第二話 運転手募集、福利厚生は銘酒、ただし車両は未定
第二話 運転手募集、福利厚生は銘酒、ただし車両は未定
冥界総合受付課の掲示板に、新しい紙が貼られた。
『冥界交通局 運転手募集』
その下には、さらに小さな紙が貼られている。
『獄卒四名一組、同時募集』
そして、いちばん小さな紙には、こう書いてあった。
『中古モノレールの導入については、現在検討中です』
リリスは掲示板の前で腕を組んだ。
「ねえ。車両が決まっていないのに、運転手を募集するの?」
庶務担当は、疲れた顔で答えた。
「車両が決まってから運転手を募集すると、運転手が見つからない可能性があります」
「運転手が見つかっても、車両が使えない可能性があるわ」
「その場合は、採用を取り消すか、配置転換を検討します」
「採用を取り消す?」
「あるいは、配置転換です」
「どこへ?」
「……総合受付課でしょうか」
リリスは、ゆっくりと庶務担当を見た。
「それ、私たちの仕事が増えるだけじゃない」
「はい」
庶務担当は、否定しなかった。
否定するだけの体力が、もう残っていなかった。
*
最初に応募してきたのは、天界交通管理部に勤める白雲という男だった。
白い制服に、磨かれた靴。背筋はまっすぐで、履歴書の記載も簡潔だった。
職歴欄には、こうある。
『天界環状線、運転業務三百年』
孟婆が履歴書をのぞき込んだ。
「三百年!」
奪衣婆も、思わず顔を上げた。
「靴は何足履き潰した?」
「業務用の靴は、定期的に交換しております」
「きちんとしているねえ」
「靴の話は後にして!」リリスが止めた。「白雲さん、今回の募集に応募された理由を聞かせてください」
白雲は、咳払いをした。
「天界環状線は安定しております。事故も少なく、勤務規程も整っています。ただ、三百年も同じ路線を走っておりますと、たまには違う景色を見たくなるもので」
「冥界の景色は、だいたい薄暗いわよ」
マテルダが言った。
「場所によっては、霧も濃いです」
「案内標識は左右を指しています」
「窓口の場所は調整中です」
「乗客が、自分はどの宗教の死後の世界に行くべきか、車内で議論することも想定されています」
白雲は、黙って履歴書を見直した。
「……募集要項には、そこまで書いてありませんでしたが」
「今、説明しています」
リリスは胸を張った。
「情報開示は大切よ」
白雲は、しばらく考えてから尋ねた。
「福利厚生は?」
庶務担当が、待ってましたとばかりに一枚の紙を差し出した。
「桃源郷フリーパスです」
白雲の目が、少しだけ輝いた。
「桃源郷へ?」
「年間十二回を予定しております。ただし、繁忙期を除きます」
白雲の目から、輝きが消えた。
「繁忙期というのは?」
「冥界では、死者の流入が増える時期です」
「つまり、休みたい時期ほど休めない?」
「その可能性があります」
白雲は、三百年間培った運転手の冷静さで、履歴書を裏返した。
「ほかには?」
庶務担当は、もう一枚の紙を出した。
「勤務終了後、獄卒には桃源郷の滝に流れる銘酒を提供する予定です」
白雲は顔を上げた。
「運転手にも?」
「……検討します」
「運転手は、飲酒したら運転できませんよね?」
「もちろんです。運転前の飲酒は禁止です。勤務終了後の飲酒についても、翌日の勤務に影響が出ないよう、休息時間を確保する必要があります」
「そこは、しっかりしているんですね」
「そこだけは、リリスさんが譲りませんでした」
「そこだけじゃないわよ!」
リリスが抗議した。
白雲は、もう一度、履歴書を表に戻した。
「車両の安全性が確認され、運行計画と勤務規程が整備されること。それが条件です」
「当然です」
リリスは、うなずいた。
「車両が中古だからこそ、点検は必要。線路、電源、制動装置、車体の状態、部品の調達先。全部、確認してからよ」
白雲は、ようやく少し安心した顔になった。
「では、条件付きで選考を続けてください」
庶務担当は、採用予定者の欄に白雲の名前を書き込んだ。
その横に、小さく付記する。
『車両未確定。採用条件あり』
*
次にやってきたのは、獄卒たちだった。
一人目は、角が二本。
二人目も、角が二本。
三人目は、角が三本。
四人目は、角が一本だったが、肩幅が戸口いっぱいに広がっていた。
「四人一組で採用と聞きました」
先頭の獄卒が言った。
「そのとおりです」とリリス。
「役割分担は?」
リリスは、用意していた配置表を広げた。
「一人目は車掌。乗車確認、乗客の案内、停車駅の告知を担当します」
「はい」
「二人目は保安担当。車内の喧嘩、通路の占拠、宗派間の口論などを防ぎます」
「はい」
「三人目は苦情対応担当。ただし、カスタマーハラスメントには対応しません」
三人目の獄卒が、首をかしげた。
「苦情対応なのに、苦情を受け付けないんですか?」
「正確には、正当な問い合わせと、暴言や威圧行為を区別します。苦情を理由に職員を脅したり、運行を妨害したりする行為は受け付けません」
リリスは、机の上に規程を置いた。
「そういう乗客には、こう言います」
彼女は、紙を読み上げた。
「苦情は、受け付けてませんよ。カスハラです。とにかく、降りてください。川の受付で、です」
四人の獄卒は、そろってうなずいた。
「わかりやすい」
「短い」
「覚えやすい」
「最後の『川の受付で』が、いいですね」
「そこを気に入るの?」
リリスは、少しだけ不安になった。
「そして四人目は、運転手の保護と、異常時の安全確保です。運転手が乗客に詰め寄られたり、車内で暴動が起きたりした場合、運行を安全に停止させ、必要な応援を要請します」
四人目の獄卒が、胸を張った。
「運転手には指一本触れさせません」
白雲が、横から口を挟んだ。
「ありがたいですが、運転中に運転席の周りで大立ち回りをしないでください」
「もちろんです!」
「本当に?」
「……できるだけ」
白雲は、三百年間で初めて、採用面接中に安全運行への不安を覚えた。
*
「それで、福利厚生は?」
獄卒の一人が、核心に触れた。
庶務担当は、銘酒の提供について書かれた紙を取り出した。
「勤務終了後、所定の休憩施設において、桃源郷の滝に流れる銘酒を提供する予定です」
「銘柄は?」
「協議中です」
「量は?」
「協議中です」
「飲み放題ですか?」
「協議中です」
「本当に出るんですか?」
庶務担当は、沈黙した。
リリスが、横から答えた。
「出す方向で交渉中です。ただし、勤務中と乗務前の飲酒は禁止。翌日の勤務に影響が出る飲み方も認めません。始業前には、全員、専用のアルコール検知器で確認します」
獄卒たちは、顔を見合わせた。
「検知器?」
「毎朝です」
「俺たちにも?」
「全員です。角の本数も、鬼としての誇りも、例外にはなりません」
三本角の獄卒が、腕を組んだ。
「鬼の酒豪として、異議を申し立てたい」
「申し立ては自由です」
リリスは笑顔で答えた。
「ただし、検知結果は変わりません」
「……厳しい職場だ」
「安全な職場を目指しているのよ」
「酒があるのに、厳しい」
「酒があるからこそ、厳しくするの!」
そのやり取りを聞いていた白雲が、静かに言った。
「それなら、運転手にも同じ基準を適用してください。安全は、乗務員全員で守るものです」
リリスは、即座にうなずいた。
「もちろん。運転手にも、必要な確認を実施します。職種が違っても、安全基準は共通です」
庶務担当は、規程の末尾に一行を加えた。
『安全確認は、全乗務員に適用する』
そして、さらに一行。
『検知器の点検、校正、記録管理、故障時の代替手順については、別途検討する』
リリスは、その一行を見つけた。
「また検討中!」
「機器の調達先が、まだ決まっていませんので」
「機器の調達先を決めてから募集すればいいじゃない!」
「それでは、募集開始が遅れます」
「募集開始を急いで、何もかも間に合わなくなるのが一番困るのよ!」
庶務担当は、深々と頭を下げた。
「おっしゃるとおりです」
*
夕方、掲示板には新しい紙が増えていた。
『運転手候補者 一名』
『獄卒候補者 四名』
『アルコール検知器 導入検討中』
『桃源郷銘酒 提供条件協議中』
『中古モノレール 安全性確認前』
『線路・電源設備・保守部品 調査中』
孟婆は、紙の数を数えた。
「昨日より、ずいぶん進んだねえ」
奪衣婆が言った。
「モノレールは、まだ来ていないけどね」
マテルダは、掲示板の矢印を眺めた。
「こちらへ進めば、車両の調査。あちらへ進めば、採用手続き。その先は……」
「どっちも調整中よ」とリリス。
白雲は、天界へ戻る前に、最後の質問をした。
「ひとつ、確認させてください」
「どうぞ」
「このモノレールは、いつ運行を開始する予定ですか?」
庶務担当は、掲示板を見た。
それから、白雲を見た。
「車両の安全性が確認され、必要な設備が整い、運行計画が承認され、乗務員の訓練が完了した後です」
「つまり?」
「未定です」
白雲は、ゆっくりとうなずいた。
「正直で結構です」
彼は、履歴書の控えを受け取り、天界へ帰っていった。
その背中を見送りながら、リリスは言った。
「少なくとも、運転手候補と獄卒候補は見つかったわね」
「はい」と庶務担当。
「安全規程もできた」
「はい」
「飲酒チェックも必要だとわかった」
「はい」
「で、肝心のモノレールは?」
「……まだ、買っていません」
沈黙が落ちた。
そのとき、掲示板の端から、一枚の紙がはがれた。
風もないのに、ひらひらと床へ落ちる。
孟婆が拾い上げた。
それは、予算申請書だった。
決裁欄には、赤い文字でこう書かれていた。
**『前例がないため、再検討』**
リリスは、天井を見上げた。
「前例がないから、新しいものを導入するんでしょうが!」
冥界総合受付課の廊下に、彼女の声が響いた。
その日、モノレールは一メートルも動かなかった。
しかし、採用規程は三枚増えた。
安全管理規程は二枚増えた。
そして、桃源郷の銘酒をめぐる交渉だけは、なぜか一歩前進した。
**冥界交通局は、車両の導入より先に、職場の未来を少しだけ動かし始めていた。**




