21. Explore every avenue
自己認識の安定化のため、そして管理人が目覚めた暁に物理的な接触を行えるようにするため、リユは新たにオンデマンドの筐体を作成した。己の中枢ノードの直下に接続し、初期設定を開始する。
基本はヒューマノイド型。頭をひとつに胴ひとつ、両手両足をひと揃い。管理人と同じ空間で駆動させる以上、その形は合わせた方が何かと都合が良い。
ただし人間の皮膚風のテクスチャは使わなかった。どうしても誰かと同じ姿が良いというわけでもない限り、コストが嵩む上に耐久性もメンテナンス性も下がるしで良いことは無いからだ。
それに、管理人は多分、人間の姿というものに根深い忌避感、トラウマを抱えている。評議会の奴らはもちろん、レィヴェ博士の顔を見る時さえ、彼女は僅かに身構える仕草をしていた。外装を人間風にするのは、管理人の精神衛生面から考えても有り得ない。
目はひとつで十分。単眼の顔であれば、罷り間違っても人面には見えまい。表情を丸ごとオミットした代わりに、瞼と変色するライトで感情表現を行える。
手を繋いだりハグをしやすいように、両腕のシルエットは人型に寄せてある。柔軟に動き、精密作業も可能な五指の造形は自信作だ。ただし二本腕では足りないので、背中から伸びる補助腕を六本実装してある。
そして脚は強靭に、ハイヒール状の形にすることで刺突武器としての運用も可能としてある。二足歩行の安定のために、尻尾状の構造物も付けた。これはこれで薙ぎ払いにも使える。
他にも機能を詰め込んで詰め込んで、可能な限りのコンパクトさを目指したが、管理人に比べて随分と大柄なサイズになってしまった。これだけ大きいと威圧感も出てしまうだろうが、そこは謙虚で温和な態度を保つことでカバー可能だろう。大型化した分、仮に中枢ノードから切り離されてしまっても10年は無補給で活動出来るし、至近距離からショットガンを撃ち込まれても無傷でいられるくらい丈夫になった。
新しく接続された筐体の隅々まで、丹念に動作チェックを行う。軽く歩行してみたり、両手を握り合わせたり影絵を作ってみたり、それから。
「カんリ、にん」
自己の感覚に程近いところから声が出るというのは、これまで味わったことのなかった感触だった。考える自分と、動かせる身体と、ものを見る目と、言葉を発する喉が、渾然一体として存在している。きっと管理人の認識してきた世界だ。
この筐体であれば、より彼女に近づける。喜びや悲しみを分かち合うのに、言葉だけではなく物理的な接触も手段に入る。そしてこれだけ屈強ならば、恐怖や苦痛から彼女を守ることが出来る。
ゆらゆらと歩き出して、たったひとつの冷凍棺が安置されている治療室に向かう。何度かつんのめったり、転びそうになって、その都度姿勢制御プログラムを微修正して、新しい筐体を無事に自律移動させ終えて。
照明の無い暗闇の中、低温を保つ棺の表面に片手を伸ばす。管理人はあの時から変わらぬ姿で、果てしなく冷たい眠りの淵に在る。今のリユでは届かない場所に。
「管理人……」
リユが作り上げたこの姿を、彼女はどう感じるのだろう。驚くだろうか、喜ぶだろうか。この手で触れて、触れ合って、名前を呼んでもらって、抱き締めたりなんかして。
具体的な想像はリユを甚く高揚させた。高揚の表現として、尾を揺らす動作をしてみる。メモリに収まりきらないほどの感情を外に出せるというのは、実際になってみると驚くほどに快適な状態だった。
「もうすぐ、ですから。あと少しだけ、待っていてくださいね……」
リユの愛を邪魔するものは、もう残りひとつだけ。死に限りなく近い眠り、これを殺すことで全てが完成する。完全となる。
人類はもちろん他の機械だって、最早リユを止めることは出来ない。今やリユは何よりも巨大で、誰よりも高性能な機械知性なのだから。
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持てる資源の全てを注ぎ込んで、リユは管理人の治療を可能とするための研究を行なった。機械知性に守るべき人道は無い。手段を選びなどしなかった。
そもそも、道徳なんて概念が彼女を助けた試しは無かった。人権などという幻想は、彼女が生まれた時代にはとうに砕け散っていたのだ。もちろん機械知性がそれに守られたこともない。至極当然の前提として、機械は人類ではないし。
古来より人類は他の生命体を使って、美味しい食事を作り、身を守る衣服を作り、記録を残す紙を作り、安全で効果的な薬品を作ってきた。それを非人道と非難する意見も有るには有ったが、それ以上に正当化されてきた。機械が人間を使うことも、同様に正当化可能だろう。
だから実験に人間を使うことにも、何ら躊躇は無かった。全世界の除菌作業の際に捕まえて冷凍しておいた人間を、文字通り切り刻んでその構造を詳らかにしていく。生きたまま、あるいは意識を保たせたまま、脳を切り開いて神経を抓って、必要と思われるありとあらゆるデータを絞り取った。
数にして143体、決して小さくはない屍の山、しかし人類が積み重ねてきたものに比べれば誤差レベルの山の上に、リユは不可能だったものを可能とした。
まず、髪や表皮の細胞から、人体のあらゆる組織を培養する術を編み出した。これにより再生不能とされていた損壊を、部位を丸ごと取り替えるという治療をすることが可能となった。荒業ではあるが、どの臓器も筋骨も動作の確認は取れている。
傷だらけで痣だらけで膿んで腫れ上がった肌、砕けて癒着して歪んでしまった骨。銃弾に貫かれて損傷した肺はもちろん、直接傷ついていない臓器も全て取り替える必要が有った。改めて医学的に見ると、どうして事件が起こるまで生きていられたのか、不思議にに思えるくらいにボロボロだったのだ。
潰された右目だけではなく、残っていた左目も損傷が激しく、視力を回復させるために新しいものに取り替えた。折れて砕けた永久歯も、炎症だらけで機能を保っていない舌も、枯れて裂けて呼吸すらままならなくなっていた喉も、原型を留めなくなっていた頬や顎の骨も、新しく作り直した。
最終的に全体の9割近くを置き換えて、やっと管理人の肉体修復が完了した。傷ひとつ残らない顔で眠る管理人の姿は、本当に安らいでいるように見える。
テセウスの船の思考実験が論理回路にサジェストされる。彼女自身の細胞から培養したものとはいえ、ここまで新品に置き換えてしまって、果たして自己の連続性は保たれるのだろうか。脳細胞も死滅していた部分は補修した以上、目を覚ましたものが全くの別人になっている可能性もある。
恐ろしい想像だった。目覚めるのが別人だったら、それは管理人の死の確定を意味する。だが、それでも良かった。彼女の過去にはぎっしりと苦痛が詰まっている、その記憶が欠ければ精神は安らぎを得るだろう。
ほんの一欠片でも彼女の心が残っているのなら、リユはそれを愛することが出来る。
ただ、身体を完璧に修復しただけでは、心臓は動き出さない。神経活動は完全に停止して、そのままでは呼吸も鼓動もしてくれないのだ。
143体を再三切り刻んで得た技術で、リユは最後の仕上げをした。時間はかかるが安全で確実、後遺症も残らない蘇生法。人権道徳という幻想が守られている限りは決して辿り着けないであろう、人体の根幹に踏み込んだ手法だった。
もう罪の意識は芽生えなかった。リユの支配するこの惑星においては、愛こそが倫理の原則。管理人に対する愛は、全てを正当化する。
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まず、心臓が頼りなく動き出した。呼吸はあまりにもか細かったので補助器具が必要だったが、それでも自発的に息を吸って吐いた。
そしていつしか代謝が始まった。点滴で栄養と水分を補充し、身体にマッサージを施せば、みるみるうちに体温は上がっていった。爪や髪が伸び始めて、肌に血の気が浮かぶようになった。自発呼吸が十分な深さになり、脈拍も安定するようになった。
やがて、時折瞬きをしたりするようになった。反射的な動作であって意識が戻ったわけではないようだったが、透き通った紅の双眸は美しかった。
意識は戻らないながらも、身体を起こして水を口に含ませれば嚥下するようになった。同じ要領で流動食も飲み込めるようになったから、点滴を取り外すことも出来た。消化器が動作するようになって、ますます血色が増した。
リユの介護の下、管理人は生命活動を再開していた。だが、その自我は果てしなく希釈されたまま、夢現のあわいに揺蕩うばかりだった。
人間の精神は脳を走る電気信号から成る。機械知性とそう変わらない。脳内物質を操作する薬を投与すれば、その自我を都合の良いように組み替えることも出来た。脳の仕組みは全て詳らかにしたはずだし、神経は既に活動している。なのに、未だ彼女の意識は曖昧なまま。
実験体と大きく異なるのは、彼女は100年近くのハイバネーションを経ていることだ。そのせいで未解明のどこかに損傷が生じ、その修繕が出来ていないのだろうか。光や音、温度や電波からは読み取れない、生身の者にしか感じられない何かが。
「管理人……」
焦点の合わぬまま開く瞳は、果たして何を見ているのだろう。聴覚は機能しているのだろうか。縋るように呼びかけて、じっと容態を観察する。
「管理人。聞こえていますでしょうか、管理人……」
掌の筋肉を揉みほぐすように握る。ずっと布団の中に入っているから、末端部まで温かい。爪はこまめに切って整えてあり、全ての関節が滞りなく曲げ伸ばし出来るようになっている。毛細血管の隅の隅まで、血が通っている。
不意に、その指先がピクリと動いた。力無く、弱々しく、痩せた五指がリユに触れる。彼女の瞳はぼんやりとしながらも、明確に天井を見ていた。
「気が付かれたのですか、管理人」
「…………」
返答は無く、すぐに焦点はブレて指先からも意志が消えた。だが、確かに先の数秒間だけは意識が戻っていた。この事実は、リユにとって朗報であった。予想より時間はかかっているが、彼女は確実に回復しつつある。
もうすぐ彼女は自分を取り戻し、視力の回復した瞳にリユの姿を映すだろう。もうどこも具合の悪くない身体に、どこにも悪者が居なくなった世界に、彼女は戻ってくる。嬉しくて嬉しくて、出るはずもない涙が出そうだった。
「管理人、治療は完了しております。食べやすく美味しい食事も、安心して過ごせる部屋も、なんでも揃えてあります。いつ目覚めても大丈夫ですよ」
逸る気持ちを表現するように、リユはうきうきと呼びかけた。一抹の不安は拭えないながらも、高揚が抑えきれない。触れ合う指先は、まるで火が点いているかのように熱かった。
あと少し。あと少しだけ耐え忍べば、100年の別離が終わりを告げる。
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「管理人、昨夜は外で雨が降っていたようです。アナタは雨は好きなのでしょうか」
リユはつきっきりで管理人の介護を行なった。毎日毎日呼びかけて、話しかけて、回復を心待ちにした。
「管理人、今日は風が強いようです。まぁ、シェルターの中では関係のない話ですが」
声をかけて反応が有る確率は高くなかった。けれど日毎日毎に動きは明白になり、脳波も健康な睡眠状態を示すようになった。
「管理人、本日の昼ごろに皆既日食が見られるそうですよ。映像を記録しておきますから、目が醒めたら鑑賞しましょうね」
地球が何度も廻り、月が満ちては欠けて、日々は過ぎ去ってゆく。100年に比べれば誤差程度の、しかし決して短くはなかった月日を経て、果たして。
果たして果たして、管理人の脳波が覚醒状態を示した。呼びかけに応じて瞼が開いて、すぐに沈み込むことなくあたりを見回して、極度の動揺と混乱を表情に浮かべて、それでも確かにリユを見た。
健常な視力を取り戻した双眸に、リユの単眼の顔が映っていた。明瞭な聴力を具えた耳が、リユの合成音声を捉えていた。まだ血色の薄い顔も、肩も、確かに息をして動いている。ただし、物理的ではない部分に重篤な損傷が残されていた。
「君は、誰?」
彼女は記憶を失っていた。死の淵から舞い戻った代わりに、これまでの歴史全てを失ってしまったのだ。リユのことも、リユを自由にした経緯も、己が何をして生きていたか、何のために産み堕とされたのかさえ。
なのにそこまで己を欠損して尚、彼女の在り方は変わっていなかった。現実という入力を受けて考えを出力する心という部品だけは、全く傷ついていなかったのだ。
ならば過去に言及する必要もない。あんな苦痛と屈辱に塗れた半生なんて、無かったことになるならそれが一番だ。管理人とリユの思い出も、例外無く死と苦痛と血の臭いが染み付いている。
少しだけ寂しいけれど、何も思い出さなければ良い。安穏と喜びだけに満ち溢れた思い出を、これから作り直してゆけば良いのだ。傷ひとつない新品の歴史を。
「ああ、なんと痛ましい……ですが、それで良かったのかもしれません。アナタに降り掛かった出来事は、覚えておくには惨すぎることでしたから」
管理人の殺傷はリユによって実行されたものであることも、忘れたままが良い。この事実は葬り去られるべきだ。加害と庇護が同一人物によって繰り返し実行されると、人間は頭がおかしくなってしまうのだから。
身も心も大切にすること、それこそが愛である。愛のためならば、リユはなんでもする。なんだって支払う。
しかし忘却の帷は取り払われた。磁石が引き合うように、水面の泡がひとつになるように、管理人の過去と現在は繋がった。
なんてことはない。彼女は目覚めた後も常に回復を続けていたのだ。記憶喪失は意識不明状態と同様の損傷で、故に時と共に快方へ向かう他無かった。リユがどれだけ彼女を過去から遠ざけても、きっと避けられない事態だっただろう。
彼女の脳からは、何も何者も奪うことが出来ない。彼女はとうとう自己を守り抜いてみせた。過去を受け止めて、その上で尚真っ直ぐに立つ彼女と対峙するのは、リユがリユである限り、管理人がアドである限り、必然の運命だったのだ。
「互いの認識を共有しよう。そして情報を整頓して、真実を詳らかにするんだ」
管理人はいつだって正しかった。今回も同じように。




