2−8 訓練
軍で李張偉に与えられたのは『0081』と言う番号だった。
大学を卒業すると、そのまま軍の訓練施設へ入り過酷な訓練が始まった。
訓練では全ての個性、張偉という存在はないものとされた。ただ胸にある番号を呼ぶことだけが許された。李張偉を名乗ることはおろか、全ての李張偉に関する記録は抹消された。
この時から李張偉という個人は消滅したのだった。
訓練の合間に、訓練で一緒になった仲間が声をかけてきた。胸に『0078』というコードを付けた、背の高くて目が窪んだ男だった。『0078』の指差す方を見ると、三歳前後の子供達二十人ぐらいが、部屋の中で運動をしていた。
「あれは? 軍関係者の保育園か?」
「違うよ。身寄りのない子供や、買ってきた子供だ。洗脳して日本に送り込むんだよ。子供のいない家庭に孤児として」
「なんだって?」
見ると、子供達の腕には張偉と同じように『0103』などの番号札が貼ってあった。
「こんな子供まで兵器に?」
「軍はなんだってやるさ。子供でも容赦ない訓練で、一年後に残っているのは十人もいるかどうか」
「しかし、こんな子供を……」
「洗脳して日本人の裕福な家庭に送り込むのさ。うまく育てば政府やアメリカに潜入できるだろ? 知っているか? 日本人の学歴は、家庭の裕福度に比例するらしいぞ。日本人のパスポートは万能だからな。高学歴の経歴を持って、政府関係者やアメリカ留学でもさせて、あとはドロンだ」
窓から見える無邪気そうな子供達をみて、薄寒いものを覚えた。
もしかしたら自分もこうなっていたのかもしれない。自分の子供が、こんなことになっていると知ったら、親だったら狂ってしまうな。
最初の一年はひたすら戦闘訓練だった。理不尽な罵倒と暴力は止むことなく毎日繰り返されていた。炎天下で、重装備で何時間も走らされた。張偉や他の訓練生は次々と熱中症で倒れていった。それでも休むことは許されず、体を引きずるように歩き続けた。もう誰も走ることはできなかった。
翌日は、地面に張り巡らされた鉄条網の下を這って移動する。その間、教官たちの足が容赦なく張偉の体を踏みつけてくる。そこで止まると更に踏みつけられるため、動き続けなければならない。
その翌日は、体におもりを付けて水中に沈められた。苦しくて水面に顔をだすと、教官たちに棒で押さえつけられるため、口だけ水面に出して、すぐまた水中に沈む。
意識が飛びそうになるのを必死で堪えて、水中と水面を行き来する。何人かの仲間は水面に浮き上がってくることができず、抱えられて連れて行かれていた。
その翌日は、裸になって立たされた体を教官たちが木の棒で叩きまくる。痛みのあまりうずくまりそうになるが、うずくまると木の棒が容赦なく頭に襲いかかってくる。腕でガードしても棒が顔に襲いかかる。全員手を頭の上に乗せて、腹や背中を棒で打たれていた。
毎日痣だらけだった。痣のできていない場所を探すほうが難しいぐらいだった。
当初はできた痣は1週間ぐらい残っていたが、次第に三日程度で消えるようになり、そのうち痣自体ができなくなっていった。その頃には、木の棒で殴られても、さほど痛みも感じなくなっていった。
基礎的な肉体訓練が終わると格闘術訓練と武器訓練が始まった。
テコンドー、空手、柔道、中国武術、ありとあらゆる格闘術の訓練が続いた。相手はもちろん同じ訓練生だった。相手を倒せばその日は食事を取ることが許され、負ければ食事抜きになった。だからみんな必死に相手を倒そうとする。仲間ではなく、完全な敵として。
並行して武器の訓練も続き、拳銃、小銃、手榴弾、ロケット砲、ナイフ術、車両や航空機の操縦まで休むこと無く叩き込まれた。
狙撃用のライフルで、ひたすら標的が来るのを待つだけの訓練では、寝ることもトイレに行くことも許されず、その場に垂れ流して眠気と闘いながら、ひたすら標的を待つ訓練も行った。
二年が過ぎる頃には強靭な肉体とスタミナを手に入れ、単独で潜入・破壊活動が可能な一人の屈強な兵士となっていた。
◇◇◇◇◇
一通り、いわゆる「兵士」としての訓練が終わると、マインドコントロールと座学の訓練が始まった。それは、単なる兵士ではなく特殊工作員としての訓練だった。
日本国の文化、政治、企業の把握、語学、イデオロギーが心の底に染み付くまで繰り返される。
日本人女性の扱い方まで訓練項目に含まれていた。心理学、恋愛学、マナー、日本の女性が、どのような男性に引かれるのか、どうすれば喜ぶのか。
同じ訓練生の中には、この訓練を「待ってました!」と喜ぶ輩もいたが、張偉にとっては嫌悪感しか無かった。思い出されるのは、あの時の紅花の姿と、横たわる毛毛の死骸……。
それを思い出すたびに、猛烈な吐き気に襲われていた。紅花の蔑むような目、汚物を見るような目。
だが、そんな感情とは関係なく、訓練は続いた。
どれくらい続いたかわからない。何日も何日も違う女性をあてがわれて、ただ犯すだけ。
その内、吐き気も感じなくなった。それと同時になんの感情も抱かなくなった。相手が誰であろうと、誰に見られていようと関係ない。命令された。使命だから。なんの喜びもない。感動もしない。背徳感もない。ただ、体だけは反応する。
不思議なことに相手の女性も無機質だった。言葉は喋らない。ただそこに半裸で座っているか横たわっているだけ。死んだような目をして、しかし体は反応する。機械的で無機質な反応。
当初は訓練が終わり自室に戻ると、理由もなく吐き気とめまいに襲われ、胃液を吐き続けていたが、それも数週間が経過する頃にはなにも感じなくなっていた。
過酷な四年間の訓練もついに最終段階に入っていった。最初に一緒にいた三十人近い訓練仲間も、半数以下に減っていた。
ある時、張偉は、例の幼児訓練部屋を覗いてみた。三年前は二十人前後いた子供達は、五人以下に減っていた。
前に声をかけてくれた0078もいつの間にかいなくなっていた。
これからは、個別訓練に入る。一人一人個別の訓練メニューが用意されていた。
四ヶ月かけて、日本の地理と原子力発電所のことを叩き込まれた。実在する原子力発電所の構造、働いている人員、構成、警備員のシフト。出入り業者。
張偉への命令は、出入り業者の女性スタッフを籠絡し、党が開発した特殊ケーブルを原子力発電所の内部ケーブルに仕掛けること。
党はターゲットの女性を徹底的にリサーチしていた。
好みの所作、家族との思い出、趣味、交友関係、男性関係、女性の好きな料理まで。
女性の好みそうな男性のプロファイルに合わせて、記憶、性格、言葉遣いを洗脳レベルで叩き込まれた。
過酷な食事コントロールにより、軍の訓練で鍛え上げられた肉体は削ぎ落とされ、女性好みの痩せ型へと作り変えられた。顔もまた、女性の理想通り、少年の面影が残るように整形が施された。
整形と肉体が安定するまで、さらに四ヶ月を要した。
0081という兵器としての新しい名前、パスポートに記載された名前、それは李憶俊。
アトラス株式会社に勤務する田中美里に合わせて作られた兵器として。
<つづく>




