけでは、なかった。
顔が、赤かった。
両目から、血が流れていた。涙のように、頬を伝い、顎の先から落ちていく。瞳は半ば開いたまま、焦点が合っていない。白目には毛細血管が浮き出し、虹彩の奥には——一瞬、赤黒い光が揺らめいたように見えた。
五百十二年を生きたオーガロードが、息を呑んだ。
戦場は数えきれないほど見てきた。死にかけの兵士も、人外の魔物も、無数に見てきた。それでも、この光景は——尋常ではなかった。
子供だった。十五か、十六か。それくらいの年齢の少女が、コックピットの中で血涙を流したまま、それでもまだ剣の柄を握ろうとしている。指先が、ぴくぴくと動いていた。意識がほぼ落ちているのに、戦おうとしている。
「……パイロットは……子供だと!?」
別回線で、レティシアの緊迫した声が割り込んできた。
「局長! バイタル数値、転送します! ——血圧低下、心拍乱れ、出血量がもう……危険域です! このままだと持ちません!」
アンディールの判断は、一瞬だった。
「レティ! 機体を回収しろ! 絶対に死なせるな!」
特務騎士局局長、アンディール・フィズサールの命令が飛ぶ。
「了解!」
巨大な影からワイヤーフックが伸び、傷だらけのブロードソードを慎重に回収していく。回収を確認したアンディールが、エクスカリバーを地から引き抜いた。
モニターの中の少女が、最後に何かを呟いたように見えた。声にはならなかった。それでも唇は動いていた。
——あと、いっき。
そう読めた。
アンディールは目を細めた。
「……たいした娘だ」
短く、そう呟いた。
次の瞬間には、表情が戦闘者のものに切り替わっていた。
「逃がさんぞ、テロリストども!」
アンディールの《デュランダル》が加速する。
ステルスを失ったテロリストに、もはや逃げ場はなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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