1−9 思い出の
自分の人生に「結婚」という言葉が存在するなんて、思ってもみなかった。
帰りの電車に揺られながら、うとうととそんなことを考えていた。茨城原子力発電所から牛久駅まで、おおよそ二時間。駅に着いたときは、すでに二十二時を過ぎていた。
今日はコンビニで夕食を済ませようかな。
自分の部屋を思い浮かべていた。誰もいない、殺風景な部屋。昨日まで憶俊がいた部屋……。一緒に食べた夕食……。そして……。
憶俊がいないって考えただけで、こんなにも風景って変わるんだね。今は全てがモノクロームに見える。憶俊と一緒に生活できたら、どんなに毎日が楽しいだろう。
結婚か。
プロポーズって、男の人からするよね? でも今の時代はどっちでもいいのかな?
自分の人生に存在しない言葉だと思っていたから、考えたこともなかった。
そうだ。おばあちゃんとお父さんのお墓に報告に行かなきゃ。
好きな人ができたよ。
もうひとりぼっちじゃないよ。
だから心配しないで。
憶俊、一緒にお墓参りしてくれるかな。
中国って、お盆ってあるんだっけ?
コンビニで、何を買うわけでもなく、ウロウロしながらそんなことを考えていると、スマホが鳴り、画面には憶俊の名前が表示されていた。頬が緩むのを感じながら、通話ボタンを押す。
「もしもし?」
「もしもし美里さん? 仕事終わりましたか?」
憶俊の声に呼応するように、思わず自分の声が高くなっていた。
「うん、もうすぐ家に着く。これからコンビニに寄って帰るところよ、どうしたの?」
「美里さん、遅いから心配になって」
憶俊……かわいい……。
「もー、子供じゃないから大丈夫。憶俊は今家? ちゃんと仕事行けた?」
「はい、仕事に行って、帰ってきました。美里さんの家に」
「え? 憶俊、今、私の家にいるの?」
「はい、ごめんなさい。どうしても会いたくて」
憶俊がいる…会える!
「それで、簡単な夕食を作ってます。もしまだだったら……」
コンビニを飛び出し、家まで走った。部屋に明かりがついている! なんてやさしい明かり。脳裏に昔見たガス会社のCMがよぎる。
部屋のドアを開けると、美味しそうな、懐かしいような匂いが鼻腔をくすぐった。これって…
「美里さん、お帰りなさい。ごめん、勝手に入って」
我慢しきれず、飛びつくように憶俊に抱きつく。
「ううん、来てくれてありがとう。私も憶俊に会いたかった。変だよね。今朝まで一緒にいたのに」
憶俊が優しくキスをしてくれた。甘い甘いキス……。
「美里さん、これ、よかったら」
彼が差し出してきたのは、カップに入った、野菜たっぷりのスープ。
口にすると体の芯が溶けるような、やさしいスープ。おばあちゃんが作ってくれたスープみたいに懐かしい味がする。おばあちゃん……いつもコレ作ってくれたっけ。
知らず知らずに、涙が溢れていた。
「憶俊、ありがとう。すごく美味しい。おばあちゃんが作ってくれたスープみたいな味」
「よかった。これ。僕が子供の頃好きだったスープです」
もう一度、憶俊を抱きしめた。
「憶俊。私、おかしくなっちゃったみたい。今日もずっとあなたの事を考えていたの。今日帰ってあなたがいたら、どんなに幸せかって思ってた。私こんなに幸せでいいのかな」
「美里さん、僕もずっと美里さんのこと考えてた。だから同じ」
もう一度、憶俊の背中に手を回して、背伸びをするようにキスをした。
「憶俊。あのね。日本のお盆って、お墓参りをするシーズンなの。今度、おばあちゃんと、お父さんのお墓参りに一緒に行ってくれる?」
「ぜひ! 美里さんを大切に育ててくれた人に報告したいです」
え? それってもしかして……心臓がドクンと高鳴った……。
「憶俊ありがとう。私も憶俊の両親に挨拶に行かないとだね!」
憶俊が目を伏せて、急に黙り込んでしまっていた。
「憶俊?」
「美里さん、今まで黙っててごめんなさい。僕に両親はいません」
「え?」
「僕が小さい頃、二人ともいなくなって、親戚に育てられました」
「え? 亡くなったの?」
憶俊が首を横に振った。
「僕のことを置いて、どこかに行っちゃいました」
それから、憶俊の子供時代のことを話してくれた。
親戚の家で育てられたこと。
食事は出してくれたけど、それ以外は相手にされなかったこと。
奨学金で大学に行き親戚の家を出たこと。
「僕はずっと、自分を偽って生きてきました。本当の自分じゃない自分として。自分のことが嫌い。この顔も体も」
心が愛おしさで溢れそう……、もう一度憶俊を抱きしめた。
「憶俊、辛かったね、寂しかったね。でも安心して。今は私がいるから。ずっと、ずっと。憶俊は、私の大好きな憶俊。それは世界がどうなっても変わらない」
私が、私が、憶俊のことを守らなきゃ。憶俊に安らぎを与えなきゃ。寂しい思いなんてさせない!
<つづく>




