3−1 急変
同じ国家情報局の同僚の小倉から「緊急連絡」が入ったのは、そろそろ日付がかわろうとしている六日の二十三時すぎだった。寝ようとしていたが、一瞬で飛び起きてスマホを取った。
「はい」
「東さん、小倉です。寝てましたか?」
「いや、まだだ。どうした?」
「隣国の揚陸艦が日本海に展開しています。今から支局に来れますか?」
「すぐ行く!」
テーブルの上に放り出してあった上着を掴んで、家を飛び出した。
くそ!
タクシーを捕まえて、新宿にある国家情報局の分室へ急ぐ。
先月も、中国の揚陸艦がEEZのラインを超えたため、自衛隊のスクランブル発進があったばかりだ。EEZであれば、他国の船も航行可能ではあるが、事前に航路がわかれば通達を出すし、ましてや軍艦が航行するなんてことをしたら、戦争挑発行為と取られる。
日本側がやったら、火がついたように喚くくせに。
現在、中国では政治家の汚職で国内からの不満が溜まってきている。汚職の内容は、自分の子供を大学に入れるために、成績を操作したとか、くだらない理由だ。中国では、いまだに一人っ子政策が後を引いており、子供の学歴偏重は異常なほどだ。
それこそ、良い大学に入れなければ人生が終わる、ぐらいに考えている。内政に問題がある時、決まって日本にちょっかいを出すのも変わらない。
日本の企業批判。領空侵犯。過去の戦争問題の持ち出し。日本の有名企業に嫌がらせやサイバー攻撃をしかけて、成功することで国民の支持をえているところがある。その有名企業に多くの中国人が勤務しているのにだ。
日本企業が中国から撤退したら、失業率が上がって困るのは中国なのに、だ。
中国の場合、政治家の汚職は、大袈裟ではなく生死の問題になりかねない。過去、有名な政治家が、失脚した途端に逮捕、死刑にまでなった例もある。
だからこそ、中国では日本に対する諜報活動が盛んに行われていた。
小倉とはタクシーの中で国家情報局専用のチャットでやり取りをした。
「今向かっている、三十分ほどで着く、どんな状態だ」
「隣国の揚陸艦が八隻、柏崎沖領海ギリギリに停泊しています。普通じゃないですね」
「噂の軍事侵攻か?」
「その可能性は高いです」
「しかし、国内の動きはまだないな?」
「はい、正面からきても失敗するだけです。何か国内でも動きがあるはずなんですが」
「同盟国の動きは」
「連絡済みです。手を出すなということです」
「くそ、またやられるまで手を出すな、か。やられてからじゃ遅いんだよ」
「向こうのロジックでは、被害の救済という形にしたいのでしょうね。新政権に恩を売りたいでしょうし」
「その恩で、何百人という人が命を落とすかもしれないんだぞ」
程なくして、タクシーが国家情報局新宿分室の前に止まった。エントランスから階段を駆け上がり、分室に入る。分室内のモニターに、日本海側の湾岸線と、その周辺に赤い光点が光っていた。
「小倉、状況は」
「変わらずです。日本海側は動きないです」
「揚陸艦が八隻か、軍事侵攻には十分な数だな。ヤツら本気か?」
「今回は本気ですね。ただそのまま来ても米国の介入があって幕引きになりますけど」
「ヤツら、何を考えている? 内部撹乱が常套手段だが?」
「正面から来たら、米軍の軍事介入の口実になりますからね。先に米軍を潰すか、介入を遅らせる手段を取ると思うのですが」
「ロシアは?」
「そっちは動きません。両面攻撃の可能性は低いでしょう」
中国とロシアで両面侵攻されたら、米国が介入しても止められないだろう。そうなったら第三次世界大戦レベルだ。
「流石にロシアはダンマリか。まだウクライナのダメージも残っているしな」
なんの策もなしに、中国が単独で侵攻しても意味はない。どこか別の国と組んだか、それともまだ何か隠しだまがあるのか。
米国の動きを止められる、何か。
李憶俊か! ヤツが何かを仕掛けたのか!?
「小倉!」
「はい」
「李憶俊を拘束する。ヤツの女もだ。緊急事態だ」
その時、分室の電話が一斉に鳴った。
小倉が、その一つを取った。受話器を耳に当てた後、こちらを振り向いた彼の声は、驚くほど静かで不気味な響きを持っていた。
「東さん、原子力発電所が暴走しています……」
「原子力発電所?」
「茨城原発ですよ」
「あの、世界一安全な原発が!?」
「原発は所詮、原発ですよ。どんなに安全でも核兵器と変わりません」
「ヤツの狙いはそれか?」
「でしょうね。偶然にしてはタイミングが良すぎます」
「たしか田中美里は……」
「そこの出入り業者です、メンテナンスを担当している……」
「茨城原発の正確な位置は?」
小倉が、バサッと地図を広げてくる。小倉の指さす先には霞ヶ浦があった。
「ここがやられたら百里基地が使い物にならなくなります。横須賀もでしょうね」
「首都までノンストップになるわけか」
「それだけではないです。太平洋側からの支援も無理でしょうね。やりたい放題できますよ」
「小倉、あの会社に連絡をいれてくれ! 緊急出動だ」
「あの会社?」
「あの、守銭奴の古狸のトコだ。どうせふっかけられるが日本がなくなるよりマシだ」
「あそこですか? 変人しかいないじゃないですか? 児童ポルノの容疑者とか、組事務所潰した奴とか……」
「一般社会ではクズ揃いだが、有事の時の腕は確かだ。俺のセンセイの弟子がいる。どんな事態が起こっても、タピオカミルクティーがひっくり返った程度にしか思わない狂った奴がな」
「センセイ?ってなんの先生ですか?」
「俺の警察時代の逮捕術のセンセイだ。女性なのに俺の十倍は強い」
「東さんの十倍って……人間じゃないですね、それ。ヒグマですか?」
「……まだジョークが言えるくらい余裕があるな」
「東さん、ジョークの続きというわけではないんですが……」
「なんだ?」
「ヤツら、領海内に入ってきました」
「なんだと!?」
「戦艦を敵国の領海に入れるってことは……バカでもわかりますよね?」
「……あきらかな軍事侵攻だ……」
「米軍がデフコン2にあげたそうです。自衛隊もそうです。スクランブルですね」
「自衛隊?」
「新潟と佐渡が出動して展開しているようです」
「もう攻撃があったのか?」
「……まだのようです。いま政府の閣僚会議が緊急招集されたみたいですね」
「相変わらずか、銃を突き付けられて会議かよ。自分が死ぬかってときに」
「それと、関係ないかもしれませんが、都内各所で騒ぎが起こっています」
「騒ぎだと」
「渋谷で強盗事件、池袋で放火、新宿で暴行事件、柏では交通事故が多発。牛久では……」
小倉は文字を追いかけるように、少し言い淀んでいた。
「牛久では、一部で停電です」
「それもヤツらの仕業か?」
「まあ、そうでしょうね。タイミング良すぎですし……」
「内部撹乱の常套手段ばかりですよ。さすが中国ですね。『兵法三十六計』そのまんまですよ」
「なんだそれ?」
「あれ? 知りませんか? 中国の兵法書で、孫子の兵法から作られた……面白いですよ?」
「俺は全く面白くないがな……」
「まあ、使われる方としては溜まったもんじゃないですね」
「このまま攻めてくるのか?」
「可能性はありますが、おそらく時間的には余裕があると思いますよ」
「なんでそれが分かる?」
「ヤツらには補給線がないです。深く侵攻しようとすれば自衛隊や米軍に補給線を絶たれて、全滅しちゃいますからね」
「補給線?」
「弾薬、兵士への食事などですよ。日本が狭いといっても、首都にくるためには日本アルプスを越えなければならないです。そのためには十分な補給線を確保しておかなければなりません」
「なるほど……」
「そして長い補給線は、相手の格好の的になります。自衛隊や米軍が自由に動ける前提では、補給線を絶たれるリスクがあるので、急速な侵攻はできないんですよ。せめてその二つが行動不能にならないと……」
「小倉、おまえヤケに詳しいな……」
「昔『信長の野望』ってゲームにハマっていたときがありましてね……」
「なんだそれ?」
壁面のモニターを再度見つめた。敵を示す赤い光点が新潟の海岸線に今にも到達しそうだった。
「マジで戦争が始まるのか?」
「東さん、なにを言っているんですか?」
小倉がモニターを眺めながら言ってきた。
「もう始まっていますよ、とっくにね」
<つづく>




