1−4 牛久
憶俊とは、あのカラオケボックスでの夜以来、デートを数回重ねて、大人の関係にもなっていた。
私も三十二歳だし、憶俊は二十九歳。別に憚られる年でもない。そして今日は憶俊が泊まりにくる!
牛久で「かっぱ祭り」というイベントがあることを憶俊に話したところ、見てみたい! という話になった。
時刻は二十時前。
日が暮れても昼間の熱が残っており、息苦しくなるような空気が駅周辺を包んでいる。
牛久駅の改札から、電車が止まるたびに、人が流れ出てくる。いつもに比べて人の流れが多いように感じるのは、明日から始まるお祭りのためだろう。
牛久では「かっぱ祭り」というお祭りが毎年七月の最後の土日で開催される。かっぱの格好をしてパレードをしたり、お神輿が出たりする。
二十時に改札で待ち合わせ。もうすぐ彼がくる。時間にはきっちりしていて、今までのデートで遅刻したことは一回もない。
時間にルーズな人は信用できない。これはおばあちゃんが言っていた言葉だ。
初めて憶俊が泊まりにくる。たったそれだけのことなのに、朝からウキウキしていた。
「美里さん」
不意に背後から声をかけられた。全然気付かなかった! 一体いつの間に!?
「憶俊、いつの間に?」
「美里さんを驚かそうと思って」
イタズラっぽく笑う憶俊に、胸がキュンとする。
「もう、イタズラなし!」
憶俊の手を握って、二人でマンションまで歩いた。
彼の手の温もりがいつもの帰り道を鮮やかに色付けてくれる。コンビニの明かり、チカチカする公園の電灯、道を横切る黒猫、家までの道のりが、こんなに楽しいなんて。
何を話したのか覚えていない、他愛もない話、でも楽しい気持ちだけは残っている。
「美里さん、あれ……」
「なに?」
憶俊が指さした先には、近所のちょっと大きな公園が広がっていた。
「ちょっと寄り道しましょう!」
「え? いいけど……」
憶俊は、手を引っ張って公園の中にはいっていく。ボートに乗れる小さな池がある、すこし大きめの公園だ。
「すごい綺麗な公園ですね。美里さんの家の近くに、こんな素敵な公園があるなんていいですね」
「そうだね。でもあんまり来たことはないかな? 一人で来ても面白くないし、夜はちょっと怖いじゃない?」
「いまも怖いですか?」
首をふるふると振った。
「憶俊が一緒だから! 全然怖くないよ。むしろ楽しいね。夜の公園って、こんなに楽しいんだって初めて知ったよ!」
やがて私たちはちょっとひらけた広場のような場所に来た。公園の電灯が明るく照らしていて、周囲のベンチではカップルたちが抱き合っている。
それを横目に見ながら、ちょっと気まずい思いをしていた。
一つだけ空いているベンチに二人で腰を下ろして、さっきコンビニで買ったビールを開けた。
こんな風に公園でビールを飲むなんて、初めて!
「外で飲むのも、気持ちいいね!」
「はい、気温もちょうどいいです。風も少しあって気持ちいいですね」
「憶俊、私ね、貴方といると、どこでも楽しくなっちゃうの。ううん。貴方がくることが分かっていたら、たとえいなくても楽しいの。今日ね、貴方のことを駅で待っていたでしょ? その待っている時間も楽しい!」
電灯に虫が当たって、乾いた音を立てている。たまに光がチラチラと揺れていた。
それを見上げると赤い星が見えた。あれは……さそり座だっけ?
犬を散歩している人が通りかかった。小さなトイプードルが、足元に尻尾をふりながら寄ってきた。耳にピンクのリボンを付けている。
「かわいいー、女の子ですか?」
人懐っこい犬で、私に撫でられて嬉しそうに尻尾を振っている。
「ね、憶俊。すごいかわいいね。いいなぁ、私も犬飼ってみたい」
見ると憶俊は、犬に手を出すのではなく、むしろちょっと引き気味で、若干悲しそうな目をしているように見えた。
犬が去った後、憶俊に問いかけた。
「ごめんね、犬嫌いだった?」
「ううん、大好きです……」
「でも……」
「ちょっと、昔飼っていたことがあって、思い出してしまって……」
「そうなの? その犬はどうしたの?」
「死んじゃいました。僕の手の中で……」
ハッとした。そうか、日本に来ているんだから、そうだよね……。
「そうだったの。ごめんね。悲しいこと思い出させちゃって」
ペットを飼ったことがないけど、ペットロスっていうぐらいだから、辛い思い出なんだろうな。
「もう昔のことだから……」
そう言いながらも、憶俊は悲しそうな顔をしている。
憶俊の手に、そっと自分の手を重ねて黙っていた。
公園の静寂が私と憶俊を包み込む。周りのカップルのささやき声が僅かに聞こえてくるぐらい。
不意に憶俊が、手を取り立ち上がった。
「美里さん、踊りましょう!」
「え? 踊るって?」
憶俊はそう言うと、両手を取って軽やかなステップを踏んでいた。
「え? ちょっと? 憶俊、私、踊れないよ? ダンスなんてしたことないし」
「僕も知りません、でもこないだ映画を見ました。Shall We Danceって映画」
憶俊に肩を抱かれて、右に左にゆらゆら。これが正しいのかどうかもわからないけど……でも、とっても気持ちがいい……。
「憶俊、これって合っているの?」
「わかりません。でも楽しければいいです」
私たちは街灯の周りを、ゆっくりと両手を握って回っていた。誰かが冷やかしの口笛を吹いていた。
いつもなら、苛立ちを覚えるような音も、今日は私たちを祝福してくれているみたい。
「憶俊……」
「美里さん……」
「たのしいね! 憶俊とダンスしていると楽しい!」
「僕も楽しいです。美里さん」
憶俊の胸に顔を付けて、ゆっくり彼の動きに合わせて体を揺らしていた。
<つづく>




