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81(エイティーワン)  作者: 雨後乃筍
2章 見えない脅威

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2−5 転籍

 失態の翌日、上司から「昨日の事はもういい、忘れろ」と唐突に言われた。


 意味がわからなかった。


 上司に問い詰めても「忘れろ、関わるな」としか言われない。


 交際相手のB、その父親Cも調査対象から外れた。


 そちらを追跡していた調査員の話では、ちょっとした騒ぎになっていたらしい、突然交際相手でもあり、仕事を手伝っていた人間が失踪したのだから当然だろう。


 気になって、単独で交際相手のBの家を見張っていた。


 数日後、数人のスーツ姿の男が交際相手B宅を訪問しているのを目撃した。


 どこか既視感を覚えた。どこかで見たことがある、あのスーツ姿の男。妙にガタイの良い、耳が潰れている。


 程なくして男たちがB宅から出てきた。そして家の中からBの悲鳴に近いような声が聞こえてきた。


 なにがあった?


 気になって覗き込もうとしたところを、ガッと肩を掴まれた。振り向くとさっきの男が肩を掴んでいた。すごい力だ。


「無駄だ。変な気は起こすな。局員としての使命を全うしろ。それが自分を守り、国を守ることになる」


「あんた、一体誰だ? あの家族に何があった? 留学生Aは?」


「そういっぺんに聞くな。それに答えられない。守秘義務があるんでね」


「守秘義務? あんた捜査官か?」


 男は無言で胸ポケットから手帳を取り出した。そこには「国家情報局」のマークが刻まれていた。


 国家情報局。情報統制法に基づく超法規的組織。その実態は警察官であれど知っている人はごく少数に限られているという。


「あなたは、国家情報局の職員なのか?」


「……」


「国家情報局が動いているってことは……あの留学生は工作員?」


「……よく動く口だな……口は災いの元ってのを知らんのか?」


「あの留学生はどうなった? あの家族はどうなる?」


「……知らんよ。こっから先は所轄の仕事だろ?」


「……しかし、あの悲鳴のような叫び声……」


「……死んだよ」


「死んだ? 誰が?」


「お前たちが留学生Aと呼んでいる対象だ。昨夜な」


「なんでだ? なんで死んだんだ?」


「本当によく回る舌だな。興味があればここに電話でもしてこい」


 そう言って男は名刺を渡した。


 名刺には「総務省 事務企画室 所沢」と書いてあった。


 さらに数日後、所轄から父親Cが自殺したという連絡があった。父親Cの会社で情報漏洩事故があり、その原因を作ったのが父親Cで、主要な取引先から契約が切られて、損害賠償も請求されたらしい。引責辞任をし、遺書には家族への謝罪と「疲れた」と一言だけ書いてあったという。


 そしてさらに数日後、交際相手Bも飛び降り自殺をしていた。母親はどうなったのかわからなかった。


 狐につままれたような感覚に苛まれていた。僅かな数日の間に関係者が全員失踪か死亡。


 これは一体何が起こっているんだ?


 上司に聞いても「手を出すな」としか言われない。そして「休暇でもとったらどうだ?」とも言われた。


 自分が邪魔になったということか? 余計なことをするなと?


 もっと上の組織が動いているということか。いまの自分の立場では真相にたどり着けないような、もっと上の……真実を確認するのは……。


 スマートフォンを握り、前に男から渡された名刺の番号に電話を掛けていた。それが後戻りできない片道切符であることは容易に想像できた。だが、このまま黙っていることなどできなかった。


 国家情報局に入ったのは、それから一年後のことだった。


 ◇◇◇◇◇


 国家情報局に転籍したあずまは、所沢を長とする保安部に配属になった。


 内閣調査室から出向という形で来ていた所沢ところざわは、諜報活動のベテランだった。配属後、所沢ところざわから留学生Aの事件のあらましを聞くことができた。


 留学生Aは大学工学部の交換留学生として来ていた、芸能人のような精悍な顔立ちの男だ。ハニートラップとして送り込まれるスパイは、ほぼ整形をして日本人女性に好まれる顔立ちをしている。程なくして、同じ大学の年上の女性と付き合い始めた。


 Aは、まんまと女性の家庭に入り込み、アルバイトとして女性の父親の仕事を手伝うようになっていた。その女性の父親は、大手通信キャリアのメンテナンスを行う会社の役員をしていた。


 ここまで半年。そこからは想像通りだった。


 Aが、その会社から特殊通信ケーブル設計情報とプロトコル情報を盗み、中国にデータを送信しているところを、捜査官により拘束された。残念ながらデータ流出は防げなかった。


 その女性と父親に、逮捕の事実を伝えた時は悲惨だった。父親は呆然とその場に崩れ落ち、女性は泣き叫んでいた。あれだけ信頼をおいていれば当然だろう。結婚の約束もしていたはずだ。


 その後、その父親の会社は倒産した。情報漏洩の責任を追及され、大手キャリアからの仕事が切られたのだ。損害賠償も請求されたと思う。また、そんな事故を起こした会社と契約するようなキャリアもいない。


 さんざん走り回ったのだろうが、通信機器メンテナンス一本でやってきたことが裏目に出た。


 最後は「疲れた」という言葉を残して、自宅で首をくくっていた。その後を追うように女性も飛び降り自殺した。女性は妊娠していたらしい。いまとなっては確認のしようがないが、留学生Aとの子供だったのではないかと言う話だ。


 その周辺ではそこそこの豪邸だった自宅も、他人の手に渡り、残された奥さんがどうなったのか、いまだにわからない。


 その事実を突きつけても、Aは感情を出さなかったそうだ。


 ただ自分の役目は終わったこと。自分がこの作戦のために作られた「兵器」であることを告白した。そしてAも翌日には死亡していた。死因は大動脈破裂だが自然死とは思えない。


 何かが体に仕掛けられていた可能性はあるが、最後まで原因はわからなかった。


「生きていくほうが地獄だったかもしれないな」


 所沢ところざわがつぶやくように言っていた。彼には分かっていたのだ、スパイの末路と、スパイに関わった人の末路が。


 スパイ活動によって、日本国家が危機に晒され、仮に軍事行動に発展した場合、それに加担したものは日本人、外国人を問わず刑法八十一条により死刑となる。もしくは刑法八十二条により、最大無期懲役という重罪だ。


 単なる犯罪者が、組織的とはいえ、こうして国家に対する脅威を継続的に実行できない。そこには、巨大なバックボーン、資金と組織力、プロパガンダが必要になる。それができるのは、マフィアとかの犯罪組織ではなく、国家規模の軍組織だ。


 それにしても、だ。


 工作員とはいえ、自国民を最も簡単に消してしまう組織力に、恐怖とも憤りともわからない感情が芽生えた。


 そしてあの一家の末路。あれも、もしかしたら組織的な抹消計画の一部だったのかもしれない。


 スパイとは残酷だ。関わった人の心を修復不可能な状態まで深く傷つけていく。そして秘密保持の名目の元、まるで泡のように、簡単に命が消えていく。


 もうあんなことを繰り返してはならない。


 誰かの希望の火を消してはならない。


 <つづく>


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