1−8 キラキラの朝
朝日が差し込んできて顔を照らし、瞼の中にも光を感じる。まどろみながら薄目を開けると、おいしそうな匂いが鼻腔をくすぐってきた。手探りで憶俊の体を求めたが、毛布とシーツの空間があるだけで、手がなにもない空間を弄っている。
体を起こして起き上がると、無防備な胸があらわになり、慌てて毛布を引き寄せる。
「憶俊……?」
「あ、美里さん、起きた? まだ寝てて大丈夫だよ」
台所から憶俊の声がして、なにやらカチャカチャと音が響いてくる。
「憶俊……どうしたの?」
「美里さん、フォーって食べたことありますか?」
(フォーって確か米で作った春雨みたいなやつ……?)
「ううん、食べたことないけど……」
「いまフォーのスープを作っている。初挑戦の料理」
「え? そうなの? ごめん、私も作るよ」
「いいの、美里さんは寝てて。中国では男が料理するのは当たり前だから。それに昨日は疲れたでしょ?」
「フォーって、たしかベトナム料理だったっけ?」
「中国でもフォーって食材として使いますけど、今作っているのはベトナム料理のフォーですね。このまえテレビでやっていたんです」
「え? すごいね。テレビでやっていた料理が作れるの?」
「実は、中華料理のスープにフォーをいれただけ。だから、偽物のフォー料理です」
「それでも、すごいよ」
「できるのにもうちょっと掛かるから、ゆっくりしてて」
昨夜の憶俊のことを思い出して、顔が思わずにやけてきた。憶俊、なんて優しいの。彼みたいな人が旦那様だったら、毎日幸せだろうな。
「ありがとう、じゃお言葉に甘えてシャワー浴びてもいい?」
「もちろん。その間にできると思うから」
ベッドの周りを見渡した。ちょっとこのままベッドから出るのは……。
「憶俊、ごめん……その……バスタオル取ってくれない?」
「え?」
「その、ちょっと明るくて恥ずかしくって……」
「え? いまさら? 昨日あんなだったのに?」
憶俊が大きいバスタオルを笑いながら手渡してくれた。
「もう! 女心がわかってない! 隠したいものなの!」
「ははは、ごめんなさい。でも美里さんの体綺麗だから、見ていたい」
「もう、ばか!」
バスタオルで体をくるんでバスルームに逃げるように入った。
お世辞かな? 体が綺麗って……。
鏡に写った自分の身体を眺めてみた。お腹は出てないよね? くびれもあるし……胸も……まだ垂れていないし……。
綺麗……なのかなぁ……。
ついニヤけてしまう。そうしていると、外から憶俊の声がした。
「美里さん、もうすぐできるよ、朝ごはん」
「あー、ありがとう、すぐ出るね」
シャワーを頭からザザッとかぶった。まどろみの中で起きる朝、美味しそうな匂いと食事、綺麗って言ってくれる旦那様。こんな漫画みたいなキラキラの生活が私に来るなんて。
その時、心に一つの影が差した。この生活が、いつか壊れてしまうんじゃないか……こんな幸せがいつまで続くんだろう……。
壊れた時、失った時、どうなってしまうんだろう……。考えたくなくても浮かんでくる不安。その不安を払うために、頭をガシガシと洗っていた。
シャワーから上がると、部屋の中が香ばしい匂いで満ちていた。
「うわー、いい匂い。美味しそう」
「美里さん、ちょうどできたよ。美味しいかわからないけど」
憶俊がよそってくれたスープを一口飲んでみた。口の中にスパイスの香りが一気に広がる。
「憶俊、すごく美味しい。これはなに? なんかスパイスの香りがして、体にあっている」
「パクチーを入れてみたんです。苦手な人も多いけど、前に美里さん、食べているのを見たから、平気かなって入れてみました」
「あ、これがパクチーなのね。へえ、いままで意識してなかったけど」
「ちょっとクセのある香りですよね。でもデトックス効果や栄養があるんですよ」
「うん、私全然大丈夫。パクチー」
「フォーも食べてみて。歯ごたえがあって美味しいと思います」
言われるがまま、スープに入っているフォーをすすった。コシのある麺状のものが、口の中でスープと混ざり合って流れてくる。
「うん、フォーも美味しいね。すごい健康的な朝ごはんって感じ」
「中国では、これにおかゆとか揚げパンとかつけるんですけど、揚げパンがなかなか売ってないですね」
「日本だと揚げパンは無いかもね。パン屋さんで売っているきなこ揚げパンとかになっちゃうかも」
もう一度フォーをすすった。体の隅々まで浄化されていくような味だった。
部屋に朝日が差し込んで、美味しいご飯とやさしい彼、昨晩の甘い記憶。さっきまでの不安がすっかり消し飛んでしまっていた。
将来に不安はある。それは誰でも一緒。でも今はキラキラ輝いている。それだけで満足だった。
<つづく>




