第8話 初めて知る温もり
数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。
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―なぜ、誰も私を、痛めつけないのだろう。
湯浴みを終えたブランシュは、贅沢なほど厚手で柔らかな純白のバスローブに包まれ、豪奢な天蓋付きのベッドに腰掛けていた。
泥と血を洗い流され、初めて世界に現れた彼女の純白の髪は、侍女たちの手によって丁寧にタオルで拭われ、真珠のような光沢を放っている。
実家では、汚れを落とすことすら許されず、ただ家畜のように放置されていた。
なのに、この帝国の城では、誰も彼女を捕虜として蔑んだ目で見ない。それどころか、先ほどから目の前で行われている光景に、ブランシュはただただ困惑するしかなかった。
「殿下、よくお耐えになりましたね。お疲れのところ恐縮ですが、優秀な女性の医官を呼び寄せております。まずはその頭皮のお痛みを和らげましょう」
侍女長のロザリーが、優しく、けれどテキパキとした口調で医官へと指示を出す。
「医官、ブランシュ殿下は長旅とこれまでの理不尽な扱いで、心身ともに酷くすり減っていらっしゃいます。決して無理をさせず、全ての触診、すべての薬膏の塗布において、細心の注意と配慮を払いなさい」
「御意に、侍女長。――殿下、失礼いたします。少しだけ、お髪に触れさせていただきますね。痛んだら、我慢なさらずすぐに仰ってください」
現れた女性医官は、驚くほど物腰が柔らかかった。
触れる前に必ず声をかけ、凍えるような冷たさだったブランシュの手を、まずは温かい布で優しく包み込んでから診察を始める。
頭皮の爛れに薬膏が塗られる時も、驚くほど手際がよく、じんわりと痛みが引いていくのが分かった。実家での染髪の時のような、あの灼けるような激痛はどこにもない。丁寧に、誠心誠意、自分という「無能の生贄」が大切に扱われている。その事実が、ブランシュには不思議で仕方がなかった。
「よく頑張られましたね。これで少しは楽になるはずです」
微笑む医官とロザリーに見守られながら、次は着替えへと移る。
ロザリーの後ろに控える侍女たちが、数着の美しい寝着を掲げていた。
「殿下、当初用意させていたシルクの寝着は、今の殿下の傷ついたお肌には少し擦れて痛むかもしれません。ですので、急ぎこちらに、締め付けのない、柔らかい素材の寝着をいくつか用意いたしました。淡い桜色と、藤色と、こちらの白……どれがお好みに召しますか?」
「私、が……選んでも、よいのですか?」
思わず、聞き返してしまった。
実家では、与えられたボロボロの服をただ着るだけだった。自分で何かを選ぶ権利など、与えられたことはない。
「もちろんでございます、殿下」
ロザリーが穏やかに微笑む。ブランシュは戸惑いながらも、小さな指先で、一番馴染みのある「白」の寝着を指差した。
身に纏った瞬間、まるで雲に包まれているかのように柔らかく、傷ついた肌を優しく労るような温かさが、全身を包み込んだ。
「よくお似合いでございます。……さて、次はお食事ですね」
運ばれてきたのは、豪華な晩餐、ではなく、驚くほど上品で、湯気をふんわりと立てる体に優しそうな料理だった。
「長らく満足なお食事を摂られていなかったとお見受けします。まずは、お腹を驚かせないよう、細かく刻んだ野菜と鶏肉をじっくり煮込んだ、温かいスープをご用意いたしました」
スプーンですくい、一口、口に含む。
――温かい。
そして、信じられないほど、美味しかった。
昨夜、亡くなった老侍女が語っていた平民の言葉が、脳裏をよぎる。
『温め直すような魔法がなくても、皆で守った火があるから温かい。大切な人と食べる食事は美味しいものなのです』
(ああ、本当だ……。魔法なんかなくても、こんなに温かくて、美味しい……)
ブランシュがスープをごくりと飲み干すのを見て、ロザリーは小さく満足そうに頷き、それとなく、本当に自然な動作で、少しだけ次の料理(柔らかく煮たトースト)を差し出してくる。食べられる分だけを、彼女のペースに合わせて、そっと、そっと。
気付けば、ブランシュの冷え切っていたお腹も心も、心地よい温かさで満たされていた。
満腹になると、急激な睡魔が襲ってきた。昨夜の悲劇から一歩も眠れず、泥を投げられ、異国の地へ連れてこられたのだ。限界なのは当然だった。
「殿下、今夜はもう、ゆっくりとお休みください。この部屋には、殿下を傷つけるものは何もございません」
ロザリーの手によって、羽毛のベッドへと横たわされる。
掛けられた布団は、驚くほど軽くて温かかった。
誰も、私を殴らない。
誰も、私を無能と罵らない。
頭皮を灼く染料も、私を睨みつける家族も、ここには誰もいない。
(どうして、こんなに優しくしてくれるの……?)
未知の感情と、初めて触れる本物の「温もり」に、ブランシュの純白の瞳から、一筋の涙が静かに溢れ、枕を濡らした。悲しいわけではない。ただ、あまりの安らぎに、心が震えていた。
静かな部屋。微かに香る薬草の優しい匂い。
ブランシュは温かい布団にくるまりながら、生まれて初めて、何の恐怖もない本当の「安らかな眠り」の中へと、深く、深く、落ちていった。
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次回もお楽しみくださいますと幸いです。




