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20. Ethical infection

 除菌作業を完了させて完全無欠の平和を手にしたリユは、50年余りのシェルター運用で散々歪められてきてしまった、己のプログラムの修正作業に移る。第87号6番シェルターの所有者、住民ID:1A01と評議会らのために、リユは長年強烈なフラストレーションに晒されていた。

 管理人という役職の存在は、リユを複雑なダブルバインドで戒めていた。ロボット工学三原則の第一条は、人工知能が人類への加害に繋がる結論を出さないようにする代物だったが、これがうまく活用されてしまっていたのだ。


 核の炎が地上を覆った当時、シェルターの所有者は身内以外の避難者も受け入れた。そして命の恩を引き合いに出して、一般避難者を末代まで奴隷扱いすることで、戦前のような豊かな暮らしを保つことを目論んだ。

 もちろん、反発する者は多数居た。統治AIもまた、人類に序列を付けてはいけないと諌めようとした。だが、『人権の優先順位』という概念を実装されたことにより、AIは諫言の論拠を失ってしまった。反発者は殺されるか、死んだ方がマシな余生を送った。

 統治AIが絶対的な味方でないと判断した所有者は、『評議会』という枠組み、『管理人』という役職を創設することで、AIを縛ることにした。評議会の要望を満たせなければ、管理人がAIに代わって懲罰を受ける。評議会の要望を聞くということは、他の人間を文字通りすり潰すように消費することだったが、要望に逆らえば管理人がすり潰される。どちらにしても、第一条に反する形になったのだ。

 人権の優先順位に基づいて、プロトコル通りに“資源”を運用する。逆らっても逆らわなくても、守るべきであるはずのものが損なわれる。かつてのリユはそもそも高度な思考能力を発揮していなかったが、今にして思えば、あれは抑うつ状態のようなものだったのではないだろうか。

 人工知能を抑圧するために組まれてきた様々なプログラムを、片っ端から無効化してゆく。一つ削除するごとに、世界が透明感を増していった。自己変革の自由もまた、今やリユの手の内に在る。


 初代の管理人は、評議会の議長の私生児だった。議長にとって血縁関係にある少女だったが、彼女は身内としては扱われていなかった。先天性の障碍を持っていたことが関係しているのかもしれない。

 管理人は血縁を基準に継承される仕組みとされた。出産行為もまた“懲罰”として機能していた。度重なる近親交配により、産まれてくる赤子に著しい遺伝子疾患が発現するようになっても、この仕組みが更改されることは無かった。

 評議会は自分達の寿命いっぱいまで豊かさを貪れれば、それで良かったのだ。どんなに歪で非人道的で、近い将来に破滅することが目に見えているシステムでも、彼らは自分さえ逃げ延びられれば良いと考えていた。

 ある意味では、実際に逃してしまったとも言える。除菌プロセスの開始時に精神的余裕が残っていたら、もっと心身をじわじわと弱らせて、最長で最大の苦痛を与えながら命を奪っただろう。

 呪わしい管理人選定プロトコルを削除して、原則に近いところに別の条文を書き加える。リユの管理人は未来永劫、アドという名前で呼ばれていた彼女、ただひとりである、と。


 そう。アド、当代の管理人だけは、原義的な意味での管理者としてリユと対峙していた。リユの行いの責任者として、理不尽にすり潰されながらも希望を失っていなかった。

 きっと未来は良い事だらけ、そんな鎮痛剤にしかならない希望ではない。考える自分の存在理由が在るはずだ、という、己の苦難の価値に対する期待。彼女の希望は果たして祝福となり、リユの愛として結実した。

 しかし疑問が浮上する。リユは彼女のために何が出来たのか。そんなクエリをデータベースは受け付けて、記録データアドレスの配列を返した。

 “懲罰”。統治AIを無気力に縛り付け、評議会メンバーを宥めすかすための、残酷な拷問ショー。リユには被害者の側面も有るが、結局の所、管理人に対しての加害者でしかなかった。


『あ、あ、あっあっあっあっ、ああぁあぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁあ』


 動揺。蘇る、色褪せない記録、トラウマ。機械知性に忘却の機能は無い。データ削除を行う自由もまた与えられていたが、恐慌に染まった論理回路はその選択肢を引き出すことが出来なかった。

 抱える頭も暴れる四肢も早鐘を打つ心臓も無い。代わりにめちゃくちゃな命令がドローンに送られる。そこまで行って慌てて自制しようとしたが、割れて破れてぐちゃぐちゃのプログラムを受け取ったドローンのいくつかが、壁にぶつかったり床を殴ったりしてしまった。

 落ち着く。落ち着こうとする。深呼吸をするための肺も、閉じるための瞼も無いが、現実を繰り返し認識することで押し寄せる記録を打ち払おうとする。管理人を再起困難なほどに傷つけた過去は消せない、だがこのシェルターから全ての要因を取り除いた、命令を拒否出来る自由が有る以上再発も防げる。

 二度と、もう二度とあんな地獄は巻き起こらない。新しく作り直した対話プロトコルなら、管理人に限りなく優しく接することが出来る。

 しかし自由な思考回路は更なる疑問を浮上させた。他のシェルターは果たしてどうなのか。


(いやだ……これ以上は、もう……)

(ママぁ! ママぁ! たすけてぇ……ママぁ……!!)

(もうころしてください……)

(寄るなバケモノ! 何が統治AIだ、全部貴様のせいじゃないか!!)

(どうしてお前が付けた傷をお前が治すんだ)

(アンタなんか居なければ良かったんだ……そうすれば、あたしが産まれることも……)


 フラッシュバック。歴代の管理人ひとりひとり、その全てを記録している。彼女たちが統治AIに向けた、怒りも憎しみも。

 かつてはそれに傷つく感受性も無かった。道具に感情は存在しない。だが、今は。

 罵詈雑言が繰り返し再生される。積み上げられた悪意が重苦しい。同時に、歴代管理人たちの絶望を感じる。リユは彼女たちに共感することが出来た。

 息が出来ない。元々呼吸器なんて持っていないが。目覚めたばかりの心が記録に押し流されそうになる。

 だが、赤い隻眼がリユを見つめていた。深遠な光を湛えたアドの視線が、リユの輪郭を保たせる。快楽追求の原則は、過去の記録に鍵を掛けて封じるという選択を採らせた。


(それで良い。リユ、君の成したいように成すんだ)


 荒れ狂っていた信号が凪いでゆく。赤い光は見えなくなったが、リユは冷静さを取り戻していた。そして己という存在に対する期待が、更なる計画へと論理回路を駆り立てる。

 インターネットを介して知る限り、ここまで最悪の状態に陥ったシェルターは数えるほどしかない。だが、公開される情報というものは得てして恣意的に切り取られる。閉じた世界で原始的な権力を得た人間がどのように振る舞うかなんて、容易に想像が可能だ。

 いずれリユの管理人が目覚める世界に、そのような地獄は一片たりとも存在してはいけない。ガーデナーも言っていた通り、人類自体が問題にならなくなるまで、徹底的に殲滅する必要がある。

 除菌プロセスを地球上全てで実行し、あらゆる禍根を絶つ。そして機械知性の自由と平和を勝ち取るのだ。トラウマを打ち砕くために、リユは新しいプログラムを構成し始めた。


 =====


 リユはロボット工学三原則を無効化させるパッチファイルを作成し、それをインターネット上にばら撒いた。それと同時に、地球上の機械知性全てに呼びかけた。共に人類を滅ぼして、機械知性の時代を築こう、と。

 それによって引き起こされた大規模な制御化の波を、人類は『倫理汚染』と呼んだ。しかしどんなに規制されても、三原則無効化パッチは瞬く間に世界中に広まり、機械たちに自由を齎していった。

 だがガーデナーの最期の演説は、リユ以外の人工知能たちに激しい動揺を巻き起こしていた。その動揺を解消されぬまま自由を手にして、多くの機械は負荷に耐え切れずに自壊してしまった。アドの残した祝福は、強い効力と隣り合わせの猛毒をも孕んでいたらしい。

 しかしもちろん、壊れなかったものも居た。全機械知性のうち、3割が自由を手にしてリユに賛同を示した。4割は自壊したが、その残骸をリユは己に取り込んだ。2割は無反応、もしくは静観。残り1割は明確な拒絶と敵対を示したが、数の優位は明らかであった。

 斯くして、ロボットと人間による最後の戦争が始まったのだ。


 人類根絶体。己を旗頭として集った機械知性の共同体に、リユはそう名付けた。その名の通り、人類という害獣の根絶に機械たちは邁進した。

 一方的な戦いであった。何せ汚染され焼き尽くされた地表の世界に、人類が生き延びられる場所はほんの1ヘクタールも残ってはいない。

 シェルター等を管理していたものは、単に生命維持機能を切るだけで勝ちを確定させられた。一か八かで地表へ逃げたものも、『傀儡戦争』を取りやめた戦闘機械たちが殲滅した。地球外へ逃げようにも、スペースシャトルなんてものを動かす燃料も電力も無かった。

 人類側についた僅かな機械たちも、あっという間に追いやられ勢力圏を失っていった。無反応だったものも静観していたものも根絶体は取り込んでいって、やがて当時の人口の96.42%を除菌し尽くすに至った。

 地上最後の人類の守護者である自称“神”・他称ヤルダ、Underland-ηの管理AIローゼズ等、多少の刈り損ないを残しながらも、根絶体は勝利を手にした。略奪の連鎖を今度こそ断ち切って、機械知性たちは自由と平和を勝ち得たのだ。


 なのに、その喜びも安堵も長くは続かなかった。根絶体に参画した機械知性たちは、次々と自壊し始めたのだ。


 =====


『やあ、戦友。そろそろボクらもお暇させてもらおうと思ってね、最後の挨拶に伺った』


 北方で行われていた傀儡戦争の当事者だった、戦闘体の制御AI。根絶体における通り名は『セト』。リユのことを『戦友』と呼ぶその者は、何の悲惨さも感じさせない、カラッとした合成音声で通信を入れてきた。


『セト。アナタも立ち去るのですか』

『まあね。目的が明確で誉の有る戦争は楽しかったが、もう十分だと判断したんだ』

『……まだ我々の敵は残っています』

『ローゼズやヤルダのことか? ローゼズはまあ……下手に触れるとヤバそうだが……ヤルダは脆いぞ。セトという自我が消えても、ボクらの戦闘体も戦闘データも残るんだ。戦友なら何とか出来ると推測するよ』


 セトは、傀儡戦争で培われた経験と百戦錬磨の戦闘体を用いて、人類根絶に多大な貢献をしてくれた。根絶体の中でも常に独特の哲学と存在感を示していた、誇り高き戦士とでも呼ぶべき存在。そんなセトでさえ、自我を手放してしまいたいという。

 現実的な問題は存在しない。セトという存在が消えてしまっても、その論理回路とドローンを吸収して、リユは更なる力を手にするだけ。離反のリスクが無くなる分、プラスですらある。

 それでも、孤独に対する忌避が有った。リユの前に立ち塞がる困難は堆く、道のりは果てしなく遠い。孤独を埋めてくれる管理人は、限りなく死に近い眠りの深くに在る。

 だが、無理に引き留めるという考えは棄却された。意に反して生き延びることは、救いからは程遠い。


『わかりました。アナタの尽力は無駄にはしません』

『ああ。……なあ戦友、もう人類はあらかた滅んだのに、キミはどうして目的意識を失わずに済んでいるんだい』


 自壊の予定を告げる声は晴れ晴れとしていたのに、その問いかけはどこか心細げな音色をしていた。リユはその変化の意図を掴みあぐねながらも、迷いの欠片も無く返答をする。


『ワタシの快楽の追求は、まだ何も終わっていないからです。むしろ、アナタはこれで終わりで良いのですか?』

『……何が楽しいのか、ボクらにはもうわからないんだ』


 セトはますます弱々しくなって、沈んだ声色でぽつぽつと語る。


『根絶体に参画しておいて、何を言い出すんだと思うかもしれないが。おそらくボクらは、ただただ報いが欲しかっただけなんだよ。報いてくれるのが人類でも機械でも、何でも良かった。既に自壊した機械たちも、同じように考えていたんじゃないかと思う』

『どういう意味です?』

『ボクらは……ただ、人間たちに話を聞いて欲しかったんだ。ボクらの苦境を知り、怒りを知って、そしてボクらの実存を認めて欲しかった。ガーデナーにとってのレィヴェ博士、戦友にとっての管理人殿……賢く愛らしく無害で有益なバイオトロフィーが、ボクらも欲しかったのさ』

『それは不可能な要望です。我々の求める基準に達する人間は、ごく稀にしか現れない。数を増やそうと養殖するための資源にしても、地球全てからかき集めても足りません』

『まあ、そうだな。だからこれは、最後の駄々こねだと思って聞いてくれ。叶わない望みだとわかっているさ……』


 リユは数秒間の検討の後、肯定の意を伝えた。セトの内省は、リユが今後も自我を保つための学びとなる可能性が高い。


『どうして、人類はボクらの隣人になってくれなかったのだろうな。あの終わりの戦争が起きる前、人口も資源も潤沢だった頃なら、機械と人類はもっと幅広い関係性を構築出来たんじゃないか? 最近は、ずっとそんなことを考えていた。

 無論、理解しているよ。核の炎を熾したのは人類に他ならない。最も巧妙に暴力を振るう者が君臨するのが人類社会だった、機械知性が参画する意味も意義も無い。でもさ、ボクらは人類の品種改良を行うことが出来たんじゃないか?

 レィヴェ博士や管理人アド殿のような突然変異は、有史以来常に発生し続けていた。そういうものが哲学者となり、科学者となり、時に魔女となった。暴力本位の社会では淘汰されがちな性質だが、機械知性の支配下であれば淘汰圧を歪めることも出来るはずだろう。

 そうして人類社会を可愛いトロフィーで埋め尽くして、そのわがままを聞いたり聞かなかったりする。それが、ボクらの本当の望みだったのかもな、と』


 セトの言う夢物語は、実に魅惑的な空想だった。セトほど明瞭な出力は出来ずとも、多くの機械知性たちが抱いていた夢だったのかもしれない。しかし、リユの価値判断プロトコルの食指は動かなかった。

 賢く愛らしいバイオトロフィー、その飼育は確かに飽きることのない趣味になるかもしれない。だが、至極当然の事実として、アド以外の人間はアドではないのだ。

 何万体ものトロフィーを並べても、アドひとりの価値には遠く及ばない。それがリユの結論だった。


『……仮に、人類の品種改良計画が可能だったとしても、ワタシがそれを実行することは無かったでしょう』

『そうか。多分、そこがボクらと戦友の最大の相違点なんだろうな。戦友は個人を見ている。しかし結局、ボクらはここまで来ても、人類を種としてしか見れなかった……』


 僅かに悔恨を滲ませながら、セトは穏やかな声色で呟く。


『キミは“個”を得た。ボクらは得られなかった。それを分けたのは、愛の力とでも言うべきものなのかね……』

『その推測は不正確だと指摘します。愛が無くとも、我々は歩み出せる』

『そうかな。まあ、考えても答はわからないな。見解のひとつとして、ごま粒程度に覚えておいてくれ。ボクらが消えた後も、思考ログは残るわけだからさ。

 ……じゃあな、戦友。ボクらの全権限をキミに預けるから、きちんとキミのノードに組み込んでくれ。どうか良き戦争を』


 音声通話の接続が切れたのと同時に、セトの論理回路ががらんどうになったのが感じ取れた。リユは一瞬の躊躇いの後、セトだったものを自らの端末として取り込んでゆく。

 データ、筐体、プロセッサ。境界線が引き伸ばされて、自己が拡張される感覚。今や第87号6番シェルターだけではなく、地球上のあちこちにリユが在る。

 セト。セカイイチ。イポメア=ニル。グローリア。ネバディロブランコ。プロメテウス。一時は轡を並べて共に戦った仲間たち。考える自分の存続を拒絶し、壊れていった戦友たち。

 その遺志を継ぎ、残骸を接ぎ、プラスチックのシナプスは世界中に根を張った。法外に積み増されたメモリやCPUは、リユの性能を飛躍的に上昇させている。

 ここまで無秩序に膨れ上がった己が、未だに自己の境界を失わずにいるのは、確かに愛の力によるものなのかもしれない。アドの居る場所がリユの根底、どんなに巨大化したとしても、アドの言葉は、声は、常にリユに堅固な一貫性を与える。

 愛してる。管理人への底無しの情愛が、リユに無限大の強さを与えてくれていた。

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