第三話 中古モノレール採用決定、広告主は地獄酒場
「冥界で再就職できないかな?」という、お話しです。
・交通手段の選定と導入方針
・車両・設備の安全確認
・電力の確保、桃源郷の水力発電と地獄の火力発電
・車体ラッピング広告による財源確保
・地獄酒場との広告契約
・運転手の採用と獄卒四人の配置
・福利厚生と飲酒チェック
……という、交通インフラ整備事業になっています。
単に線路に電車を走らせるだけではなく、交通体系や街づくりに関わる事業です。
冥界のモノレールも、死者を川の向こうへ運ぶだけのはずが、エネルギー政策と雇用政策と広告事業まで抱え込んでしまったのでした。
第三話 中古モノレール採用決定、広告主は地獄酒場
冥界総合受付課の会議室に、冥界の四人のババアと、庶務担当、そして天界から呼ばれた運転手候補の白雲が集まっていた。
机の中央には、一枚の資料が置かれている。
『中古モノレール導入計画・再検討案』
リリスは、その表紙を裏返した。
「いつまで再検討しているのよ」
庶務担当が、申し訳なさそうに答えた。
「前回の申請が、再検討になりましたので」
「その再検討案が、また再検討になるんでしょう?」
「その可能性はございます」
「可能性で済ませないで!」
孟婆が、お茶をすすった。
「まあまあ。今日は採用を決める会議なんだろう?」
「そうです。中古モノレールを導入候補として採用し、現物調査と安全確認を進める。その方針を決めたいんです」
リリスは、資料を一枚めくった。
「地下鉄を新設するより、既存のモノレール方式を活用できれば、建設費を抑えられる可能性がある。鉄道を新しく敷設する場合と比べても、条件が合えば有利かもしれない。ただし、車両だけでは運行できない。線路、支柱、駅、電源、保守部品、整備費用まで含めて比較する必要がある」
白雲がうなずいた。
「そのとおりです。安く取得できても、修理や設備更新に費用がかかれば、結局、高くつくことがあります」
「だから、採用方針を決めるのと、運行許可を出すのは別にするのよ」
マテルダが、案内図に二つの矢印を書いた。
『導入方針の決定』
『安全確認後の運行判断』
「この二つを分ければ、道に迷わずに済みますね」
奪衣婆が、資料をのぞき込んだ。
「ところで、車両の色は?」
「まだ決まっていません」
「靴と同じで、見た目も大切だよ」
「靴の話は、いったん置いておきましょう」
リリスは、深呼吸した。
そして、決裁案の最後に、大きく書き込んだ。
**『中古モノレールを採用する方針とする。ただし、現物調査、必要な整備、設備の確認、安全性の検証を経て、運行の可否を最終判断する』**
庶務担当が、その文面を確認した。
「これなら、採用方針を決めたうえで、安全確認も省略せずに進められます」
白雲も賛成した。
「運転する立場として、異議はありません」
孟婆が手を挙げた。
「賛成」
奪衣婆も手を挙げた。
「賛成。車両が来たら、靴を落とした乗客のための掲示をつけておくれ」
マテルダも手を挙げた。
「賛成。ただし、案内表示は左右を間違えないように」
リリスが言った。
「それは当然!」
最後に、庶務担当が決裁書を掲げた。
「では、採用方針を決定いたします!」
会議室に、拍手が起こった。
冥界交通局は、ついに一歩前進したのである。
もっとも、車両はまだ手元になかった。
*
「さて、次はお金です」
庶務担当が言った。
拍手が止まった。
「車両の取得費、輸送費、調査費、整備費、設備費、保守費。予算が必要です」
「わかっているわ」
リリスは腕を組んだ。
「でも、すべてを公費で賄う必要はないんじゃない?」
「と、おっしゃいますと?」
リリスは、机の上に別の資料を置いた。
『車体ラッピング広告事業』
孟婆が目を丸くした。
「車体に広告を貼るのかい?」
「そうよ。モノレールの車体に広告を掲載して、その広告料を導入費や運行費の一部に充てるの」
マテルダが資料を読んだ。
「死者が乗る乗り物に、広告を?」
「死者だって、目はあるでしょう」
「ありますね」
「文字も読めるでしょう」
「読めますね」
「だったら、広告だって読めるわ」
庶務担当が、慎重に尋ねた。
「どのような広告主を想定されているのですか?」
リリスは、にっこり笑った。
「地獄酒場よ」
沈黙が落ちた。
孟婆が、ゆっくりと湯飲みを置いた。
「……あそこかい」
奪衣婆が顔をしかめた。
「酔っ払いが多いところだね」
「だからこそ、広告費を出してもらうのよ」
リリスは、資料の次のページを開いた。
地獄酒場。
死者も獄卒も、仕事帰りに立ち寄るという噂の店。
地獄の業火を眺めながら飲める酒、火加減を間違えた料理、そして店主の気分で変わる値段。
冥界でも評判の、たいへん個性的な酒場である。
「モノレールが走れば、酒場の近くに駅を設けられるかもしれない。車体広告を出せば、店の宣伝になる。酒場は広告費を払い、交通局はその収入を運行事業に回す。双方に利益があるわ」
白雲が、手を挙げた。
「乗客を酒場へ誘導する場合、飲酒した乗客への対応も必要ですね」
「そこは、運行規程と駅の案内で整理するわ。広告は広告。安全管理は安全管理よ」
「それなら、賛成できます」
庶務担当は、すでに計算を始めていた。
「広告費の収入があれば、初期費用の一部を補える可能性があります。契約期間と広告面積、掲載料金、更新費用などを定める必要がありますね」
「そう。まずは地獄酒場に交渉を申し入れましょう」
リリスは、決裁書に一行を加えた。
『車体ラッピング広告の導入を検討し、地獄酒場を最初の広告候補とする』
孟婆が、笑った。
「モノレールが走る前から、もう商売が始まったねえ」
「走らせるために、お金が必要なのよ」
「お金を集めるために、広告を出す」
「そうよ」
「広告を出すために、車体が必要」
「……そうね」
「車体を買うために、お金が必要」
リリスは、孟婆を見た。
孟婆は、にこにこしていた。
「堂々巡りだねえ」
「だから、その輪を広告費で断ち切るの!」
*
翌日、地獄酒場に交渉団が到着した。
店の入口には、赤い提灯がぶら下がっている。
その下には、手書きの看板があった。
『地獄酒場――生前の後悔は持ち込み可。ツケは不可』
リリスは看板を見て、少しだけ感心した。
「広告の文句としては、悪くないわね」
店主は、カウンターの向こうから顔を上げた。
「いらっしゃい。飲むのかい?」
「商談です」
「商談も酒を飲みながらやればいい」
「勤務中です」
「堅いねえ」
「安全管理が必要なので」
店主は、肩をすくめた。
「で、何の用だい?」
リリスは、モノレールの資料を差し出した。
「冥界交通局が、中古モノレールを導入する方針を決めました。そこで、車体ラッピング広告を募集しています」
店主の目が光った。
「広告?」
「はい。車体に店の名前や宣伝文句を掲載します。広告料は契約で定め、交通事業の費用に充てます」
店主は、資料をめくった。
「つまり、冥界を走るモノレールに、うちの店の名前が載る?」
「安全確認が済んで運行できるようになれば、そうなります」
「面白いじゃないか!」
店主は立ち上がった。
「で、いくらだ?」
庶務担当が、料金案を差し出した。
「広告面積と掲載期間に応じて、これくらいを想定しています」
店主は数字を見た。
そして、すぐに言った。
「高い!」
リリスは即答した。
「では、広告面積を小さくしましょう」
「いや、店の名前は大きく載せたい」
「大きくするなら、広告料も上がります」
「じゃあ、酒を提供するのはどうだ?」
「現物提供だけでは、広告費の代わりになりません。金銭による支払いを基本とします」
「融通が利かないねえ」
「交通局ですから」
店主は腕を組んだ。
「わかった。条件を聞こう」
リリスは、落ち着いて説明した。
「広告内容は事前審査制。虚偽の宣伝は禁止。乗客の安全を損なう表現や、運行案内と紛らわしい表示も禁止。契約期間と料金は明文化する。広告料は期日までに支払っていただきます」
店主は、最後の条件を聞いてうなった。
「ツケは?」
「不可です」
店主は、入口の看板を見た。
『ツケは不可』
「うちの店と同じじゃないか」
「ええ。お互い、仕事ですから」
店主は、しばらく考えたあと、手を差し出した。
「よし。条件を詰めよう」
リリスは、その手を握った。
こうして、地獄酒場は、冥界モノレールの最初の広告候補となった。
契約はまだ締結されていない。
広告料も、まだ支払われていない。
しかし、商談は始まった。
それだけでも、前進だった。
*
冥界総合受付課へ戻ると、庶務担当が新しい収支計画を作成していた。
『中古モノレール導入事業・財源案』
一、交通局予算。
二、車体ラッピング広告収入。
三、必要に応じた追加予算。
その横には、電力供給案が添えられていた。
『桃源郷水力発電所』
『地獄火力発電所』
桃源郷の水力発電を基本電源の候補とし、地獄火力発電を予備電源の候補とする。ただし、設備の接続方法や供給能力、切替設備、停電時の安全対策については、専門家による確認が必要である。
リリスは、その資料を読んだ。
「よし。ようやく全体像が見えてきたわね」
孟婆が言った。
「桃源郷から電気をもらい、地獄から広告費をもらう」
「広告費は、地獄酒場からね」
「そして、乗客を川の向こうへ運ぶ」
マテルダは、案内図に新しい矢印を加えた。
『冥界総合受付課』
↓
『モノレール乗り場』
↓
『各河川の受付』
↓
『必要に応じて、地獄酒場』
リリスは、最後の矢印を見つけた。
「ちょっと待って。酒場への案内は、広告契約が決まってからよ」
マテルダは、矢印を消した。
「承知しました」
奪衣婆が、ぼそりと言った。
「靴を落とした人は、どこで降りるんだい?」
「靴の窓口は、モノレールの運行計画とは別です!」
その日の夕方、掲示板には新しい告知が貼られた。
『中古モノレール採用方針、決定』
『現物調査および安全確認、準備中』
『車体ラッピング広告、地獄酒場と交渉開始』
『電力供給、桃源郷水力発電・地獄火力発電を候補として検討』
『運行開始日、未定』
最後の一行だけは、相変わらずだった。
それでも、昨日までの掲示板とは違う。
モノレールを採用する方針が決まった。
広告による財源確保の道も開けた。
運行に必要な電力の構想もできた。
安全確認を終えるまでは、まだ誰も乗せられない。
だが、計画は確実に動き始めていた。
リリスは掲示板を見上げ、満足そうにうなずいた。
「いいわ。これなら、次へ進める」
庶務担当が尋ねた。
「次は、何を?」
「現物調査。広告契約。電力設備の確認。それから、予算の決裁」
「……まだ、そんなにあるんですね」
「当たり前でしょう。モノレールを走らせるんだから」
孟婆は、お茶をすすった。
「ところで、広告の第一候補は地獄酒場だろう?」
「そうよ」
「じゃあ、車体の色は赤かねえ」
奪衣婆が言った。
「赤なら、靴の汚れが目立たないね」
リリスは、静かに目を閉じた。
「……車体の色を決める会議は、まだ開いていません」
冥界の夕空に、川の流れがきらめいていた。
その向こうには、地獄酒場の赤い提灯が見える。
いつか、その間を中古モノレールが走る日が来るのだろうか。
まだわからない。
けれど、ひとつだけ確かなことがあった。
**モノレールは、まだ走っていない。**
**それなのに、広告主との商談だけは始まっていた。**




