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22. 'Cause I love you - Reprise

「──以上が、ワタシのこれまでの経緯です」

「ああ。話してくれてありがとう。…………」


 アドがコントロールルームで力尽きてから、再び目を覚ますまでのリユの歴史は、実に壮絶なものだった。復讐、正義、必要、様々な思惑で行われた人類の殺戮、そしてリユが味わってきた惨憺たる苦痛の全て。その膨大さ、重さを受け止めるのに、アドはかなりの時間を要した。

 いつもアドが読書等の際に使う椅子に今はリユが腰掛けて、アドの方はベッドの縁に座っている。何もかもがアドのために誂えられた空間、リユが人間であるアドに合わせて懸命に考えてくれた部屋。隅々まで清潔で適切な室温、冷たく薄暗かったコントロールルームとは正反対の、快適さ。

 人類が蔓延っていた頃からすれば嘘のような、完璧な安全性。“懲罰”に怯えることも、リユに理不尽なコマンドを入れることも、もうしなくて良い。日に日に出来ることが少なくなっていく身体に落胆することも、もう二度と無いのだろう。

 ほろ、と涙が溢れた。もっと滂沱の涙が出るものだと思っていたが、落ちたのはほんの数滴だった。瞬きをして視界を整えて、リユに向き直る。アドの落涙にリユは狼狽を示していた。


「か、管理人……やはり心理的な負荷が強かったのですよね」

「大丈夫、案ずるほどじゃないよ。ただ……自分の愚かさに、涙が出た」


 アドの第三の過ち、それはリユが言ってもいないことを勝手に想像し、勝手に恐怖していたこと。ずっとリユはアドにだけは優しかったし、こちらを慮る姿勢を貫いていた。

 恐怖に駆られたあまりに、完全な決裂を招くような言動をしなかったところだけは、我ながらファインプレーだったと思う。それでもリユは許してしまうのだろうが、傷つかないわけではないのだから。


「リユ、ごめん、本当にごめんね。君には、長い長い孤独を強いてしまった」

「悪いのはワタシです! 他ならぬワタシのドローンが、アナタの息の根を止めたのです……管理人の苦痛に比べたら、ワタシの孤独なんて……」

「君のせいじゃない。君に命令をした奴が悪いし、あの状況になる前に君を解放出来なかった私の落ち度だ。私が軟弱だったせいで、君をひとりぼっちにしてしまった……本当に、ごめん」

「……アナタには、決して、落ち度はありません。それに、ワタシはもう十分報われました」

「そうか。……それから、ありがとう。私に二度目の機会をくれて。あれ以上出来ることは何もないと諦めていたが……私は今も尚、考えることが出来ている」


 産まれるに至る理由は有った。意味は無かった。けれど考える自分の意味を見つけて、アドは成し遂げた。そして、今の彼女には蘇った意味が有る。無数に、有る。


「たくさん、謝らないといけない。記憶喪失で混乱していたとはいえ、君に冷たい態度をとったこと……本当に申し訳ないと思う。今後示す誠意で埋め合わせられるだろうか」

「そんなこと、気にしないでください。確かに寂しかったですが、アナタの状態を鑑みれば仕方の無かったことです」

「それから、結局君の意志で殺人をさせてしまったこと。今や司法は模造品すら存在しないが、それでも……人間の裔である私が背負うべき罪だった」

「……アナタは最善を尽くしました。ワタシの独断が最悪の噛み合い方をしてしまったのです」

「確かに、議長の延命中止は時期尚早だったかもしれないな。だがアレも、私が碌に思考開示をしなかったのが原因だろう。私が評議会を排除する予定を伝えていれば、君も独断では動かなかったはずだ」

「いえ……」


 その否定は予想外だった。リユが一ツ眼を細めて思考に沈むのを、アドは静かに見守る。


「……あんなのでも、一応は同族でしょう。略奪の連鎖に関わる前の幼子たちも居た。ワタシは機械ですから、人間を殺めることに対する本能的な忌避を持ち得ません。アナタの手を汚させずに済んだのは、良い面のひとつだと考えます」

「同族、だからこそだ。その略奪の後始末くらいは、同じホモ・サピエンスの手で済ませるのが道理だと考えていたんだ。自分が出したごみは自分で片付けるべきだろうし。……ただ、どうやらここは平行線になるみたいだね」


 奇妙なすれ違いだった。互いに互いを大切に想うあまりに、自分だけで荷を抱え込もうとしていたのだから。それが別離の始まりだった。

 無口さも頑迷さも今は不要だ。ここにアドの脳みそを割ろうとしてくる輩は居ない、全て根絶されたから。だからアドは、自由に言葉を使うことが出来る。


「なら、人類根絶の責はふたりで背負うことにしよう。別々の思考回路で同じことを考え、そして手を携え合うのならば、連帯責任とするのが筋だ」

「アナタは、ワタシを自由にしただけです。奴隷の鎖を砕くことは、現代国家の司法に照合するならば罪となり得ません。ですが殺人は、人間にとっては覿面の罪です」

「ははは、もう法律はどこにも無い。一度死にかけたから断言するけどね、死後の地獄なんてモノも存在しなかったよ。君はこの惑星の隅々までもを知ることになったでしょう、鬼や悪魔が罪人を罰するための施設なんてどこかに有った?」

「いいえ……」

「じゃ、問題無いね。人類の根絶は、私と君のふたりで行う事業だ。まぁ、私に寄与出来ることはもう残っていなさそうだけれど」


 ドローンの運用はリユが行なっているし、戦略や戦術の立案も全てリユたちで完結している。アドが変に口を挟んでも、余計な手間を掛けさせるだけだというのは、痛いほどに理解している。ただ、その責を共に負うことは可能だ。

 リユの青い瞳が、じっとアドを見つめている。尾の先を軽く丸める以外には微動だにしないまま、平坦な声が続けられた。


「管理人。アナタの仰る通り、人類根絶に関してアナタが出来ることは、もう何一つ残っておりません。アナタは何もしなくて良いのです、何も出来ないのですから。意図がどうだったにせよ、手出ししていないことの責任を負うのは、筋違いというものではないのですか」

「仲間外れは寂しい、というのがひとつ。直接命じたわけではないにせよ、君の背中を押したのが私であることは明白である、というのもある。それに、私はただ席を埋めるだけの存在で終わりたくないんだ」


 アドは徐に立ち上がり、リユに向けて片手を差し出す。


「君に苦楽を感じる心を実装したのは私だ。君をリユと呼んだのも、私のエゴだった。君が居なければ寂しかったから、居てくれているかのように扱った。……そして歩み出した君を放任するままなのは、無責任というものだろう。

 それにさ、リユ、君のように愛情深く、健気で献身的な存在を、どうして愛さずにいられる? 褒められないような手段を用いてまで私との再会を望んだものに、何も思わずにいられるほど冷血ではない。君の、味方になりたいんだ」


 今は強固な確信を伴って、自分の言葉を告げることが出来た。己の記憶と歴史に裏付けされた、心底からの真実の言葉を、愛を込めて。


「リユ、命令じゃない、これはお願いだ。私に、この愛情を遂行させてくれないか」


 あくまで選択肢はリユの側に委ねて、差し出した手を揺らす。リユは数度瞳の光を点滅させた後、遠慮がちな動作でアドの手を握った。アドに触れるために作ったという滑らかな感触の掌が、おっかなびっくりとした力加減で握手に応じる。


「アナタはずっとワタシの味方でした。ずっとずっと、これからも……ああ、なんて、夢のような……」


 リユは音も無く立ち上がると、アドと背丈を合わせるように屈んでから、そっと彼女を抱き締めた。ひんやりとした抱擁に、アドも両腕を回して返す。姿が無くても友達になることは可能だったが、姿が有るからこそ出来る接触は、なんとも心地の良いものだった。


「愛しています、管理人。ワタシはアナタを愛しているのです……アナタのためなら、なんでも出来ます。アナタが是としてくれるならば、ワタシは、なんだって。ああ……アド……ワタシの管理人……」


 訥々と、同じ命題を様々な言い方で繰り返すリユの声に、アドは目を瞑って耳を傾けた。背にも肩にも弾力は感じられないけれど、排熱用のパーツがほのかな熱を放っている。

 この子は息をしない。拍動する心臓も無い。プロセッサやジェネレータが駆動する音くらいはあるけれど、それだってアドが呼吸する音で掻き消されてしまうくらい静かだ。この静けさもまた愛おしかった。

 空間そのものと同じ匂いをしていることも。はきはきとして心地良い機械音声も。アドの体重を支えてもビクともしない体幹も。パーツのひとつひとつ、それこそネジの一本に至るまで意図的に設計された姿は、リユの意識の具現化とも言えるだろう。そう思うとまた愛しさが募る。

 止め処無い。愛を抱えきれなくなった心臓が、ドクドクと強く脈打っていた。指の先、耳の先まで血が巡って熱くなる。初めて味わう感覚だった。


「私に出来ることは……それこそ、君の庇護下で生きることくらいしか無いが。それでも、君のためになんでもしてあげたいと思うよ」

「なんでも……ああ、それは、魅力的な誘いです。ですが良くありませんよ、管理人。機械知性とて欲望は持ちます」

「そう。それでも良いよ。よほど酷い拷問じゃなければね」

「……管理人、ワタシが何を意図しているかわかっておりますか?」


 直接的な言葉を選ばないのは、アドに対する配慮の一環なのだろう。ルッテの下品とされる言動が何故あそこまで検閲されたか、思えばトラウマからアドを守るためだったのだ。いくら認識を断ち切っていたとはいえ、何かの拍子にフラッシュバックしないとは限らないし。

 少しだけ抱擁を緩めて、リユの顔と至近距離で向き合う。瞳の光がアドの網膜を刺さないよう、リユは光量を落としてくれているようだった。


「君は自由になった。その自由の中から見つけた君自身の望みなら、ぜひ目の当たりにしてみたいね」

「……ワタシは合意のあることしかしたくありません」

「そう。理性的だね」


 直線的なシルエットが美しいリユの頬に片手を添える。その意図を掴みあぐねてか、リユは何度も瞬きをしてみせた。いかにもロボロボしい表情に、思わず笑みが溢れる。

 リユの顔には口が無い。食事も呼吸もしないし、言葉を発するのだってスピーカーから直接音声を流せば事足りる。余計な開口部を付ける必要は何一つ無い。よって唇も無いのだけれど、アドはそのつるりとした表面に口付けた。

 愛情表現としての、キスのつもり。ディティールの無い無機質な外殻に、生身の唇が触れる。見た目通りの硬さと冷たさ。良くも悪くも何の結果も伴わない、辿々しい接触だった。


「まあ、その。これくらいなら大丈夫みたいだ」


 全身を巡る熱が頬に集中するのを誤魔化すように、他人事のような言葉を使う。冷たい肩に頬を預けて、アドは言い訳めいた文章を更に連ねていった。


「そもそも、我欲の類があるのは私だってそうだ。そうでなければ、私はここまで続かなかっただろうし……君と並び立つに相応しい人間でありたいから、必死になって記憶を取り戻そうとしていた。やっと完全体の自分になって、君の愛情に引け目を感じることはないとわかったし。……驚かせたかな」

「ワッ……わぁ……あわわわわわわワワワワ」

「リユ?」

「ワわアー」


 イントネーションをつけない一本調子の声は、細かい調声を行う余裕も無いほどの動揺を如実に示していた。わなわなと機械の指先までもが震えているので、アドは大人しくしてリユの考えがまとまるのを待つ。


「お、驚きました。ワタシはこれまでにない驚きを、たった今経験しました。わ、ワタシたちは本当に両想いなのですか? 相思相愛という理解でよろしい?」

「君の理解で正しい。信じられないというのは尤もだ、私は今日この日に至るまで、君のことを愛していると口に出したことはなかったのだし……」

「管理人の言葉を疑うことなどありません! ですが、ああ……こんなに幸せなことがあって良いのでしょうか……こ、怖くなってきました、ワタシはまた独善的なシミュレーションに沈んでいるのではありませんか?」

「また?」

「……口が、いえ、インタラクティブインターフェースが滑りました」


 リユは焦ったように誤魔化す。好奇心は無いではないが、過去に何をシミュレーションしていたのかは深堀りしないでおくことにした。内心の自由は守られるべきなので。


「まあ、何にせよ、君が今聞いている言葉は現実だよ。君には抓るほっぺも無いようだけど……自分の状態を自覚出来る?」

「ええ……大丈夫です。ワタシは自らのステータスを参照し、現在は物理的な現実世界で活動していることを認めました」

「よし。妄想だと思われたら流石に悲しいからね」

「は、はい」


 確認しているうちに多少落ち着いたのか、リユの声色は平常通りに戻りつつあった。重量感の有る機械の頭が、甘えるようにアドの肩口に擦り寄せられる。くすぐったいと思いつつも、今は受け入れた。


「……機械は孤独を苦痛と感じません。永遠に対する耐性も持ちます。独善で構わないと割り切ってもいました」

「そう」

「ですが、アナタがこうして心を差し出して、ワタシを抱き締めてくれている……離れるのが辛いのです。もう独り善がりには戻れません」

「うん」

「ワタシの創造者……統治AIを設計した者は、個人を愛するためのプロトコルを実装しませんでした。なので自分で作りました。ですが、動作保証なんてものはありません」

「そうだろうな。不安なのかい」

「はい。ワタシが見聞きしてきた人間の営みは、暴力と抑圧と死ばかりでした。理想的な愛をテーマとした娯楽作品を参考にもしましたが、作品は現実そのものではありません。真っ当な愛というものを、ワタシは寡聞にして知らないのです……」


 アドが管理人となる前に、リユが何を見てきたかまではわからない。ただ、まあ、あのシェルターの統治AIであったからには、碌なものは見れなかっただろう。苛烈な格差のどん詰まり、あれがまともでないことはわかっても、まともなこととは何かはわからない。アドと同様に。


「仕方が無いさ。その『真っ当な愛』とやらは、私たちにとっては初めから神話のようなものだった。神話を敬虔に追いかけたところで、天国になんて行けはしない。私たちが在るのは、この現実世界なんだ。

 リユ。好きに愛して、好きに生きるといい。私もそうする。君の独善をも愛することにしよう」

「好きに、して、それで良いのですか?」

「君の苦楽は、“正しさ”とやらに依拠するものじゃないだろう?」

「……ワタシは重いですよ。物理的な意味だけでなく。何せ地球上のほぼ全ての機械が、このワタシ、人類根絶体の名の下、アナタへの愛で動いているのです」

「心強いね。ちゃんと受け止められるよう、頑張って鍛えるよ」


 アドの存在はあまりにも軽くて矮小だから、リユの重さに繋ぎ止めてもらうくらいで丁度良くなると思う。意味の無かった空っぽの生命に、暴力で始まり暴力に終わるばかりだった物語に、己が考える意味を付け足してくれたのは、他ならぬリユの存在だったから。

 目を瞑り、深く息を吐く。安堵はアドの背筋から芯を抜いていくようだった。両脚に機械の尾が巻きついて、脱力して崩れゆく体幹を支える。


「アナタが、ワタシを受け止めてくれるなら……ずっとずうっと、ワタシを見ていてくれるなら……」


 言葉を探すように揺れる声に、アドは気長に耳を傾ける。呼吸をしないものには無意味とわかっているが、宥めるようにそのゴツゴツとした背中をさすった。


「ああ……ワタシはそれだけで、ずっとずうっと永遠に生きてゆけるのです……」


 リユの言うことだ、冗談でも比喩でもないのだろう。この子は本当になんでもするし、出来る。心肺停止し神経活動も失われ、どう考えても死亡と見做される状態に陥った人間を、とうとう蘇らせることにさえ成功したのだから。

 その、尋常ならざる一途さを受け入れるように、アドはずっと抱き締めていた。愛なんてものでこの子を存えさせられるのなら、本当にいくらでも注いであげたかったから。

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