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鋼の檻に咲く黒百合 ~魔力最低で騎士になれなかった少女が、秘めた魔眼によって夢を取り戻す~  作者: しぇくしーふっふー
騎士学校 一年編

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第二十三話 ファルケンブルク家

夏休みの初日、正門前には人が多かった。


帰省する生徒、迎えに来た家族の車、荷物を運ぶ使用人——それぞれが思い思いの方向へ向かう中、いつもの五人は正門の脇に集まっていた。


「次に全員が揃うのは夏休み最後の三日間ですね」


ミアが言った。


「結局、何をするのかはまだ秘密なんですよね?」


「当日までのお楽しみです」


ミアが眼鏡の奥で少し輝かせながら答えた。ヴァルカが「うー、気になる」とぼやいた。


「では、綾目さん」


ソフィアが言った。いつも通りの静かな声だった。


「次はネーゲルシュタイン家でお待ちしています」


「はい。その際はよろしくお願いします」


軽くそれぞれ挨拶を交わし、五人は散っていく。ミアはレインフォード家の車に、ヴァルカは帝都発の交通機関へ、ソフィアは白い乗用車の方へ向かった。


(みんなと別れるのが少し惜しい)


以前ならそうは思わなかった。一人の方が気楽だと思っていた。


綾目はその感覚をほんの少しだけ意外に思ったまま、正門前の人波を見渡した。





ファルケンブルク家の迎えの車は正門を出てすぐのところに停まっていた。


黒塗りの大型車だった。帝都の要人送迎に使われるものと同じ型だと、綾目は見た瞬間に分かった。専属の運転手が二人の荷物を手際よく預かる。


後部座席に並んで座ると車はすぐに動き出した。


授業の話、グラムシミュレーターでの訓練の話——そういった話題がひとしきり続いた後、会話が途切れた。


(何か話さなければ……)


エルゼリスは内心で探した。趣味の話は——剣と勉強しかない。今まで他のことに目を向けなすぎた。もう少し、いろんなことに関心を持っておくべきだったと、この瞬間に限って思う。


「そういえば」


綾目が口を開いた。


「エルゼリスさんのご家族はどのような方たちですか?」


エルゼリスは表情には出さなかった。だが内心では助かったと思っていた。


「父は当主のガイウス。軍部にいます。母はリーナ。長兄のレオンは黒竜騎士団特殊部隊の隊長で、次兄のクロードは火騎士団にいます。クロードは前線任務の都合で今回は少し遅れての帰省になります」


「兄弟がお二人いらっしゃるのですか」


「それと妹がいます。フィアといって12歳です」


「末の妹さんですか」


「……フィアとは素直に話せます」


それだけ言ってエルゼリスはまた窓の外に目を向けた。


やがて市街地の建物が少なくなり車窓の景色が変わっていった。ファルケンブルク家の領地を示す標識を通過し、さらにしばらく走ると巨大な正門が見えてきた。





正門を通過しても邸宅はまだ見えなかった。


延々と続く緑。整えられた木々の列。池の水面が光を反射している。遊歩道が木々の間に延びていた。


「……広い公園ですね」


「いえ、これはすべて我が家の庭です」


「庭……すべて……」


綾目は窓の外を見たまましばらく言葉がなかった。


比良坂家も鳴海家も、帝都の中では大きな邸宅を構えていた。しかしここは規模が違った。


車は庭の中をさらに進んだ。やがて木々の向こうに城塞を思わせる邸宅が姿を現した。





玄関前には人が並んでいた。


家族の顔と主要な使用人たち。エルゼリスの表情がわずかに曇った。これが「質素にしてほしい」と頼んだ後の結果か。


「ようこそ! ファルケンブルク家へ!」


ガイウスが一歩前に出た。銀交じりの短髪、がっしりした体格。軍人としての風格と娘の友人を迎える父親としての喜びが、その顔に同居していた。


「お父様、このような大げさな歓迎は不要だと申し上げたはずです」


「何を言う。エルゼの友人を迎えるのだぞ。これでも質素な方だ」


「どこが質素なのですか……!」


「比良坂綾目です。本日からお世話になります」


綾目が車を降りて言った。


「堅くならなくていい。エルゼの友人なら我々にとっても大切な客人だ」


ガイウスが豪快に言った。その横でエルゼリスがかすかに肩を落としていた。


リーナが「本当によく来てくれたこと」と柔らかく微笑む。レオンが軽く頭を下げる。細身で背が高く、エルゼリスと同じ灰色の目をしていた。


列の端に立つフィアは礼儀正しく頭を下げながら、好奇心を隠しきれていない目で綾目を見ていた。


「まずは客室へ案内しよう。こちらへ」


一行は邸宅の中へ入っていった。





客室へ続く廊下を歩く途中で一人の女性が前に出た。


金髪を整えた端正な顔立ちの女性。20代半ばで物腰は柔らかかった。だが廊下に立つ姿に隙がなかった。


「比良坂様。滞在中のお世話を担当いたしますヒルデと申します。ご用がございましたら何なりとお申し付けください」


綾目は一瞬だけヒルデを見た。


その視線に気づいたのかヒルデがわずかに首を傾けた。


「何かございましたか?」


「いえ。失礼しました」


初対面の相手を値踏みするような真似は失礼だ。意識を切り替えた。


ヒルデは微笑んで先を促した。





案内された客室は一室ではなくスイートのような造りになっていた。寝室、応接スペース、浴室、化粧室、トイレが個別に備わっており、客室一式の広さは綾目が以前暮らしていたマンションの一室に匹敵した。調度品もどれも高価そうなものばかりで、華美というよりは重厚で落ち着いた雰囲気だった。


(エルゼリスさんは想像以上のお嬢様だったのか……)


「採寸をさせていただいてもよろしいでしょうか?」


「……なぜですか?」


「今夜のディナーでお召しになる礼装を、比良坂様のお身体に合わせて調整するためです」


「いえ、そこまでしていただかなくても……」


「新たに一着を仕立てるわけではございません。来客用にご用意している礼装の中から比良坂様に近い寸法のものを選び調整いたします。これも当家のおもてなしです。どうぞお気構えなさらずに」


綾目は少し考えた。私服は持参しているが、正式なディナーに出られる礼装は持っていない。普段着で参加する方がかえって失礼になる。


「……ありがとうございます。お願いします」


採寸を終えるとヒルデは館内の地図と端末を置いていった。


「館内の地図と使用人呼び出し用の端末です。ご不明な点やご用の際はこちらでお呼びください」


「夕刻になりましたら改めて伺います」


一礼して出て行く。


部屋に一人になった。


「……落ち着きませんね」


誰に言うでもなくそう口にした。荷物を整理してから夏休みの課題に取り掛かることにした。





ディナーの一時間前。


ヒルデが戻ってきた。今度はメイドを四名連れていた。大きな箱を持ってくる。


「比良坂様。今夜お召しになるドレスをお持ちしました」


箱の蓋が開いた。


純白のドレスだった。綾目が想像していた簡素な礼装ではなかった。過度な露出はなく黒髪が映えるデザインをしている。


「……私が着てもよいものなのでしょうか」


「はい。比良坂様によくお似合いになるものを選ばせていただきました」


メイド四名に囲まれて着付けが始まった。採寸に合わせた調整が手際よく進む。裾の長さ、腰の位置、肩のライン——わずかなズレを丁寧に直していく。


着付けが終わるとほかのメイドたちは退出した。ヒルデが残り、綾目の黒髪をゆっくりと結い上げ始めた。


「とても綺麗な髪ですね」


「……ありがとうございます」


鏡の前に立った。


純白のドレス。結い上げられた濡羽色の髪。控えめな化粧。小さな髪飾り。


(これが、私……)


「大変よくお似合いです。ではご案内いたします」


廊下に出ると先に一人が待っていた。


濃色の上着に細身のパンツ、飾緒と儀礼剣——女性用の礼服をまとった凛々しい姿が廊下の照明の中に立っていた。凛々しく華やかで端正な装い。一瞬だけ美しい青年のように見えた。


(……まさか)


「エルゼリスさん……?」


「はい」


エルゼリスがドレス姿の綾目を見た。


一瞬言葉が出なかった。


「お嬢様。後はお任せいたします」


ヒルデが一礼して静かに立ち去った。


エルゼリスは礼服に合わせるよう姿勢を正した。それから少し芝居がかった仕草で綾目へ手を差し出した。


「……お嬢様、お手を」


普段と違う装いが少しこそばゆかった。


綾目がわずかに口の端を上げた。楽しそうに見えた。


「はい」


手を取った。二人で廊下を歩き出す。





ダイニングの扉を開けると家族全員が立って待っていた。


四人から小さな感嘆の声が漏れた。


「おお……」


綾目はドレスの裾を持ち家族の前で足を止めた。


「本日はお招きいただきありがとうございます」


言葉と同時に流れるような動作でカーテシーを決めた。片足をすっと後ろに引き、膝を深く曲げながら、ドレスの裾を静かに広げる。どこかで訓練を積んだ者でなければ出せない淀みのない一連の所作だった。比良坂家でも鳴海家でもそれぞれの礼節を徹底的に叩き込まれてきた。こういう場で役に立つとは思っていなかったと、祖父母へ内心で感謝する。


「こちらこそよく来てくれた」


ガイウスが表情を和らげた。


「何分、家中が浮き足立っていてな。長く待たせてしまって申し訳なかった」


「お父様……」


「皆、あなたを迎えるのを楽しみにしていたの。どうか気楽に過ごしてくださいね」


リーナが柔らかく言った。


席に着きディナーが始まった。


料理が次々と運ばれてくる。盛り付け、食材の質、給仕の動き——どれも高級ホテルを超えていた。


(さすがに毎日このような食事というわけではないとは思うが……)


会話は自然に進んだ。学校での生活、エルゼリスとの手合わせ、滞在中に行う予定の訓練について。


「お姉様がご友人を連れてくるなんて今でも少し信じられません」


フィアが言った。


「フィア」


エルゼリスが小さく制した。耳がわずかに赤くなっていた。


学校では見せない顔だった。綾目はそれを見て親しみを覚えた。


「エルゼリスと互角に渡り合ったと聞いている」


レオンが静かに言った。


「滞在中都合がよければ一度手合わせを願いたい」


「はい。私でよろしければぜひ」


「兄上、初日から客人に手合わせを申し込まないでください」


「すまない。興味が先に立った」


レオンは謝りながら特に悪びれていなかった。


紅茶が運ばれてくる頃には話はすっかり和やかになっていた。





食事の後、エルゼリスが客室まで送った。


長い廊下を二人で歩く。


「申し訳ありませんでした」


「何がでしょうか?」


「家族が張り切りすぎてしまって……このような大げさな歓迎へ付き合わせてしまいました」


「私は楽しかったです」


エルゼリスが横を見た。


「ご家族にも温かく迎えていただきました」


少し間を置いて、綾目はエルゼリスの礼服姿に目を向けた。


「それにエルゼリスさんの礼服姿も——とても格好よかったです」


わずかに微笑んだ。


「……ありがとうございます」


エルゼリスの声がわずかに硬くなった。


「明日からはこのように仰々しいことはありませんので」


「少し残念ですね」


「え?」


「いえ。何でもありません」


客室の扉の前に着いた。


「では、おやすみなさい」


「おやすみなさい。エルゼリスさん」


扉が閉まった。


廊下に一人になったエルゼリスはその場で立ち止まった。


瞼の裏に純白のドレスをまとった綾目の姿が浮かんでいる。手を取られた時の感触。「格好よかった」と言われた時のあの微笑み。


(……綺麗だ)


それだけが頭の中に残っていた。


自分でも理由の分からない鼓動を抱えたまま、エルゼリスはしばらく廊下の真ん中に立っていた。

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