6. 羨望(I)
あくる朝早く、イオナはいつものように木刀片手に中庭に出た。
後宮の壁に阻まれて陽の輪郭も見えないが、まだ日は昇り始めたばかりの頃らしく、空は紫陽花のように蒼から薄紅へと色を混じらせている。
中庭の一角の、後宮の騎士達と稽古をしている場所へ着くと、イオナは軽く木刀を振るった。木刀の動きに合わせて、風を切るというよりは叩くといった唸りが耳に伝わる。身体を慣らすための型を一通りこなし、イオナは木刀を地面に突き立てた。
「(大分慣れてはきたが・・・やはり、少し使いにくいな)」
側室として後宮に上がる際、武器は不要と家族に取り上げられてしまったため、イオナが今使っている木刀は、同僚が用意してくれたものだ。騎士団でも練習用として使われているものであるから、耐久性もあり、持ちやすい。しかし、イオナにとっては少し軽かった。
イオナの使用している剣は片手剣だが、女性の中でも力の強い彼女は他の女性騎士より重いものを使っていた。そのため、木刀も男性騎士と同じものを使用していたのだ。流石に後宮では木刀は手に入らないし、同僚が用意できるのは女性騎士用のものだけなので我慢しているが、気をつけて使わないと勢い余って振りすぎたり、木刀自体が傷んでしまったりする。それに、女性騎士用のものは刃の部分が厚みがあり、丸くなっているため、振ったときの抵抗が大きい。
全く鍛錬が出来ないよりはましだが、少し物足りない。
「(武器は取り寄せられないからな)」
後宮の側室は、外部に菓子や服を頼み、取り寄せることが可能である。日用品や食事は支給されるものの、それらも個人の采配で外部から調達できる。
しかし、流石に武器の類は問題がある。家の資金を使わずとも家族が許さないだろうし、後宮に護身用以外の武器を持ち込むのは問題がある。一応後宮の護衛騎士の長に許可をもらい、護衛騎士用の剣を借りて帯剣しているが、個人の剣を持つことは難しいだろう。木刀も同様である。
イオナは軽く溜息をついた。木刀を少し離れた所に生えた木の下へと置き、腰に下げていた剣をゆっくりと抜き放つ。
こまめな手入れはしているものの、表面に細かな傷が目立った。それらに眉を顰めつつ、イオナは剣を振った。木刀の時より風の抵抗がなく、スッと空を薙いだ。
「(こちらのほうがましか)」
やはり少し軽いものの、自分の感覚に近い。イオナは何度か剣を振ると、ゆっくりと先程と同じ型を始めた。
木刀の風を切る際の違和感を感じることがないためか、滑らかに身体が動く。剣が身体の一部になったような感覚に、イオナは無心で剣を振るった。
暫くして、ふと感じた気配にイオナは型を流す動作から一転、剣の切っ先をそちらへ向けた。
「・・・!?」
剣の風圧に揺れる銀糸に、イオナは目を丸くした。
「テミス殿!?」
灰色のフードに隠れ、顔は見えないものの、フードの横から零れ出る銀髪と格好から相手に見当がつく。イオナは慌てて剣を鞘に仕舞い、テミスリートのフードを下ろした。
「だ、大丈夫か? どこか切れたりはしていないか?」
側室でなくとも、髪は女性にとって大切なものである。いくら集中していて気が疎かになっていたからといっても、"女性"の髪を切ってしまったら大事になってしまう。
自分の髪を1房取り丹念に調べるイオナの目の前で、テミスリートは軽く噴出した。
「テミス殿?」
「・・・っ、だ、大丈夫です。当たっていませんから」
口元に手を当て笑いを堪えるテミスリートの様子を、イオナは目を丸くして見つめた。言われた言葉を反芻し、イオナの目尻が下がる。
「そ、そうか。済まなかったな、驚かせてしまって」
「いえ、私も不注意でしたから。お気になさらず」
邪気のない笑みを向けられ、イオナはほっと息をついた。
「(・・・良かった)」
ただでさえ気質や考え方が他の側室と違いすぎて忌避されやすいのに、いくら手違いとはいえ真剣を向けたとなっては怯え、避けられても不思議ではない。以前にも真剣ではなかったが似たようなことがあり、一時期他の側室から怖がられたことがあったから、目の前の"少女"も自分を忌避するのではないかとイオナは思っていた。
しかし、"少女は"怯えることも憤慨することも無く、自分に対して変わらない笑みを向ける。それが嬉しかった。
「――― ところで、こんな早い時間にどうしたのだ?」
元同僚達との鍛錬のために早起きする自分と違い、側室達の朝はもう少し遅い。
何気なく尋ねかけたイオナは、本当に一瞬だがテミスリートの目が揺らいだのに気づき、目を瞬かせた。
「(テミス殿・・・?)」
「・・・早く目が覚めてしまったので散歩でも、と。イオナ様もお早いですね」
先程の表情が幻だったかのようにふわりと笑みを浮かべるテミスリートに釈然としないものの、イオナは頷いた。
「あ、ああ。この時間なら、他の者に迷惑をかけずに鍛錬を積めるからな」
もう少しすれば、使用人達が中庭を通路として使用する時刻になる。その時に剣を振るっていると迷惑になる。それに、護衛騎士達の交代の時間もその頃であるため、今の時間が最も都合が良い。
「いつもこの時間に鍛錬を?」
「そうだ」
「早起きでいらっしゃるのですね」
目を丸くするテミスリートに気を良くし、イオナは剣の柄を撫でた。
「ここでは、なかなか剣を振るえる時間がないからな。その時間を得るためなら、早起きも苦ではない。それに、朝は空気が澄んでいるし、気持ち良いだろう?」
「そうですね。・・・それに、素敵なものも見られました」
「?」
意味ありげな言葉に、イオナは目を瞬かせる。
「剣でも、あのような動きが出来るのですね。天女の舞のようでした」
「な!?」
言われたことに気づき、イオナは顔を赤らめた。
「み、見ていたのか、テミス殿」
「覗くつもりはなかったのですが、あまりに真剣な面持ちでいらしたので、声をかけられなくて。とてもお綺麗でしたよ」
楽しそうに笑う姿に、イオナの顔が更に紅くなる。
「か、からかわないでくれっ」
「からかってなどいません」
心外とでも言うように眉を上げるテミスリートから目を逸らし、イオナは俯いた。大きく息を吐き、片手で顔を覆う。
「・・・たとえそうでも、テミス殿に言われると冗談にしか聞こえないんだ」
家族に言われ続け、他の貴族達が口に乗せる美人の条件に合致する"少女"に言われても、なかなか本気に受け取れない。自分がその基準からかけ離れていると分かっているイオナは賛辞を素直に受け取れなかった。
嘘でないことは分かっているのに。
「情けない話だが、褒められ慣れていないからな。素直に受け入れられない。・・・そなたの言を疑っている訳ではないのだが」
困りきったように黙り込むイオナを、テミスリートは目を細めて眺めた。
「でしたら、その分私が褒めますね」
「・・・・・・え・・・・・・?」
「言われ続ければ慣れますし、冗談も本当になるものです」
驚きに顔を上げると、全く他意の感じられない笑顔を向けられる。
「後宮にいらっしゃるうちに、慣れてしまいましょう」
ね? と上目遣いに同意を求められ、つられてイオナは未だ紅い顔で頷いた。
「う、うむ」
ギギギ・・・と音を立てそうなほどの頷きように、テミスリートが笑いを零す。恥かしさに、イオナは声を荒げた。
「そ、そうだテミス殿! 先日の話はどうなったのか聞いても良いか!?」
突然の大声にきょとんとした顔を向けたテミスリートは、次いで目尻を軽く下げた。
「王への進言でしたら、昨日許可が頂けました。王自ら口添えしてくださるそうです。もしかすると、イオナ様にも報告が行くかもしれません」
「・・・・・・つまり、残れるのだな」
「はい」
息を整え、軽く咳払いをすると、イオナはテミスリートの頭に手を乗せた。
「感謝する、テミス殿」
「謝辞は私ではなく、王に仰ってください。私はイオナ様のお言葉を伝えただけですので」
事もなげに言うテミスリートに溜息をつき、イオナは軽く膝を折り、視線を合わせる。
「それでも、そなたが言ってくれなければ私は父と衝突しなければならなかったからな。そなたのおかげであることに変わりは無いんだ。感謝するのは当然だ」
「・・・・・・」
困った顔で微笑むテミスリートにイオナは苦笑した。ポンポンと頭を叩き、立ち上がる。
「何か礼をしないとな。先程の詫びもしなければならないし、何か望みがあれば言ってくれ」
「充分良くして頂いていますのにお礼なんて・・・それに先程の」
「何でもいいぞ。出来る範囲でだが」
イオナが有無を言わせぬ笑顔で強制的に言葉を切ると、テミスリートは目に見えてうろたえた。目を泳がせ、言葉を選んでいる様子がありありと見える。
「ですが」
「遠慮しなくて良い」
更に言い募ろうとするのを抑えると、諦めたように溜息を零す。暫く黙り込み、テミスリートは何かを思いついたように顔を上げた。
「・・・・・・でしたら、もう一度先程の剣舞を見せては頂けませんか?」
「剣舞? ・・・ああ、あれは舞ではないんだが」
「そうなのですか? 流れるような動きでしたから、てっきり・・・。ですが、舞でなくても構いません」
「見せるようなものでもないが・・・まあ、テミス殿が見たいのなら拒む理由もないな。危ないから、少し離れていてくれるか?」
「はい」
イオナは周囲を軽く見回すと、腰の剣を抜いた。見られていることに気恥ずかしさを感じ、少し緊張した面持ちで剣の型を流す。最初は少しぎこちない動きがあったものの、流していくうちに普段の練習の時のように軽やかな動きが戻ってきた。
自分でも不満がないように動けていると感じ、イオナは不自然でないよう、ちらりとテミスリートへ視線を向けた。
「(・・・・・・?)」
何か眩しいものを見るかのようにこちらを向いて目を細める"少女"の様子に、イオナは違和感を感じた。どちらかといえば自分には素直に感情を見せてくれることの多い"少女"が、このような表情をすることは珍しい。
憧憬というよりは羨望といったほうがしっくりくる様を気にしつつも、イオナは型を流し終えた。くるりとテミスリートの方へ向き直る。
先程と同じく、テミスリートは目を細めて自分に微笑を向けている。しかし、こちらの視線に気づいていないようだった。
「・・・テミス殿?」
イオナが声をかけると、我に返ったかのようにテミスリートは表情を変えた。目を丸くし、次いで頬を薄っすら紅潮させて満足げな笑みを浮かべる。
「――― 素敵でした、とても」
「そ、そうか」
心からの賛辞に顔が熱くなるのを感じつつも、先程の様子が気になり、イオナは軽く屈み、テミスリートと目線を合わせる。
「ところで、大丈夫か?」
「?」
不思議そうに首を傾げるテミスリートに、イオナは軽く目を瞬かせた。
「先程、少し様子がおかしかったように見えたのだが・・・」
イオナの言葉に目を瞬かせた後、テミスリートは再び頬を赤らめた。
「・・・見ていらしたのですね」
顔を隠すように俯くテミスリートを、イオナは黙って眺めた。
「・・・・・・大したことではないのです。ただ、少し羨ましくて」
「羨ましい?」
イオナは目を丸くした。見目にしろ、性質にしろ、"貴族の令嬢"として申し分ないものを持ち合わせているようにしか見えない"少女"からそのような言葉が出てくるとは思ってもいなかった。まじまじとテミスリートを凝視してしまう。
「私には、剣を振るうことは許されていませんでしたから」
「・・・振ってみたかったのか?」
「はい」
病弱で外出もままならなかったテミスリートは、体調が悪化する原因となることはやらせてもらえなかった。剣など、触るどころか間近で見たことすらない。外で父と異母兄が仲良く剣を交えているのを、自室から眺めることしか出来なかったのだ。
恥かしげに微笑むテミスリートの顔を見て、イオナは目尻を下げた。
純粋に剣に興味を持ってくれているのがとても嬉しい。自分が今までしてきたことを肯定されたように感じた。
「なら、そなたの体調が良い時に剣を教えよう」
「え?」
自らの口から何の抵抗もなく出てきた言葉に、イオナは驚いた。しかし、それも良いなと思い直す。ゆっくりと立ち上がると、驚きに目を丸くして自分を見上げる水晶の瞳と目が合った。
「大剣はそなたには扱えないだろうが、レイピアのような軽いものなら慣れれば扱えるだろう。あまり得意ではないが、護身に使える程度までなら私でも教えられるし」
あまり健康そうでない"少女"に剣を教えることに躊躇いはあるが、細身の剣であれば鍛錬の量を調整することで身体に負担をかけないようにできるし、"少女"の雰囲気を壊すこともないだろう。それに、剣を振るう"少女"の姿はきっと華麗だろう。
ちょっぴりの打算を隠しつつ言うと、テミスリートは困ったように目を伏せた。
「ですが」
「今日中にでも木刀を手配しよう」
無理に言葉をかぶせると、困ったような微笑が返される。イオナは内心で苦笑した。
「やりたいのなら、遠慮することはない」
「・・・・・・」
「もっと、望みを言って良いのだ。ここにいる限り、時間はあるのだから」
テミスリートが後宮を出ることはないと言っていたし、自分も留まる許可を得られたのだから、共にいられる時間は多い。いくらでも我儘を聞いてやれる。
テミスリートは軽く目を伏せた。悩んでいる風情に、イオナは黙って返事を待つ。
「・・・・・・そう、ですね。折角ですし、教えてください」
困ったように、それでいて嬉しそうに微笑む"少女"に、イオナもまた笑みを浮かべたのだった。
読んでくださり、ありがとうございます。