1−3 二人の繋がり
「お礼なんていいですよ」
李憶俊と名乗ったその男は、軽く手を振って歩き出そうとしていた。
憶俊の、その何気ない仕草に胸が高まった。なんで?こんなこと初めて。
時計を見ると、とっくに終電の時間は過ぎている。慌てて彼を追いかける。
「で、でも、もう終電も終わってるし、どうやって帰るんですか?」
彼は、なんてことはないという顔で答えた。
「まあ、その辺で時間を潰しますよ」
「あ、あの、私も終電がもう……あの、お礼がてら、始発までどこかで一緒に時間を潰しませんか?」
その言葉に、何かを考えるように言ってきた。
「女性を一人で残すのも危険ですね。わかりました。では始発まで一緒にいます」
笑った顔に、ドキッとする。ものすごいイケメンというわけでもない。でもなぜか安心できる笑顔。
二人で、深夜営業のカラオケボックスに入ることにした。
「ここなら、歌わなくても食事もできるし。寒くないし」
憶俊は物珍しそうに、キョロキョロしていた。
「来たの初めて?」
「はい、日本の歌、あまり知らないので。美里さんは、いつもここに?」
ファーストネームで呼ばれて、胸がドキドキした。
「カラオケなんて滅多に来ませんよ」
カラオケで歌うことはせずに、飲み物と軽食を注文しずっと話をしていた。
初対面なのに、会話が途切れることはなかった。なんでだろう。なんてことない話題なのに、もっと憶俊の話を聞いていたい。
憶俊が、中国の大連から来ていること、学生時代に日本への留学経験があり、今は技能実習生を経て日本企業に勤務していることや、偶然にもネットワークケーブルの会社に勤務していることなどを話してくれていた。
「私もケーブル関係の仕事をしているの。多分あなたとはだいぶ違うケーブルだけど」
「一緒ですね」
「偶然ね」
憶俊の笑顔に釣られて、自然と笑みが溢れた。その後、彼がネットワークケーブルについて語り出した。
ネットワークケーブルは、離れたものを繋いで通信するもの。いってみれば人と人の心を繋ぐ道具。僕は繋がりを大事にしている、と。
昔、父親が言っていたことを思い出していた。
(美里、お父さんの仕事はな。離れた機械と機械が、会話できるようにすることなんだ。美里も友達とお話できなくなったら寂しいだろう?)
お父さん、もっと話を聞きたかった……。
「また日本に来たって、そんなに日本のことが気に入ったの?」
「はい。日本に電話するとき、最初に81って打ちますよね?これ僕の国では幸運の数字の8と1が入っている」
憶俊がテーブルの縁を指でなぞりながら上目遣いで言った。
その仕草に、つい吹き出してしまった。
「え? そんな理由?」
「はい、世界のどこにいても、81で日本に繋がる」
そう笑う憶俊の横顔。この人は、本当に人と人の繋がりを大事にしているんだな。憶俊の横顔を、じっと見つめる。
なんて、まっすぐな目をしているんだろう。まるで少年のようだ。
どうしたんだろ、ずっと見ていたい。
「いつでも機械や人が繋がることができるように、いいケーブルを作っているんです」
嬉しそうに話していた。自分の好きなことになると話が止まらなくなるところなんて、お父さんみたい。
憶俊が笑った拍子に、口元からさっきの血が滲んでいた。
「あ、まだ血が」
ナプキンを取って、そっと憶俊の口元にやった。
二人の手が重なった。吸い込まれそうな憶俊の瞳から目が離せなくなる。
え? そんな。まって、まって! 出会ってまだ数時間なのに。軽い女に見られちゃう。
心とは裏腹に静かに目を閉じていた。そこへ憶俊の唇が私に重なった。
とろけるような甘いキス。
さっき注文した軽食を届けるノックの音がして、慌てて体を引き離すまで、重ねた唇を離すことができなかった。
「ウーロン茶とフライドポテトと唐揚げですー、ご注文以上でお揃いでしょうか?」
店員さんにお礼を言って、お盆を受け取った。顔の火照りを誤魔化すようにウーロン茶を一口飲んでフライドポテトを摘み上げた。
その手に、再び憶俊の手が重なってくる。憶俊が、体を引き寄せてきた。やだ、恥ずかしい……、でも……。
「美里さん」
憶俊が囁くように、名前を呼んだ。
全てを委ねるように、そっと目を閉じる。今度はもっと濃厚なキスだった。全身の力が抜けちゃうような、甘くとろけるような。
<つづく>




