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81(エイティーワン)  作者: 雨後乃筍
1章 甘い毒

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1−4 牛久

 憶俊イージュンとは、あのカラオケボックスでの夜以来、デートを数回重ねて、大人の関係にもなっていた。


 私も三十二歳だし、憶俊イージュンは二十九歳。別に憚られる年でもない。そして今日は憶俊イージュンが泊まりにくる!


 牛久で「かっぱ祭り」というイベントがあることを憶俊イージュンに話したところ、見てみたい! という話になった。


 時刻は二十時前。


 日が暮れても昼間の熱が残っており、息苦しくなるような空気が駅周辺を包んでいる。


 牛久うしく駅の改札から、電車が止まるたびに、人が流れ出てくる。いつもに比べて人の流れが多いように感じるのは、明日から始まるお祭りのためだろう。


 牛久うしくでは「かっぱ祭り」というお祭りが毎年七月の最後の土日で開催される。かっぱの格好をしてパレードをしたり、お神輿が出たりする。


 二十時に改札で待ち合わせ。もうすぐ彼がくる。時間にはきっちりしていて、今までのデートで遅刻したことは一回もない。


 時間にルーズな人は信用できない。これはおばあちゃんが言っていた言葉だ。


 初めて憶俊イージュンが泊まりにくる。たったそれだけのことなのに、朝からウキウキしていた。


美里みさとさん」


 不意に背後から声をかけられた。全然気付かなかった! 一体いつの間に!?


憶俊イージュン、いつの間に?」


美里みさとさんを驚かそうと思って」


 イタズラっぽく笑う憶俊イージュンに、胸がキュンとする。


「もう、イタズラなし!」


 憶俊イージュンの手を握って、二人でマンションまで歩いた。


 彼の手の温もりがいつもの帰り道を鮮やかに色付けてくれる。コンビニの明かり、チカチカする公園の電灯、道を横切る黒猫、家までの道のりが、こんなに楽しいなんて。


 何を話したのか覚えていない、他愛もない話、でも楽しい気持ちだけは残っている。


 「美里みさとさん、あれ……」


 「なに?」


 憶俊イージュンが指さした先には、近所のちょっと大きな公園が広がっていた。


 「ちょっと寄り道しましょう!」


 「え? いいけど……」


 憶俊イージュンは、手を引っ張って公園の中にはいっていく。ボートに乗れる小さな池がある、すこし大きめの公園だ。


 「すごい綺麗な公園ですね。美里みさとさんの家の近くに、こんな素敵な公園があるなんていいですね」


 「そうだね。でもあんまり来たことはないかな? 一人で来ても面白くないし、夜はちょっと怖いじゃない?」


 「いまも怖いですか?」


 首をふるふると振った。


 「憶俊イージュンが一緒だから! 全然怖くないよ。むしろ楽しいね。夜の公園って、こんなに楽しいんだって初めて知ったよ!」


 やがて私たちはちょっとひらけた広場のような場所に来た。公園の電灯が明るく照らしていて、周囲のベンチではカップルたちが抱き合っている。


 それを横目に見ながら、ちょっと気まずい思いをしていた。


 一つだけ空いているベンチに二人で腰を下ろして、さっきコンビニで買ったビールを開けた。


 こんな風に公園でビールを飲むなんて、初めて!


「外で飲むのも、気持ちいいね!」


「はい、気温もちょうどいいです。風も少しあって気持ちいいですね」


憶俊イージュン、私ね、貴方といると、どこでも楽しくなっちゃうの。ううん。貴方がくることが分かっていたら、たとえいなくても楽しいの。今日ね、貴方のことを駅で待っていたでしょ? その待っている時間も楽しい!」


 電灯に虫が当たって、乾いた音を立てている。たまに光がチラチラと揺れていた。


 それを見上げると赤い星が見えた。あれは……さそり座だっけ?


 犬を散歩している人が通りかかった。小さなトイプードルが、足元に尻尾をふりながら寄ってきた。耳にピンクのリボンを付けている。


「かわいいー、女の子ですか?」


 人懐っこい犬で、私に撫でられて嬉しそうに尻尾を振っている。


「ね、憶俊イージュン。すごいかわいいね。いいなぁ、私も犬飼ってみたい」


 見ると憶俊イージュンは、犬に手を出すのではなく、むしろちょっと引き気味で、若干悲しそうな目をしているように見えた。


 犬が去った後、憶俊イージュンに問いかけた。


「ごめんね、犬嫌いだった?」


「ううん、大好きです……」


「でも……」


「ちょっと、昔飼っていたことがあって、思い出してしまって……」


「そうなの? その犬はどうしたの?」


「死んじゃいました。僕の手の中で……」


 ハッとした。そうか、日本に来ているんだから、そうだよね……。


「そうだったの。ごめんね。悲しいこと思い出させちゃって」


 ペットを飼ったことがないけど、ペットロスっていうぐらいだから、辛い思い出なんだろうな。


「もう昔のことだから……」


 そう言いながらも、憶俊イージュンは悲しそうな顔をしている。


 憶俊イージュンの手に、そっと自分の手を重ねて黙っていた。


 公園の静寂が私と憶俊イージュンを包み込む。周りのカップルのささやき声が僅かに聞こえてくるぐらい。


 不意に憶俊イージュンが、手を取り立ち上がった。 


 「美里みさとさん、踊りましょう!」


 「え? 踊るって?」


  憶俊イージュンはそう言うと、両手を取って軽やかなステップを踏んでいた。


「え? ちょっと? 憶俊イージュン、私、踊れないよ? ダンスなんてしたことないし」


「僕も知りません、でもこないだ映画を見ました。Shall We Danceって映画」


 憶俊イージュンに肩を抱かれて、右に左にゆらゆら。これが正しいのかどうかもわからないけど……でも、とっても気持ちがいい……。


憶俊イージュン、これって合っているの?」


「わかりません。でも楽しければいいです」


 私たちは街灯の周りを、ゆっくりと両手を握って回っていた。誰かが冷やかしの口笛を吹いていた。


 いつもなら、苛立ちを覚えるような音も、今日は私たちを祝福してくれているみたい。


憶俊イージュン……」


美里みさとさん……」


「たのしいね! 憶俊イージュンとダンスしていると楽しい!」


「僕も楽しいです。美里みさとさん」


 憶俊イージュンの胸に顔を付けて、ゆっくり彼の動きに合わせて体を揺らしていた。


 <つづく>


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