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81(エイティーワン)  作者: 雨後乃筍
1章 甘い毒

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1−9 思い出の

 自分の人生に「結婚」という言葉が存在するなんて、思ってもみなかった。


 帰りの電車に揺られながら、うとうととそんなことを考えていた。茨城原子力発電所から牛久駅まで、おおよそ二時間。駅に着いたときは、すでに二十二時を過ぎていた。


 今日はコンビニで夕食を済ませようかな。


 自分の部屋を思い浮かべていた。誰もいない、殺風景な部屋。昨日まで憶俊イージュンがいた部屋……。一緒に食べた夕食……。そして……。


 憶俊イージュンがいないって考えただけで、こんなにも風景って変わるんだね。今は全てがモノクロームに見える。憶俊イージュンと一緒に生活できたら、どんなに毎日が楽しいだろう。


 結婚か。


 プロポーズって、男の人からするよね? でも今の時代はどっちでもいいのかな?

 自分の人生に存在しない言葉だと思っていたから、考えたこともなかった。


 そうだ。おばあちゃんとお父さんのお墓に報告に行かなきゃ。


 好きな人ができたよ。

 もうひとりぼっちじゃないよ。

 だから心配しないで。


 憶俊イージュン、一緒にお墓参りしてくれるかな。


 中国って、お盆ってあるんだっけ?


 コンビニで、何を買うわけでもなく、ウロウロしながらそんなことを考えていると、スマホが鳴り、画面には憶俊イージュンの名前が表示されていた。頬が緩むのを感じながら、通話ボタンを押す。


「もしもし?」


「もしもし美里みさとさん? 仕事終わりましたか?」


 憶俊イージュンの声に呼応するように、思わず自分の声が高くなっていた。


「うん、もうすぐ家に着く。これからコンビニに寄って帰るところよ、どうしたの?」


美里みさとさん、遅いから心配になって」


 憶俊イージュン……かわいい……。


「もー、子供じゃないから大丈夫。憶俊イージュンは今家? ちゃんと仕事行けた?」


「はい、仕事に行って、帰ってきました。美里みさとさんの家に」


「え? 憶俊イージュン、今、私の家にいるの?」


「はい、ごめんなさい。どうしても会いたくて」


 憶俊イージュンがいる…会える!


「それで、簡単な夕食を作ってます。もしまだだったら……」


 コンビニを飛び出し、家まで走った。部屋に明かりがついている! なんてやさしい明かり。脳裏に昔見たガス会社のCMがよぎる。


 部屋のドアを開けると、美味しそうな、懐かしいような匂いが鼻腔をくすぐった。これって…


美里みさとさん、お帰りなさい。ごめん、勝手に入って」


 我慢しきれず、飛びつくように憶俊イージュンに抱きつく。


「ううん、来てくれてありがとう。私も憶俊イージュンに会いたかった。変だよね。今朝まで一緒にいたのに」


 憶俊イージュンが優しくキスをしてくれた。甘い甘いキス……。


美里みさとさん、これ、よかったら」


 彼が差し出してきたのは、カップに入った、野菜たっぷりのスープ。


 口にすると体の芯が溶けるような、やさしいスープ。おばあちゃんが作ってくれたスープみたいに懐かしい味がする。おばあちゃん……いつもコレ作ってくれたっけ。


 知らず知らずに、涙が溢れていた。


憶俊イージュン、ありがとう。すごく美味しい。おばあちゃんが作ってくれたスープみたいな味」


「よかった。これ。僕が子供の頃好きだったスープです」


 もう一度、憶俊イージュンを抱きしめた。


憶俊イージュン。私、おかしくなっちゃったみたい。今日もずっとあなたの事を考えていたの。今日帰ってあなたがいたら、どんなに幸せかって思ってた。私こんなに幸せでいいのかな」


美里みさとさん、僕もずっと美里みさとさんのこと考えてた。だから同じ」


 もう一度、憶俊イージュンの背中に手を回して、背伸びをするようにキスをした。


憶俊イージュン。あのね。日本のお盆って、お墓参りをするシーズンなの。今度、おばあちゃんと、お父さんのお墓参りに一緒に行ってくれる?」


「ぜひ! 美里みさとさんを大切に育ててくれた人に報告したいです」


 え? それってもしかして……心臓がドクンと高鳴った……。


憶俊イージュンありがとう。私も憶俊イージュンの両親に挨拶に行かないとだね!」


 憶俊イージュンが目を伏せて、急に黙り込んでしまっていた。


憶俊イージュン?」


美里みさとさん、今まで黙っててごめんなさい。僕に両親はいません」


「え?」


「僕が小さい頃、二人ともいなくなって、親戚に育てられました」


「え? 亡くなったの?」


 憶俊イージュンが首を横に振った。


「僕のことを置いて、どこかに行っちゃいました」


 それから、憶俊イージュンの子供時代のことを話してくれた。


 親戚の家で育てられたこと。


 食事は出してくれたけど、それ以外は相手にされなかったこと。


 奨学金で大学に行き親戚の家を出たこと。


「僕はずっと、自分を偽って生きてきました。本当の自分じゃない自分として。自分のことが嫌い。この顔も体も」


 心が愛おしさで溢れそう……、もう一度憶俊イージュンを抱きしめた。


憶俊イージュン、辛かったね、寂しかったね。でも安心して。今は私がいるから。ずっと、ずっと。憶俊イージュンは、私の大好きな憶俊イージュン。それは世界がどうなっても変わらない」


 私が、私が、憶俊イージュンのことを守らなきゃ。憶俊イージュンに安らぎを与えなきゃ。寂しい思いなんてさせない!


 <つづく>


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