第五話 保守点検担当者採用、死んでも人手不足
第五話 保守点検担当者採用、死んでも人手不足
「採用できました!」
冥界総合受付課の会議室に、庶務担当の声が響いた。
孟婆は、飲みかけのお茶を置いた。
奪衣婆は、探していた靴から顔を上げた。
マテルダは、手帳を閉じた。
リリスは、椅子から立ち上がった。
「……本当ですか?」
「本当です!」
庶務担当は、机の上に採用決定通知書を並べた。
「天界の交通管理部門から紹介を受けた方、それから、生前に車両整備や電気設備の保守に携わっていた方々です。必要な経験や技能を確認したうえで、担当者を確保できました」
「何人?」
孟婆が尋ねる。
「必要な業務を担当できる人数です!」
「具体的には?」
「担当業務ごとに配置しました!」
「だから、何人なんだい?」
「孟婆様!」
庶務担当は、深呼吸した。
「人数を読み上げる前に、まず役割を確認させてください!」
リリスが、にっこり笑った。
「いいですね。採用した人が何をするのか、明確にしておきましょう」
庶務担当は、壁に新しい紙を貼った。
**『冥界モノレール運行体制・最終案』**
車両と走行設備の点検。
電気設備の点検。
駅設備と乗降場所の確認。
運行管理と異常時の連絡。
そして、乗客の案内と安全確認。
それぞれに担当者が割り当てられていた。
「車両と設備については、必要な検査と修繕を実施しました。運行に必要な点検記録も整えています。運行責任者が確認し、問題がないことを確認できた範囲で、明日の開業に向けた準備を進めます」
マテルダがうなずいた。
「これで、車両を整備する人がいないという問題は解決ですね」
「はい」
庶務担当は、少し誇らしげに答えた。
「ただし、今後も定期的な点検と整備は必要です。開業したら終わり、というわけではありません」
「そうですね」
リリスは、採用決定通知書を手に取った。
「採用された方々の勤務時間、休日、緊急時の対応も決めてありますね?」
「もちろんです!」
「夜間に故障したら?」
「担当者を呼び出す条件と連絡手順を定めました。無制限に働かせることはありません」
「休日に呼び出す場合は?」
「勤務規程に従って対応します」
リリスは、満足そうにうなずいた。
「よろしい。死んでいるからといって、労働条件まで消えるわけではありませんからね」
孟婆が、感心したように言った。
「いやあ、立派なもんだねえ」
奪衣婆が、ぽつりとつぶやく。
「でも、あたしの靴は、まだ見つかっていないんだけどねえ」
「それは、モノレールの採用とは関係ありません!」
庶務担当の声が、再び会議室に響いた。
「関係ないことはないよ。開業式に履いていく靴がないんだから」
「新しい靴を用意してください!」
「亡者の靴を管理するのが、あたしの仕事なんだよ。自分の靴がなくなるなんて、面目丸つぶれじゃないか」
「では、あとで一緒に探しましょう!」
庶務担当は、議事録に小さく書き込んだ。
『奪衣婆の靴の件。開業準備とは別に対応』
リリスが、それを見た。
「その項目、独立させたほうがよくありませんか?」
「これ以上、議題を増やさないでください!」
会議室に、笑い声が広がった。
久しぶりに、誰も怒っていなかった。
少なくとも、三十秒ほどは。
「では、次です」
リリスが書類をめくった。
「運転手と獄卒の配置を確認しましょう」
白雲は、すでに会議室の隅に立っていた。
天界の交通管理部門で、長年、天界循環線を運転してきた候補者である。
「運行手順と担当区間の確認は終わりました。明日の運行に向けた準備は整っています」
「飲酒チェックは?」
リリスが尋ねる。
「専用機器による確認を、出勤時に実施します」
白雲は、きっぱり答えた。
「私自身も、獄卒の皆さんも同じです。確認結果は記録し、異常があれば勤務につきません。機器に不具合があった場合も、定められた手順に従います」
「よろしい」
リリスはうなずいた。
「桃源郷の滝から流れてくる銘酒は、勤務が終わってから。休憩施設で、勤務前に飲むことも、勤務中に飲むことも認めません」
獄卒の一人が、少しだけ肩を落とした。
「……わかっています」
「本当に?」
「本当です!」
「なら、よろしい」
孟婆が、獄卒たちに笑いかけた。
「仕事が終わったら、おいしいお酒が待っているよ。楽しみは、あとに取っておくもんさ」
獄卒たちは、そろってうなずいた。
庶務担当は、配置表を確認した。
一人目は、乗車券と案内の確認。
二人目は、乗客同士の争いの防止と安全管理。
三人目は、苦情への対応。
四人目は、運転手の安全確保と運行補助。
「これで、乗務体制も整いました」
マテルダが言った。
「残るのは、乗車資格の確認ですね」
庶務担当は、次の書類を取り出した。
**『浄玻璃鏡・乗車審査運用手順』**
「天国側からの乗客は、乗り口で浄玻璃鏡のミラーリングを受けます。善行ポイントが十点以上なら乗車可能。十点未満の場合は、徒歩ルートをご案内します」
「桃源郷との電力供給契約に関わる条件ですね」
リリスが確認した。
「はい。格安で水力発電の電力を融通していただくための、天国側の乗客に関する必須条件です」
「地獄側の乗客に、同じ条件を勝手に適用することはありません」
「そのとおりです」
庶務担当は、乗車審査の表示板を取り出した。
そこには、簡潔に書かれていた。
**天国川ルート**
**善行ポイント十点以上――乗車できます。**
**十点未満――徒歩ルートをご利用ください。**
孟婆は、表示板を見て笑った。
「わかりやすいねえ」
奪衣婆が、首を傾げる。
「十点に届かなかったら、歩くのかい?」
「そうです」
「途中で疲れたら?」
「休憩所をご利用いただきます」
「休憩所が遠かったら?」
庶務担当は、ゆっくりと孟婆を見た。
「……孟婆様」
「なんだい?」
「今は、そこまで話を広げないでください」
「はいはい」
マテルダは、笑いをこらえながら、最後の書類を机に置いた。
「では、地獄酒場との広告契約は?」
庶務担当の表情が、ようやく明るくなった。
「成立しました!」
「おお!」
「車体ラッピングの広告費について、契約条件がまとまりました。掲出期間、広告内容、支払い方法も確定しています。広告費は、運行費用の一部に充てます」
リリスが、広告のデザイン案を広げた。
モノレールの車体には、地獄酒場の大きな文字。
その下に、赤い提灯の絵。
そして、目を引く宣伝文句。
**『地獄酒場――あの世の一杯、帰りの足もご用意します。』**
孟婆は、声を上げて笑った。
「こりゃ、いいねえ!」
奪衣婆も、うなずいた。
「お酒を飲んだら、帰りの足まであるのかい。親切な店だねえ」
リリスが、すぐに釘を刺した。
「ただし、運転手は飲みません。勤務前の飲酒も、勤務中の飲酒も禁止です」
「わかっているよ!」
孟婆は、まだ笑っていた。
「広告は酒を勧め、規程は飲酒を止める。冥界らしくていいじゃないか」
庶務担当は、契約書をファイルに綴じた。
電力供給の条件。
車両と設備の点検。
保守点検担当者の採用。
運転手と獄卒の配置。
飲酒チェックの手順。
浄玻璃鏡による乗車審査。
地獄酒場の広告契約。
一つずつ、問題が片づいていた。
庶務担当は、書類の束を机に置き、深く息を吐いた。
「……これで、開業に必要な準備は整いました」
四人は、顔を見合わせた。
孟婆が、そっと尋ねる。
「じゃあ、明日は?」
庶務担当は、開業予定表を取り出した。
「明日、最終確認を行います。運行責任者が安全上の問題がないことを確認できれば、予定どおり開業式を実施します」
マテルダは、手帳を閉じた。
「では、十王の皆様にもご連絡を」
奪衣婆が、勢いよく立ち上がった。
「待ちな! 開業式なら、あたしの靴が必要だよ!」
「だから、靴の件は別です!」
「別じゃないよ! 開業式に裸足で出ろっていうのかい!」
「新しい靴を用意します!」
「最初から、そう言えばいいんだよ」
庶務担当は、机に突っ伏した。
リリスは、その背中を軽くたたいた。
「お疲れさまでした。今日は、もう帰って休んでください」
「……本当に、帰っていいんですか?」
「もちろんです」
「夜間の緊急対応は?」
「担当者を決めてあります」
「明日の朝の飲酒チェックは?」
「白雲と獄卒たちが、専用機器で実施します」
「乗車審査の表示板は?」
「設置済みです」
「広告のラッピングは?」
「車体への施工が完了し、確認も済んでいます」
庶務担当は、ゆっくりと顔を上げた。
「……本当に?」
リリスは、微笑んだ。
「本当に」
庶務担当は、立ち上がった。
そして、会議室の扉へ向かいながら、ぽつりと言った。
「明日で終わるんですね……」
孟婆が、にっこり笑った。
「そうさ。明日はいよいよ、開業式だよ」
奪衣婆が、新しい靴を抱えて立ち上がった。
「よし! 明日は遅刻しないように、早めに出るよ!」
マテルダは、十王への招待状を手に取った。
リリスは、開業式の進行表を確認した。
そして庶務担当は、最後にもう一度、書類の束を確かめた。
すべて、そろっている。
車両もある。
運転手もいる。
獄卒もいる。
保守点検担当者もいる。
電力も、広告費も、乗車資格の確認手順もある。
あとは、明日を待つだけだった。
会議室の壁には、開業予定表が貼られていた。
その最下段には、大きな文字でこう書かれていた。
**『第六話・最終話――冥界モノレール開業式』**
庶務担当は、その文字を見つめた。
そして、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「……明日こそ、定時で帰れますように」
冥界総合受付課の窓の向こうでは、川が静かに流れていた。
明日、モノレールが走り出す。
天国川の向こうへ。
そして、まだ誰も知らない、次の仕事の向こうへ。
ただし。
開業式の進行表には、すでに『奪衣婆の靴の確認』という項目が追加されていた。




