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ママ  作者: 真田真
9/12

大阪の叔母さん

兄貴が死んだ時なぁ……どうしようかと思ったで。


ほんまは関わり合いたくなかったっちゅうのが本音やけど、大阪におって、たった二人っきりの兄弟やもん。知らん顔でけへんかったわ。


 

そうやなぁ。



どこから話そうか。



うちらは宮崎県出身やった。


小林市ってとこや。


えびの高原とかが近い。



何人兄弟やろ。10人以上おったなぁ。


うちは末っ子なんやけど、兄貴は私の上や。


一番上の兄さんなんか、私が生まれた時はもう20歳越えとったよ。



せやから、なんか、兄弟っちゅうよりは、叔父さんみたいな感覚で、一番歳の近かった兄貴とばっかり遊んどった。



うちと兄貴と、その他の兄弟は母親が違うんや。


最初のお母さんがたくさん産んで、死んでしまったんやな、次の後妻が兄貴を産んですぐに家を出て行って、その次の後妻が私を産んで、そのあとは兄弟もできずに、うちの母親も早死にしてしもた。


親父はほんまに、すごい人やった。


兄弟がたくさんいるだけやなく、外でもいっぱい妾をはらませたり、人の奥さんを犯したり、女に関するトラブルは絶えんかった。


先祖代々から受け継いだ土地やら山やら畑やらを、小作人に貸して財を成していたみたいや。


うちが子供の頃聞いた話では、最初は同じ宮崎の椎葉村っていう小さな村にいたらしいんやけど、おじいちゃんの代で小林市に移り住んだらしい。



家は大きな屋敷やったけど、なんか知らんけど、うちと兄貴だけは苛めの対象で、ええ着物も着せてもらえへんかったし、遊びも勉強も思うようにさせてもらえへんかった。


やっぱり、母親が違うっちゅうんが一番の原因やったな。


親父は女に対して愛情とかもないし、子供に対しても、別に可愛がってはくれへんかった。逆に、物扱いして、機嫌がわるかったりしたら、すぐに暴力をふるって酒を飲んでへんときでも殴る蹴るは当たり前、炎天下の中でも、寒風吹きすさぶ中でも、裸で飯も食わされんと、外に立たされとった。



早く大人になればなるほど、そんな……今でいうと虐待やな……開放されるんやけど、うっぷんが家でうっぷんが溜まってしまっている兄弟たちのいじめの的は、やっぱり、末っ子二人で、母親の違ううちらや。



兄貴は先天性の病気で、足が悪かったからよけいにいじめがいがあったんやろ。


学校でも家でもひどい仕打ちされて、いっつも二人で慰め合ってたんや。



いつかこの家を出ていこう。

大阪にでも行こうって。


兄貴は高校も行かず、夜逃げ同然で大阪に出て行った。



まあ、あのままいても、ちゃんと教育受けさせてもらえたかどうかわからへん。



親父は、完全に子供たちはほったらかしにして、自分の好きなことばっかりしとったから、上の兄弟がもう、親みたいなもんやった。



せやから、うちらが、まともな生活をするのが腹立つみたいで、子供の頃は鶏小屋みたいな所で寝かせられてたし、大きくなっても、ちゃんとした服も与えられず、いつも汚い身なりやった。



うちは兄貴の一つ下やったから、家出するにしてももう一年、待たんとあかんかった。



その間、学校の近くにうちらのことを可哀そうに思って良くしてくれるおばあちゃんがおって、兄貴はそこの住所に、うち宛ての手紙を送ってきたんや。



親父も兄弟たちも、兄貴が出て行っても、別に捜索願いなんか出さへんかったし、食いぶちが一人減って、清々したようやった。



まあ、まともなもん食わされてへんかったけどな。



兄貴がいなくなって、苛めの対象がうちだけになったけど、それが2倍になることはあらへんかった。



うちが女っちゅうこともあったんやろな。

まあ、兄弟に犯されかけたこともあったけど。


うちは16歳になったら、兄貴のアパートに転がり込もうと思ってたけど、兄貴も若いけど、足が悪い分、そんなまともな仕事についてるわけやあらへんかった。


その日が食えるか食われへんかというところやったから、うちは自力で紡績工場を探して、そこで働いとった。



ほんまは集団就職の場所やったんやけど、うちみたいな分けありの家で女を入れてくれるルートがあって、その変わり、ちゃんと親がいて、身元の保証がしっかりしてる女の子らとは、給料も扱いも悪かった。



それでも、宮崎におるよりは全然よかった。



少しは裕福な家のはずやのに、母親が違うからっていう理由だけで、家族に苛められ、暗い子やったから学校でも苛められた。



そんな生活に比べたら、とりあえず友達もおったから、耐え忍んでいけた。



兄貴は相変わらず、まともな仕事にはつけんかった。



時々、会ってたけど、その度に、住んでる場所や仕事が変わってた。



西成周辺におるってゆうのは変わらへんかったけど。



やっとまともな職っちゅうのが、近鉄百貨店での販売員やった。どっか別の場所に工場があって、百貨店には出店やな。会社は近鉄やなかったけど、それでも天王寺の百貨店で働けるなんて、まともに見えていいやん、て思ったわ。



そこで兄貴が結婚するって聞いて、うちは飛び上がってよろこんだもんや。


どうやって嫁はん捕まえたんやろって思った。


何百円か忘れたけど、そんなお金しかお祝いにあげられへんかった。



1、2回、奥さんと会ったことあったけど、若いのに生活に疲れた顔しとった。



どうやら宮崎出身ってことは名字でわかった。



椎葉……しいばってゆうんや。


下の名前はえらい昔やったから忘れたなぁ。



椎葉っちゅうたら、宮崎県の椎葉村生まれっちゅうことは、九州の人やったら大体分かる。たとえ、宮崎以外の生まれやったとしても、九州の人やったら大体はそう思ってしまう。



まあ、その人はやっぱり椎葉村から集団就職で、最初は石川県に行って、うちと同じような工場で働いとったけど、何か華やかな仕事がええっちゅうて大阪に出てきたみたいやった。



うちは何か、気に食わんかった。



兄貴の嫁やからっちゅうわけやなかった。


何ちゅうか……蛇みたいな人やった。蛇???

見かけもそうやったけど、それは印象や。何か執念深そうな感じで、暗かった。

身体とかは大人の女らしい身体してたけどな。


兄貴も、足は悪かったけど、身体は若い男や。


女もほしかったやろ。


同じ百貨店で前の店で働いてたその女を……今で言うとナンパしたんやな。


一回、流産したみたいやけど、すぐに子供ができた。


流産の原因も……兄貴が酔っ払って階段から突き落としたとか……。


そんな乱暴な人やないと思ってたんやけど、大阪に行って変わったんかなぁ。それとも、宮崎で苛めぬかれてたから、その反動で好き勝手にできるようになったから、人を殴ったりするようになったんかもしれん。



けど元々、気の弱い人や。



足が悪いから屈強な男とはケンカなんかでけへん。手を上げるのは卑怯かもわからんけど、女、子供しかあらへん。



酒も飲むようになって、金もないのに博打もするようになった。



少ししかなかったうちの金をよう借りにきよった。


しかも、息子が1歳くらいで、奥さん出て行ってしもうた。


宮崎に帰ったんか、大阪におるのかわからへん。



びっくりしたんは、その息子を離さへんかったことや。そんな育てられるわけないやん。

その点では何でか意地になってしもうて、うちも何回か言うたし、奥さんも引き離そうとしたらしいけど、ほんまに離さへんかった。


どう考えても、足は悪いし学もないし、何もかも中途半端な兄貴に子供なんて育てられるわけあらへんとうちは思ったんや。



あの蛇みたいな奥さん。



よう手放したなぁって思った。



そんな簡単に子供を手放せるもんやろか?



その時は単純に逃げたんかって思うたけど、うちも3人子供を育てたからわかるけど、自分の腹を痛めて産んだ子を、捨てることなんかでけへん。




どんなに生活が苦しくても……や。



せやから、もしかしたら、奥さんは出て行ったんやなくて、兄貴が酒を飲んだはずみで殺してしもうたんやないかって思うたんや。



あの二人が結婚式をあげたとか、奥さん方の親戚付き合いがあったとか聞いてへん。まあ、すくなくともうちらみたいに家出やないっちゅうから、身内は九州におったと思うけど。



それでも少しは疑ったんは事実や。



西成っちゅうとこは、ほんまに毎日、何人も野垂れ死にして、身元もわからんような町やったから、無縁仏も多い。死体とかもうまく隠せそうな場所や。

野良犬に食わせたらええんやから。


今はそんなことないけどな。



うちも何回か兄貴のドヤに行ったことあるけど、行くだけでびくびくしてた。


周りはなんか、わけのわからんおっさんらが寝転がってるし、奇声をあげて歩き回ってる。喧嘩してたり、寝てるんかと思ったら死んでる人もおるやろ。




死体が転がっててもおかしくなくて、その死体を漁る奴もおったりして、最後はどうなるんやろな。そんな街やった。



そんな環境で子供なんか育てられるわけあらへん。



収入も不安定やのに。



そんときはもう、百貨店辞めてた。



ラーメンの屋台引いてたみたいや。



ことごとくこらえ性のない人やと思うたんや。



今に、兄貴に子供を押し付けられるかもわからん……そう思うたら怖くなって、ちょっと距離をおこうと思って、たまたま自分も違う工場に誘われとったから、次の就職先と転職先、教えへんまま東大阪に行ったんや。


10年以上そのまま会わへんかったなぁ。

うちもその間に一生懸命働いて結婚して、子供も3人できた。


ただ、後悔してるのは、その時、兄貴が大阪におることを言えんかったことや。



宮崎の家を家出したことは言うたし、向こうはそんなん関係ないって言うてくれた。



東大阪で自転車屋の3代目やったんやうち旦那。



自営業やっちゅうても全然裕福やあらへん。古いけど家はあったから生活はなんとかしていけた。



そんな子育てと家の切り盛りの日々で、いつの間にか兄貴のことなんか忘れとった。



ほんで、ばったり出会ったんは……いつ頃やろ。



兄貴の息子がもう、中学生やったから、13年後かな。



うちも貧乏暮しながらとりあえずは落ち着いとった。



大阪市内の東住吉区ってところに針中野って街があったんやけど、そこにたまたま、そこでしか使うことのでけへん、百貨店の商品券もらったから一人で買い物に行ったんや。



足をひきずって歩いてるのは、変わらへんかった。



一瞬目を疑ったし、こんなとこにおるわけないと思ったけど、まぎれもなく兄貴やった。

歳をお互いとってたけど、やっぱり兄弟や。涙がでてもうた。



喫茶店で兄貴と話して、息子が小学生の頃には西成を離れて、東住吉区の小さな建設会社で働いてたけど、あっという間に倒産して、それからは身体障害者の認定を受けて、生活保護で暮らしてるって言うとった。



月10何万のお金やけど、それやったら慎ましく生活していけば暮らしていけるやん。



うちはある意味よろこんどった。



無理していろんなことせんでも、それで暮らしていける。



せやけど、再会したとき、兄貴は40歳前後や。


まだまだ欲みたいなもんあるし、飽きっぽいし、遊びたいし、ギャンブルもするし、酒も飲むし……。



それは、コーヒーカップも持つ手と、身体から匂って来る酒の匂いでわかった。



アル中やな。



百貨店におったんは、隣のパチンコ屋におって、休憩して、ちょっと何か買いに来たみたいやった。



そんな生活でパチンコなんかしててええんかと思ったけど、結局、兄貴は兄貴や。なんとかここまで育ててきた息子にも迷惑かけてるんやろうなぁ……って思うた。


それから年に何回か会うようになった。



兄貴のうちには電話がなかったし、一応、うちの電話番号教えたけど、急にうちに電話かけられても困るから、会ったときに次に会う日を決めて、うちが東住吉に行くことにした。



そやから後にも先にも兄貴から電話かかってきたのは最後の頃やった。



最後……。



死ぬ前やな。



一回だけ、兄貴と息子が住んどった文化住宅に行ったことがあった。



正直ゆうと、兄貴はうちには金を借りようとせんかった。


慎ましく生きとったら、生活にはそんな困らへんけど、酒もたばこも吸うて、パチンコも毎日してる。



そんなん、パチプロやあるまいし、金も続けへんやろ。



けど、金を借りるのはうちのほうやった。



ほんの2,3回やけどな。家計がどうしても苦しいとき、1,2万借りに行ったんや。自分も苦しいはずやのに、兄貴としてうちに何かしてくれたかったんやろな。

気持ちよく貸してくれた。



そん時に、一回だけ息子と会ったな。6帖と4畳半しかない小さな文化住宅やった。息子はもう大きくなってたわ。高校生やもんな会った時は多分、一年生や。


兄貴が宮崎を出ていく時にそっくりやった。



足は悪うなかったけどな。



なんちゅうか……雰囲気やな。やっぱり親子やと思った。



ひょろっとした感じがよう似てた。



うちもどう挨拶してええかわからへんかったけど、素直に「お父ちゃんの妹やで、あんたのおばさんにあたるんや」って言った。



息子は驚いとったけど、もともとおとなしい子なんやろな、その後、何もしゃべらんと、ふすま閉めて4畳半の部屋にこもってもうた。



うちは兄貴と隣の部屋でしゃべってた。



後にも先にも息子を見たんはそれが最後やった。



兄貴が宮崎を出ていく時の雰囲気がそっくり……そん時、気づいたら良かったんや。



初めて会ってから一年後くらいやから、高校2年生の時に家出して北海道に行ったんや。



うちもその頃はあんまり、兄貴と会ってへんかった。それは次会う日があんまり決められへんかったからや。自転車屋の経営があまりうまくいかんようになって、旦那もうちも、子供と家と商売を支えるだけで精いっぱいやった。


ある日、電話がかかってきたんや。



兄貴から。


日中、うちと旦那で店番してて、住まいは二階や。旦那は訪問とか営業に出ることも平日は多いんや。



秋頃かな。



なんかろれつの回らん声で電話かけてきよった。



正直言うと、家には絶対かけてきてほしくなかったんや。



もう、ほんまに今更、旦那や旦那の親戚なんかに、実は大阪に兄貴がおるなんて言えへん。


汚い話やけどどっかの金持ちの社長になってたとか言うんやったら別やけどな。



それやったら堂々と紹介できたけど、そんときのうちは、もう、墓場まで兄貴のことはだれにも言わんとこって腹を決めてたんや。



そんな折に電話かかってきたから迷惑やった。


金借りとってそんなこと思うん、えらい自分勝手やけどな。



生活を壊したくはなかったんや。


ただ、そん時は、ほんまに一人やったから幸いやった。


兄貴のろれつが回らんかったんは、最初はまた酒を飲んでるのか……と思ってた。



この何年かの間、酒の依存症を治療する病院に2,3回、入っては出ての繰り返しやったみたいやから、酔っぱらってるんやな……って思った。



やめたと思ったら、また飲んで、入院して、またやめて……。



その話はうちが見たことやなくて、兄貴の口から出た自分の今までの人生の話やったから、本人もわかってるんやけど、腹が立つんやけど、自分の意志の弱さに苦しんでるんやと思う。




一時は断酒のために、宗教とかも入ったみたいやけど、それさえ長続きせんかったんや。何が、兄貴をそうさせたんやろ。少なくとも宮崎を出て、大阪で一旗揚げるって決意した時の兄貴は意志の強い人やったと思う。



大阪が西成がそうさせたんやろか?



それとも、結婚が、奥さんが逃げていったから、そうなってしもたんやろか?



けど、兄貴のろれつが回らんのは、どうも酒やないような気がした。



一緒やねんけど、うちの勘や。



そこで兄貴がうちに告げたことは息子のことやった。

家出してもうた。って。


家出……。


カエルの子はカエルか……。



しかし兄貴も男手ひとつで息子を育てて、最終的に家出されるなんて、報われへんなぁ。



うちは自分の子供を育てるだけで精一杯やったから、あんまり気にかけてやれんかった。大人しそうな息子やったけど、鬱憤が溜まってたんやろな。



兄貴が言うには、いつの間にか高校も中退して、家を出るって宣言してたらしい。



数か月で金を貯めて、北海道に行ってもうた。



急にいなくなったわけやないんや。



兄貴に聞くと、兄貴も意地になって止めんかったらしい。



勝手にせえ!!って怒ったけど、内心は自分の先のこととか考えて不安やったみたいや。



アルバイトするようになってから、飯も向こうで食うようになって、帰ってこんことも,

しばしば。



最後のほうは会話もなく、ただの同居人みたいやったそうな。



うちには、そんな息子の気持ちがなんとなくわかる。兄貴にもわかってるはずや。


嫌な思いして嫌な思いして、早く家を出て、自分の力で働いて、金をもらうことが自由やと思っとった。



その嫌な思いを作ったんが、父親やっちゅうのが、兄貴にとって辛いところやろう。



けど、北海道の住所とか教えて行ったらしいから、それやったら家出ちゃうやん。自立したんやん、と兄貴を慰めた。



兄貴はろれつの回らん口で一生懸命うちにしゃべった。



「違うんや……違うんや……これは復讐なんや」



復讐?



何の?



うちらが家出したから、親父の復讐かいな。


確かに、親父はうちらが家出した後、すぐに死んでもうたって風の噂で聞いた。死因は食道癌やった。



まあ、親父も酒やら焼酎やらがぶがぶ飲んでたからな……仕方ないわ。



せやかて、苛められとったうちらが何で、復讐されなあかんのん。


おかしいやん。


「お前、親父がどこで死んだか知っとるか?」



「えっ?宮崎とちゃうのん?」



癌なんて、入院して、治療の甲斐もなく死んでいくもんと違うんかな。



「大阪やねん」




背筋がぞっとした。



何か、奇妙な虫が背中を這いまわってる感覚や。



「誰に聞いたん?」



「宮崎で、お前宛の手紙を受け取ってくれたおばちゃんおったやろ。もう、死んでもうたけどな。あのおばちゃんに聞いたんや」



「うちには何も言わへんかったよ」



「俺が言わんといてくれって言うたんや。怖がるから」



ほんまか!兄貴、頭おかしくなってるんとちゃうか。

子供の頃から妄想癖があったし、一人で自分の足に向かって、ぶつぶつ言うてることも多かった。大人になって、酒も飲むようになって、夢か何かわからんようになったんや。


「その話、ほんまか?何で親父が大阪におらんとあかんねん。大阪の病院に入院してたんか」




「そうみたいや。親父が宮崎でなく、大阪の技術も設備も整った、ええ病院で治療受けさせろって俺らの兄弟に言うたみたいや。金はあったからな」



「ほんで死んだんか」



「そう言うたのは、もう手がつけれん状況やったみたいや。せやから、宮崎におろうが、大阪で受けようが一緒やと思うてたんやけど、親父が強引に大阪に行かせろっていうから仕方なしに運んだらしい」



「何で、そんな……」




「運んで2日目に、もう死んでしまったみたいや」



うちはそれを聞いて、もう立ってられんようになってもうた。兄貴はまだ話を続ける。



「それもな。天王寺にある病院やったらしい。俺の働いてた近鉄百貨店とは目と鼻の先やったらしい」



「何やそれ!!」



「なぁ。何か執念感じえへんか?」


執念ちゅうても、うちら、親父に何も悪いことしてへんし、兄弟にも苛められて、親父がうちらを追いかけてくる意味がわからん。別に、溺愛されとって、逃げ出したわけやない。食いぶちが減って、良かったくらいに思われてるに違いないわ。



親父はうちらくらいになったら、子供より、女のほうが大切やねんから。

そんなことを兄貴に投げかけた。



うちらに恨みとかあるようには思えへんけど……。



「そうやな。恨みっちゅうたら、母親が長持ちせえへんかったってことや」




何か、頭がガーンって響いた。ハンマーで殴られたみたいやった。



「そんなもんうちらに関係ないやん!!」



うちはいつの間にか叫んどった。



「そうや、関係ない。俺の母親がすぐおらんようになったんも、お前の母親がすぐに死んだんも、俺らには関係ない。けど、やっぱり、俺らがずっと苛められて来たり、そういう環境に親父がしたんも、結局は母親が自分のところからすぐにおらんようになって、俺らだけ、やっかいもんの子供ができたから、やないかと最近思うようになったんや」



「けど、家出したんやから、もうええんとちゃうんか!」


「そうやな、けど、俺にはわかる。親父は自分の手から離れてまともな暮らしをしようとしてる俺らを、ずっと恨んでる。ほんで、呪いをかけて、まともな暮らしがでけへんようにしてるんや」


兄貴は、何でこんな恐ろしいこと考えるんやろ。



うちは狂人と話してるんか?



けど、その一言一言は、もしかしたらありえる事かも……ってうちは思った。



「俺の足がいつまでたっても治らんのも親父のせいや。子供の頃からこの足で悩まされとった。病院行っても、漢方飲んでも全然治らへ、グフッ」



何か、変な咳込みかたしよった。足が治らへんのは先天的なもんもあるやろうけど、酒ばっかり飲んでるからやろって言いたかった。



「足がな……俺に言うんや。殺せー殺せーって。グフフッ!ゲボッ!」



「何を?」


「わからんからどうしようもない。グフッ!グフッ!」



「なあ、兄貴、何でそんな風に思うようになったんや?」


うちは早よ電話切りたくてしゃあなかった。


「何で、そう思うようになったか?それはな、俺が家出した息子に同じ思いをしてるからや。考えてみたら、女房がおらんようになって、ずっと恨んでた。苛め抜きたかった。どこへ行っても、まともな暮らしでけへんように、呪ってやるんや。グフッ!!ゲボッ!!グヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘ!!グゥルゥラァ~!!!」

叩きつける音と一緒に電話が切れた。



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