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81(エイティーワン)  作者: 雨後乃筍
3章 臨界点

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3−2 予兆

 水面の揺らぎをかき消すように、遠野とおのはブハッと水から顔を上げて、時計を見た。


 13時40分。


「そろそろ上がるか」


 遅いランチタイムを利用して約三十分、発電所併設のプールで泳ぐのが遠野とおのの日課だった。健康的だし、気分転換になる。前は習慣的に飲酒をしていたが、泳ぐようになってから寝付きが良くなり、酒量も減っていた。


 発電所には、発生したエネルギーを利用した温水プールが併設してある。


 今日は世界で初めて原子力が兵器として使用された日だ。原子力発電所では、慣例的に朝、黙祷を捧げる。世界で最も悲惨な使われ方をした原子力が、今は人々に明るさと平和を届けてくれる。


 温水プールは地域の住民も利用可能だが、交通の便があまり良くないのか、特に平日の昼時は数える程度しか利用者がいない。おかげで、プールのコースをほぼ独占し、のびのびと自分のペースで泳げるのがありがたかった。ゴミゴミしたプールで、人に気を遣って泳ぐのでは却ってストレスがたまる。


 プールから上がり、カフェテリアで日替わり定食を頼んだ。今日の日替わりはサバの干物定食だった。海が近いせいか、このカフェテリアの魚料理は美味い。特に軽く運動した後の飯は格別だ。


 食事を終えて制御センターに戻り、今日の予定を確認する。


 報告書をまとめて、明日以降の人員の確認、メンテナンスの予定。


 今日も定時上がりできそうだ。しばらく事務仕事に没頭していたが、何か違和感を覚えた。


 空気が乱れている?


 モニターに目をやると、いつものようにオールグリーンが点灯している。


 異常はない。外観を撮影している監視カメラも穏やかな風景を映している。


 空気の乱れを不思議に思いながら席に座ると、オペレーターの一人が話しかけてきた。山岸やまぎしという十年目のベテランだ。確か最近子供ができたとか。


 彼も定時に上がれるようにしないとな。


「主任、よろしいですか?」


山岸やまぎしさん、もちろんです」


「コンソールパネルが動かなくて」


「動かない? 故障ですか?」


「そうだと思うのですが、他のオペレーターのも動かなくて、主任のはどうですか?」


 手元のタッチパネルを操作して、詳細な数値を確認する。各数値の推移も安定していて急激な変化もない。


「どこもおかしいところはないようですが?」



「操作画面に入ってみてください」


 操作画面は、実際に人間の意思で原子力発電所の機能を操作できる画面だ。通常は自動運転なので使うことは滅多にない。操作画面に入ると、何も表示されず、黒い画面が広がっているだけだった。


 操作パネルが表示されるはずだが……。


「おかしいですね」


 操作ができないからといって、今すぐ何か問題が起こるということではない。だが……。


「二系統の内、片側を再起動してみましょう」


 制御システムは、すべて二重化されており、片側の再起動はメンテナンスなどで日常的に行なっている。何か異常があれば再起動で復旧することもよくある話だ。


 再起動後、再び操作画面を開くと、今度は色とりどりのアイコンが表示された。


 よかった。一時的なシステムフリーズか何かか。こんなことでも、事故記録を作らないとな。やれやれまた事務仕事が増えた。


「主任、またです」


 山岸やまぎしの声で、再度モニターを見ると、今開いていた制御画面が暗転していた。


 なにが起こった?


 今度は別のオペレーターから声をかけられた。


「主任、気象庁から連絡が入っています」


「気象庁?」


「茨城原子力発電所の周辺の海面温度が上がっているとのことです、何か異常が発生したのかという問い合わせです」


 海面温度だって?


 発電所では、発電に利用した蒸気を冷却するために、大量の海水を取り込み、約七度に上昇した温排水を海に放出している。ごく微量の放射性物質が含まれるが、環境への影響はないレベルだ。


 温排水のインジケーターを見た。


 グリーン。


 念のため、詳細温度も確認する。


 取り込み温度二十五度、温排水温度三十一度、昨日からプラス・マイナス二度。これも問題ない。


「何かの間違いでは?」


「気象庁が送ってきたサーモグラフィの画像出します」


 モニターに映し出された巨大な画像を見て、あっけに取られた。


 なんだ!? これは?


 赤とオレンジの歪な形の渦が表示されて、その中心にあるのは茨城原子力発電所!?


 スケールを見ると、一番濃い赤は五十度以上を指している。


「これは…温排水が五十度以上ということですか?」


 誰ともなく問いかけるが、誰も返事をしない。


「温度を下げましょう。運転を一時止めてください」


「操作不能です。コンソールが動きません」


 そうだった。再起動もすでに実施済みだ。


 後、何か手が?


「レストアしましょう! 最後のバックアップまで」


 山岸やまぎしが声をあげた。


 レストア。


 バックアップからシステムを戻す方法だ。現場のデータは失われてしまうが、正常運転時点まで戻すことができる。


「しかし、何も変更していないですよね?」


「何が原因かわかりませんが、片側のシステムファイルだけ戻す分にはノーダメージですよ」


 確かに山岸やまぎしの言うことも、もっともだ。


 システムファイルは毎日イメージスナップショットのハッシュ値をとり、もしハッシュ値が異なる場合はシステムイメージをバックアップする。


「最新のシステムイメージは、いつのですか?」


「月初のメンテナンス日です」


 メンテナンス記録を確認する。毎月一日のメンテナンス日なら、記録通りだ。


「わかりました。片側をレストアしてみましょう。オンラインバックアップなので、一時間ぐらいでレストアできますね」


 山岸やまぎしが慌ただしくコンソールを操作した。


「終わりました。システムファイル、月初時点です」


「操作パネルは?」


「…戻りました! 通常通りです」


 再度壁面モニターのインジケーターを見た。オールグリーン。


「良かった、では稼働率を下げてください」


 やれやれ、報告書をもう一枚追加か……。事故報告書のテンプレートを呼び出した。


 事故のカテゴリ……制御システムの操作不能……インジケーターの異常なし……事故のカテゴリフローを辿った。


 その先にあるのは「レベル1:クリティカル。至急報告 TELxxxーxxxーxxx」とあった。


 緊急事態? こんなことで?


 時計を見ると、午後六時に差し掛かるところだ。やれやれ、定時上がりは諦めるか。


 うんざりした気持ちで電話を取り上げたところで、山岸やまぎしの叫びにも似た声が響いた。


「主任! 見てください!」


 山岸やまぎしが示した壁面パネルには、いつものようにオールグリーンのインジケーターが並んでいた……いや? 一部アンバー表示?


 だが、アンバー表示はすぐグリーンに戻った。


 今、確かに一部アンバー表示だった。一体どこが?


山岸やまぎしさん、何があったのですか?」


「い、今インジケーターの半分以上がアンバーに……」


 なんだって?


 もう一度、壁面パネルのインジケーターを見た。


 オールグリーン。


 今度は別のオペレーターが叫んだ。


「主任! またダメです。操作パネル、またブラックアウトしました。操作できません!」


 <つづく>


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